いつ干したのか忘れた洗濯物。
この前食べた弁当パックのゴミ。
埋もれた洋服と、出しっぱなしの扇風機。

たまに夢にみる。

あの頃の夢だ。





「おいしい、天才なの?」

底なしの笑み。

初めて作った料理を食べてくれたのは外でもない。

君だった。




忠犬ハチ公よろしく、私はその帰りを部屋の前で待っていた。
部屋の前で、だ。

「やっほー」

足音が聞こえて、手を振ってみせる。相手は足を止めた。

「おう」

少し驚いた顔をして、それから少し肩を竦める。

「腹減ってる?」
「減ってる」
「飯食いにきたんか」

ちょっと笑われた。鍵を出して家の扉を開ける。
私はその後ろに続いた。

「どうやってここ知ったんだ」

再度止まったその背中に顔をぶつけた。う、と声が漏れる。

私の高校時代のクラスメート、翡翠。

「翡翠のいるところは美味い匂いがするから」
「意味がわからん」


リビングのソファーの前に座って、テーブルに突っ伏す。

「眠いのか」
「ううん、なんかここ安心して」
「初めて来た場所で、よく安心できるな」

簡単なもんだけど、と言いながら翡翠が炒飯を出してくれた。
スプーンが炒飯に刺さっている。

「おいしそう」
「味の感想をくれよ」

いただきます、と手を併せる。それからスプーンを持って炒飯を口へ運ぶ。
パラパラ、卵とバターのふわりとした香り。

「おいしい」
「そりゃどうも」
「さすが料理人」
「そりゃどうも」
「“そりゃどうも”ボタンがどこかにあるの?」


正面に座った翡翠を眺める。

高校のときと殆ど変わっていない。いや、七年分歳は取ってる。
私も同じか。

「ねえよ」

ぱくぱく、と翡翠は炒飯を食べていく。

「翡翠、朝ごはんはホットサンドが良い」
「泊まる気か」
「大丈夫、私どこでも寝られるから」
「何も大丈夫じゃない」





目を覚ますとベッドの上で眠っていた。
見慣れない天井に目を細める。開け放たれたカーテンの外から入ってくる朝の光が眩しい。

いつの間にか眠っていた。


炒飯を食べてからの記憶がすっぽり抜け落ちている。
あのままテーブルに突っ伏して眠った気がする。

伸びをしようと手を上げると、サイドボードにぶつかった。

痛い……。起き上がって、辺りを見回す。確かにベッドの上だった。

「翡翠?」

着ている服は自分のものだった。ベッドからおりて寝室から出た。
リビングには誰の気配もない。

テーブルの上に皿が置いてあった。

ホットサンドだ。ラップがしてある。
その下にメモ用紙が挟んであった。

『鵠用朝ごはん』と。

読んで笑った。私用の朝ごはんらしい。

卵とトマト。ベーコンとチーズとレタス。


ホットサンドを頬張りながら、キッチンへと行く。置いてあったマグカップに勝手にコーヒーを注ぐ。

なにこれ、美味しい。もしかして高いコーヒーなのかな。

平日の朝。私たちの年代なら、普通は、普通に電車で通勤したりして、働いている。

それなのに、どうだ私ときたら。

高校のクラスメートの家にあがりこんで、作ってもらったホットサンドを食べてる。
私、何やってるんだろうなあ。

そう考えながらも、咀嚼を止めることはない。メモ帳をぺらりと裏返すと、『鵠用昼ご飯は冷蔵庫にある』と書いてあった。


立ち上がって、冷蔵庫を覗く。冷やし中華。中華料理にでも凝っているのだろうか。

本棚にあった漫画を読んで、気づいたら夕方。
そういえばいつになったら翡翠は帰ってくるんだろう。

リビングで横になって、眠りと覚醒の合間でさ迷っていると、鍵の開く音がした。

「おかえり」
「まだいたんか」
「おかえり」
「“おかえり”ボタンどこだ」
「ただいまは!?」
「……ただいま」

面倒くさそうにしながらも返す。私は起き上がり、キッチンの方へ行く翡翠の後ろ姿を見た。

「今日は早いんだね」
「昨日は職場の飲み会だった」
「いま、何やってるの?」



換気扇の回る音。私はその後に続く。
フライパンを出して、何かを作るらしい。

「生姜焼きを作ろうとしてる」
「生姜焼きは好き。じゃなくて職業」
「料理人」

え、とその顔を見上げる。同時に翡翠がこちらを向いたので、目が合った。

本当に料理人になっているとは。

「どこの? 何作ってるの? 食べに行きたい」
「ホテルの。なんでも作る。ご勝手に」

なんでも作る、なんて言ってみたい。

「鵠は何作れんの?」

フライパンに油が敷かれる。私は邪魔にならないようにキッチンから少し離れる。
冷蔵庫を開けてボウルを出した。