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" The blue bird of happiness is.. 幸せの青い鳥は・・ "

--You have to realize the blue bird of happiness is always in front of you.--
幸せの青い鳥は目の前にあるってことに気づかないと・・。




時間軸---都眞子が結婚間近な頃


長山 都眞子(ながやまとまこ)         事務方   32才

長山佐和子(ながやまさわこ)         母       56才
長山敏夫 (ながやまとしお)         父       62才  

都眞子の職場の先輩
 土筆 眞  (つくしまこと)         建築技師     34才

 
 安倍 義仁 (あぺよしひと)        研究職       44才
美保子(みほこ)           生存していれば 39才

 安倍 大 (あべだい)           息子 9才 

 若林 隼人 (わかばやしはやと)義仁の同僚  研究職       44才


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1.

" Memories 回顧録1 "


== 長山都眞子 ==

 その義兄(ひと)は遠い人だった。
 とてもとても遠い人だった。


・・・



 義兄と私との出会いは婚約したばかりの義兄が姉に連れられて
我が家を訪れた日、それが私と義兄・安倍 義仁との出会いだった。

 学生で当時21才の私から見ると義兄は12才も離れていて大人に見えた。

 美人でスレンダー、頭脳明晰ときて、容姿にそぐった性格も持ち合わせて
いて姉は実に社交的な人だった。

 そんなだから幼少の頃から姉の周りには男女問わずいつも周りには
人がたくさんいた。


 両親から見ても鼻が高い娘だったと思う。

 私の両親はだからと言って幼少の頃より私を蔑ろにしたり馬鹿に
することはなく可愛がって育ててくれたので、私は姉を妬んだりする
ことなく健全に大人の入り口まで歩むことができた。


 結婚も、これが姉妹の歳のの差が2~3才違いだとかだったらなかなか
私だけ嫁に行けないとかなんとか、いろいろと心悩まされることも
あったかもしれない。
 どうして私は美人に生まれなかったのだろうか・・とか。

 けれど私は姉とは7才も離れていたので、姉の結婚に関しても何も思うことなく
祝福することができた。



 彼らは誰もが羨む程の美男美女のカップルで、すべからく順風満帆で
2年後には待望の子供にも恵まれた。


 その間私といえば、学生から社会人になっていた。

 誰もが並んだ私と姉を見れば、はぁ~、同じ親から生まれてるはずなのに
という思いを抱いたはずだ。

 もちろん美しく生まれたほうがいいに決まってるけれど・・
どちらかにしてほしかった。

 姉妹揃って平凡
 姉妹揃って美人
 姉妹揃ってキュート

とかね。

 ふたりきりの姉妹で大きな差があるのは、罪作りだと思う。



 姉が豪華絢爛で華やかなだけに、いたずらに地味で大人しめの私は
一様にその差が顕著に周りには見えたことだろう。


 しかし、救いは年の差だった。
 その場面その場面で競い合うようなことが少なかったから。


 そして母も父も私を姉と同じように、ううんそれ以上に甘えさせて
慈しみ育ててくれて、いつだって私の話す言葉にじっと耳を傾けてくれた。

 楽しいことをしょっちゅう提案して実行してくれた。


 勉強のできないことにも怒らないで、とまちゃんに合う学校探そうねぇ
と言ってくれた。両親の大きな愛のお陰で?実力がなかなか身につかない
私だったけれど、姉と同じようになんとか大学まで行くことができた。