狛犬カフェで悩み事、祓います

「以前も話したとおり、私はこの町に何もないとは考えていない。美しい夕日に星や月、豊かな自然は、自慢してもいいだろう。それを最大限に活かせるものが、ここをキャンプ地にすることなのだ」 

 今、若者の間でキャンプが盛り上がっている。この静かな土地は、都会の喧噪を忘れ、ゆったりのんびりできる最適な場所になるのだろう。

「今、手入れが行き届いていない田畑も多い。そこから害虫や雑草が増えた結果、周囲の田畑にも悪影響を及ぼしているだろう。鳥獣の被害だって、十年前よりずっと増えている」

 確かに、雑草が生え広がった田んぼや畑をよく見かけるようになった。それでも、放置されているわけではないので、土地の契約を強制的に終わらせるわけにはいかないのだという。

 鳥獣の被害だって、無視できない。カラスやスズメの鳴き声は、騒音レベルだと思うほどだ。糞が洗濯物に付着していることも、珍しくないと聞く。

 イノシシやシカも、目撃情報が増えたような。最近では、クマもひょっこり顔を出す日もあると聞く。

「もったいないの一言なんだ。この町は、土地をおおいにもてあましている!」

 鷹司さんは熱く語っていた。町についていろいろ考えた結果、リゾート地に乗りだそうとしていたわけだ。

「住人説明会も何回か開催したが、誰もきやしない!」

「それは、そうでしょうね。土地に思い入れがある人ばかりが、ここには住んでいますから」

 私もその中のひとりで、詳しく話を聞いたからといってすぐには賛同できない。

「ここの町の者達は、未来について考えていない」

「そ、それは……」

 十年もしたら、きっと、人口はさらに減っているだろう。私は、人が少なくなった町で何をしているのだろうか。深く考えると、怖くなってしまう。

「確かに、人口の減少は、恐怖、ですね」

「だろう?」

 言葉を失ってしまう。私はこの町を、祖母が守った家を、心から愛している。失いたくもない。
 近い将来、どうなってしまうかまではまったく考えていなかった。

「でも、先の未来まで考えるのは、私達にはとても真似できないものです。毎日生活するだけでも、精一杯ですから」

 町に住む者達と、鷹司さんとの間には、大きな価値観の違いがあるのだろう。だから、わかり合えない。

「必要なのは、相手の心情を(おもんぱか)ること、だと思うのです」

「たとえば?」
「た、たとえばと言われますと、困ってしまうのですが。えっと、その……鷹司さんが町の者に対してなぜ未来を考えず、立ち退かないのかという疑問と同じくらい、なぜリゾート化するのかと、疑問に思っているはずです」

 鷹司さんは、ハッと目を見張る。

「なるほど、そうか! この町の者達は、リゾート化の意味をわかっていなかったのか。そして、おそらく永遠に理解できないだろうと」

「ええ」

 悲しい事実だが、“住む世界が違う”というやつだろう。

「すばらしい発見だ!」

「何が、でしょうか?」

「私と町の者達は、このままでは永遠にわかり合えないという点だ。私は、そんな些細な状況でさえ、気付かなかった!」

 鷹司さんは周囲の書類を片付け、丁寧に鞄の中にしまっていた。

「わかりやすく解説してくれて、心から感謝する。ありがとう。この町について、理解が深まった!」

「は、はあ」

 なんて、前向きな人なのか。こんな性格だったら、人生において生きにくさなど感じないだろう。

「ただ、困ったな。理解してもらえないのであれば、リゾート化は難しい」

「理解、してもらうつもりだったのですね」

「一応な」

 じっくり話し合えば、いずれわかってもらえると思っていたようだ。

「あの、互いの希望を理解するのは、難しいかもしれません。でも、歩み寄ることはできるはずです」

「歩み寄る? 私と、町の者達が、か?」

「ええ。双方の希望を、叶えたらいいのではないでしょうか?」

 鷹司さんの言う通り、過疎化は無視できないだろう。けれど、古くから住んでいる人達は家や土地を明け渡したくない。

「なるほど、“歩み寄る”か……」

 結婚みたいなものだろう。祖母から話を聞いた記憶がある。

 片方の願いを叶えるばかりでは、関係はすぐに崩れてしまう。大事なのは、互いに譲歩すること。想い合う心なのだと。

「――と、祖母も話しておりました」

「大事なのは、譲歩と想い合う心、か。山田幸代、深い言葉を遺していたのだな」

「ええ」

 これは結婚の際に気に掛けるものではなく、普段からも言えるものなのだろう。

「たとえば、どんな譲歩案がある?」

「え!? えっと……何が、あるでしょう?」

「考えがあって言ったわけではないのだな」

「え、ええ」

 キャンプでなくても、星空を見て、おいしいものを食べて、という体験はできるはずだ。ただ、この町に宿はない。
「ここは気持ちがいいくらい何もないな……」

 思わす「本当に」と返しそうになる。
 鷹司さんはスマホを取り出し、圏外だと見せてくれた。

「電話は圏外、ネットも繋がらない、バスは一日一本、隣の家まで徒歩十分……」

 これが、この町の現実(リアル)なのだ。都会とは、時間の流れがまるで違う。祖母が東京に遊びに来たとき、五分間隔の電車に驚いていた日を思い出してしまった。

「店は駄菓子屋の一軒だけ。あとは、家、家、家、そして家だ」

「見事に、民家ばかりですね」

 皆、いい人ばかりだ。都会からやってきた私にも、優しくしてくれる。きっと、観光客が押しかけても、快く対応してくれるだろう。

「いっそのこと、その辺の民家を宿にするか」

「あ、民泊! 今、流行っていると聞きます」

 民泊というのは、個人の家の一室や使っていない別荘を貸し出して宿泊してもらうものだ。鷹司さんは知らなかったようで、身を乗り出して話を聞く。

「最近、民泊新法ができたようで、年間百八十日を超えない範囲で営業するならば、届け出をして民泊事業を始められるようです」

「住宅宿泊事業、か……」

 もしも、民泊を受け入れてくれる家が複数あれば、キャンプ地を作らなくてもよくなるだろう。

「いろいろ、考えてみるとしよう」

「お願いします」

 強引に話を進める気はさらさらないようで、安心した。

「長居してしまったな」

 鷹司さんは懐から財布を取り出し、「これで、会計をしてくれ」と言って黒く輝くクレジットカードを差し出してきた。

「すみません、うち、クレジットカード使えないんです」

「そうなのか? すまない、手持ちの金がないのだが、ツケておくことはできるだろうか?」

「お出しした料理は、素人が作った料理なので、価値はありません。どうかお気になさらず」

「君はまた、そういう自分を下げた物言いをする。過ぎた謙遜は、舐められてしまうから、気を付けたほうがいい」

 そんなふうに言われても、すぐに変われるものではない。

「あの、こういうときは、どういう風に返せばいいのですか?」

「大阪では、百万円から一千万円を請求すると教えてもらった」

「な、なるほど」

 もしも、鷹司さんが料理にお金を支払うと言って、「一千万円です」なんて返したら、「払えるか!」と突っ込んでもらえるだろう。
 実際にできるかは謎だが、世界にはいろいろな言葉の返し方があるものだと、しみじみ感心してしまった。

「また来るからな!」

 鷹司さんは高々と宣言し、帰っていった。なんというか、嵐が過ぎ去った感がある。
 つごもりさんと良夜さんは、ため息をついていた。

「まあ、悪い人ではない、ということだけはわかりました」

「同じく」

「ですね」

 鷹司さんには“嵐”ではなく、町を変える“風”になってほしい。
 そう、思ってしまった。

 最近、妙な夢ばかり見る。何かにぶつかって、私という存在が散り散りになっていくのだ。

 夢の中の私はそれを何よりも恐れていて、悲痛な声で泣き叫んでいた。
 朝起きても、その恐怖は続いている。

 不思議なことに、私は似たような恐怖を、“知っている”。
 いったいどこで、その恐怖を味わったのか思い出せない。

 暢気なことに、こんなに恐れているのに、朝食を食べると気にしないようになる。だから私は、悪夢について深く考えないでいた。

 けれど、ふとした瞬間に思う。
 私は、何を“忘れて”いるのだと。

 ◇◇◇
 最近、つごもりさんも料理が作れるようになった。缶詰料理を教えてあげたらハマったらしく、料理当番の日はいろいろな缶詰料理をふるまってくれる。

 本日の朝食は、サンマの蒲焼きを卵とじにして、どんぶりにしたもの。朝から、どん!と四人分のどんぶりが食卓に並ぶ。

 もちづき君のどんぶりは私のものより一回り大きい。相変わらずの健啖家のようだ。あの細い体のどこに入って行くのか、謎である。

「じゃあ、食べようか」

 もちづき君の一言のあと、手と手を合わせていただきますをする。

 まずはお茶を飲んで胃を温めてから、“サンマの蒲焼き卵とじ丼”を食べる。
 朝からどんぶりなんて……と思っていたが、以外とあっさりしている。蒲焼きの濃い味付けを、卵がまろやかにしてくれるようだ。

「お、おいしい! つごもりさん、これ、おいしいです」

 返事をする代わりに、つごもりさんはにっこり微笑んだ。あまりの愛らしい笑顔に、頭をよーしよしよしと撫でそうになったが、ぐっと我慢した。狛犬でも、今は成人男性の姿なので。

「へえ、意外とおいしいですね」

 良夜さんも、絶賛している。缶詰の可能性は、無限大なのだ。
 もちづき君は、いつも通り無言でパクパク食べていた。口に合わなかったらいろいろ喋り始めるので、彼の「おいしい」は非常にわかりやすい。

 料理は私と良夜さん、つごもりさんと交代で行っているが、それぞれ得意分野が異なるので、いろんな料理を味わえる。

 お腹いっぱいになったら、開店準備を始めないといけない。窓を開けると、むわーっとした暑い風が流れ込んでくる。七月になり、すっかり夏を感じるようになった。

 私がここにきて、二ヶ月ちょっと経つ。あっという間だった。

 狛犬カフェの営業は順調だ。常連さんも増え、毎日お菓子を楽しみにお茶をしにきてくれる。話をしながら、願いを叶える巫女としてのお仕事も日々頑張っていた。

 人々の願いや悩みは多岐に亘る。
 電話が繋がらなくなった、というお婆ちゃんの家に行ってきたらコンセントが抜けているだけだったり――眼鏡をなくして困っているというお爺ちゃんに「おでこにありますよ」と教えてあげたり――家族では食べきれなくて腐らせてしまうという果物や野菜をいただいたり。

 なんていうか、これは巫女の仕事なのか、首を傾げる日もある。けれど、頼って貰えるというのは嬉しい。交流が深まれば、皆、親身になって接してくれる。

 両親は離婚し、引き取った父は出張で不在がち。祖母と過ごした時間が長い私にとって、この町に住む人達は家族みたいなものだった。

 鷹司さんも、ほぼ毎日やってくる。暇なわけではないらしく、お菓子とお茶を飲んで風のように過ぎ去る日もあった。

 現在、新しい事業についてアレコレ考えているらしい。私が挙げた民泊についても、真剣に考えているようだ。
 町の民家や畑を更地にして行うキャンプ事業とは異なり、町の景観をそのままに行う民泊事業については、ちらほらと賛同の声が集まっているという。

 歩み寄りの成果が、さっそく出ているようだ。

 ただ、観光の目玉が民泊と美しい夕日と月と星々だけでは、いまいち弱い。何か、家族や若者の興味を惹くような何かを思いつけばいいが。

 鷹司さんはその辺を模索しているという。

 今日は開店してすぐに、お客さんがやってきた。米農家の溝口さんである。父の同級生で、息子さんとは年が近いこともあって何回か遊んでもらった記憶がある。

 頑固で無口な父とは違い、明るいおじさんだ。

「いらっしゃいませ」

「いやはや、暑いね!」

「ですね」
 ジリジリと照りつける太陽は、気温をどんどん上げてくれる。こういう日は、冷たいものを食べるに限る。

「おっ、今日はかき氷か!」

「はい。イチゴとマンゴー、宇治金時の三種類ありますよ」

「じゃあ、イチゴを頼もうか」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 台所に向かうと、良夜さんがつごもりさんにお茶を手渡しているところだった。さすがだ。仕事が速い。

「イチゴのかき氷が入りました」

 良夜さんはキビキビ歩き、冷凍庫からクリスタルのように澄んでいる氷を取り出す。これは、山で採れる天然水で作った特別製のかき氷だ。これを使うと、淡雪みたいな優しい口溶けのかき氷ができる。

 良夜さんは氷をかき氷器にセットし、ハンドルを回す。このかき氷器は昔から山田家にある物で、父の幼少期時代から使っているものらしい。年季が入っているが、まだまだ現役だ。

 良夜さんが削ってくれた氷に、春に作ったイチゴシロップをたっぷり垂らす。これで終わりではない。甘酸っぱいイチゴのコンポートも添えるのだ。さらに、アイスクリームを載せたら、狛犬カフェ特製“イチゴのかき氷”の完成である。

「お待たせしました」

「おおー!」

 溝口さんは携帯電話を取り出し、パチリと撮影していた。なんでも、写真を家族との会話のネタにするらしい。

 溝口さんのお子さんはふたり。
 息子さんは東京の企業に就職したようだが、最近家を継ぐために戻ってきたようだ。上のお姉さんは、嫁ぎ先の千葉に骨を埋める気らしい。

「前に食べたパンのケーキ、だったか? あれを久々に千葉で会った娘に見せたら、食べたいって羨ましがっていてな」

「そうだったのですね」

「食べられるならば、遊びにきたいと言っていたんだがな。ここの菓子は、いつ来ても同じものが出るとは限らないからなー」

「そ、そうですね」

 言われてから、ぎくりとしてしまう。私は無意識のうちに、ここの町の人達向けのメニュー作りをしていたのだ。

 外の人はいつでも来店できない。常に出せるメニューをひとつ置いておかないと、外からの客足は取り込めないのだろう。

「それにしても、このかき氷は絶品だな!」

「ありがとうございます。嬉しいです」

 いつも忙しそうにしている溝口さんだったが、息子さんが仕事を手伝ってくれるので、こうしてカフェ通いができるようになったのだとか。嬉しそうに、語っている。
「五年付き合った彼女がいるそうだが、相手も忙しいからって、なかなか紹介してくれなかったんだが、明日、会うことになって」

「わー! よかったですね」

 いろいろと順調に進んでいるようだ。農家なので、跡取り問題はシビアなのだろう。溝口さんの家のお兄さんは、上手いことやったようだ。

 よほど、明日の顔合わせが楽しみなのか、溝口さんはにこにこと楽しそうに話している。

「あ、そうだ。急なんだが、彼女に出す小洒落たお菓子なんか作ってくれないか?」

「それは大丈夫ですが、奥様が何か用意されているのでは?」

「都会の人は、田舎の菓子なんか食べないだろう」

「私は大好きですけれど」

「花乃ちゃんは、この町の人間同然だからなー」

 “この町の人間”と認めてもらえて、嬉しくなる。言われてみれば、春休みに夏休み、冬休みと、濃い時間を過ごしたのは祖母の家だ。

 東京にも友達はいたが、映画を見たり、ショッピングをしたり、カフェでお茶したりと、そういう遊びよりも、祖母と梅干しを漬けたり、裏庭のびわをもいだり、畑でスイカを収穫したりするほうが楽しかった気がする。

 こんなだから、学生時代の担任に「若さがない」とか、同級生から「座敷わらし」だなんて言われてしまうのだろう。

 物思いに耽っていたら、溝口さんの携帯電話が鳴った。奥さんから遊んでいないで帰ってこいと言われてしまったようだ。

「休憩時間は終わりだな。じゃあ、またくるよ」

「またのお越しを楽しみにしております」

 溝口さんは悩みがないようで、よかった。ホッと安堵する。

 食器を片付け、テーブルを拭いていたら、お店の扉が勢いよく開く。こういうふうに開け閉めする人は、ひとりしかいない。鷹司さんである。

「いらっしゃいませ」

 夏でも、彼はスーツである。夏用だろうが、見ているだけで暑そうだ。

「田舎の夏を舐めていた。どこも、日陰がない」

「建物がないですからね」

 ひたすら田畑が続くだけの道に、日陰なんぞない。外出するときは、日傘が必須アイテムとなっている。あるのとないのでは、大違いだ。

「今日も、外回りをしていたのですか?」

「ああ、そうだな」

 町を知り、住民に事業を理解してもらうため、日夜駆け回っているらしい。
 そんな鷹司さんの頑張りを見て、理解を示してくれる人も、ちらほら現れている。

 嬉しい変化だろう。