とりあえず、この能力については、深く考えないようにした。
「よし、解決。お腹空きましたね。朝食を作ります」
「意外と、切り替え早いですね」
「うじうじ考えそうに見えて、実はあまり考えないタイプなんです」
これは、いいところだと祖母からも褒められたことがある。だから、胸を張って答えた。私は、物事を深く考えていないと。
勝手口から台所に行ったら、つごもりさんを驚かせてしまった。昨日同様、手にはコーンフレークを握っている。
「つごもり! あなたはまた、朝食をコーンフレークで済まそうとしていますね」
「このメーカー、一番おいしいやつ、だから」
「そういう問題ではありません。コーンフレークだと、十時くらいにはお腹が空くでしょう?」
「あ、あの、今日も、私が準備しますので」
「つごもりを、甘やかさないでください」
良夜さんに怒られているつごもりさんの瞳がウルウルしていたので、可哀想に思って助けてしまうのだ。
「あの、では、つごもりさん。一緒に作りましょうか!」
「いいの?」
「もちろんです」
良夜さんは「はーー」と、深いため息をついている。なんとか許されたようだ。
一緒に卵を取りに行くと、鶏が荒ぶっていた理由を察する。
『男はイヤ~~~~!!!!』
「ああ、なるほど」
「何が?」
「男性が、イヤみたいです」
「言っていること、わかるの?」
「はい。それが私の、神通力みたいです」
「そうなんだ」
おかげで、平和に卵を手に入れた。
朝食はネギ入りの卵焼きに、あした葉の味噌汁、からし菜のおひたしに、キャベツの胡麻和え、焼き明太子。
祖母が大事に取っておいたであろう、博多の明太子を使わせてもらった。ありがたく、いただきたい。
朝食は、つごもりさんと良夜さんも揃って食べる。
ネギ入りの卵焼きは、シャキシャキとしたネギを卵の優しい甘さが包み込む。あした葉は独特の苦みを感じるが、味噌汁と一緒に食べると味わい深くなる。
からし菜のおひたしは、ピリッとした風味が利いていて、とってもおいしい。キャベツの胡麻和えは、さっと葉を湯がいただけなのに、驚くほど柔らかくて感動する。
明太子は、さすが本場博多の味。おいしくて、ごはんがどんどん進んでしまう。
今日も、もちづき君は気持ちがいいくらい食べてくれた。つごもりさんは目がキラキラ輝いているし、良夜さんも口の端がわずかに上がっている。
聞かずとも、おいしいという気持ちは伝わっていた。
朝食後は桜まんじゅうを仕込み、開店準備を行う。予定通り、十一時にはお店の営業を開始できそうだ。
完成した桜まんじゅうとお茶を居間に持って行くと、もちづき君はすでに漫画を持ち込み、テレビのリモコンを我が物のように握っていた。頬杖を突いてぼんやりニュースを眺めている。
「神様でも、ニュースを見るのですね」
「いや、人がもたらす情報なんて、興味ない。気分が悪くなる」
「だったら、なぜ、眺めているのですか?」
そう問いかけた瞬間、もちづき君は口元に人差し指を添える。静かに、と言いたいのだろう。もちづき君は真剣な眼差しで、テレビを見つめていた。
いったい何が始まったのかと思い、テレビに視線を移す。自宅で飼っている犬を紹介するコーナーが始まったようだ。
ゴールデンレトリバーが、主人に向かって吠えている。眉尻を下げながら、本当に可愛いとデレデレしていた。
「ワンワン吠えて、何を訴えているんだか」
ふと、意識を集中してみると、犬が訴えている言葉がわかる。
『ご主人、大好き! パクリとひと思いに食べてしまいたい! でも食べたら、お別れになっちゃうから、食べない!』
なんだか怖いことを考えている。動物の思っていることなんて、知らないほうが幸せだろう。
ここで、もちづき君にも神通力について報告した。
「動物の言葉がわかるだって?」
「はい」
「だったら、さっきのゴールデンレトリバーが何を話していたのかも、わかるの?」
「ええ。ご主人様を食べてしまいたいほど、愛しているとおっしゃっていました」
「何それ。怖っ!! っていうかその力、役に立つの?」
「どうでしょう?」
能力としては未知数である。神通力といったら、悪しき存在を退治したり、亡くなった人を現世に呼び戻したりと、そういう不思議なものだと思っていたが……。
「まあ、何もないよりは、いいだろう」
「ですね」
果たして、動物を会話できるという力は巫女として役に立つのか。乞うご期待、としか言いようがない。
とにかく、今日も一日頑張ろう。そう気合いを入れて、営業中の札をかけに行ったのだった。
◇◇◇
夜、神饌としてお供えしていたイチゴを下げ、今から調理する。
そのまま食べてもおいしいが、大量にあるのでジャムを作ることに決めた。もちろん、祖母直伝のレシピである。
イチゴの甘い匂いを目一杯吸い込み、幸せな気分に浸った。
春、散歩をしていると、ビニールハウスからイチゴの匂いが風に乗って感じる記憶を思い出してしまう。春が来たと、実感していた。
と、楽しかった過去を振り返っている場合ではない。ちゃっちゃとイチゴジャムを作らなければ。
まず、イチゴのへたをナイフで取り、きれいに洗う。琺瑯鍋にイチゴを移し、砂糖を入れたあとレモンを搾る。弱火にかけながら、砂糖とイチゴをよく混ぜた。
この辺りで、イチゴを潰していく。きれいな赤いジャムに仕上げるには、ここで潰し過ぎないのがポイントらしい。失敗すると、くすんだ色のジャムになってしまう。ぐつぐつ、ぐつぐつとジャムが煮える甘酸っぱい香りが漂っていた。
いい匂いだ。これを瓶に詰めて保存したいと思うくらい、好きな匂いである。
沸騰してきたら、アクが浮いてくる。ちまちま掬うのではなく、思いきって一気に掬うのもポイントだ。ちまちま掬うと、どうしてもアクが残ってしまうらしい。すると、雑味が残るジャムになるようだ。
イチゴの柔らかさを確認する。力を入れずとも潰れ、とろとろに煮えていたら、完成間近だ。
なめらかなイチゴジャムが好きな人は、ここでイチゴを潰す。私はイチゴがごろごろしているジャムが好きなので、そのまま。細かなアクを掬い、煮沸消毒した瓶に詰めていく。
仕上げに瓶ごとジャムを煮るのではなく、祖母は蒸していた。最初は蓋を閉めずに蒸し、最後の十分は蓋をして蒸す。すると、鮮やかな赤いジャムが仕上がるのだ。
開封しなければ、一年くらい保つ。佐々木さんは祖母のジャムのファンだったので、持って行ってみるか。
台所の灯りにジャムを透かしてみた。宝石みたいな、きれいな色合いである。
祖母もこうやって、完成したばかりのジャムを見せてくれた。本当に、きれいだった。
今日のジャムは、祖母のジャムと同じくらい上手にできたような気がする。
パンに塗って食べるのが、楽しみだ。
祖母の家で暮らすようになって、一ヶ月が経った。
桜は散って葉桜となり、田んぼは田植えの準備が始まりつつある。
風の匂いも、春から初夏へと移りつつあるのだろうか。
三月に祖母がなくなり、四月に仕事を辞めて祖母の家に引っ越してきた。今でも、思い切った選択をしたと思っている。
ただ、パティシエールを辞めるよりも大変な事態が、祖母の家で待ち構えているとは思いもしなかった。
知らぬ間に家がカフェに改装されていたり、そこに神様と狛犬が住んでいたり、いきなり動物の声が聞こえる神通力に目覚めてしまったりと、とんでもない出来事の連続である。
でも、そのおかげで、祖母を亡くした悲しみから、少しだけ立ち直ったような気がする。ひとりだったら、塞ぎ込んで、しばらく無気力状態だっただろう。
私は今、狛犬カフェの店員として、また、満月大神の巫女として、日々頑張っている。きっと、天国にいる祖母も、優しく見守ってくれているだろう。
◇◇◇
五月といったら、端午の節句である。
子どもの健康と、健やかな成長を祝う日だ。祖母は毎年、笹だんごを作ってくれた。小学生高学年くらいになると、作り方を教えてくれたのだ。
使う笹はお店でも売っている。どうやら、笹だんご用の笹を売っているのはこの辺だけらしい。
ふと食べたくなって、東京のスーパーで探したが一度も見つけられなかった。笹なしで作ってみたが、祖母の味にはならなかった。やはり、笹を使って作るのがポイントなのだろう。
買い物はもっぱら宅配スーパー頼りだ。朝頼んだものは夕方までに持ってきてくれる上に、価格は店頭と同じ。
五千円以上頼んだら、宅配料も無料なのでありがたく利用している。車を持っていない高齢者が多く暮らす町なので、利用率はかなり高いのだとか。
久々に入手できたパッケージされている笹に、思わず頬ずりしてしまった。
「何をしているのですか?」
「ひゃあ!!」
突然良夜さんが現れ、飛び上がるほど驚いてしまった。基本、狛犬である彼は気配というものがない。ぼんやりしていたら近くにいた、なんて瞬間がよくある。
「さ、笹だんご用の笹を、久しぶりに入手できたので、嬉しくて」
「笹なんて、買わなくてもその辺に生えているではありませんか」
「その辺の笹は、人様の土地の物ですし、笹の葉は一部地域でしか入手できないのですよ」
良夜さんは東京を知らないので、信じがたいという目で私を見ていた。
「それはそうと、早く作りましょう」
「そうですね」
つごもりさんは、庭の雑草抜きをしているらしい。最近、オープンテラスも始めたのだ。そのため、庭は常にきれいにしておかなければならない。
まあ、オープンテラスといっても、縁側に座布団を置いているだけのものだけれど。
祖母の家周辺は犬の散歩コースにもなっていて、気軽に立ち寄れるようにしてみたのだ。犬のお菓子も用意しているので、犬のほうからぐいぐい紐を引いて来たがるという、なんともありがたい状況になっている。
「そういえば――」
「はい?」
「昨日着ていたエプロンに頑固なソースが付着していたので、しみ抜きしておきました」
「それはそれは、どうもありがとうございます」
良夜さんは毎日洗濯を担当していて、ただ洗うだけでなく、アイロン掛けや生地の状態なども細かく気にしてくれる。
洗濯物をお店の服みたいにきれいに畳んでくれるので、毎日ありがたや~と手と手を合わせておがんでしまうのだ。
「何かシミを作ったら、報告してください。しみ抜きは、スピードが命なので」
「はい、肝に銘じておきます」
良夜さんと話していると、母親がいたらこんな感じなのかな、と思ってしまう。物心ついたときから母はいなかったので、想像に過ぎないけれど。
そんなことを考えていたからか、この前うっかり良夜さんを「お母さん」と呼んでしまった。その場にいたもちづき君に爆笑されたのは、言うまでもない。
「では、作りましょうか」
「はい」
笹だんご作りに取りかかる。まず、ボウルに白玉粉と上新粉、砂糖を入れ、それに水で溶いたよもぎ粉を注いで混ぜる。生地がまとまってきたら、しっかり捏ねてなめらかにしていく。
生地が仕上がったら、一口大に分けてあんこを包む。この状態となった生地を笹に包むのだ。
「包む前に、生地がくっつかないように、笹にうっすらと油を塗ります」
二枚の笹で包み込み、乾燥イグサで縛ったものを蒸し器で三十分ほど加熱したら“笹だんご”の完成である。
完成した笹だんごを、もちづき君に持って行った。今日は、月曜日発売の週刊少年雑誌を熱心な様子で読んでいた。
同じく、隣には少女向けの月刊誌も置かれている。漫画は男女向け問わずに読んでいるようだ。
ちなみに本は、つごもりさんが隣町まで自転車を使って買いに行っているようだ。いつも恥ずかしそうに、本を持ち帰っている。
「もちづき君、笹だんごができました」
「久しぶりだな」
「あれ、お祖母ちゃん、最近作ってなかったのですか?」
「ああ。これはお供え用じゃなくて、あんたが好きだったから、作っていたんだろう」
「そうだったんだ」
祖母が笹だんごを作ったという一報が届いたら、飛び上がって喜んでいたような気がする。それほど、好きだったのだろう。祖母もそれを知っていて、私のためだけに作っていたようだ。
「覚えているか? 山の神社に笹だんごをお供えにやってきたときの話を」
「えっと、小学生くらいのときの話ですか?」
「ああ。あんたはお腹が空いたから、笹だんごを食べたいって、泣き叫んだんだ。あまりにも大きな声だったから、山の上にいた僕にまで聞こえていたんだよね」
そういえば、そんな記憶もあるような、ないような。
「きちんとお弁当をもってきていたのに、あんたは笹だんごを食べたいって、幸代にせがんで」
「あー……思い出しました」
そのとき、どうしても笹だんごが食べたかったのだろう。私は涙ながらに笹だんごを食べさせてくれと訴えたのだ。山の、中腹辺りで。
「幸代はこうと決めたことは絶対に曲げない。それなのに、あんたが笹だんごを食べたいって泣き叫んだら、笹だんごを与えてしまったんだ。全部、僕の笹だんごだったのに」
「その節は、大変な失礼を」
「本当だよ」
そっと、もちづき君に笹だんごを差し出す。
「見た目も匂いも、幸代の笹だんごそのままだ」
「お祖母ちゃん直伝ですからね」
きちんと、よもぎ粉も買ったものではなく、自家製だ。犬の散歩コースになっていない川辺で摘んだものである。
よもぎ粉は、乾燥させたよもぎをすり鉢で擂(す)って、オーブンで焼き、再びすり鉢で細かくして、ふるいにかけたものを使う。これも、祖母から習ったものである。
春は桜の塩漬け作りに、よもぎ摘みからよもぎ粉作りと、忙しい。これから、裏庭の梅を収穫して梅干しを漬けなければならないだろう。次から次へと、仕事は尽きないのだ。
もちづき君は笹を剥ぎ、だんごをパクリと食べた。呑み込んだあと、お茶を一口。
「おいしい。昔と、変わらない味だ」
「よかったです」
お墨付きをもらえたので、お店に出しても問題ないだろう。
「そういえば、今日からシフォンケーキも始めるんだっけ?」
「はい」
佐々木さんから、イチゴをたくさん仕入れた。それを使って、イチゴのシフォンケーキを作ったのだ。
イチゴパウダーを混ぜたクリームをたっぷりと塗り、ルビーみたいなイチゴを飾る。盛り付けるときにもイチゴと、甘酸っぱいイチゴソースを添えるという、贅沢な一皿に仕上がっている。
和菓子だけでなく、洋菓子も始めるようになったのは、お客さんから要望があったからだ。
「パティシエール特製のお菓子を食べたい、か」
「ありがたいお話です」
売り上げを見て、持ち帰り用のケーキやクッキーも作ってみたい。そんなことを考えていたら、なんだか楽しくなってしまった。
と、もちづき君と話し込んでいる場合ではない。お湯を沸かしたり、お店の前を掃除したりと、開店準備をしなければ。
「それでは、失礼します」
「ああ。しっかり働いてくれ」
「もちろんです」
営業中の札をかけ、青空を振り返って背伸びをする。
今日は、どんなお客さんがくるだろうか。楽しみだ。
小さな町とはいえ、まだまだ知らない人ばかり。どんどん話しかけて、お店に興味を持ってもらいたい。
お店の前を、一頭の犬が通り過ぎる。あれは、シーズー犬のマリーちゃんだ。
散歩紐を握っているのは、御年九十一にもなる、葵お婆ちゃんだ。
毎日マリーちゃんの散歩を日課にしていて、たまにお店に立ち寄ってくれるのだ。
マリーちゃんはすぐに、私に気付いてくれた。
『あ、お母さん! 花乃ちゃんがいるよ!』
マリーちゃんはワンワンと鳴き、葵お婆ちゃんに私の存在を知らせてくれる。しかし、葵お婆ちゃんは気付かない。
「こんにちは、今日はいいお天気ですね!」
声をかけても、気付かなかった。葵お婆ちゃんは耳が遠いわけではなく、単に私の存在感が薄いからなのだろう。
いきなり大きな声で話しかけたら驚かせてしまうし、かといって、小さな声では気付いてもらえないだろう。この、存在感が薄い問題を、どう解決すればいいものか。
悩んでいたが、マリーちゃんが立ち止まってくれた。ここでやっと、葵お婆ちゃんは私に気付く。
「おや、花乃ちゃんじゃないかい」
「こんにちは」
「こんにちは。今日は、いい天気だねえ。暖かいし、過ごしやすい一日になりそうだ」
「そうですね」
マリーちゃんがくんくんと鼻をひくつかせるので、葵お婆ちゃんも同じように匂いをかぐ。