雪花 ~四季の想い・第一幕~

 ◆◇◆◇

 図書室に到着した。

 涼香が先に立って戸を開けると、廊下と変わらない冷気が全身を襲った。

「うわっ! さむっ!」

 涼香は足早に室内に入り、早速、暖房のスイッチを入れたが、暖まるまでには相当な時間がかかりそうだ。

「ったく! 誰か気を利かせてあっためてくれていてもいいものを」

 涼香の理不尽とも思える文句に、ずいぶんと無茶苦茶なことを、と紫織は呆れたが、あえて口には出さなかった。

「仕方ない。しばらくコートで寒さを凌ぐか」

「そうするしかないね」

 紫織も頷くと、ふたりは長テーブルの上にカバンを置き、再び暖房の前へ行って向かい合わせに体育座りした。

 まだ、温風は出てこない。
 その代わり、今にも壊れそうなモーター音が室内に煩く響き渡った。

「無事に帰れた?」

 座るなり、涼香が口を開いた。

 何を訊きたいのかは分かったので、紫織は「うん」と頷いた。

「ごめんね……。なんか、涼香には凄い迷惑かけちゃった……」

「別に迷惑なんて思っちゃいないよ」

 神妙な面持ちの紫織とは対照的に、涼香はケラケラと笑う。

「むしろ、私としては何でも話してくれた方が嬉しいんだしさ。それに、悩みごとは共有した方が少しは楽になるでしょ?」

 涼香の言葉に、紫織も素直に嬉しく思えて自然と笑みが零れた。

「なら、涼香も何でも話してよ。私だってこれでも、涼香の悩みを共有したいって気持ち、ちゃんとあるんだから」

 紫織が言うと、涼香は「そうきたか」と苦笑しながら髪を掻き上げた。

「私、よっぽど信用されてないんだねえ」

「違うよ。涼香が心配だからだよ」

「――心配?」

 怪訝そうに首を傾げる涼香に、紫織は大きく頷き、思っていることを口に出した。
「涼香って、ひとりで何でも抱え込んじゃう方でしょ? 本当は辛くて堪らないくせに、意地張ってそんな素振りも全然見せなくて……。ほんと、宏樹君にそっくりだよ」

「〈宏樹君〉って、高沢の兄さんだっけ? そんなに似てんの?」

「うん。――あ、宏樹君の方がもっと意地っ張りかな」

 そこまで言うと、紫織はふと、宏樹がほろ酔いで帰って来た時のことを想い出した。

 あの時、宏樹にかけてもらったコートは、まだ紫織の部屋にある。
 返そうとは思っているのだが、最近はすれ違いが多いので、なかなか返すことが出来ない。

 朋也にお願いすることも考えた。
 だが、朋也の気持ちを思うと、軽々しく預けられない。

「クリスマス、かあ……」

 突然、涼香がポツリと呟いたかと思うと、「紫織はどうすんの?」と訊ねてきた。

「どうする、って?」

 紫織は首を傾げながら涼香を見つめた。

「だからクリスマスだよ。――あんたのことだから、なんかプレゼントをしようとか考えてるんじゃないか、って思ったからね」

 涼香に改めて言われて、紫織は初めてプレゼントのことを意識した。

 宏樹にはコートを借りたお礼を兼ねて、朋也にも、この間のお礼のつもりでと思い立った。
 しかし、異性へのプレゼントとなると、いったい何を贈ったら良いのだろうか。
「男の人って、何を貰ったら嬉しいって思う?」

 涼香に訊ねると、涼香は「うーん」と眉根を寄せて唸った。

「私はこれでも女だから、男の気持ちなんて分かんないしなあ。男の兄弟も知り合いもいないし……」

「そっか……、そうだよね……」

 紫織は膝に顎を載せて、うずくまるように俯いた。
 涼香に失礼なことを訊いてしまったことへ対する反省をしつつ、プレゼントについて考え込んだ。

「そんなに悩む必要もないんじゃない?」

 思案に暮れていた紫織に、涼香はあっけらかんとした調子で言った。

「確かに、本人が喜ぶものをあげるのが一番かもしれないけど、一生懸命選んでくれた気持ちってのが何より嬉しいと思うけど?」

 そう言いながら、涼香自身の胸の辺りを親指で差す。
 今の台詞の中にあった、〈気持ち〉を強調しているつもりなのであろう。

「――気持ち、かあ……」

 紫織が反芻すると、涼香は「そ」と強く頷いた。

「ちっちゃい頃から紫織を可愛がってくれてるような人だったらなおのこと、その辺に落ちてる石ころでも喜んで受け取ってくれるよ」

「――いくら何でも、石ころは極端じゃない?」

「だから例えだよ。た、と、え。――まさか、私が『石ころをあげたら?』って言ったら、実行する気だった?」

「――するわけないじゃん……」

 憮然として紫織は答えた。

 それに対して、涼香は「そりゃそうだ!」と、声を上げて笑った。

 今、図書室にはふたり以外には誰もいないから良いものの、人がいたとしたら、確実に冷ややかな視線で睨まれている。
 それぐらい、涼香の笑い声は室内に豪快に響き渡っていた。
「変な冗談を言っちゃったけどさ」

 涼香はひとしきり笑ってから、笑みはそのままで、紫織を見つめた。

「プレゼント選びをする時は、良かったら私にも声をかけてよ。ひとりよりふたりの方が探すのもだいぶ楽だろうしさ」

「うん、そうする」

 紫織は答えたものの、プレゼントはひとりで選ぶ気でいた。
 宏樹のはともかく、朋也のもとなると、涼香の気持ちを知ってしまっている手前、さすがに気まずい。
 涼香のことだから、『気にしないで!』と笑いながら言ってくれそうではあるが。

(でも、あんまり気を遣わせ過ぎるのもいけないよね)

 屈託なく笑う涼香に視線を注ぎながら、紫織もまた、小さく笑みを浮かべた。
 ◆◇◆◇

 冬休み前最後の日曜日が訪れた。

 紫織は宏樹と朋也へのプレゼントを買うために、いつもの休日よりも早起きをした。
 と言っても、九時をとっくに回っていたのだから、決して早いとも言えないのだが、それでも、自主的に起きたことが珍しかったらしく、母親はあからさまに驚いていた。

「――今夜は雪じゃなくて槍が降るわね」

 紫織を顔を見るなり、真顔で呟いた。

「お母さん、実の娘に向かってなにその言い方は」

 紫織が口を尖らせながら文句を言うと、母親は「仕方ないじゃない」と頬に手を添えながら紫織を凝視した。

「あんたの場合、普段が普段でしょ。特に今のような時季は、学校がある日でも自主的に起きるなんてことは数えるほどしかないじゃない」

「だからって、そんなに驚かなくても……。――もういいや」

 紫織は反論を諦めて、深い溜め息をひとつ吐いた。

「とにかく、今日はちょっと出かけるから。なるべく遅くならないようにはするけど」

 そう言うと、部屋に一度戻って行った。
 ◆◇◆◇

 外に出ると、今年一番の冷え込みだと天気予報で告げられていた通り、刺すような寒さが襲いかかってきた。
 これに紫織は、一瞬、怖気付きそうになったが、今日を逃したらプレゼントを買いに行くチャンスはもうないのだから、と自分に言い聞かせ、口元までマフラーを埋めながら歩いた。

 駅に向かうまでの間、数人の人とすれ違った。

 年齢も性別もまちまちで、紫織と同様に身を縮めている人もいれば、寒さを物ともせずに颯爽と歩いて行く人もいた。

 表情ひとつ変えずに過ぎ去って行く人を見ると、紫織は、ただただ感心するばかりだった。
 しかも、年配の人であれば驚きはさらに大きい。

(そうゆう人にしてみたら、私って滑稽に見えるんだろうな……)

 紫織はそう思いながら、改めて自分の格好を見てみた。

 ベージュのハーフコートにクリーム色のマフラー、五本指のピンクの手袋。
 そこまではまず普通であるが、紫織の場合、白い毛糸の帽子を目深に被り、コートの下にも分厚いセーターを着込んでいるため、異様なまでにモコモコして見える。

(無理して風邪引くよりはマシなんだから!)

 自分に言い聞かせてみるものの、それでも、周囲の痛い視線を感じてしまう。
 気のせいかもしれないが。

(気にしない! 人は人! 自分は自分!)

 もう一度、紫織は強く思った。
 ◆◇◆◇

 電車に十分ほど揺られ、高校の最寄り駅に到着した。

 今月の第一日曜日には、涼香とここで待ち合わせして街に繰り出したが、今日はひとりなので何とも変な心地がした。
 そもそも、紫織は単独で遠出をすることが稀なのだ。

 しかも今の格好は、この街中ではさらに浮いて見える。

(やっぱ、もう少し考えれば良かったかも……)

 そう後悔してもあとの祭りだ。
 とはいえ、無理に薄着をしたとしても、それはそれで、もっと厚着をしてくれば良かった、と思ったに違いない。

(我ながらめんどくさい……)

 紫織は小さく溜め息を漏らすと、足早に歩いた。
 ◆◇◆◇

 紫織が向かった先は、大型ショッピングセンターだった。
 そこには多種多様な店が入っているので、外をいちいち歩き回らなくても一カ所で買い物を済ませられる。
 何より、寒がりな紫織にはとてもありがたい場所でもあった。

 ただ、店内に入ると、外とは対照的な熱気を感じた。
 暖房がしっかり効いている上、人が密集しているから無理もない。
 紫織は帽子と手袋を外したものの、それでもまだ暑くて、とうとうコートまで脱いでしまった。
 これにより、よけいな荷物が増えた。

(だから冬って嫌い)

 心の中ぼやきながら、まず、男性小物を扱う店へ足を運んだ。

 ショッピングセンター内だから閉鎖的ではないが、あまり慣れないから、中を見て回るのは多少なりとも抵抗があった。

(とっとと決めて出よう!)

 そう思った時だった。

「何かお探しですか?」

 背中越しに声をかけられた。
 突然のことに紫織は心臓が飛び上がらんばかりに驚き、恐る恐る後ろを振り返った。

 こちらに向かって、にこやかに微笑む女性と目が合う。
 私服姿ではあるが、胸の辺りに小さなネームプレートが付けられていたので、考えるまでもなくこの店の従業員だ。

「え、えっと……」

 店員から声をかけられることを全く想定していなかった紫織は、すっかり動揺してしどろもどろになっていた。
 何でもない、と言って逃げようかとも思ったが、それも失礼な気がした。

(この際だし、店員さんにアドバイスしてもらった方がいいかな)

 そう思い、紫織は意を決して口を開いた。
「あの、実は、プレゼントを探しているんですけど……」

「クリスマスプレゼントですか?」

「はい。――でも、どうゆうのがいいのか分かんなくて……」

 店員は紫織のたどたどしい言葉を、笑顔はそのままで頷きながら聴いていた。

「差し支えなければ、お相手の方のご年齢をお訊ねてしてもよろしいですか?」

 店員に訊かれ、紫織は「二十六歳と十六歳のふたりです」と答えた。

「なるほど。かしこまりました」

 店員は大きく頷き、「では、こちらにどうぞ」と紫織を促してきた。

 紫織は言われるがまま、店員の後ろを着いて行く。

(まさか、わざと高い物を押し付けてきたりしないよね……?)

 そんな不安を抱きながら、前を歩く店員の背中を睨んだ。

 と、店員が急に立ち止まって振り返ってきた。

 紫織は慌てて笑顔を取り繕おうとするも、自分でも分かるほど不自然に顔を歪めてしまった。

 だが、店員はそういった客の対応にも慣れているのか、全く意に介した様子を見せない。
 それどころか、先ほどよりもさらにニッコリと笑いかけてきたほどだった。

「お客様は、まだ学生さんでいらっしゃいますよね?」

「え? あ、はい」

 動揺を隠せずに頷く紫織を、店員は微笑ましそうに見つめた。

「それでしたら、この辺りのマフラーが無難ですね」

 そう言いながら、数あるマフラーの中から焦げ茶色の物を取り上げ、それを紫織に預けてきた。

 紫織はマフラーを手にすると、さり気なく値札を確認した。
 表示は〈¥2,000〉。
 予算としてはギリギリのラインだ。