そして、今日は薫の25歳の誕生日前日だ。
 時雨は、当日はしっかりお祝いすると気合いをいれてくれていた。だが、それと同時に不安そうにしていたのだ。


 「『薫の25歳の誕生日 薫を守れ!』か………」


 今日は時雨の家に泊まることになっていた。

 彼のリビングのテーブルの上には古くなって黄ばんだ紙が置いてあった。そこには、子どもの字で、「薫の25歳の誕生日 薫を守れ!」と書いてあるのだ。
 それは、昔からずっと彼の部屋の見えるところに置いてある。10才ぐらいの頃からだろうか。彼はいつもそれ大切そうにしていたので、時雨にそれは何かと聞いた事があった。けれど、彼も「わからない」のだそうだ。

 気づいたらテーブルの上にあったという。けれど、それはその当時の時雨の書いた字。だが、時雨には全く見覚えがないとの事。寝ぼけて書いたのかなと、2人は思っていた。けれど、時雨はそれが何故か気になるようで、今まで大切に保管してきたのだ。


 「それ、寝室に持っていくか」
 「うん………やっぱり気になるの?」
 「そりゃな。15年ぐらい気になり続けた日があと数分で来るからな」
 「そうだけど……私の誕生日なんだからね?」


 時雨はどうしてもこのメモが気になるようで、とても心配しているが明日は薫の誕生日なのだ。愛しい彼に1番にお祝いして欲しい。そう思ってしまう。彼にその古びた紙を渡しながら、いじけたように言うと時雨は「わかってるよ。明日はいつも以上に甘やかすつもりだから」と、薫を抱き寄せてから額にキスを落とした。彼の体からシャンプーの香りがする。彼と付き合い始めて数年が経つのに、こうやって抱きしめられたり、キスをされると緊張して鼓動が早くなってしまうのだ。
 彼の答えに満足した薫が微笑みを返すと、時雨は薫の手を取った。
 







 「せっかく温まったんだ。早く寝室に行くぞ」
 「うん」

 
 2人でお風呂に入り、お互いの時間を過ごした後、同じベットで眠る。彼が準備してくれた長袖のパジャマは、秋らしく金木犀のように淡いオレンジ色で薫のお気に入りだった。
 手を繋いで寝室に向かう。寝る前に薫はいつもする事があった。アロマディフューザーを使ってアロマオイルの香りを楽しみたいのだ。

 薫は昔から白檀の香りが大好きだった。
 時雨と付き合い始め、彼の部屋で過ごすことが多くなってきた頃から彼にお願いしてここでも使わせて貰うようになった。彼もこの香りが好きになったようで香水までも白檀にしてしまうほどだった。


 「うん。今日もいい香り!」
 「薫、もう日が変わる」
 「わかったー」


 薫は急いで彼の元へと歩き、大きなベットに乗り上がる。そして、ベットに座ったまま待っていてくれた時雨に抱きついた。それだけで、嬉しくてニヤけてしまう。

 交際が長いとマンネリになってしまうのではないか。そう思っていたけれど、時雨とは違っていた。一緒にいる時間が長くなれば長くなるほどに彼を好きになって、もっともっと彼を知りたいと思ってしまうのだ。
 こんなに愛しいと思える人が、幼い頃からずっと一緒だったなんて、幸せなことだと思いながらも、勿体ないことをしてしまったとも感じていた。若い頃の自分に「もっと近いところに大切な人はいるよ」と教えてあげたいぐらいだった。

 
 時雨は薫を抱きしめながら、心地よい低音の声で薫だけに囁いてくれる。


 「薫………今年も一緒におまえの誕生日を迎えられて嬉しいよ」
 「うん。私もだよ」
 「ほんと、今でもおまえが俺のものになったのが夢なんじゃないかと思う時があるだ。一緒に寝てても起きたら隣にはいなくて、全てが夢だったんじゃないかって」
 「………そんな事ないよ。私はずっと時雨の隣にいる」
 「………あぁ。そうだよな。……俺を好きになってくれてありがとう」
 「私こそ、ずっと守っていてくれてありがとう」

 薫は彼を見上げてキスを求めた。
 時雨はにっこり笑いながらもまだキスをしてくれない。
 







 「ねぇ………時雨、キスは?」
 「………待って、後少しで日付変わるから」
 「もう!ムードっ!」
 「待ってて………今から沢山してあげるから」


 時雨はそう言うと薫の唇を人差し指でトントンと軽く押さえた。
 むつけた顔をしながらも、そうやって誕生日を迎えたいと思ってくれる彼の気持ちが嬉しくて、寝室にある時計をジッと見つめる彼を眺めて微笑んでしまう。


 「もう少しだ。5、4、3、…………薫、お誕生日おめでとう」
 「ありがと………ぅ…………」


 彼のカウントダウンの声はしっかりと聞こえた。それなのに、「おめでとう」の言葉はほとんど聞こえなかった。急激に睡魔に襲われたのだ。
 どうして、自分がこんなに眠くなるのか分からない。
 けれど、瞼を閉じるのを我慢出来ないのだ。


 薫は、何も考えられないまま体の力が抜け、そのまま時雨の体に倒れた。



 「おいっ!薫?!……嘘だろ………どうしたんだ?薫っ!」


 愛しい人が必死に自分の名前を呼んでいるのにも気づくことはなかった。










   2話「緑色の彼」




 「薫、起きて」
 「ん…………」


 その声は聞き覚えがあるようで、聞いたことがないような。不思議な声だった。男性の声だが、少し高い澄んだ声。

 薫は目を擦り、ゆっくりと目を開けた。
 薄いカーテンから太陽の光が柔らかく差し込む。眩しいと感じながらも、その声の主が気になって薫は目を細めて声がした方を見つめた。

 すると、そこには新緑の葉のような緑色のふわふわした髪に、日に焼けた肌の色、そして瞳が紫黒色の、すらりとした体格の男が居た。薫と目が合うとニッコリと笑って「薫、お誕生日おめでとう!」と、明るい声でお祝いの言葉を言いながら、薫をギュッと抱きしめた。


 「…………ミキくん………?」
 「うん、そうだよ。どうしたの、寝ぼけちゃった?」
 「ごめん………熟睡しちゃったみたいで」
 「ははは。可愛いなー、僕の恋人は」
 「恋人………」


 ミキは南の肩に頬を擦り付けるようにブンブンと頭を揺らした。この度に緑の髪が頬に当たってくすぐったくなり、薫は思わず微笑んでしまう。ミキからは、あの白檀の香りがした。きっとアロマオイルの香りが移ったのだろう。

 真っ白なシャツとズボンという服装の彼。そして、薫は緑色のパジャマを着ていた。


 「あれ?パジャマってこの色だっけ?」
 「薫が好きな緑だよ。僕の色でしょ?僕がプレゼントしたの忘れたの?」
 「ううん。そうだったね……」


 そう。
 ミキの部屋によく泊まるようになった頃。彼が準備してくれたんだ。
 まだ頭がボーッとしているのかもしれない。






 「ねーねー!薫っ!」
 「何ー?」
 「誕生日なのにお願いがあるんだけど………朝ごはん食べたい」
 「確かにお腹空いたよね。いいよ」
 「やったっ!」


 ミキはそういうと、両手を挙げて喜び、ベットから飛び降りた。そこまで喜ぶとは思わず、薫は子どもみたいな彼を見てまた笑ってしまうのだった。
 

 薫は着替えを終えた後に、ミキのリクエストの物を作った。
 薫の料理をしている姿を見て、ミキは微笑んでいる。

 「今日は薫の好きなところに行こう。天文台に行って星を見て、それからチーズがおいしいグラタンのお店に行こう。あ、夕食の前にランチだよねー。でも、今食べたばかりだから、美味しいケーキとかパフェを食べようと思ってたよ」
 「天文台かー。最近いってなかったから嬉しいな」
 「本当は本当の星をまた見たいよね」
 「うん………森に行ってね!今度、地元に戻ってもいいね」
 「薫も戻りたい!?」
 「うん。あんまり帰ってないから行きたいな」


 そういうと、ミキはとても嬉しそうに薫に駆け寄った。そして、甘えるように後ろから薫を抱きしめた。


 「もう、ミキ。今、料理してるから危ないよ。火傷する」
 「でも、嬉しいから」


 ミキはどうして、こんなにも地元に帰ること喜んでいるのか。彼も久しぶりに返って昔懐かしい場所を巡りたかったのかもしれない。
 

 薫の地元は、今住んでいる場所から車で2時間ほどにある田舎らしさが残る町だった。電車の駅がある場所はそれなりにビルがあり、住みやすさがある。けれど、少し先を見れば山や海があり、小さな子ども達の遊び場は自然の中という、田舎だった。
 薫の両親はまだそこに住んでいるけれど、年末しか帰らないし、子どもの頃に遊んだ山などに登ることはなかった。
 薫とミキは、子どもの頃からよく森で遊んでおり、こっそりと夏祭りを抜け出して山の上で星空を見たのを今でも覚えていた。
 満点の星空は、いつも見ている星よりも遥かに光り輝いており、見たこともない小さく繊細な光を見せてくれる、淡い星がまだまだたくさんあるのだと薫はその時に知った。

 それから、薫は星が好きになった。薫が趣味で書く絵には星空がよく登場するぐらいだった。


 「薫?ごはんは?」
 「え、あ………あぁ!!………危ない、もうちょっとで焦げちゃうところだった」


 薫はすぐにコンロの火を止めて、出来上がったものを皿に装った。







 「ミキ、完成したから食べよう!」
 「うん!楽しみだなぁー」


 ミキは2人の皿をひょいと取って、それをリビングへと持っていってくれる。薫はコーヒーを入れてから彼の元へと向かった。


 「薫、食べよう!いただきます!」
 「はーい。いただきます」


 2人は横にならんで座り、ミキと共に手を合わせて挨拶をした。すると、すぐにフォークを持って、ミキはニコニコと食事を始めた。


 「フレンチトースト!食べてみたかったんだっ!」
 「え………フレンチトースト初めて作ったっけ?」
 「うん。いただきますっ!」


 薫は「あれ?」と疑問に思った。
 昔からフレンチトーストが大好きで、休みの日のブランチは必ずと言っていいほど作っていた。ミキと付き合い始めて数年なのに、彼に、作ってあげたことがなかったのは、おかしいような気がしていた。


 「んー!おいしいー!甘い!」


 ミキは満面の笑みを浮かべて子どものように嬉しそうに食べてくれている。
 そんな姿を見てしまったら、こんな些細な疑問などどうでもよくなってしまった。
 ミキは見た目は大人っぽいのに少し子どものようなところがあるなと感じられる。そこが、彼らしいのだけれど。


 食事を終えた後、ミキが後片付けをしてくれたので、その間に薫はデートの準備をした。
 お化粧をして、フレアのスカートにリブニットのセーターを合わせ、薄手のコートを羽織った。ミキはというと、白のタートルネックに黒の細身のズボン。そして、カーキ色のチェスターコートという服装だった。モデルのような姿に思わずドキッとしてしまう。


 「薫、可愛い」
 「あ、ありがとう」


 お洒落をした薫の姿をまじまじとみたミキは、少し頬を染めながら褒めてくれた。初めてのデートのような反応をされては、薫も驚いてしまう。






 「ど、どうしたの?いつもの服装だよ?」
 「そうだけど、可愛いって思ったから言いたくなった」
 「………ミキだってかっこいいよ」
 「僕、かっこいいんだ!嬉しい」

 ミキはまた少し照れたような顔を見せて、薫の言葉を喜んだ。
 彼がそんな反応をしてしまうからなのか、何故か薫まで顔を赤くしながらミキを褒める。付き合いが長くなると、なかなかこんな会話などがなかったかもしれない。薫は久しぶりの感覚になった事を感謝した。


 「今日寒くなるってテレビで言ってたけど、温かくした?」
 「あ、そうなんだ……。じゃあ、手袋持っていこうかな」
 「手袋はいいよ!また昔みたいに片方落として泣いちゃうでしょ」
 「………え、そんな事あったっけ?」
 「あったよ。子どもの頃、薫が大切な手袋を森の中で落としてしまって泣いたんだ。だから、僕は森中を探したんだよ」
 「………そんな事もあったね」


 彼がその話をすると、不思議とその光景が頭に浮かんできたのだ。お気に入りの、真っ白でウサギの尻尾のようなポンポンがついている手袋。それを落としてしまって、泣いてしまった事を思い出した。それをミキが見つけてくれたのだ。


 「今でもなくなったら探してあげるけど………手を繋げば温かいんじゃない?」
 「うん。そうだね」


 ミキが差し出した大きな手。
 それを見つめていると、何故か懐かしい気持ちになる。昔の事を思い出したからだろうか。
 

 「じゃあ、行こう。楽しい誕生日にしようね」
 「うん!楽しみ」


 ミキの太陽の日差しのようにじんわりと温かい手の温もりを感じながら、薫はミキと共に家を出た。

 不思議なデートが今、始まろうとしていた。









   3話「僕はクジラ」





 ミキと2人で海岸沿いにある天文台へと向かった。電車に乗ってまったりと移動するのも楽しかった。「電車って楽しいね」と子どものようにはしゃぐミキを見て、薫はこちらまで微笑んでしまっていた。

 ミキはプラネタリウムを予約してくれたようで、開演時間までは展示室を見て回ることにした。


 「秋の夜には、この星座が見えるらしいよ」
 「へー………白鳥座にクジラ座、ペガスス座……顕微鏡なんてあるよ」
 「すごいねー!………私は星空を見ても星座はわからないんだけどね」
 「そうなの?星が好きだから詳しいのかと思ったよ」
 「んー……プラネタリウムみたいに、絵が出てきたらいいのにね」


 薫がそういうと、「星空に絵があったらか………確かにいいね」と、笑いもせずに真剣に頷いてくれた。

 その後も惑星のブースや隕石のブースなどを見て回った。2人でワイワイと話したり、真剣に見たりしている、あっという間に時間は過ぎていった。

 そして、プラネタリウムの時間になった。
 平日の昼間とあってか、他の客はほとんどおらず、2人で真ん中の場所を選んで座った。座席はリクライニングのソファのようになっており、後ろに倒すと、薄暗い雰囲気になり眠くなってしまうかもしれない。けれど、今から星空が見られると思うと、薫はワクワクが止まらなかった。


 「薫、楽しみ?」
 

 横になったミキがそう言って聞いてくる。薫は「うん!」と、気持ちを押さえられなくて、ニッコリと微笑んで返事をすると、ミキは「やっぱりねー!顔がそう言ってる」と、笑ってくれた。


 「ミキは、寝ちゃだめだよ?」
 「寝ないよ!嘘の星空がどれぐらいなのか見てみたいし」
 「もう………とっても綺麗なんだから!………って、ミキはもう何回も見てるじゃ………」
 「ほら、始まるよ」


 薫が彼に質問しようとした時、照明がゆっくりと暗くなっていく。
 ミキとは何回もプラネタリウムに来ているはずだ。星空がとても綺麗だってことはわかっているはずなのに。そう思った時、薫の手が温かい感触に包まれた。


 「ミキ………?」
 「寝ちゃうか心配なら、僕が寝ないように手を握ってて、ね?」
 「うん………」


 指を絡めて手を握る。
 薫は何故か不安になってしまい、ギュッと彼の手を握りしめる。すると、ミキは小声で「だから寝ないから大丈夫」と、耳元で囁いてくれたのだ。
 その声を聞くと、原因がわからないとりとめもない不安が、少しずつ和らいでいくのがわかった。







 今回のプラネタリウムは秋から冬へとかわる星空。そして、その中の星座の神話の話だった。星空に、感動しながらも彼はプラネタリウムを楽しんでいるのだろうかと気になり、ちらりと横顔に盗み見た。
 すると、彼はプラネタリウムの映像に夢中になってキラキラとした瞳で見つめていた。少し口を開けているのが集中している証拠のようだ。薫は、クスリと笑ってわざと彼の手をギュッと握りしめる。すると、ミキはこちらに気づいて「………すごいね!綺麗だし、話も面白いね」と、小さな声だったが興奮した口調で教えてくれた。

 神話は有名なアンドロメダ座の話だった。
 カシオペヤの娘、アンドロメダはとても美しい娘だった。両親にも愛されていたアンドロメダだったが、カシオペアは、あまりにも自慢してしまっていたため神々が嫉妬で怒ってしまう。そのため、怪物クジラの生け贄にしようとして捕らえられてしまったのだ。
 そんな時に、メドゥーサの首をとりペガススに乗って帰る途中のペルセウスが美しいアンドロメダを見つけて、怪物クジラを退治したという物語だった。
 その物語が気に入ったのか、ミキはとても夢中になって見ていた。そして、クジラを退治したペルセウスと聞いた時に、彼の手を握る力が強くなったのを薫は感じた。


 あっという間にもう少しでプラネタリウムも終わりという時間。
 最後は、星空の散歩という事で、星空をぐるぐると飛ぶような演出で終わった。
 ゆっくりと照明がつき、星空は消えていった。

 「はぁー楽しかったね」
 「…………」
 「ミキ?」
 「…………プラネタリウム楽しかった。星空は本物がいいけど、でも薫が言ったみたいに絵も出てくるし、どの星も雲に邪魔されないで見れる!そして、神話も楽しかった」
 「そんなに楽しかったんだ?」
 「うん!また見たい!」
 

 ミキはピョンッとソファから起きると、ニッコリと微笑みながらそう言った。
 そして、また薫の手を取って、ミキは薫の体を起こしてくれた。


 「それにね、アンドロメダは薫に似てたね」
 「え?………それはないよー綺麗なアンドロメダだよ?」
 「薫は綺麗だよ。そして、襲ってくるクジラから僕が守るんだっ」
 「頼りにしてるね、ミキ」


 そう言って2人は手を繋いだままプラネタリウムの余韻に浸り、会話を交わしながら歩き出した。