私――山田花乃(やまだかの)には、物心ついたときから母はいなかった。
 父は「お前が幼稚園に入る前に、離婚したんだよ」と説明していたが、私は深く追求せずに「そうなんだ」と納得していた。

 母代わりだったのは、田舎に住む祖母だった。
 週末の度に、父から新幹線代を貰い、祖母のもとへ身を寄せていた。父は忙しい人で、しょっちゅう海外出張していたので、仕方がなかったのだろう。

 父は遠い存在だったが、寂しくはなかった。
 なぜかといったら私にとっての普通は、 平日はお手伝いさんの料理を食べ、週末は祖母の料理を食べるというものだったから。

 父がいて、母がいて、兄妹がいる。そしてたまに、祖父母や親戚に会うという家族の在り方は、私にとっての普通ではなかったのだ。

 小学校高学年となれば、ひとりで新幹線に乗れるようになった。
 二時間、新幹線でゆーらゆらと過ごした先にある田舎町は、自然が豊かで、時間がゆっくり流れているような場所である。

 春は桜が満開となり、夏はセミがうるさく、秋はどんぐりや栗を拾い、冬は雪で作ったかまくらの中でお餅を焼いて食べた。

 夏休みや冬休み、春休みはずっと、祖母の家で過ごしていた。
 祖母は私と同じくひとり暮らしで、身を寄せ合っていたのだ。

 私は人見知りをするほうで、学校にも、田舎にも、あまり友達はいなかった。常に祖母にべったりで、手仕事を手伝っていた。

 手仕事というのは、手先を使ってする作業のこと。
 木の蔓でカゴを作ったり、手まりに糸を巻いたり、梅干しを漬けたり、ジャムを作ったり、お団子を搗|《つ》いたり。

 祖母は手先が器用で、魔法使いみたいになんでも作れる。
 近所に住む人達は、祖母が作ったお菓子や漬物、お団子のファンだった。中には、売ってくれと言う人もいるくらい。

 たくさんのものを惜しみなく与える祖母は、多くの人達に愛されていた。
 私の憧れであり、誇りであり、目標でもあった。

 いつか祖母の家で、同じように暮らしたい。私はずっと夢見ていたが、現実は違った。
 お金を稼がなければ、暮らしていけない。
 都会で祖母のように生きるのは難しいだろう。だったら、どうすればいいのか。