◆◇◆◇◆◇
朋也には、決して本当の自分を見せるつもりはなかった。
しかし、気持ちとは裏腹に口が勝手に動いていた。
もしかしたら、自分でも気付かないうちに、本心を全て曝け出してしまいたいと思っていたのだろうか。
(情けない)
自分の前にぼんやりとして立っている朋也を傍観しながら、宏樹は複雑な心境だった。
感情的になってしまった自分に心底呆れる。
「何があったか知らないけど」
躊躇いがちに朋也が口を開いた。
「あんまりひとりで思い詰めるのも良くねえんじゃねえの? 確かに兄貴は〈兄〉って肩書きがある以上、簡単に弱音を吐けないかもしれねえけど。
でも、俺だってもう高校生だし、兄貴の話を聴いてやるだけのことは出来ると思うぜ? ――まあ、アドバイス、ってなるとさすがに厳しいけど」
朋也は真剣そのものの眼差しで宏樹を見つめている。
本心から今の言葉を言ったのは、朋也の表情からもしっかりと覗えた。
「生意気言ってんじゃねえよ」
本当は嬉しかったのに、いつもの癖で、宏樹はついつい、心にもないことを口走ってしまう。
「何とでも言えよ」
朋也もまた、いつもの調子で口を尖らせながら返してきた。
「これでも俺、本気で兄貴を心配してんだからな。――兄貴のようなタイプは、突然、何をしでかすか分かんねえしよ」
「――何すると思ってんだ?」
怪訝に思いながら朋也に訊ねる。
朋也は少し躊躇い、しかし、はっきりと口にした。
「――例えば、自殺とか……?」
朋也の答えに、宏樹はギョッとして目を見開いた。
まさか、朋也にそこまで考えさせていたとは予想外だった。
「そんなに自殺しそうに見えるか、俺は?」
宏樹が重ねて訊くと、朋也は今度は「うん」と大きく頷いた。
「俺と違って兄貴は、誰にも相談しないで自分の中に溜め込むから……。そのうち、感情が爆発しちまうんじゃないかって、そう思った……」
最近の朋也の言葉は、さすがの宏樹もハッとさせられ、また、鋭いところを突いているので耳が痛い。
一方、当の朋也は、思ったことが言えたといった感じで、心なしか清々しい表情をしている。
(やれやれ……)
宏樹は苦笑しながら人差し指で頬を掻き、「大丈夫だよ」と言った。
「俺はお前が思ってるほど、そんなにヤワに出来ちゃいない。それに、親から貰った命を、そんな粗末に扱えないだろ?
けど、朋也の気持ちはありがたくちょうだいしとくよ。――ありがとな」
素直な想いを口にした。
が、朋也は「キモッ!」と頬を引き攣らせた。
「改めて兄貴に感謝されると、なんかこう、全身に鳥肌が立っちまう。
ああ! やっぱダメだ! 素直な兄貴なんて兄貴じゃねえよ気持ちわりい!」
ああ言えばこう言う。
宏樹は、やれやれ、と肩を竦めた。
(ちょっと感謝するとこれだもんな……。ま、別にいいんだけど)
宏樹は眉根を寄せながら笑むと、未だに「気色わりい!」と、自らの両腕を擦り続ける朋也を傍観した。
[第八話-End]
学校もあと一週間で冬休みへと入る。
それに加え、クリスマスも近付いているため、周囲ではクリスマスの過ごし方やプレゼントの話題で持ちきりとなっていた。
「最近、ずーっと女共の甲高い声ばっか聴いてる気がする」
放課後、冷えきった廊下を歩きながら、涼香はうんざりとばかりにぼやいていた。
「まあ、仕方ないんじゃない? 女の子達にとって、クリスマスは一大イベントなわけだし」
そう言いつつ、紫織も実は涼香と全く同じことを考えていた。
もちろん、紫織だって女の子だから、クリスマスを全く意識していないわけではない。
しかし、周りの目も気にせず、キャアキャア騒ぐ姿を見ていると、自分まで彼女達と同類に思われたくない、と少々引いてしまう。
ちなみに今、紫織と涼香は図書室に向かっている。
本当は教室に残るつもりだったのだが、涼香が先ほど口にした通り、そこにはまだ、クリスマスのことで盛り上がっている女子生徒が居座っていたので、コートを着込み、カバンを持って移動することとなった。
耳障りな声は聴きたくないし、何より、その場にいたらお喋り好きの彼女達がふたりに近付いて来ないとも限らない。
(口が軽そうだしな……)
際限なく話し続ける彼女達の姿を想像しながら、紫織は思わず苦笑いした。
◆◇◆◇
図書室に到着した。
涼香が先に立って戸を開けると、廊下と変わらない冷気が全身を襲った。
「うわっ! さむっ!」
涼香は足早に室内に入り、早速、暖房のスイッチを入れたが、暖まるまでには相当な時間がかかりそうだ。
「ったく! 誰か気を利かせてあっためてくれていてもいいものを」
涼香の理不尽とも思える文句に、ずいぶんと無茶苦茶なことを、と紫織は呆れたが、あえて口には出さなかった。
「仕方ない。しばらくコートで寒さを凌ぐか」
「そうするしかないね」
紫織も頷くと、ふたりは長テーブルの上にカバンを置き、再び暖房の前へ行って向かい合わせに体育座りした。
まだ、温風は出てこない。
その代わり、今にも壊れそうなモーター音が室内に煩く響き渡った。
「無事に帰れた?」
座るなり、涼香が口を開いた。
何を訊きたいのかは分かったので、紫織は「うん」と頷いた。
「ごめんね……。なんか、涼香には凄い迷惑かけちゃった……」
「別に迷惑なんて思っちゃいないよ」
神妙な面持ちの紫織とは対照的に、涼香はケラケラと笑う。
「むしろ、私としては何でも話してくれた方が嬉しいんだしさ。それに、悩みごとは共有した方が少しは楽になるでしょ?」
涼香の言葉に、紫織も素直に嬉しく思えて自然と笑みが零れた。
「なら、涼香も何でも話してよ。私だってこれでも、涼香の悩みを共有したいって気持ち、ちゃんとあるんだから」
紫織が言うと、涼香は「そうきたか」と苦笑しながら髪を掻き上げた。
「私、よっぽど信用されてないんだねえ」
「違うよ。涼香が心配だからだよ」
「――心配?」
怪訝そうに首を傾げる涼香に、紫織は大きく頷き、思っていることを口に出した。
「涼香って、ひとりで何でも抱え込んじゃう方でしょ? 本当は辛くて堪らないくせに、意地張ってそんな素振りも全然見せなくて……。ほんと、宏樹君にそっくりだよ」
「〈宏樹君〉って、高沢の兄さんだっけ? そんなに似てんの?」
「うん。――あ、宏樹君の方がもっと意地っ張りかな」
そこまで言うと、紫織はふと、宏樹がほろ酔いで帰って来た時のことを想い出した。
あの時、宏樹にかけてもらったコートは、まだ紫織の部屋にある。
返そうとは思っているのだが、最近はすれ違いが多いので、なかなか返すことが出来ない。
朋也にお願いすることも考えた。
だが、朋也の気持ちを思うと、軽々しく預けられない。
「クリスマス、かあ……」
突然、涼香がポツリと呟いたかと思うと、「紫織はどうすんの?」と訊ねてきた。
「どうする、って?」
紫織は首を傾げながら涼香を見つめた。
「だからクリスマスだよ。――あんたのことだから、なんかプレゼントをしようとか考えてるんじゃないか、って思ったからね」
涼香に改めて言われて、紫織は初めてプレゼントのことを意識した。
宏樹にはコートを借りたお礼を兼ねて、朋也にも、この間のお礼のつもりでと思い立った。
しかし、異性へのプレゼントとなると、いったい何を贈ったら良いのだろうか。
「男の人って、何を貰ったら嬉しいって思う?」
涼香に訊ねると、涼香は「うーん」と眉根を寄せて唸った。
「私はこれでも女だから、男の気持ちなんて分かんないしなあ。男の兄弟も知り合いもいないし……」
「そっか……、そうだよね……」
紫織は膝に顎を載せて、うずくまるように俯いた。
涼香に失礼なことを訊いてしまったことへ対する反省をしつつ、プレゼントについて考え込んだ。
「そんなに悩む必要もないんじゃない?」
思案に暮れていた紫織に、涼香はあっけらかんとした調子で言った。
「確かに、本人が喜ぶものをあげるのが一番かもしれないけど、一生懸命選んでくれた気持ちってのが何より嬉しいと思うけど?」
そう言いながら、涼香自身の胸の辺りを親指で差す。
今の台詞の中にあった、〈気持ち〉を強調しているつもりなのであろう。
「――気持ち、かあ……」
紫織が反芻すると、涼香は「そ」と強く頷いた。
「ちっちゃい頃から紫織を可愛がってくれてるような人だったらなおのこと、その辺に落ちてる石ころでも喜んで受け取ってくれるよ」
「――いくら何でも、石ころは極端じゃない?」
「だから例えだよ。た、と、え。――まさか、私が『石ころをあげたら?』って言ったら、実行する気だった?」
「――するわけないじゃん……」
憮然として紫織は答えた。
それに対して、涼香は「そりゃそうだ!」と、声を上げて笑った。
今、図書室にはふたり以外には誰もいないから良いものの、人がいたとしたら、確実に冷ややかな視線で睨まれている。
それぐらい、涼香の笑い声は室内に豪快に響き渡っていた。
「変な冗談を言っちゃったけどさ」
涼香はひとしきり笑ってから、笑みはそのままで、紫織を見つめた。
「プレゼント選びをする時は、良かったら私にも声をかけてよ。ひとりよりふたりの方が探すのもだいぶ楽だろうしさ」
「うん、そうする」
紫織は答えたものの、プレゼントはひとりで選ぶ気でいた。
宏樹のはともかく、朋也のもとなると、涼香の気持ちを知ってしまっている手前、さすがに気まずい。
涼香のことだから、『気にしないで!』と笑いながら言ってくれそうではあるが。
(でも、あんまり気を遣わせ過ぎるのもいけないよね)
屈託なく笑う涼香に視線を注ぎながら、紫織もまた、小さく笑みを浮かべた。
◆◇◆◇
冬休み前最後の日曜日が訪れた。
紫織は宏樹と朋也へのプレゼントを買うために、いつもの休日よりも早起きをした。
と言っても、九時をとっくに回っていたのだから、決して早いとも言えないのだが、それでも、自主的に起きたことが珍しかったらしく、母親はあからさまに驚いていた。
「――今夜は雪じゃなくて槍が降るわね」
紫織を顔を見るなり、真顔で呟いた。
「お母さん、実の娘に向かってなにその言い方は」
紫織が口を尖らせながら文句を言うと、母親は「仕方ないじゃない」と頬に手を添えながら紫織を凝視した。
「あんたの場合、普段が普段でしょ。特に今のような時季は、学校がある日でも自主的に起きるなんてことは数えるほどしかないじゃない」
「だからって、そんなに驚かなくても……。――もういいや」
紫織は反論を諦めて、深い溜め息をひとつ吐いた。
「とにかく、今日はちょっと出かけるから。なるべく遅くならないようにはするけど」
そう言うと、部屋に一度戻って行った。
◆◇◆◇
外に出ると、今年一番の冷え込みだと天気予報で告げられていた通り、刺すような寒さが襲いかかってきた。
これに紫織は、一瞬、怖気付きそうになったが、今日を逃したらプレゼントを買いに行くチャンスはもうないのだから、と自分に言い聞かせ、口元までマフラーを埋めながら歩いた。
駅に向かうまでの間、数人の人とすれ違った。
年齢も性別もまちまちで、紫織と同様に身を縮めている人もいれば、寒さを物ともせずに颯爽と歩いて行く人もいた。
表情ひとつ変えずに過ぎ去って行く人を見ると、紫織は、ただただ感心するばかりだった。
しかも、年配の人であれば驚きはさらに大きい。
(そうゆう人にしてみたら、私って滑稽に見えるんだろうな……)
紫織はそう思いながら、改めて自分の格好を見てみた。
ベージュのハーフコートにクリーム色のマフラー、五本指のピンクの手袋。
そこまではまず普通であるが、紫織の場合、白い毛糸の帽子を目深に被り、コートの下にも分厚いセーターを着込んでいるため、異様なまでにモコモコして見える。
(無理して風邪引くよりはマシなんだから!)
自分に言い聞かせてみるものの、それでも、周囲の痛い視線を感じてしまう。
気のせいかもしれないが。
(気にしない! 人は人! 自分は自分!)
もう一度、紫織は強く思った。