「ああ、佐枝子(さえこ)さん。もう、準備は終わったんですか?」

 再び、誰かが彼女のサテライト講義を遮る。声の方を見やると――
 艶やかな、微笑みらしきものを浮かべた(たまき)さんが歩いてくるのが見えた。
 一方、振り向いた佐枝子さんのプクッと膨らんだ両頬からは、明らかに不満の感情が見てとれる。

「終わってなどおらんぞ。まだ〝みちびき〟の説明をじゃな……」
「それは長くなるのでまた今度にしてください」
「はあ? もしかしたら小娘二人(・・・・)のうちどちらかが跳躍(リープ)に参加するのじゃろ? 自分の命を預けるものの説明くらい……」
「大丈夫です。それは私のほうからまた、軽く説明しておきますので」
「か、軽くって……そんなんで済むのなら、私がレクチャー用にこの人工衛星(レプリカ)を作らせた意味がないのじゃ!」

 いや、それは確か、佐枝子さんの趣味で作らせていたはず……。

「命を……預ける?」不安そうに呟く手嶋さんに、
「そりゃ、恐竜がわんさかいるんだから、ユッキーなんて行ったらあっというまに食べられちゃうよ。あたしみたいに運動神経も良くないと!」と、花音。

 運動神経だけ(・・)でしょ。
 花音の中では未だに〝ミラージュワールド=プラ〇ミーバル〟のイメージらしい。

「運動……神経……」
「うんうん。まあでも、さすがのあたしもいきなり戦闘は無理だろうし、そうだなぁ……こう見えて料理は得意だから、とりあえず最初は調理係ってとこかなぁ」
「いいですね。私は料理も全然ダメですし……」
「ああ、それか、あれもいいな! モンスターを倒したあとにアイテムとかとかコインとか出てくるじゃん? あれを集める係!」

 RPG(ゲーム)の話!? 恐竜どこいった?

「コイン集めは五百円玉貯金の実績だってあるしぃ――」と続く、花音のプロフィール自慢を佐枝子さんがぶった切る。

「そういう意味での危険度は、さほど脅威ではない」
「そういう? 意味?」
「そもそも、肉体ごと直接ミラージュワールドに送るわけではないしな」
「…………?」
「なんじゃ、そんなことも聞いておらんのか?」

 小首を傾げる花音を見て、佐枝子さんがまたもや呆れたように溜息を()く。

「おぬしら、一体どこまで聞いておるんじゃ?」
「……というか、全然? ミラージュワールドと霊子の説明くらいしか……」

 花音の言葉に、その隣で手嶋さんも相槌を打つ。
 そんな二人に視線を止めながら、「おい、(たまき)!」と声をかける佐枝子さん。

「〝みちびき〟のことはともかくじゃ。タンクの事を説明しないであそこに放り込むわけにはいかんぞ? 同調(シンクロ)が上手くいくとは思わんが、万が一ということもある」
「私は、同調不可の方が万が一(・・・)だと思ってますけどね」

 そう言って微笑む環さんを、佐枝子さんは両目を(いぶか)しそうに細めて……しかし、何も言わずに束の間、流し見る。

「ふん……。まあ、環がそう言うなら何かしらの根拠はあるんじゃろ。じゃが、それならばなおさらじゃ! 説明もなしに同調などあり得んからな!」
「ええ、それはもともとお願いするつもりで来ましたから」
「ったく、迷惑な話じゃ」
「こう言ってはなんですが、一般の方にはかなり荒唐無稽な話ですしね。この場所を見てもらいながら説明を受けた方がいいかと」
「ならお前がやればいいじゃろ」
「そういうのはほら、佐枝子さんが一番得意じゃないですか」
「ま……まあ、そうかもしれんが……ったく、仕方がないのう」

 と言いつつ、佐枝子さんも満更でもない様子。
 そもそもがこの見た目だ。ナチュラルに目下(めした)に見られることが多いせいか、誰かに説明をしたり知識を披露したりということは、基本、好きなのだ。

「因みに……今日、初跳躍(リープ)を試みるのは、どっちじゃ?」

 もちろん、花音か手嶋さんのどちらが、という問いだ。
 はいはぁ――い!と、花音がすかさず真上に腕を伸ばす。

「もちろん、あた……」
「手嶋さんです」

 花音にみなまで言わせず、すぐに私が答える。
 花音は勝手に付いてきただけだけど、手嶋さんは環さんのご指名で、しかも着替えまで用意させられてるからね。環さんじゃなくてもそれくらいは分かるわ。
 もっとも、まだ手嶋さんに最終的な意思確認をしたわけではないけど……。

「はあ? なに勝手なこと言ってるのよ咲々芽(ささめ)。今日の流れからすれば、どう見たってあたしでしょ」
「どう見たらそうなるのよ。危うく花音(あんた)、高速降りたところでお別れするところだったじゃない」
「それは咲々芽が勝手にそう思ってただけじゃん! 私には調理係があるんだよ!」
「ただの思いつきじゃん、あんたの!」

 チッ、と佐枝子さんの舌打ちが聞こえ、慌てて口を閉じる私と花音。
 のじゃロリとはいえ、中身は秘密研究室の主任を任される程の天才科学者だ。舌打ち一つにもそれなりの迫力はある。

「ったくお前らは、ピーチクパーチクいちいち(かしま)しいのう」
「あのぉ……先ほどからリープ、リープって単語がよく出てくるんですけど……それがミラージュワールドに潜入するという意味なんですか?」

 手嶋さんが問いかける。
 もしかすると、手嶋さんには薄っすら想像がついているのかもしれない。
 うむ……と頷いて佐枝子さんが説明を続ける。

「一言で言えば、ミラージュワールドに潜入する方法はずばり、精神跳躍(マインドリープ)じゃ」
「まいんどりーぷ……」
「日本語で言えば〝精神跳躍〟じゃな。意識だけを切り離してミラージュワールドに放り込むのじゃ」
「そんなことが……現実に!?」

 マインドリープ……その言葉自体はフィクションの世界ならとくに目新しくはないし、サブカル女子の手嶋さんならイメージくらいは湧くのだろう。

「R棟を中心としたこの研究施設自体が、それを実現するための研究を行っているといっても過言ではないのじゃ」
「そんな、SFの世界のような話が現実に……」
「もちろん、まだまだ科学の力だけでは無理じゃながな。それを、この飛鳥井の者たちの異能の力を借りながら、実用化に向けて研究を続けているというわけじゃ」

 佐枝子さんが、すぐ傍の私と環さん、そして少し離れて立っていた(あまね)くんを順に見やる。続けて――、

「ついてこい」

 そう言って踵を返すと、小さな肩を大きく左右に振りながら、奥の壁へ向かってヒョコヒョコと歩いてゆく。厚底パンプスのソールが高すぎて歩きづらそうだ。

「あれじゃ」

 壁際までたどり着くと、はめ込まれたモニタリング用のガラスから隣室を眺めながら、私たちにも見るよう(あご)で促す。
 もちろん、私は何度も見ているけど――、

「あ……あれは……!?」

 初めて目にする花音と手嶋さんが、異口同音に呟いた。