「いった~! フェンス直撃! 一塁ランナーは三塁を回ったー。そして、ホームイン。港東高校、初回、一点先制!」
 テレビの実況の声。
「決勝の舞台でも、いきなり、この人のバットが火を噴きました。今、大注目。港東高校、恐怖の二番、一年生、黒田剣都。ノーアウト一塁から先制のタイムリーツーベースを放ちました」
 一回戦、千町高校に不戦勝という形で勝利を収めた港東高校。
 二回戦以降は自慢の強力打線に火が点き、コールドに次ぐコールドで決勝まで駒を進めていた。剣都は剣都で二回戦以降もしっかりと結果を残し、勝ち進むうちに、周りにその名が知られるようになった。
 今では今大会の要注目選手に上げられるようになっていた。
「まさか本当に大注目されるようになるとはな……」
 大智がスマートフォンの画面を見ながら苦笑を浮かべる。
「ほんと、まさかここまでやるとはな。あいつの凄さはわかってたつもりだったけど、改めて力量の差を見せつけられた感じだな」
 隣で一緒になって画面に映し出される試合を見ている大森が言う。
「あぁ。ほんと、いつも俺の一歩も二歩も先を歩きやがる」
「追いつけるか?」
「追いつくさ。来年までには必ずな」
 大智は画面を睨むように見ながら言った。
「つっても、来年、新入生が入って来ないことには何も始まらないけどな」
「いや、それを今言う?」
 大智は虚をつかれた顔を大森に向けた。
「キャッチャーだからな。仕事柄、常に状況を冷静に判断してないといけないんだよ」
「お前、そればっかだな……」
 大智は苦笑を浮かべて大森を見つめる。
「まぁ、いいや。それよりもこれからどうするかだよな。秋、どうする?」
「監督がどう考えとるかはわからんけど、今からじゃ到底間に合わんだろ。それに現状、ピッチャーは大智しかいないしな。一年の時から無理するこたぁねぇよ。来年の春まではしっかり基礎体力の向上に使えばいいさ。それこそ来年以降の戦いに向けてな」
 それを受けて、大智は考える。
 そして、概ね納得した表情を見せて、話し始めた。
「う~ん。ま、それもそうだな。公式戦の経験を積めないのは痛いけど、そうした方がよさそうな気がするな」
 大智は自分に言い聞かせるように頷く。
「行ったー! 四番桜木、渾身の一発~! 港東高校、初回、三点目~!」
 興奮止まらぬ実況の声。
「どうやら俺らが眠った獅子を完全に起こしたみたいだな」
 大森がスマートフォンの画面を指し示す。
「こりゃあ、優勝したら俺らに感謝してもらわないとな」

「ほんと、ほんと」
「にしても、特に桜木さんはあの試合以降、絶好調だよな」
 大智が訊く。
「確かに。今、打ちそうな雰囲気がバンバンに伝わってくる。それこそ、お前に抑えられたのが相当悔しかったんじゃないか?」
 大森が冗談交じりに訊く。
「かもな。剣都に聞かされたよ」
「は? 何を?」
 半分冗談のつもりだった大森は目を丸くして驚いていた。
「桜木さん、あの試合の後ずっとバット振ってたんだってさ。そりゃもう血相変えて必死になってたって」
「なるほど。道理で、あの試合の最終打席のような怖さがあるわけだ」
 大森は至極納得がいった様子を浮かべる。
「あの時は何とか抑えられたけど、今の雰囲気を持った桜木さんがいる港東とやるとなったらきついな。しかも剣都もいるし」
「だな。初回からこれだけの雰囲気を出されてたら、追い込まれてたのは俺らの方だったな」
「ま、一発勝負のトーナメント。油断は禁物ってこった。どっちにとっても、今後に向けていい勉強になったんじゃね?」
「そうだな。そういう意味でも今後に向けて意義のある試合だったのかもな」
「改めて気を引き締め直させられたよ」
「きっと港東も同じことを思ったんだろうな。だからここまで相手を圧倒して勝ち進んで来てる」
「あぁ。この試合も初回に三点先制したのに一ミリも油断する素振りがねぇ」
「一回戦であれだけ痛い目見たんだ。少なくともゲームセットがかかるまでは気を抜かないだろ」
「だろうな」
 試合は終始、港東高校優位で進んだ。
 港東高校は初回以降も、順調に得点を重ね続け、十対二の大幅リードであとアウト一つのところまでやって来た。
「打球はライト黒田の許へ! 黒田、足を止めたー。そして……、がっちりキャッチ。アウトー! 十対二。港東高校、優勝! 七年ぶり、見事、甲子園の切符を手にしました」
 盛り上がる画面の奥。
 画面にはマウンドに集まり、人差し指を立て、上に掲げる港東高校のメンバーの姿が映し出されている。皆、満面の笑みである。
「見てろよ。来年の今頃、そこに立ってるのは俺らだからな」
 大智は立ち上がり、スマートフォンの画面に向けて、そう告げた。
「おめでとう」
 試合を終え、すっかり日が暮れた頃に帰宅して来た剣都に愛莉が嬉しそうに微笑みながらお祝いの言葉をかける。
「ありがとう」
 剣都も嬉しそうにお礼の言葉を返した。
「帰って来るの、わざわざ待っていてくれたのか?」
「うん。だって、ちゃんと会っておめでとうって言いたかったから」
「そっか。ありがとうな」
 剣都は穏やかな笑顔を浮かべる。
「でも、見に来てたんだから、球場にいた時に言ってくれれば良かったのに」
 剣都がそう言うと、愛莉は表情を曇らせた。
「だって、試合が終わってから剣都、ずっと忙しそうにしてたから。おまけにファンの子達に囲まれちゃってたし……」
 愛莉はそう言って頬を膨らませる。
「ごめん、ごめん。そうだったな」
 剣都は頭を掻きながら申し訳なさそうに謝った。
「まぁ、それは一旦置いとくとして……。本当におめでとう。本当に行くんだね、甲子園」
 愛莉が穏やかな表情に戻って言う。
「あぁ。正直、まだ実感は湧いていないけどな」
 剣都は本当にそのように感じているようで、まだどこか他人事のようにも聞こえる。
「まさかこんなにも早くあの日の約束が叶うなんてね。ちょっとびっくり」
「ほんとにな。まぁでも、今年は出来上がってた先輩たちのチームに入れてもらったって感じだからな。正直、約束を叶えたって気はしないな」
「でも、あれだけ活躍したんだから、十分優勝には貢献してるでしょ?」
「いや、先輩たちが積み重ねて来たものに比べたら全然だよ。そりゃあ、成績だけ見たら、確かに十分な貢献ができたんかもしれんけど、それ以外の目に見えない部分とかも含めたら、今回の優勝に関する俺の貢献度なんて微々たるもんだよ」
「そうなの?」
「あぁ。今回俺は好き勝手に打たせてもらってただけだしな。それに、あれだけ打てたのも後ろに頼りになる先輩たちがいたからだしな」
「……そっか」
「そ。だから今回の出場は約束とは関係なし。大智にもそう伝えとくから」
 剣都の言葉を聞いた愛莉は思わず、「ふふっ」と吹き出してしまう。
「ん? どうした?」
 愛莉が笑うのを見た剣都は驚いたように理由を訊いた。
「ごめん。剣都が言った言葉が、大智が言ってた通りだったから」
「大智の?」
 剣都が眉を顰める。
「うん。前にね、大智と話をした時、多分、剣都は今年甲子園に出たとしても、それは先輩たちのおかげだから今回の出場は約束とは関係なしだって言うだろうって。そう大智が言ってたの。それがそっくりそのまま当たってたから、つい」
「あいつ……。たくっ、良くわかってんじゃねぇか」
「流石は幼馴染だね」
「だな。まぁ、心を見透かされていたみたいで、ちょっと悔しい気もするけどな」
「わかりやす過ぎるんだよ。お前は」
 二人の許に大智がやって来る。
「大智!」
 愛莉と剣都が声を揃えて言う。
「よう!」
 大智は右手を上げてそれに答えた。
「何しに来たんだよ。せっかく愛莉と二人っきりだったのに」
 剣都が眉を顰める。
「だと、このやろ。せっかく人が一言祝ってやろうと思って来てやったってのに」
 大智が眉間に皺を寄せる。
 その瞬間、剣都は表情を和らげた。
「冗談だよ。サンキュウな」
 剣都はにこやかな笑顔でお礼を言った。
「これで約束はお前の勝ちってことだな」
 大智が言う。
「は?」
 それを聞いて剣都は首を傾げた。
「は? ってお前。愛莉との約束叶えたじゃねぇか」
 大智が怪訝そうに告げる。
「ば~か。今年は先輩たちのおかげだから約束は関係ねぇよ。お前、愛莉に俺ならそう言うだろって言ったんだろ?」
 剣都は不服そうに返事を返した。
「は? 愛莉、話したのか?」
「うん……。ごめん」
「いや、謝ることじゃねぇけど……。てか、なら早く言ってくれよ」
 大智は恥ずかしそうに顔を二人から逸らしていた。
「いや、だからすぐに言ったじゃねぇか」
「恥かいたじゃねぇか」
 大智は剣都のツッコミなど構わず言った。
「幼馴染しかいないのに今更何の恥かくってんだよ」
 剣都がツッコむ。
 それを聞いて、大智は二人を見つめる。
「……それもそうだな」
「てか、お前、もしかして愛莉との約束が早い者勝ちだと思ってんのか?」
「剣都はそう思ってないのか?」
「当たり前だろ。愛莉は自分を甲子園に連れて行ってくれた方って言ったんだぞ。先になんて一言も言ってねぇだろ? だからお前、千町を選んだんじゃないのか?」
「ね?」
 愛莉が大智にアイコンタクトを取る。
「えぇ~。マジで俺だけ?」
 大智はショックを受けていた。
「あん?」
 剣都が首を傾げる。
「この話も前に大智としてたの。約束を早い者勝ちだって勘違いしてるのは大智だけだって。剣都はきっとわかってるだろうってね」
「は? じゃあ、もしかして、大智は愛莉が先に甲子園に連れて行った方を選ぶと思っていながら、千町に進学したのか?」
「勿論」
 大智は真顔でこくりと頷く。
「呆れた~。お前、良くそんな大胆な賭けに出たな」
 剣都は驚きを隠せない様子である。
「だって、その方が面白いだろ?」
 大智は驚く剣都を他所にニッと笑う。
「たくっ。もし、三年間対戦がないまま、俺が甲子園に行ってたらどうするつもりだったんだよ」
「それはねぇだろ」
「は? 何で?」
 剣都が眉間に皺を寄せて訊く。
「だって、勝ち続ければ、必ずいつかは当たるだろ?」
 大智はそう言うと、ドヤ顔をして見せた。
「おまっ。ただでさえ、人数がギリギリだってのに、良くそんなことを、んなドヤ顔で言えるな」
 剣都が呆れたように言う。
「そこは何とかなるかなと思ってたからな」
 大智は開き直った笑顔で告げる。
「お気楽な……」
 剣都は呆れた目で大智を見つめた。
「まぁ、でも、早い者勝ちじゃないってわかったからな。今年の秋は出場を辞退することにしたよ。一か月じゃ人を探すのだけでも一苦労しそうだしな。その分、来年の夏に向けて、しっかりと基礎体力を鍛えるつもりだ」
「そうか。まぁ、残念だけど、しょうがねぇな。なら、来年の夏、楽しみに待ってるからな」
 剣都はそう言うと、真っすぐな目を大智に向けた。
「あぁ。だから今年、甲子園でしっかり打って帰って来いよ。来年の夏はお前がこっちで留守番だからな」
 大智が口元をにっとさせる。
 それを見て剣都は、表情をキュッと引き締める。
「ふん。前半の言葉は有難く受け取っとくけど、後半は聞き捨てならんな。来年も甲子園に行くのは俺だよ」
「いいや、俺だ」
 大智は剣都の言葉に被る勢いで言い返した。
「俺だ」
 剣都は眉間に皺を寄せて言い返す。
 それを受けて、大智は顔をムッとさせる。
「いいや、俺だ」
「お・れ・だ!」
 剣都が返す。
「はいはい。もう、喧嘩しないの」
 愛莉が仲裁に入り、二人の喧嘩を止めた。
「たくっ。二人共、昔と何も変わってないじゃない」
 愛莉にそう言われた二人は、気まずそうに目を背け、顔を掻く。
 そんな二人の様子を見て、愛莉はくすっと笑った。
「何だよ」
 大智が低い声で訊く。
「ごめん、ごめん。何だか少し懐かしくって。あの時も二人、こうやって喧嘩してたよね」
 愛莉は昔を懐かしむように微笑んだ。
「そうだったっけ?」
 大智が剣都に訊く。
「さぁ、よく覚えてねぇな。何しろガキの頃は喧嘩ばっかしてたからな」
 そんな二人の会話を聞いていた愛莉は表情をムッとさせた。
「そうだったの! 二人は当事者だからほとんど覚えてないのかもしれないけど、私はあの時のことをよく覚えてる。だから、さっきの喧嘩が何だか凄く懐かしかった」
「そっか……。で、どう思った?」
 剣都が訊く。
「え?」
「今の喧嘩。ガキの頃の喧嘩の様子と見てて同じ気持ちだったか?」
 剣都にそう問われた愛莉は、少し考えてから、話を始めた。
「……ううん。今と昔、言ってることは一緒だったけど、今の言葉にはちゃんと重みが感じられた。あの頃はまだ二人の言うことを半信半疑で聞いてたけど、今は違う。先輩たちのチームに加わっただけとは言え、その中でちゃんと活躍して甲子園出場を決めた剣都。その剣都のいるチーム相手に九人ギリギリの即席チームで挑んで、格上の相手を最後の最後まで追い詰めた大智。喧嘩の様子は同じでも、今の二人の姿は、昔と比べ物にならないくらい頼もしくて、カッコイイよ」
 愛莉は言い終わると、二人に向けてニコッと笑った。
 そんな愛莉の言葉と笑顔を受け取った、大智と剣都の二人は、一様に顔を火照らせ、愛莉に見惚れていた。
「ん? どうしたの、二人共。顔を赤くして固まったりして」
 不思議そうに二人の様子を見つめる愛莉。
「え? あ、いや。何でもねぇよ。なぁ?」
 先に大智が我を取り戻し、口を開く。
「お、おぉ。何でもねぇ」
 剣都も慌てて口を開いた。
 二人のどぎまぎした姿に愛莉は首を傾げる。
「変なの。じゃあ、私、そろそろ帰るね」
「おう。今日はありがとうな」
「うん。大智はどうする?」
「ん? あぁ、俺もそろそろ帰るかな。じゃあな剣都」
「おう。しっかり練習しろよ」
「お前もな。テレビの前で応援しててやるから、しっかり打てよ」
「せっかくなんだから大智も来たらどうだ?」
「そうだね。せっかくだから大智も行こうよ、応援。球場を生で見たらモチベーションが更に上がるかもよ?」
「行かねぇよ。三年の夏ならともかく、ライバルをスタンドで指くわえて応援なんかできるかよ。それに時間が勿体ねぇ。来年に向けてやらないといけないことは山積みだからな」
「そっか。残念だけど、俺がお前の立場でも同じことを言ってた気がするよ」
「間違いないな」
「じゃあ、ま、来年の夏、楽しみにしてるからな」
「おう。待ってな。すぐに追いついてやるから」
「行ったー!」
 実況の声と共に打球がレフトスタンドへ吸い込まれて行く。
「港東高校、二番黒田。一年生ながら、何と甲子園初打席、初ホームラン!」
「おいおい。やりやがったぞ、あいつ……」
 大智はテレビ画面を見ながら呆然としていた。
「あ、あぁ。マジでバケモンだな……」
 大智の隣でテレビを見ている大森も呆然と画面を見つめていた。
 ホームランを放った剣都がダイヤモンドを一周してホームに還ってくる。
 ホームに還ってきた剣都は次のバッターとタッチを交わすと、すぐにはベンチに向かわず、アルプススタンドに拳を掲げてからベンチへと戻って行った。
 すると、それがわかってか、画面はアルプススタンドを映し出した。
 画面に愛莉の姿が映る。
「あ、愛莉」
 それを見て、大智が呟く。
 画面に映った愛莉は自校のベンチに向けて拳を掲げていた。
 顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「ほんとだ。いい顔してるな」
 大森が画面の愛莉を指差して言う。
「予選の時に打った高校初ホームランは素直に喜べなかったからな。今は誰かさんのことなんて気にしなくていいから、素直に喜べてるんだよ」
 大智は少し投げやりな言い方で言う。
「悔しいか?」
「あぁ、滅茶苦茶な。まぁでも、いいさ。来年、あの笑顔は俺が貰うからな」
 大智はそう言うと、注意を画面の向こう側へ戻した。

 試合は剣都の先制ホームランで勢いづいた港東高校が優位に進め、七対二と相手を圧倒した。
 そして、初回の先制ホームランを含む三安打を放った剣都は試合後、インタビューに呼ばれていた。
「こりゃあ、スター街道まっしぐらだな」
 インタビューを受ける剣都を見て、大森が言う。
「一時の光を勘違いしなけりゃな」
 大智は険しい表情で画面を見つめている。
「剣都が勘違いすると思うか?」
「しねぇな。あいつなら、絶対に」
「だろ?」
「勘違いしてたら、俺がコテンパンにしてやるからな」
 大智は画面をギッと睨む。
 それを聞いて大森が思う。
(そうだよ。剣都は大智がいるから、大智は剣都がいるから。お前らは周りに惑わされることなくずっと上を目指せるんだ)
「ほんと、お前らが羨ましいよ」
 大森が小声で呟く。
「ん? 何か言ったか?」
 大智が大森の方に振り向いて訊いた。
「ん~にゃ。何も」
 大森は窓ガラスから空を見上げた。

 数日後。
「春野~。ちょっと」
 監督の藤原が手招きをして大智を呼ぶ。
「はい」
 それを受けて、大智が藤原の許へとやって来た。
「ほい、これ」
 藤原が大智に折りたたんだ紙を一枚、手渡した。
「何ですか? これ?」
 大智は髪を受け取ると、開く前に藤原に訊いた。
「まぁ、とりあえず見てみろって」
 そう言われて、大智は手渡された紙を開く。
 大智は紙に書かれた内容にざっと目を通した。
「練習メニューですか?」
「あぁ」
「ダッシュ系のメニューが多いですね」
 大智が再び紙に目を通しながら訊く。
「そうだ。言ってみれば野球は、短時間にいかに素早く動いたり、力を伝えたりできるか。そしてそれを試合終了まで、どれだけ繰り返し発揮し続けられるかが鍵になるスポーツだろ」
「なるほど……。言われてみれば確かにそうですね」
「だろ?」
「えぇ。んじゃあ、早速やってきます」
 大智はそう言うとすぐさま練習に向かった。
「あ、待て!」
 自身から離れて行く大智を藤原が呼び止める。
 その声を聞いた大智は、足を止めて踵を返した。
「どうしました?」
「一応言っておくが、無理はするなよ。お前は放っておくとすぐに無茶するから」
「大丈夫ですよ。ちゃんと気を付けますから」
 大智は自信満々に答える。
「本当に?」
 それに対して藤原は疑いの目で訊く。
「本当に」
 大智はキッとした目を藤原に向けた。
「ほんとに本当に?」
「ほんとに本当に!」
 二人は顔を近づけて言い合った。
「……ま、ならいいんだ」
 藤原が先に顔を離す。
「あ~でも、タイム計測する人はいた方がいいな~。お、そうだ! 春野の監視係も含めて、秋山ちゃんに頼んでみるか」
「愛莉は今、甲子園ですよ」
「でも、応援は日帰りだから、試合のない日はこっちにいるんだろ?」
「それはまぁ、そうですけど……」
「じゃあ、頼もう!」
「いや、ダメです!」
 大智はきっぱりと断りを入れた。
「何で?」
「少なくとも、港東の甲子園が終わるまではダメです。今はあいつの応援に集中させてやってください」
 大智は真剣な眼差しを藤原に向けた。
 それを見て、藤原は力を抜いて、息を吐く。
「はぁ……。春野、お前な……」
「何ですか?」
「あんまり遠慮してると、取られちまうぞ」
「はい?」
 大智は何のことやらわからないといった表情を浮かべている。
「好きなんだろ? 秋山ちゃんのこと」
「いや、それは……」
 大智は藤原から顔を逸らし、言葉を詰まらせる。
「大丈夫だよ。みんなわかってるから」
「違うんです」
 大智は再び藤原に視線を戻して言った。
「何が違うんだ?」
「愛莉のことが好きなのは認めます。でも、俺らには約束があるんです」
「約束?」
 藤原は首を傾げる。
「俺と港東の黒田。愛莉は自分を甲子園に連れていってくれた方を選ぶって」
「何だそれ?」
「ガキの頃に誓った約束です」
「それでやたらと彼を意識してたのか」
 藤原は納得がいったような表情を浮かべた。
「えぇ……。まぁ、正直、それはありました。けど、試合であいつを意識していたのは、あいつの実力を警戒してのことですよ」
「わかってるよ。ま、何にせよ、青春だね~」
 そう言って藤原は、どこか楽しそうな表情を浮かべながら、その場を後にした。
「しっかし、誰も来ねぇな~」
 グラウンドから校舎を眺めながら大智が呟く。
 今日はオープンスクール。
 間もなく部活見学の時間を迎えようとしている。
 先ほどから校舎の方では、中学生の姿が続々と見え始めている。
 しかし、野球部の方へ向かって来る者はまだ現れていない。
 他のメンバーからも、少しずつため息が漏れるようになっていた。
「いくら港東といい試合をしたからって、やっぱりそう簡単にイメージは変わらないんだな……」
 新キャプテンである大西が残念そうに呟く。
「だな~」
 他の二年生も大西と同様に残念そうな表情を浮かべていた。
「あ、いた! お~い、大兄~!」
 グラウンドに女の子の声が響く。
「紅寧?」
 大智が声の聞こえて来た方に目を向ける。
 そこには大きく手を振りながら、走って来る紅寧の姿があった。
「来たよ! 大兄」
 大智の許まで来た紅寧がとびっきりの笑顔を見せる。
 しかし、それに対して大智は戸惑いの表情を浮かべていた。
「いや、来たよって……、紅寧。お前、千町に来るつもりなのか?」
「そうだよ」
 戸惑う大智を他所に紅寧はあっけらかんと答える。
「そうだよって、お前なぁ。ここで訊くのもなんだが……。紅寧、お前、頭いいんだから、もっと上の高校に行かなくてもいいのか?」
「何で?」
 紅寧はきょとんとしている。
「いや、何でって……。その方がいい大学にも行きやすいだろ?」
「う~ん。大兄が言おうとしてることもわからないでもないけどさ~。そりゃあ、レベルが上の学校に行った方がそういう意識が高い人は多いだろうけどさ。でも、結局そういうのは自分次第でしょ? 何処にいようがする人はするし、やらない人はやらない。大兄だってそう思うから、強豪校からの誘いを断ってまでここを選んだんでしょ?」
「それは……、まぁ、そうだな」
 紅寧に論破され、大智は何も言えなくなる。
「でしょ? 私は愛ちゃんとの約束を大兄と叶えたい。私だって愛ちゃんとの約束に加わってるつもりだよ? 私はマネージャーとして、千町を、大兄を、愛ちゃんを甲子園に連れていきたいの」
 紅寧はそう言うと、真剣な眼差して大智を見つめた。
「紅寧……」
 大智は、それ以上は何も言わなかった。
「あの~。お話し中、悪いんだけどさ……」
 大西が尋ねる。
「何でしょう、キャプテン?」
「誰? その子。もしかして、春野の妹? 大兄って呼ばれてたけど」
「あぁ、すみません。紹介します、幼馴染の黒田紅寧です」
「あぁ、そういうこと」
「あ! 皆さんお久ぶりです。黒田剣都の妹の黒田紅寧です。夏の大会前、大兄にノートを渡した時以来の登場ですね。これから登場回数が増えると思いますので以後お見知りおきを」
 丁寧にお辞儀をする紅寧。
「えぇっと……。誰に挨拶してるの?」
 大西が冷汗を垂らして訊く。
「あ、すみません。お気になさらないでください。久々の登場だったので一応、皆さんにン一言挨拶をと思いまして」
 紅寧は後頭部を撫でながら笑顔で謝る。
「皆さんって……、誰?」
「読者の皆さんです」
 ニコニコ笑顔の紅寧。
「はい?」
 大西は苦笑いを浮かべていた。
「ちなみに、港東の黒田の妹なんです」
 大智が説明する。
「そうなの?」
「えぇ、まぁ」
 紅寧は少し嫌そうな顔をした。
「港東に行こうとは思わなかったの?」
「はい、全然」
 紅寧は大西の質問に間髪入れず答えた。
「こいつ、兄貴のことがあんまり好きじゃないみたいで」
 大智がフォローを入れる。
「そうなの? 黒田君カッコイイのに、ちょっと意外」
「そうなんですけどね~。剣兄って、かっこよすぎて何か面白くないんですよね。それに比べて、大兄は不器用だけど、いつも一生懸命だから、見ていて面白いんです。それに凄く優しいし」
 紅寧は大智を見て、ニッコリと笑う。
「剣都だって優しいだろ?」
「そこなんだよね~。剣兄も優しいことには優しいんだけど、剣兄の優しさはあからさまというか、何と言うか。気に入られようとしてるのがバレバレなんだよね。大兄はその辺スマートだよね。見た目によらず」
 ふふっと笑う紅寧。
「え? そうなの? 意外」
 大西は目を丸くして驚いていた。
「そうなんです。意外ですよね」
「うんうん」
「流石は紅寧……。もう打ち解けとる……」
 大西と親しそうに話す紅寧を見て、大智が小声で呟く。
「どうしたの? 大兄?」
「いや、何でもねぇよ」
「おう、諸君、やってるか」
 そこ藤原がやって来る。
「あれ? 部活見学の時間まだ?」
 藤原が辺りを見渡しながら訊く。
「あ~、もう始まってますね」
 校舎に取り付けられている時計を見て、大智が答えた。
「誰もいないけど」
 藤原がまた辺りを見渡す。
「……みたいですね」
 大智も同じように辺りを見渡して、答えた。
「おいおい、まじかよ。あの港東に善戦して、これ? いや、勝ってたの実質うちだよ? どうすんだよ、これ」
 藤原が取り乱したように言う。
「落ち着いてください」
 紅寧が宥める。
 紅寧に声をかけられた藤原は止まって、じっと紅寧を見た。
「おろ? こちらの可愛い娘ちゃんは?」
 藤原が大智に訊く。
「来年のうちのヘッドコーチです」
「初めまして。大兄……、じゃなかった。春野先輩と同じ、潮窓中三年の黒田紅寧と言います。来年こちらでお世話になるつもりなので、どうぞよろしくお願いします」
 紅寧は藤原に深々と頭を下げた。
「これは、これは。どうもご丁寧に」藤原も帽子を取って、深々とお辞儀をした。
「いや、それはそうとして、選手はどうするんだよ。最低でも二人集めないと来年の夏出られないんだぞ」
 藤原が選手に声をかける。
「それなら、心配には及びません」
 紅寧が声を上げる。
「へ?」
 それに驚いた藤原はそのまま紅寧に目を向けた。
「部員集めは私が何とかしますから、皆さんは部員集めのことは気にせず、自分たちの練習に力を注いでください」
 はきはきとした口調で語る紅寧。
「春野?」
 藤原は紅寧が言ったことの信ぴょう性を問うように、大智に声をかけた。
「大丈夫です」
 大智は口元をニッとさせて頷いた。
「あ、そう。なら、お言葉に甘えて、わしらは練習に集中させてもらおうかな」
「はい。是非、そうしてください」
 紅寧はニッコリと笑った。

 部活見学終了後、大智が紅寧を校門まで送って行く。
「監督にはあぁ言ったけど、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって。私に任せて」
 紅寧は手を胸に当てて、自分に任せろと言わんばかりに胸を張った。
「まぁ、紅寧がそこまで言うんだから、そんなに心配はしてないけどさ」
 そうは言うが、大智の顔には少し心配そうにする表情が見えている。
「信じてくれてありがとう。そう言うことだから、大兄も来年の夏に向けて、しっかり練習頑張ってね。私がいないからって怠けちゃダメだよ」
 紅寧は冗談っぽく笑う。
「わかってるよ。今年、剣都には実力の差をまじまじと見せつけられたからな。来年、借りを返そうと思ったら、少しも怠けてる暇なんてねぇよ」
「なら、よし」
 紅寧はふふふっと笑う。
「あ、そうだ。遅くなってしもうたけど、ノートほんまにありがとうな。本当は勝ってお礼したかったんだけどな」
 大智は申し訳なさそうに言う。
「気にしないで。それより、少しは役に立ってたかな?」
「役に立ったなんてもんじゃねぇよ。あれがなかったら、間違いなくあんな接戦にはならなかった。紅寧のおかげだよ。だから何かお礼させてくれ」
「何でもいいの?」
「おう。何でも言ってくれ。あ、でも財布の限界はあるぞ」
「わかってる。じゃあ、今度、遊園地に連れて行って?」
 それを聞いた大智は微かに顔を引きつらせていた。
「遊園地って……、何処の?」
 すると紅寧は関西の某有名テーマパークのを名を上げた。
「マジ?」
 大智が目を丸くして訊く。
「ダメ?」
 茜は子犬のようなウルウルとした目で大智を見つめる。
 その目にやられた大智は、う~んと考え込む。
「わかった……」
「ほんと?」
「あぁ」
「やった!」
 満面の笑みで喜ぶ紅寧。
 しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、大智に訊いた。
「でも本当に大丈夫? 大兄、お金あるの?」
「大丈夫だよ。男が一回言ったことをそんな簡単に取り下げるかよ」
 大智にそう声をかけられら紅寧は目を輝かせて大智を見つめていた。
「ん? どうした?」
「大兄……、やっぱり優しいね。それにカッコイイ」
 ニコッと笑う紅寧。
「ばっ、やめろよ。恥ずかしい」
 大智は照れを浮かべて顔を背ける。
「照れなくてもいいじゃん」
「照れてねぇよ」
 そう言いながらも大智は、紅寧と顔を合わせようとはしなかった。
「ふふっ。じゃあ、いつにしよっか?」
「夏休み最終日は? 最終日は休みなんだ」
「え? 大兄、宿題終わるの?」
「……お、おう」
 目を泳がせる大智。
「終わらないんだね」
 紅寧は苦笑を浮かべる。
「すまん……」
 大智はうな垂れるように謝った。
「別にすぐにすぐじゃなくてもいいよ。秋でも冬でも、何なら春でも。約束を守ってくれるなら私はいつでも大丈夫」
「すまん。じゃあ一旦保留で」
「了解」
 さてさて、長い長い来年までの一年間。
 でも、やることをやっていたら、あっという間。
 新年が明けましたとさ。
「おっす!」
 大智が自宅から出て来る。
 まだ夜が明ける前の薄暗闇の下。
 大智、剣都、愛莉、紅寧の幼馴染四人は中学校の卒業式ぶりに集まっていた。
「遅い! 日の出に間に合わなかったらどうするのよ」
 約束の時間に遅れて来た大智に愛莉が注意する。
「わり、わり。昨日遅くまで起きちゃっててさ」
「もう。毎年のことなんだから、いい加減、気を付けてよ」
 愛莉は呆れたように大智を叱った。
「このやり取りも毎年恒例になってきたな」
 剣都はやれやれといった表情を浮かべて二人のやり取りを見ていた。
「でも何だかんだ、ぎりぎり日の出に間に合う時間にはちゃんと来るよね、大兄は」
 紅寧は笑顔で二人の様子を見ていた。
「たくっ。どうしてこうも紅寧は大智に甘いかな……。って、大智を叱るのは後だ、愛莉! 早く行かないと本当に間に合わなくなっちまう」
 剣都は急かすように言うと、一人先に目的地の方へ歩みを進めた。
「そうだった!」
 剣都に声をかけられ、ハッとなった愛莉はすぐに剣都の後を追った。
「大兄! 行こっ!」
 大智と紅寧は並んで、前を行く剣都と愛莉の後を追った。
 まだ薄暗い元旦の早朝。
 四人は初日の出を見る為に町の東端にある高台へ向かった。
 大智、剣都、愛莉の三人が中学一年生の頃からの恒例行事で、今年で四年目。
 多少雲に邪魔された年もあったが、過去三回は全て、初日の出を拝むことが出来ていた。
 今朝も雲が少なく、無事初日の出を拝むことが出来そうである。
「よかった~。間に合った」
 目的地に着いて、紅寧が嬉しそうに言う。
「ギリギリ間に合ったみたいだな」
 剣都が安堵の表情を浮かべて言う。
「ほんと。危なかった~」
 愛莉が言う。
 少し速足だったのと、階段を上ってきた事もあり、愛莉は少しだけ息を切らしていた。
「いや~、ハラハラした」
 大智がそう言うと、他の三人は大智をじろりと睨んだ。
「すみません」
 大智は縮こまって謝った。
 と、その時、目の前に浮かぶ島の東端の陰から、そっと朝陽が橙色の顔を覗かせた。
「わぁ……」
 紅寧が真っ先に感動の声を零す。
 その声を皮切りに、他の三人もそれぞれ感嘆の声を零していた。
「何回見てもいいもんだな」
 徐々に顔を出す太陽を見つめながら大智が言う。
「だな」剣都、「だね」愛莉、「うん」紅寧。
 他の三人も昇る太陽を見つめながら、大智に返事を返した。
 太陽は五分もしない内にその姿を完全に現した。
 橙色だった光は次第にその色を薄め、日頃、目にする光へとその姿を変えていった。
「うしっ。んじゃあ、お参りに行きますか」
 大智が三人に声をかける。
「うん」
 紅寧が真っ先に返事を返す。
 剣都と愛莉も紅寧に続いて賛同の意を表した。
 四人が今いる高台。
 ここはこの町を古くから守っている神社の参道の途中にある。
 四人がいる高台はまだ山の中腹部分で、先に続く道を行き、階段を上った頂上部にその神社は建っている。
 境内に着き、参拝を終えた四人はおみくじを引いていた。
「やった! 大吉だ」
 大吉のおみくじを広げ、嬉しそうに見せる紅寧。
「あ、私も大吉だ」
 愛莉も大吉のおみくじを他の三人に見せた。
「おっ! 俺もだわ」
 剣都もおみくじを広げて見せた。
「えぇ……。剣兄も~」
 紅寧が口を尖らせる。
「え? 俺が大吉引いたらダメなのか?」
「だって、ただでさえ、剣兄は実力があるのに、運まで味方に付けちゃったら、増々、強敵になっちゃうじゃない。せめて運くらいは悪くあってもらわなくっちゃ」
「おいおい。それが実の兄に言う言葉か……」
 剣都は冷汗を垂らして呟いていた。
「そう言えば大智は? どうだったの?」
 珍しく静かにしている大智に愛莉が訊く。
「俺? 俺は……、まぁまぁかな」
「まぁまぁって何よ?」
「まぁまぁつったら、まぁまぁだよ」
 大智はそう言いながら愛莉や他の二人と目を合わせようとしない。
「大智、もしかして……。凶、だった?」
 愛莉が訊く。大智は答えないが、表情に変化もなかった。
「えっ、もしかして、大凶?」
 愛莉は恐る恐る訊く。
 その瞬間、大智は明らかに動揺する素振りを見せた。
「ほんとに……?」
 愛莉は目を丸くして、ぼそりと呟く。
 剣都と紅寧もそれを聞くと、唖然と大智を見つめていた。
「何だよ! 仕方ねぇだろ、出ちまったもんは」
「いや~、こんなこともあるもんなんだな」
 剣都が言う。
「ちぇっ。いよいよだってのに幸先悪いな」
 大智は顔を顰める。
 そんな大智を見て、紅寧は自分のおみくじを大智に差し出した。
「はい。大兄」
「へ?」
「これ、持ってて」
 紅寧にそう言われ、大智は紅寧が引いた大吉のおみくじを受け取る。
「これでプラマイゼロでしょ」
 紅寧はニッコリと笑顔を浮かべた。
「おみくじってそういうもんだっけか?」剣都が横から口を出す。
「もう! 剣兄は黙ってて!」
 紅寧が剣都に怒号を飛ばす。
「すまん……」
 妹の圧に負けた剣都は素直に謝った。
「じゃあ、私のも」
 今度は愛莉が大智におみくじを渡した。
「おいおい。愛莉もかよ……」
 剣都が寂しそうに言う。
「これでいいの。これで、大智も大吉になったでしょ?」
「そういうこと! ……なのか?」
 剣都が冷汗を垂らして訊く。
「そういうこと。こういうのは気持ちの問題なんだから。とにかく、これで剣都も大智も今年の運勢は同じ! これで心置きなく実力勝負って言えるでしょ?」
 そう言って愛莉はニコッと微笑んだ。

 神社からの帰り道。
 大智と剣都、愛莉と紅寧に別れてそれぞれ並んで歩いていた。
「そういや選抜の発表っていつだったっけ?」
 大智が剣都に訊く。
「確か、一月の終わり頃だったな」
「そっか。ま、中国大会準優勝校なんだ。順当にいけば選ばれるだろ」
 春の選抜を賭けた秋季大会。
 夏の甲子園ベスト八まで残った港東高校は新チームへの移行が他校より遅れながらも、地区予選を順調に勝ち抜き、県大会へ出場した。
 しかし、県大会では前チームが三年生が主力のチームだったこともあり、試合経験不足から苦戦を強いられることとなった。
 だが、新チームで四番に座った剣都の活躍もあり、接戦をものにした港東高校は試合を追うごとに成長を重ね、中国大会へと駒を進めた。
 中国大会では接戦をものにしたという自信と県大会の勢いそのまま、決勝まで勝ち進んだ。
 決勝では土壇場で逆転を許し、六対四で敗れ、惜しくも優勝は逃していた。
「多分な。けど、やっぱ、正式に決まらないと落ち着かねぇもんだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
「ふ~ん。ま、今の時期にそうやってドキドキしていられるだけで羨ましい限りだけどな」
 大智はそう言って天を仰ぐ。
「来年の今頃はどっちがそうなってるだろうな」
「どっちも。だったら最高だけどな」
「そうだな。俺らが甲子園で試合をしようと思ったら、春の選抜しか可能性はないもんな」
「そういうこと。今年一回限りの大勝負」
「けど、くじ運次第がでかいってのがな~」
 剣都が悩ましい顔を浮かべる。
「そうなんだよな~。もし、県大会の初戦なんかで当たっちまったら、港東が選ばれる可能性はまずなくなるもんな」
 大智が言う。
 それを聞いた剣都は眉間に皺を寄せていた。
「何でうちが負ける前提なんだよ」
「そりゃあ、俺が完封するからな」
 大智は真顔でそう返した。
「ほう。誰がどこを完封するって?」
 剣都は顔を引きつらせている。
「俺が港東をだよ。当然、お前にホームランを打たせる気はない」
 喧嘩口調で言う大智。
 しかし、大智の発言に引っかかりを覚えた剣都は眉を顰めていた。
「ホームランを? ヒットは打たれてもいいのかよ」
「そこまで傲慢じゃねぇよ。お前相手にヒットなら許容範囲。後続を抑えればいいんだよ」
「簡単に言ってくれるな。けど、今年のチームもそう甘くはねぇからな。まだ前チームほどの破壊力はねぇけど、今年は今年でなかなかやるぜ」
 剣都は大智を睨みながら、口元をニッとさせた。
「お前こそ、夏の俺のままだと思うなよ」
「思ってねぇよ。一切な。どうせ、一段も二段も進化してんだろ?」
「まぁな」
 大智は不敵に笑った。
「まぁでも、その前に夏だ。いつ当たるかはわからんけど、試合、楽しみにしてるからな」
 剣都はそう言って拳を体の前に掲げた。
「おう。当たるまで負けんなよ」
 大智も同じように拳を体の前に掲げる。
「お前がな」
 二人は互いの拳を突き合わせた。
「大智! 剣都!」
 先を行く愛莉が呼んでいる。
 側では紅寧も二人を呼んでいる様子であった。
「今行く!」大智が返事を返す。
「走るか?」愛莉に返事を返した大智が剣都に訊いた。
「おう」剣都が頷く。
 そして二人はスタートの構えをとった。
「よーい」
 二人の様子を察した紅寧が大声で叫ぶ。
「ドン!」

 新年、青空の下。
 気持ち新たにスタートを切った二人。
 高校二年生の年は一体どんな波乱が待ち受けているのか。
 次回、二年生編スタート!
 
「入ったー! 打球はバックスクリーンへ一直線! 場内総立ち! 港東高校サヨナラツーランホームラン! 決めたのは、そうこの人。昨夏、一年生ながら初打席初ホームランという華々しいデビューを飾り、一躍スターに躍り出た、黒田剣都。四番に座り、チームの主砲となって帰って来た選抜の舞台でも見事その仕事をやってのけました」
 剣都のサヨナラホームランに興奮する実況のアナウンサー。
 競った試合に会場からは温かい拍手が送られている。
 舞台は、まだ肌寒さが残る中、盛り上がりを見せる春の甲子園。
 ではなく……。
 新年度を前に賑わう、春のテーマパークでございます。

「きゃあ~」
 急降下するジェットコースターで紅寧が叫ぶ。
 その顔には笑顔が浮かんでいる。
「いぃ~」
 一方、紅寧の隣に座っている大智は眼球が飛び出しそうなほど目を見開いていた。
「ふぅ~」
 楽しむ紅寧。
「あぁ~」
 うな垂れる大智。
「やっほ~」
 紅寧はジェットコースターを心から楽しんでいる。
 反対に大智は……。
 チーン……。
 魂が抜けた後の抜け殻のようになっていた。
 ジェットコースターから降りた二人は、次のアトラクションに向かわず、近くで休憩できそうな場所を探し、腰を下ろした。
「だ、大丈夫? 大兄」
 休憩できそうな場所を見つけると、すぐに腰を下ろした大智を見て、紅寧が心配そうに声をかける。
「お、おぅ……。なんとか……、な」
 と言うものの、腰を下ろした大智は、力が抜けたようにぐでぇとなっている。
 声にも力がない。
「大丈夫……、じゃないよね?」
 その様子を心配そうに見つめる紅寧。
「大丈夫、大丈夫。久しぶりだったから、ちょっと驚いただけだ。今のでもう慣れた。ちょっと休んだら次行くぞ」
 大丈夫だと言い張る大智だが、今の一回だけでも見るからに疲弊し切っている。
 そんな大智の姿を前に紅寧の顔は曇ったままである。
「本当に大丈夫なの? 大兄、無理してない?」
「大丈夫だって。無理なんかしてねぇから。俺のことは気にすんな」
 はきはきとした口調で言う大智。
 しかし、紅寧の顔色は変わらない。
「で、でも……」
 そう言いながら紅寧は俯く。
「大・丈・夫! いいか? 俺に気を遣って遠慮なんかするなよ。今日はノートのお礼と紅寧の合格祝いも兼ねてんだからな。遠慮なんかしたら絶対に許さないからな!」
 大智は真剣な眼差しで紅寧をじっと見つめる。
 そんな大智の真剣な眼差しと言葉を受けた紅寧は目を潤ませていた。
「大兄……」
 紅寧が潤んだ目を擦る。
「うん、わかった。じゃあ、少し休んで大兄が回復したら、私が行きたいところじゃんじゃん行くからね。カッコイイこと言ったんだから、ちゃんと付いて来てよ?」
 紅寧はそう言うとニコッと笑顔を浮かべた。
「おう! じゃんじゃん来いや」
 大智は胸を張り、握り拳で自身の胸を一つ叩いた。

 時は少し進み、お昼時。
「大兄、本当に何も食べなくてもいいの?」
 昼食を取る為にパーク内にあるカフェテリアに入った二人。
 普通に食事を取る紅寧に対して、大智の前には飲み物しか置かれていなかった。
「ん? あぁ、注文しようとは思ったんだけどな。意外と腹減ってなかったみたいでな。多分、朝飯いつもの調子で食ったから、食い過ぎだったみたいだわ」
 大智はそう言って愛想笑いをする。
「嘘でしょ?」
 紅寧が睨む。
「いや、ほんとに」
 大智は紅寧から視線を逸らした。
「視線、逸れてるよ?」
 紅寧は変わらずじっと大智を見つめている。
 観念した大智は本当のことを話し出した。
「ジェットコースター乗ってから気持ち悪くて……。食べ物が、喉を通りません……」
 大智はボソッと呟くように言った。
「もう……。それならそうと言ってくれればよかったのに。大兄、やっぱり絶叫系苦手なんでしょ?」
 紅寧が眉尻を下げて大智に訊く。
「別にそんなことは……」
 大智は顔を横に大きく背ける。
 それを見て紅寧ははぁっと息を漏らす。
「無理しなくてもいいよ、大兄。もうわかってるから。本当は絶叫系のアトラクションが苦手なのに、私の為に我慢して一緒に乗ってくれてるんでしょ? もういいよ。私はその気持ちだけで十分だから。午後からは大兄も落ち着いて楽しめるアトラクションに行こう?」
「バカ言ってんじゃねぇよ」
 紅寧が言い終わった直後、大智は語気を強めて言った。
「え?」
 その声に紅寧は驚く。
「前にも言ったけどなぁ、男が言ったことをそう簡単に取り下げられっか。俺に気を遣って遠慮するなつったろ? いいか? 時間が許す限り、紅寧が行きたかったところ全部行くぞ。いいな?」
 大智はギリッとした目で紅寧をじっと見つめる。
「大兄……」
 紅寧の目には涙が滲んでいた。
 紅寧はすぐにそれを手で拭って、続けた。
「わかった! じゃあ、もう本当に気にしないからね。もし、大兄がぐったりしてても引っ張って次行くから」
 紅寧はまだ潤む目で笑顔を作って言った。
「あぁ、そうしてくれ」
 大智は優しく微笑む。
「よし。じゃあ、これ食べたら、すぐに行くからね」
「おう」
 二人は再びパーク内に繰り出して行った。
 太陽は傾き、パーク内を朱色に染める。
 雑多だった人の動きが、次第に入り口ゲートへと向かうようになっていた。
 帰りのバスの時間が迫っている大智と紅寧も入り口ゲートの方に向かう。
 二人はゲートを出る前に入り口近くに設けられている土産物ショップに立ち寄った。
 店内は二人と同じく、帰宅前にお土産を買おうとする人で溢れ返っていた。
「うわ~。凄い人……」
 店内にごった返す人を見て、紅寧は唖然とする。
「だな……」
 大智も呆然と店内を眺めていた。
 二人は邪魔にならないよう、一旦店の外へ出て、相談を始めた。
「どうする?」
 紅寧が訊く。
「う~ん。正直この中に入って行くのは気が進まんけど、どうせ他の店も同じような感じだよな~」
「多分ね……」
「だよな。つっても、他の店を見てる時間もないしな。てか、紅寧はここの店でいいのか?」
「うん。お土産に特にこだわりはないよ。何でもいいから買えたらそれで。大兄は?」
「俺も別に何でも大丈夫」
「じゃあ、決まりだね。ここにしよっか」
「おう」
 そうして二人は再び店内へ入った。
 ついさっき見て、店内の状況がわかっていたにも関わらず、店内に入った瞬間、大智は顔を引きつらせる。
 紅寧も人の圧に圧倒されかけていた。
「そうだ!」
 突然、紅寧が何かを思い付く。
「どうした?」
「大兄、手、出して」
 紅寧にそう言われ、大智は不思議そうに首をひねりながらも、言われた通り、自身の右手を差し出した。
「あ、逆」
「あぁ、こっち?」
 大智は右手を引っ込め、左手を差し出す。
「うん」
 笑顔で頷く紅寧。
 すると、紅寧は自身の右手で大智の左手を握った。
「えっ!? ちょっ、紅寧?」
 突然紅寧に手を握られ、戸惑う大智。
「これではぐれる心配はないでしょ?」
 紅寧はニッコリと笑顔を浮かべる。
 その頬は微かに赤らんでいた。
「いや、それはそうかもしれんけど、手を繋ぐのは、ちょとな……」
「え~、いいじゃん。昔は良く手繋いでくれてたでしょ? あ、もしかして、大兄、照れてる?」
 紅寧は意地の悪そうな顔で大智に訊いた。
「ばっ。そりゃあ、お前。高校生にもなって手を繋ぐなんて恥ずかしいに決まってんだろ。カップルじゃあるまいし……」
 大智は紅寧から顔を背ける。
「カップルだったらいいの?」
 すると突然、紅寧の発する声のトーンが真面目になった。
「え?」
 その問いに大智は驚いた顔を浮かべ、紅寧を見た。
「カップルだったら、このまま何も言わず、繋いでてくれるの?」
 紅寧は俯いている。
 その声はどんどんと低く、重くなっていた。
「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃ……」
 大智はあたふたと顔を動かし、どうしたらいいのかわからない様子だった。
「な~んてね」
 紅寧の表情と声色が急転する。
 紅寧は笑顔を作り、声を明るめて言った。
「冗談だよ、冗談。私ももう子供じゃないんだから、それくらいわかってるよ。ただちょっと昔が懐かしくなっただけ」
 紅寧はそう言うと、握っていた手を離した。
 声を明るめて言う紅寧だが、その声にはどこか寂しさが混ざっている。
「行こっ、大兄。見て回る時間がなくなっちゃう」
 紅寧はそう言うと、店の奥へと歩みを進めた。
「おう……」
 大智は先ほどまでの紅寧の様子を気にしながらも、すぐに紅寧の隣に並び、一緒に歩いた。
 だが、実際に人混みに入ると、どうしてもすぐに、はぐれそうになってしまう。
 二人は逐一、互いの居場所を確認しながら、込み合う店内を進んで行った。
 目ぼしい商品をいくつか見た後、二人は一旦、人混みの少ない場所に出た。
「手……」
 突然、大智が紅寧の前に左手を差し出した。
 ただ、恥ずかし気で、紅寧から顔は背けている。
「え?」
 紅寧は驚いた顔を浮かべ、背けている大智の顔を見つめた。
「ん」
 大智は紅寧の顔をチラッと見ると、差し出した手を軽く上下させた。
 紅寧は顔を徐々に笑顔に変えていく。
 そして、満面の笑みに変わった瞬間、紅寧は大智の手を握った。
 紅寧が手を握ったのがわかった大智は紅寧に視線を向ける。
 紅寧は大智と目が合うと、ニッコリと笑った。
 そんな紅寧の嬉しそうな笑顔を見て、大智はまた顔を背ける。
 その顔には照れと笑みが混在していた。
「とりあえず、今日だけだからな」
「とりあえずってことは、また繋いでくれるの?」
 紅寧は期待を込めた声で訊く。
「その必要性があったらな」
「だよね……」紅寧は小声で呟く。
「そっか。了解」
 紅寧は笑顔で返事を返した。

「あ~!」
 ゲートを出た瞬間、突然、紅寧が叫ぶ。
「ど、どうした?」
 その声に驚いた大智が訊く。
「写真……。撮ってない……」
 紅寧は絶望した顔で、力なく佇ずんでいた。
「そう言えば撮ってなかったな」
 一方、大智は平然としていた。
「どうしよう。もう時間がない……」
 紅寧はそう呟きながら慌てて辺りを見渡した。
「あ! あそこ! 大兄、あそこをバックに撮ろ」
 紅寧はゲートを出てすぐの所にある、モニュメントを指差している。
 既に足はそこへ向かって動いていた。
「大兄、早く!」
 紅寧は忙しなく大智を呼ぶ。
 大智は急いで紅寧の後を追った。
 適当な距離までモニュメントに近づいた紅寧は鞄からスマートフォンを取り出した。
 カメラを内側にし、自撮り形式で写真を撮る準備をする。
 そこへ大智が追いついて来た。
「大兄、早く、早く!」
 紅寧が手招きをする。
「ここでいいのか?」
「うん。入って、入って」
 大智はスマートフォンを構える紅寧の隣に少し離れて並んだ。
「大兄、もっと近く」
「お、おう」
 大智はほんの少しだけ紅寧に近寄った。
「もっと。それじゃあ、カメラに入らないよ」
 紅寧の頬が少しだけ膨れる。
 大智はまたほんの少しだけ、紅寧に近づいた。
「も~う」
 紅寧が完全に頬を膨らませる。
「こうなったら……。えい」
 紅寧は自ら大智に近づいた。
 紅寧と大智の体が触れる。
「ちょっ」
 紅寧の体が触れ、大智は戸惑いの表情を浮かべる。
 だが、大智が戸惑っている様子を気にすることなく、紅寧はスマートフォンを構えた。
「ほら撮るよ。大兄笑って。ハイ、チーズ!」
 紅寧は近づいた勢いのまま、写真を撮った。
 そして、撮った写真をすぐに確認する。
「うん、ちゃんと撮れてる。大兄の顔がちょっとぎこちないけど」
 紅寧は撮った写真を見て、微笑んでいた。
「あ、やばっ。大兄、行こっ! バス来ちゃう」
 紅寧が高速バスの停留所へ向かって一目散に走り出す。
 大智は先を行く紅寧の背中を黙って追った。

 帰りのバスの中。
 無事、予定のバスに乗車した二人。
 発車後、程なくして、大智はスヤスヤと眠り始めた。
 眠った大智の横顔を紅寧はじっと見つめている。
「本当は怖いのに、ずっと我慢して付き合ってくれたもんね。お疲れ様」
 紅寧はそう呟いて、微笑みを浮かべる。
「今日は本当にありがとう。すっごく楽しかったよ」
 紅寧は眠る大智に向けてニコッと笑った。

 静寂に包まれるバスの車内。
 多くの乗客が、幸せそうな顔を浮かべて眠っている。
 そんな中、目が冴えて眠れないでいる紅寧。
 その肩には隣でスヤスヤと眠る大智の頭があった。
 紅寧は大智の頭を肩に乗せたまま、乗車前に撮った大智とのツーショット写真をじっと見つめていた。
 その顔は笑顔だが、どこか後悔の色が交じっているようにも見える。
「ちょっと、やり過ぎちゃったかな……」
 紅寧がぼそりと呟く。
「でも、大兄は振り向いてくれないかもしれないけど。愛ちゃんには申し訳ないけど……」
 紅寧は窓の外へと目を向ける。
「やっぱり私は、大兄のことが……」
 車窓から見える遠くの街の灯りを、紅寧はじっと見つめた。
「もしかしてこれ、全員紅寧が集めたのか?」
 ぽかぽか陽気の春空の下。
 大智の前にずらっと並ぶ新入生、述べ十人。
 想像以上の人数に大智は驚き、信じられないという表情をしていた。
「そうだよ」
 紅寧は大智からの問いにニコッと笑顔を浮かべて答えた。
「俺たち……」
 突然、新入生の一人が声を上げる。
「ん? どうした? 岡崎」
 その新入生とは大智が中学の時の後輩でもある岡崎だった。
「俺たち、黒田に春野先輩の夢を聞いて、皆、それに感動したんです。俺らも、千町を甲子園に連れて行って、地元を盛り上げたいんです。なぁ!」
 岡崎は他の九人に声をかけた。
「おう!」
 皆、声を揃えて返事をする。
「お前ら……」
 それを見て、大智は目頭を押さえながら俯く。
 そして、ゆっくりと顔を上げた。
「せめてこっち見て言えよ!」
 大智は顔を引きつらせ、隣にいる紅寧にも聞こえない程度の小声で怒った。
 何故なら、皆の視線が大智の隣にいる紅寧に向けられていたからだ。
 大智は一度、はぁとため息をつき、紅寧に訊いた。
「紅寧。お前、何て言ってこいつら集めたんだ?」
「え? さっき岡崎君が言ってたでしょ? 皆、大兄の夢を聞いて集まってくれたんだよ?」
 そう言って紅寧はニッコリと笑う。
「いや、絶対それだけじゃねぇだろ」
(現にこいつら俺の方見てなかったし……)
 大智は苦笑を浮かべて、再び紅寧に訊いた。
「え~、他には特に何も言ってないけどな~」
 顎の前に人差し指を当てて考える紅寧。
「あ! でも、一緒に甲子園に行きたい、みたいなことは言った、かも?」
 ピンッとは来ていないのか、紅寧は首を傾げている。
(いや、絶対それだろ……)
 一方の大智は、目をパチパチと瞬きさせながら、心の中でツッコんでいた。
「どうしたの、大兄?」
 大智のおかしな様子に紅寧が気づく。
「いや、何でも……」
 大智はすぐに紅寧から視線を外し、他方へ移した。
(全員、見事に紅寧に釣られたわけだ……)
 大智は斜め上に空を見つめながら、苦笑を浮かべる。
(でも、ま、本当の理由がどうであれ、目指してるところは一緒だ)
 そう考えた大智は挨拶に移った。
「初めまして。二年の春野大智、ピッチャーだ。初めに言っておくが、俺らみたいな田舎の公立校が甲子園に行くのはそう簡単なことじゃない。けど、決して、不可能なことでもない。一緒に千町旋風を巻き起こそうや」
 大智は新入生に向けて、ニッと笑った。
「はい!」
 新入生の揃った声がグラウンドに響き渡った。

 一方、港東高校グラウンドでは……。
「よう、関口」
 剣都が中学の後輩であり、新入生の関口に声をかける。
「黒田先輩。お久しぶりです」
 関口は帽子を取って、丁寧にお辞儀をした。
「久しぶり。そして、ようこそ港東高校野球部へ。お前は千町には行かなかったんだな」
「えぇ、まぁ。千町に行ったら、またあの人が卒業するまで、エースとして投げられなくなりますから」
 そう語る関口の顔は無表情に近い。
「おいおい、そんなあっさりと負けを認めるのかよ。俺らはまだ、高一と高二だぞ?」
「認めますよ、あっさりとね」
「あん?」
 剣都は関口の答えを聞くと、眉間に皺を寄せた。
「あんな球をずっと間近で見せつけられてたんですよ? レベルが違うことくらい、誰でもわかりますって。しかも、あれであの人、人一倍努力するんだからかなわないっす。同じチームにいたら……、ですけどね。けど、敵としてならも負けるつもりは毛頭ありませんから。絶対にね。俺は千町戦のマウンドに登って、あの人に勝つために必死こいて勉強して、ここへ入ったんです。黒田先輩がいる港東にね」
「俺がいるから?」
「えぇ。今、県内であの人の球に真向から対抗できるのは黒田先輩、あなただけですから」
 関口は剣都の目をじっと睨むように見つめている。
「なるほどね。てか、地味にプレッシャーかけて来るのな」
 関口のピリピリとした口調とは異なり、剣都はやや暢気ともとれる口調で返した。
「打つ自信ないんですか?」
 キッとした目つきで剣都を睨む関口。
 しかし、剣都は気にしていない様子である。
「自信はある。けど、その通りにならないのが、野球だろ?」
 剣都はふっとした笑みを浮かべて、関口を見た。
 それを受けて、関口は剣都から目を逸らした。
「もう少し肩の力抜けよ。あんまり自分を追い詰め過ぎると、ろくなことねぇぞ」
 剣都は関口に背を向けそう言うと、関口の許から離れて行った。
 さて、新入生を迎え入れ、新たなスタートを切った各校。
 夏の選手権大会まで残り三か月ちょっと。
 一年生はじっくりと育てるチームもあれば、即、戦力として使わなければならないチームなどチーム事情は様々。
 二、三年生合わせて七人しかいない千町高校は必然的に最低でも一年生を二人は試合に出さなければならない。
 千町高校のグラウンドでは、早速一年生の実力が試されようとしていた。
「どうぞ、監督」
 選手のアップを待っている間、紅寧が藤原にノートを渡した。
「ん? 何、これ?」
「一年生のプロフィールです」
「プロフィール?」
 藤原はノートを開いた。
 ノートには一年生の身長や体重などの身体測定の結果から、野球選手としての特徴までびっしりと記されている。
 そんなノートを藤原は目を丸くして見つめる。
 藤原は全員のプロフィールに目を通し、顔を上げた。
「これ、全部黒田が調べてまとめたの?」
 藤原がノートを指して訊く。
「はい、勿論」
 紅寧は当たり前だろと言わんばかりの表情で藤原を見つめる。
「だよな……。ついでに訊くけど、ちゃんとそれぞれのポジションに選手がいるのも、黒田の意図?」
「そうですよ」
 紅寧は真顔で藤原を見つめた。
「ははっ……。こりゃ、たまげた」
 藤原は呆気に取られている。
「だから、言ったじゃないですか。私に任せてくださいって」
 怪訝そうな目を向ける紅寧。
「いや、確かに言われて、任せたけど、まさかここまでするとは思ってなかったもんでな」
「もう。大兄といい、監督といい、何で、これくらいで驚くかな~」
 紅寧は頬を膨らませた。
「いやいや。驚くでしょ、普通」
 藤原が小声で呟く。
「何か言いました?」
「いんや、何も」
 藤原はとぼけるように紅寧から顔を逸らした。

 選手がアップを終えると、早速一年生の実力を確かめることになった。
 その間、二、三年生はグラウンドの隅でティーバッティング。
 まずは守備力から。
 ポジションに就いてのシートノック。
 一年生がそれぞれのポジションに散らばって行く。
 各ポジション一人ずつ。ただし、ピッチャーは二人。
 気持ちを新たに、スタートを切った一年生の動きは軽やかで初々しい。
 人数が増えたことも相まって、千町高校野球部は活気で溢れていた。
 一年生のシートノックが始まる。
 二、三年生はティーバッティングの傍ら、その様子をチラチラと眺めていた。
 特に三年生の三人はかなり気にしている様子だった。
 紅寧が集めて来たとあって、一年生は軽めのシートノックを無難にこなした。
 全員基礎はしっかりしている印象だ。
 次にマシンを使ったバッティング練習に移る。
 マシン二台を一年生が順に打っていく。
 その様子を三年生たちは練習の手を止めて、じっと見つめていた。
「気になりますか?」
 三年生の様子が気になった大智は、集まっている三年生の許へ行って声をかけた。
「春野…‥。うん……。やっぱ、ちょっとね……」
 大西が自信のなさそうな声で言う。
「でもやっぱり流石だね。皆上手いよ。打って、守れるし、動きも全然違う。俺ら敵わないかも……」
 大西はそう言って俯く。他の二人も大西に続くように俯いた。
「何言ってんすか!」
 大智が喝を入れるようにバシッと言う。
 それを受けて、三年生の三人は一斉に顔を上げ、大智を見た。
「確かに総合力だけで見れば、先輩たちよりも力のある一年は何人もいます。けど、守備の安定感なら間違いなく大西さんの方が上。てか、部内でも一番です。バントも上手いですしね。派手なプレーがなくても、大西さんみたいな職人気質の選手がいるだけで、チームは全然違うんです。自信持ってください」
「春野……」
 大西が大智をじっと見つめて呟く。
 その目には微かに涙が浮かんでいるように見える。
 次に大智は加藤に目を向けた。
「バッティングの怖さなら加藤さんがダントツです。一年生は、ミート力はありますけど、まだまだ非力な奴も多い。ピッチャー目線から言わせてもらえば、一年生は全然怖くないです。打席に立った時、スイングした時の威圧感なら加藤さんは誰にも負けていませんよ。それに、去年の夏からミート力もかなりアップしてますしね。もし、俺がピンチで加藤さんに投げるとしたら、正直ちょっとびびりますね」
 加藤も大西と同様に、大智を見つめながら「春野……」と呟いた。
「足の速さ、走塁の上手さは大橋さんが部内一です。守備範囲もかなり広がりましたしね。それに、この一年、俺がピッチングしてる時、打席に立って、選球眼に磨きをかけてきたじゃないですか。大橋さんが四球で塁に出れば二塁打も同然。一ヒットで一点です。こんな魅力のある選手どこのチームだって欲しがりますよ」
 それを聞いて、大橋も、大智の名を呟く。
 三人はじっと大智を見つめていた。
 その顔に、大智が話す前に浮かべていた、不安さや自信のなさは、もうない。
 彼らの瞳には闘志が宿っている。
「総合的な力があるに越したことはないですけど、野球はそれだけが全てじゃない。スペシャリストだって必要なんです。苦手なことがあるなら周りが補ってやればいい。グラウンドには九人がいるんですから」
「うん」
 三年生の三人は力強く頷いた。