ぼんやり画面を見ていても仕事は自動で進んではくれない。

 ウェブデザインの会社。
 ゼロベースwebデザイン。

 上司である織田さんが立ち上げた会社だ。
 野心家の織田さんは、打ち解けられない私を必要としてくれて、私の心を溶かした人。

 その関係が恋愛関係に進むのに、そんなに時間はかからなかった。
 初めて手にした、私を必要としてくれて、自分も大切だと思える場所。

 けれど。溶かしてくれたはずが、今は心が荒む原因になっている。

 織田さんは既婚者だった。

 とどのつまりは不倫関係。
 綾美にも言えない関係。

 知らなかった私が問い詰めると、織田さんは夫婦関係は破綻していると説明した。

 私には美樹が必要だ。
 そう言って既婚者だと知った後も、狡い関係が続いていた。

「残業できるかな?」

 びくりと肩を揺らし、けれど動揺は悟られないようにする。
 急に声を掛けられたから、驚いただけのように。

 残業できる? が、今晩会おうの合図。

「今日はできません」

 にっこりと、織田さんに付け入る隙を与えないよう告げた。

「そっか」

 軽い口調で去っていく織田さんを呼び止めないように、自分の手をギュッと握りしめた。

 憧れの人だった。
 仕事もできて。

 けれど、憧れのままにしておけば良かったんだ。

 織田さんは他の女の子にも、残業できるか声を掛けている。
 それが前はものすごく嫌で、絶対に自分が残業するようにしていた。

 私以外にも同じ関係の子がいるかもしれないし、いないのかもしれない。
 そのことで、胃がキリキリすることが辛かった。

 何より、何食わぬ顔で温かい家庭へと帰る狡い人。
 私は何を守って来たんだろう。

 残業できないと言った手前、早めに帰ることにした。
 更衣室で確認した携帯に琥太郎さんからメールが来ていた。

『そろそろ夜祭りの準備を始めるよ。狐の舞の練習をするんだ』

 メールを見て、急いで電話を掛けた。
 狡い大人から、早く純粋な頃に戻りたかった。

「もしもし? 琥太郎さん? 私も狐の舞、練習したい」

「何? 何? 急に」

 驚いている琥太郎さんに構わずに「お願いします」と頼み込んだ。

「嬉しいよ。もう大村に来てくれないかと、心配してた」

 私も、もう行けないと思った。
 私みたいなのが、行っちゃいけないのかもしれない。

 でも今の私は、大村に逃げてしまいたかった。

 週末になると大村へ来ていた。
 公民館に行くと、何人もの人が来ていた。

「美樹ちゃん。おばあちゃんと会ってる?」

 年配の人に話しかけられた。
 いつも岩魚をわけてくれる源さんだ。
 それに野菜をわけてくれる村田さんも。

「いつもありがとうございます。おばあちゃんのところには、なかなか行けなくて。」

「おばあちゃん、美樹ちゃんが来てくれるからって、来るたびに嬉しそうにしてるから、顔出すだけでも行ってあげなさい」

 優しいお節介。村ならではだ。
 それが心にしみる。

「はい。そうします」

 にこやかな笑顔で、源さん達は準備の方へと行った。

 夜祭りの振り付けを習うのは、新参者の協力隊の三人と練習を申し出た私。

 その他の人は覚えている動きを思い出す程度らしい。

 まずは簡単な振り付けを習う。
 片手に松明を持つため、左腕は上げっぱなし。

 本番は燃えた松明だが、練習では火をつける前の松明を持つ。
 見た目よりも、ずっと重い。

「これを持ってもらう」

 渡された重い松明におののいていても、振り付けのレクチャーは続く。

 空いている右手を、下から上へくるりと回しながら上げて舞を踊る。
 右手の動きに合わせ、足を静々と前に出していく。

 見ていると簡単そうだが、やってみると思った以上に大変だ。
 妖艶に見えるように滑らかに、松明を持つ手は下げないように。

 人前に立つのが苦手だと言っていたのは、最上晋太郎くん。二十歳。

 と、永久就職を目標だと言った安藤静香ちゃん。
 若い二人は体力がある。

 トモさんもさすがだ。
 初見でついていけている。

 すぐにバテてしまうのは私だけだった。

 慣れだよと笑う琥太郎さんに、それに源さんや村田さんも軽やかに踊る。

「まだまだ若いもんには負けんよ」

 その笑顔が眩しかった。

 バテバテの私を見兼ねて、休憩の時間が設けられた。


 へばっていると、トモさんに声を掛けられた。

「大村は、順調に活気づいてるけどよ。どうにも若い奴の出会いがない」

 寂しい独り者の私に、何を言い出すのかと思えば。
 出会いなんてこっちが欲しいくらいだ。

 人の心配をしていられるほど、心の余裕なんてない。

「私の方が紹介して欲しいですって顔に書いてあるぞ」

 会う度に、益々焼けていく肌からのぞく白い歯を見せて笑われた。
 図星を突かれ、居心地が悪い。

「私は」

 仕事に生きていますと、言えるほど仕事にのめり込んでいない。
 なんて返せばいいのか分からない。

 有り難いことに、私の返事は望んでいないみたいでトモさんは話を進めた。

「結婚相談所みたいなところで、街コンでも企画してもらうといいんだがな。農家の嫁に来たい若い子もいるだろう」

 結婚相談所。
 心当たりがある自分が憎い。

「知り合いが、居なくもないですよ」

「なんだ。その遠回しな言い方は。知り合いがいるなら頼んでくれ」

 深呼吸して、携帯を睨みつけていた。
 体中の筋肉痛がつらいせいじゃない。

 まぁすぐに筋肉痛になるのは、若い証拠だと思っておこう。

 睨みつけていたのは、母に電話を掛けようか迷っているから。

 母の仕事が結婚相談所で、良かったと思ったことは一度もない。
 からかわれるか、不憫がられていい思い出はない。
 恨んでいたくらいだ。

 それなのにその母の職業を頼るなんて。

 ただ田植えの時みたいに、街コン希望者をネットやチラシで募集して集まるのかは期待できない。

 背に腹はかえられぬって、こういうことを言うのかな。
 緊張の面持ちで電話をかけた。

「はい。美樹? おばあちゃんのところに何度も行ってるらしいね。おばあちゃんからお礼の電話があったわ」

 電話なんてしてたんだ。
 知らなかった。

 祖母は礼儀を重んじる人だ。
 私が来られたのは、母のお陰だと思っているのだろう。

「おばあちゃんの家が、無くなっちゃうのは嫌だからね。ところでさ。そのことでお願いがあるんだけど」

「あら。珍しい。美樹が私にお願いなんて」

 ずいぶん前から、母にも父にも何も望まないようにしていた。
 何か言ったところで変わるとは思えない人たちだから。

 けれど今回は私だけのことじゃない。
 村の存続に関わるかもしれないのだ。