「ハアァ――……」
「なによ? さっきから……」

 ビルの階段を下りながらため息をつく花音(かのん)の背中へ声をかける。
 事務所を出てから三回目のため息だ。

「あ、ごめん、気になった?」
「……いいから話せば?」

 最初の二回は放っておいたけど、これは私が聞き返すまでため息を続ける構ってちゃんモードだ。
 まあ私は慣れてるからいいんだけど、花音と並んで歩く手嶋(てじま)さんが、ため息のたびにチラチラと花音の方を気にしている。
 内容はだいたい予想がつくし、面倒臭いけど……手嶋さんのために花音の相手してやるか。

「いやぁ……あまねくんと(たまき)さん、どっちも捨てがたいなぁ、って」
「今日会ったばかりなのに、さっそくそれですか?」
「善は急げ、って言うじゃない」

――善?

「捨てる方を決めるには、まず手に入れなきゃね?」
「それじゃあやっぱり、あまねくん狙いかぁ~」

 私の皮肉に気付いた様子もなく、あっさりターゲットを絞った花音がさらに言葉を繋ぐ。

「環さんも素敵なんだけど、なんていうか……見てるだけでポワ~ン、って感じで、実際にどうこうって相手ではない気がするんだよねぇ」
「ポワ~ン、ねぇ……」

 そうだったっけ?
 手嶋さんの方はともかく、花音はかなり気さくに会話してた気がするけど。

「あまねくんはやっぱり、あのルックスのくせに年下でしょ? リアクションも可愛いし……お姉さんモード全開になっちゃうのよね!」
「っていうか花音、このまえ言ってたバイト先の彼はどうしたのよ? たしか……大学生だっけ?」
「あー……あいつねぇ……。あれはやめた!」
「なんでよ? なかなかカッコイイ、って言ってたじゃん。食事に誘われたんでしょ?」
「まあ、見た目はまあまあだったんだけどねぇ……。まだ付き合ってるわけでもないのに、食事のあとホテルに誘ってくんのよ!? どう思う?」
「あー……。んー……、私は、パスかなぁ」
「あたしだってパスよ! そんなに軽そうに見えるかな、あたし?」
「見えない……といったら、嘘になるけど」
「嘘かい!」

 どうなの、ユッキー? と、今度は隣の手嶋さんに問い(ただ)す。

「あ、うん、えっと……真面目そうな気がします、意外と……」
「〝意外と〟は余計よ! こう見えてもあたし、まだ経験ないんだからね!」

 それ以前に〝真面目〟とか言われてる時点で、百パーセントお世辞だろうけど。
 雑居ビルの階段を下りきって通りへ出ると、花音が振り返って私を見る。

「っていうか咲々芽(ささめ)も、なかなかあたしを連れて来ないと思ったら、こんな秘密があったなんてさぁ……」
「秘密?」
「超絶イケメン二人に囲まれて逆ハーレム満喫してた、って秘密!」
「別に秘密でもないし……それに今日は、たまたまあまねくんもいたけど、普段から二人とも揃っているわけじゃないからね?」
「だとしても環さんはいるんだし……あまねくんだってちょくちょく顔は出すんでしょ? ウハウハなのは変わらないって」
「ウハウハっていったって……しょせん従兄妹(いとこ)だしね?」
「まあ、付き合ったり結婚したりってのは無理だとしても、それでもほら、あれだけのビジュアルなら、そばで眺めてるだけで血湧き肉躍るでしょ?」
「湧きも踊りもしねぇよ……」

――たまに出てくる変な言葉は、どこで覚えてるんだろ?

「……できますよ」

 手嶋さんが、ボソッと呟く。

「「ん?」」

 私と花音が同時に手嶋さんに注目すると、一瞬首をすくめるように視線を逸らしたあと、しかし、もう一度同じことを呟く。

「できますよ、結婚。いとこ同士でも」
「「そうなの!?」」

 花音だけじゃなく、思わず私まで同時に聞き返す。

「法律では、四親等以上離れていれば、直系でない限り血族同士の結婚は認められていますから」
「四親等?」と、花音が首を傾げる。
「家系図をイメージすれば分かりやすいです。自分からスタートして両親が一親等、祖父母が二親等、叔父さん叔母さんが三親等……で、従兄妹は四親等」
「ママ、お婆ちゃん、叔母さん、あきらくん……。ほんとだ、四親等だ」

 花音が指折り数えて確認する。
 あきらくんというのは花音の従兄弟の名前だろう。

 とはいえ、いとこ婚が法律上可能だということは私も初めて知った。
 今まで、親族というだけで結婚はできないという先入観を持っていたけれど……(あまね)くんや環さんと、法律上は結婚することも可能なんだ!?

「じゃあやっぱり、咲々芽はライバルになりそうなあたしを遠ざけてた、ってことになるのね?」
「どうしてそうなるのよ! いとこ婚のことは私だってさっき初めて知ったんだから! 手嶋さんの話を聞いて、私だって一緒に驚いてたじゃない」
「そんなの、ほら……演技かもしれないし……」
「なんのためよ?」
「まあいいわ。今日であたしも一員になったし……バイト先も近いから、これからはちょくちょく寄らせてもらうからね」

――いつ、どのタイミングで一員に!?

「それにしてもユッキー……さっきの量子ナントカの話といい、何気に頭いいよね。なんでうちの高校なんかに来てんの!?」
「雑学と勉強は別ですし……」

 雑学と勉強は別……確かにそうかもしれない。
 そうかもしれないけれど、でも、家も裕福らしいし、もう少しまともな私立もあったんじゃないのかな?
 やっぱり、花音じゃないけど、ちょっとちぐはぐな感じがはするよね。

「んじゃ、あたしたちは先帰るけど、咲々芽は、泊まっていくの?」
「そんなわけないでしょ! 明日、私も一緒に手嶋さんの家に行くことになったし……環さんたちと、ちょっと打ち合わせだけしたら帰るわよ」
「とりあえず、抜け駆けはなしだからね!」

 そう言って私に人差し指を向けたあと、すぐにニコっと笑って「バイバイ!」と手を振る花音。

「今、春の変質者キャンペーン中だから、あまり遅くならないようにね、咲々芽」
「なによそのキャンペーン……。そっちこそ気をつけてね!」

 時刻は午後六時前だが日没までに三十分ほどあるし、外はまだ十分に明るい。
 路地を曲がる前に、もう一度振り向いて手を振る二人に、私も手を振り返してからビルの中へと戻る。
 階段を上りながらスマートフォンを取り出して、〝いとこ 結婚〟とワード検索してみると……。
 すぐに、手嶋さんがしていた説明と同じ内容の記載を発見することができた。

――ほんとに、できるんだ、結婚……。

 カラン、と、心の中で音がする。
 これまで、知らないうちに()められていた足かせが外されたような、そんな音だ。
 いつまにか階段を上る足取りも、軽やかな駆け足に変わっていた。