午前十時――。
遅めの朝食……いや、もう早めの昼食といった方がいいかな。
そんなことを考えながら、ダイニングでフレンチトーストを口に運んでいると、不意に室内に響くインターホンの呼び鈴。
環さんが来るにはまだ早いし、何かのセールス?
特に気に留めることもなくテレビのリモコンを探していると、インターホンのモニターに向かって「あら、こんにちは」と話しかける母の声。
誰だろう? 直後――
「花音ちゃんが来てるけど……約束してるの?」と、私の方を振り向いた母に訊ねられた。
はあ? 花音が?
フレンチトーストを頬張りながら慌てて立ち上がり、受話器を受け取る。
「花音!? なにしに来たの!?」
『なにしにって……今日、ユッキーんちに行くんでしょ?』
「そうだけど、事務所の仕事で行くんだし、花音には関係ないじゃない」
『昨日、ちゃんとユッキーの家は教えてもらったから! あたしが案内するよ!』
「こっちだって教えてもらったわよ。大丈夫だから、帰れ」
『まったまたー、ツンデレめぇ! いいから早く開けてよ』
ハア……と、心の中でため息を吐きながら振り向くと、母が、「とりあえず入ってもらったら?」と小首を傾げる。
ここで、帰れといって帰るようなやつなら苦労はしないよね……。
仕方なくエントランスドアのロックを解除して、残りのフレンチトーストを口の中に放りこんだ。
ほぼ同時に、メッセンジャーで環さんにメッセージを送る。
……が、いつも通り、すぐに既読にはならない。
さてと……困ったことになったな。
◇
「こんにちわ~!」
私が玄関のドアレバーをそっと回すやいなや、外側からグイッと引っ張られ、大きく開いた隙間から花音が顔を覗かせる。
「あんたね……ドアを開けたのが私じゃなかったらどうするつもりだったのよ」
「咲々芽以外の人に開けてもらった記憶ないもん」
花音が、さっさと焦げ茶色のローファーを脱いで框のスリッパに履き替える。
まあ、花音が来るときは必ず私もいるんだから、そりゃそうだけどね。
「湊斗なら、サッカークラブの練習に行ってるわよ」
キョロキョロしながら廊下を進む花音の後ろから声をかける。
「なぁ~んだぁ……。久しぶりに頬ずりしたかったのにぃ」
「やめてよ。もう湊斗だって小二なんだから、いい加減ウザがられるよ」
「え―……。頬ずりがダメとなると、あとはハグくらいしかないじゃん!」
何もしない、って選択肢はないのか。
「それより、花音……なんで今日、制服なの?」
「あー……、私服はまだ早いかな、って」
「なにが??」
花音が呆れたように私を振り返る。
「制服姿しか見せたことのない女子が私服になるって、男子に自分を印象付ける最重要ギャップ萌えイベントだよ! なんて言うんだっけ……ボディビルバスタイム?みたいな……」
「ポジティブサプライズね」
「それそれ! そのポジなんとかを演出するためにも、もう少し制服姿を印象づけておかないと、効果が薄いでしょ?」
誰に対して?……というのはもう愚問だろう。
ここまで打算的だと、逆に純粋に見えてくるから不思議だ。
「ところで咲々芽……なんであんた、まだパジャマなのよ?」
「昨夜、ちょっといろいろあって遅かったのよ……」
帰宅したのは夜の九時過ぎだったが、そのあと入浴や食事を済ませ、母に事件の事を報告しているうちに、気がつけば夜中の十二時近くに。
環さんの手伝いで土日が潰れるかも知れないので、そのあと、宿題などを済ませていたら、結局寝るのは一時を過ぎてしまった。
「はあ? あんたまさか、あのあと……イケメン従兄弟たちとラブラブイベントでも起こしたんじゃないでしょうね!?」
「まあ……ラブと言えばラブかも……」
「なにぃ――っ!?」
ラブはラブでも、ラブローションだけどね。
「あらあら、花音ちゃん、いらっしゃい」
開いたリビングのドアから、顔を出した母がにこやかに微笑む。
「叔母さんこんにちは! ご無沙汰してます~」と、花音の受け答えも如才ない。
「中学校の卒業式の日以来かしら? なんだか、大人っぽくなったわねぇ」
「そりゃあ、もう女子高生ですから!」
「うちの咲々芽だってジェーケーのはずなんだけど……」
「毎日見てるから気付かないんですよ。咲々芽だってだいぶ大人っぽくなりましたし……あともうちょっとで、ちゃんとしたジェーケーになりますよ」
逆に、なにがちょっと足りないのよ!
……と、問い質そうと思ったけど、私の胸に向けられた花音の視線に気づいて言葉を飲み込む。
ああそうですか。そこですか。
「そんなことより咲々芽! なんなのよ、昨日のラブラブイベントって!?」
「花音が想像してるようなことじゃないよ。とりあえず、中に入って座ったら?」
二人でリビングのソファに腰を下ろすと、昨夜の出来事を話して聞かせる。
当然、周くんのことにも触れざるを得ない。
「そんなことがあったんだ……」
とんちきなフラグを立てた張本人も、さすがに驚いた様子だ。
「じゃあ、あのローション魔も、やっと捕まったってことか……」
「あの?」
「咲々芽、知らなかった? I市の方だけど、ちょっと前から何人か被害に遭ってて話題になってたじゃん」
「そう? そんなニュース、見た記憶ないけど」
「全国ニュースでは流れてないかも。あたしも、ケーブルテレビとかで見たのかな? 確か、同じ学校の女子中学生ばっかり被害に遭ってたとか」
「中学生? 私、高校生なんですけど」
「高校生でも、スポーツブラは中学生扱いでしょ――」
パ――ンッ! と乾いた音を立てて花音の髪の毛が乱れる。
気がつけば、脊髄反射でテーブルの上に身を乗り出した私の右手が、花音の頭頂部を引っぱたいていた。
「いった~い!」と、両手で頭を押さえる花音。
「普通のブラよ! っていうか、中学生だってスポーツブラなんて着けないわよ!」
「中一の時はスポーツブラだったじゃない、咲々芽」
「やかましい!」
今朝も、みんなびっくりしてたわよ……と言いながら、クッキーと三人分の紅茶をトレイに載せて、母がリビングに入ってきた。
「今朝? みんな?」
今朝も、みんなびっくりしてたわよ……と言いながら、クッキーと三人分の紅茶をトレイに載せて、母がリビングに入ってきた。
「今朝? みんな?」
「咲々芽の制服、そこのクリーニング屋さんに出してきたときにね……」
私も何度か訪れたことはある。
あそこの奥さん、話好きだもんなぁ。
「話したの? 昨日のこと」
「だって、あの汚れだし、訊かれちゃうでしょう」
「まあ、それはそうだろうけど……」
「『男に、頭からラブローションかけられて帰ってきた』って言ったら、クリーニング屋の奥さん、かなりびっくりしてたわよ」
「そりゃねっ!! っていうかそれ、変な方向でびっくりされてない? 大丈夫!?」
みんなって、もしかして、他のお客さんまで?
「ラブローションじゃなくて、普通のローションでいいよね」と、花音も真剣な顔で頷く。
問題はそこじゃないが、確かに、ラブローションはさすがにマズい気もする。
飛鳥井の家に生まれながら異能の力が発現しなかった母は、早くから本家の生業とは切り離され、のんびりと育てられたらしい。
ただでさえ安穏とした田舎で、幼少期と思春期の多くを祖母――私から見れば曾祖母と一緒に、スローライフを満喫していたという母。
まあ、普通の人とリズムが違うというか、不具合が多いというか……。
天然っぽくなるのは無理もない。
ちなみに、異能の力が発現する原因は遺伝だけではなく、飛鳥井家のある土地の地主神〝龍神〟と、飛鳥井家の屋敷神が関係していると伝えられている。
なので、飛鳥井家から出た者――例えば私の母のように、他所へ嫁いだ者の子に異能の力が発現することは通常あり得ない。
私に妙な異能が発現したのは、出産時期にちょうど父の単身赴任が決まったため、里帰り出産をしたせいらしい。
だとしても、かなりレアなケースではあるようだけど。
「とりあえず、準備してきたら? 環さん、何時にくるの?」
クッキーを口に運びながら、花音が壁時計を確認する。
「十二時に迎えにくる約束だから、まだ余裕はあるけど……」
再び、スマートフォンでメッセンジャーを開いてみる。
先ほど送ったメッセージは……まだ既読になっていない。
もっとも、環さんは電話にすらすぐにでないことが多く、SNSのメッセージにいたっては二十四時間以内に既読になることの方が稀だ。
以前、夕飯の買い物の前に、何か食べたいものがあるかメッセンジャーで問い合わせたときも返信がなかったことを、ふと思い出す。
結局、献立は適当に考えて、そのことは私もすっかり忘れてしまっていたんだけど……。
それから三日くらい経ってようやく届いた返信が、一言『エビ』。
なんのことか分からず、一日考えた挙句『エビ?』って聞き返したけど……それ以来、急ぎの用件で環さんとメッセンジャーは使っていない。
これはやっぱり、今日も未読のまま来ちゃうパターンだろうなあ……。
「そういえば花音ちゃん、環くんのこと知ってるの?」と、母が訊ねる。
「はい! 昨日、紹介してもらって」
ニコニコ笑顔で答える花音。
途端に、環さんと周くんの、日本人離れしたルックスについて会話に花が咲き始める。
こうなると、可愛い湊斗のことも話題に上り、最後に『なんで咲々芽だけそんなのっぺり顔なんだろ』という話になるのがパターンだ。
ヤレヤレだよ。
のっぺり顔のお父さんを見れば、だいたい理由はわかるでしょ……。
「準備してくるよ」と二人に言い残して、そそくさと席を立った。
自分の部屋に戻ると、パジャマ代わりのスウェットから黒いショートパンツに履き替え、Tシャツの上から灰色のパーカーをダボッと重ねる。
大きめのパーカーが流行っているから……というわけではなく、周くんのお下がりをもらったらこのサイズだった、というだけだ。
彼が小学生の頃に着ていたものらしいが、それでも袖はかなり余っている。
セミショートのボブヘアを前髪ごとハーフアップにして、軽くヘアピンで止める。
化粧もしないし、準備といってもこれで終わりだ。
最後に、替えの下着をウエストポーチに入れてリビングへ。
そのままソファーに腰を下ろして、クッキーをつまみ始めた私を、目を丸くして眺める花音。
「うそ……だよね?」
「何が?」
「咲々芽、その格好でいくつもり!?」
「う、うん……。おかしい?」
「おかしいでしょ! 早朝のゴミ出しじゃあるまいし、休日の女子高生がお出かけするスタイルかそれ!?」
「花音だって、制服じゃん」
「女子高生にとって制服は、ある意味、私服以上の戦闘服でしょ!」
叔母さん、これどう思います? と、私を指差しながら母に訊ねる花音。
「環さんの手伝いをする時は、だいたいいつもこんな感じよ、佐々芽は」
「そうなんですか!? ちょっと咲々芽! いくら男性陣が従兄弟だからって……さすがにそれはポンコツ過ぎよ!」
「男性陣って……合コンじゃないんだから……」
「とにかく諦めるのは早いって! 雪実だって言ってたじゃん。四頭身なら結婚できるって……」
「いくら咲々芽でも、五頭身はあると思うわよ?」と、心配そうに私を見る母。
私はどこぞのゆるキャラか!
普通に七頭身はあるわよ!
「四親等ね……。っていうか、そんな理由じゃないから」
おめかししたところで、手嶋さんの家でなにかが見つかれば、おそらくその足であそこに行くことになる。
あそこに入るなら、オシャレなんてしてもどうせ無駄骨になるんだよね……。
不意に、インターホンの呼び鈴が室内に響く。
エントランスからではなく、直接玄関脇のボタンを押された音だ。
午前十一時。
環さんなら暗証番号は知っているけど、まだ時間が早いし、そもそも、迎えに来たって普段はエントランスまで。
誰だろう?と思っていると、モニターに向かって「そんなの、いつでも良かったのに」と話す母の声が聞こえてきた。
すぐにこちらを振り向いて――、
「あまねくんが小鍋を返しにきたわよ? あがってもらう?」
直後、ブフッ! と音がしたかと思うと、花音の口から飛び散ったクッキーの粉が私の全身に降りかかった。
直後、ブフッ! と音がしたかと思うと、花音の口から飛び散ったクッキーの粉が私の全身に降りかかった。
「汚っ! ちょっと花音、なにやってんのよ!」
「まあいいじゃん……ついでに、もっとお洒落服に着替えなよ」
「〝ついで〟の元を作ったの、あんたじゃん……」
「そんなことより、咲々芽!」
口の周りに付いた粉を手で拭いながら目を見開く花音。
「なんであまねくんがここに来るの? 家、近いの!?」
「ま、まあ、そんなに遠くはないかな……」
むしろめちゃくちゃ近い。
「なんで教えてくれなかったのよ!」
「なんで教えなきゃなんないのよ」
「あたし、ターゲットはあまねくんにしよっかな、って、昨日言ったよね? 咲々芽も聞いてたでしょ!?」
「まあ、聞いてたといえば聞いてたけど……」
「じゃあ教えてよ」
「〝じゃあ〟の意味が分からない」
あれ? 来客ですか? と、玄関から周くんの声が聞こえてきた。
花音の靴に気づいたのだろう。
「ええ、咲々芽のお友だち。あまねくんのことも知ってたわよ。今日、環くんたちと一緒に出掛けるんでしょう?」
「はい。でも、彼女が迎えにくるなんて聞いてなかったけど……」
そう言いながら、ドア枠を避けるように、少しだけ首を傾げてリビングへと入ってくる周くん。直後、花音と目が合い――、
「こっちかよ!」と、あからさまに眉間に皺をよせる。
「こっち、ってどっちよ!?」と、軽く頬を膨らませながらも、嬉しそうな花音。
踵を返した周くんにぶつかりそうになって「ひゃう!」と、母が悲鳴を漏らす。
「ど、どうしたの!?」
「い、いや、来てるのがこっちだとは思わなくて……」
どうやら、靴の持ち主が手嶋さんの方だと思っていたらしい。
「とにかく、座りなさいよ、あまねくん♡」
二人掛け用ソファーの中央に座っていた花音が、奥へずれて隣の座面をポンポンと叩く。
それを見て「ハァ……」と短くため息を吐いたあと、こちらへ向き直ると私の隣の一人掛けソファーに腰を下ろす周くん。
花音の顔を見ながら――、
「どういうことだ咲々芽? なんで、矢野森さん……だっけ? ここにいるの?」
私だって分からないわよ……。
「なんか他人行儀だなぁ。昨日みたいに花音って呼んでいいよ!」
「呼んでねぇ―よ、一度も!」
部活かなにか? と、周くんが、今度は私の方へ顔を向けて訊ねる。
花音の制服姿から、学校の用事だと想像したのだろう。
「いや、そういうわけじゃないけど……制服が戦闘服らしいよ、花音の」
「戦闘服?」
改めて周くんに見つめられて、花音が、少しだけ恥ずかしそうに身をよじる。
男の子の……しかも、年下男子の前で花音がこんなふうにはにかんだりするのは異常事態といっていい。
まさか、周くんのこと、すでに本気モード……!?
「やだなぁ、あまねくん、そんなマジマジとぉ……。ほら、制服ってさ、身が引き締まるっていうか……」
「なんか、引き締める必要あんのか?」
「そういうわけじゃないけどぉ……。それにほら、あたしって、見た目ちょっと大人びてるじゃん? 制服を着ると、ちゃんと制服通りの人間になれるから」
周くんが、驚いたように少しだけ目を大きくする。
「へえ……それ、ナポレオンの言葉だろ? よく知ってるな」
「ナポレオン?……って、ワインだっけ? 制服となにか関係があるの?」
花音が小首を傾げる。どうやらナポレオン・ボナパルトをご存じないらしい。
まあ、コロンブスも知らないくらいだし、不思議でもないけどね……。
ちなみに、お酒の方のナポレオンだって、ワインじゃなくてブランデーの等級だし、なんだかいろいろと間違えてる。
周くんが、横目で一瞬私を見たあと、再び花音に向き直って小さく息を吐く。
「まさかとは思うけど……今日、一緒に行くつもりじゃないよな?」
「ええ!? まさか、あたしを仲間外れにしようとしてたの、みんな?」
「仲間外れもなにも……もともと仲間じゃねぇし」
「うわ! ひっど!! 雪実と咲々芽なんて知り合ったばっかりだし、二人だけじゃ彼女も緊張するでしょ!」
「花音だって昨日初めて話しただけじゃん」
私の言葉に、一瞬、イラッとしたように眉を寄せる花音。
「とにかくぅ、あたしがいたほうが逆に助かるって!」
「逆になってないけどね、全然」
周くんの分の紅茶を持って、母がリビングに入ってくる。
「まあまあ、いいじゃない、花音ちゃんも一緒に行けば。大勢の方が楽しいわよ」
「ほらほら! お母様だってそうおっしゃってますし!」
さっきまで叔母さんだったのが、いつの間にかお母様になってる。
「あのね……今日は遊びじゃないんだからね? 一応仕事なんだし、楽しい必要はないんだよ」
「もう、うるさいな~、咲々芽は仕事仕事って……。せっかくみんな集まるんだし、今日はもう、仕事の話はしなくていいでしょ?」
「その話をするために集まるんだよ!!」
そもそも、手嶋さんの話を持ち込んだのは花音でしょ!
三十分後、再びインターホンの音が室内に響く。
十一時五十分……今度こそ環さんだろう。
「環くんも寄っていく?」と、インターホンに向かって訊ねる母に、「時間もないしすぐ出るよ」と声をかけて玄関へ向かう。
周くんと花音も、私に続いてリビングをあとにする。
やれやれ……という周くんの溜息と、小躍りするような花音の対照的な空気が背中越しに伝わってくる。
仕方がない……とりあえず、手嶋さんの家だけは一緒に連れて行くか。
「今度は、環くんも一緒に、ゆっくり遊びにきてね」
少し残念そうな表情で見送る母の言葉に、はい、と軽く会釈をする周くん。
「いってきまぁ~す」
ドアを閉めるとすぐ、周くんが先に立って歩き始める。
「パソコン取ってくるわ……。すぐ戻る」
「うん。じゃあ、エレベーター呼んでおくね」
私の言葉に軽く手を振り、小走りで四軒先のドアの中へ消えた周くんを、ポカンとした顔で見送る花音。
「ねえ、咲々芽……あまねくんがあんなところへ……」
「ああ、うん……。あまねくんち、あそこだから……」
まあ、こうなったら、どうせあとから家の場所も訊かれただろうし、遅かれ早かれバレるよね……。
「ええええ――――――――っ!!」と絶叫する花音。土曜のマンションのフロア中に響くような大声だ。
「う、うっさいバカ!」
「こんなの、ほとんど同棲じゃんっ!!」
三~四軒、キッチン窓が開き、隙間から住人が様子を伺うように顔を覘かせる。
「人聞き悪いこと言うな!!」
ご近所さんに軽く頭を下げながら、慌てて花音をエレベーター前まで引き摺っていった。
「しかし、ほんとびっくりしたなぁ、もう……」
「花音それ、何回言うのよ」
「だって! あまねくんち、近所だとは聞いたけど……まさか同じフロアの隣りだなんて!」
「隣りじゃない。四軒隣り」
「同じだよ! 一戸建てなら隣りの距離だよ!」
環さんが乗ってきた古いミニバンの二列目――私の斜め後ろで、さっきから同じことを繰り返している花音。
「それにしてもほんと……びっくりしたなぁもう」
「もういいっつ―の!」
「それにしてもさ……」
花音が、助手席と運転席の間から身を乗り出すように顔を覘かせる。
「中学の頃からあたし、なんどか咲々芽んちに行ったこともあるのに、あそこにあまねくんが住んでるなんて、全然教えてくれなかったよね!?」
「あー……訊かれなかったしね」
「訊けるか! 存在も知らないのに」
「あまねくんのお父さんに頼まれてたのよ。ビッチは近づけるな、って」
「誰がビッチよ!!」
……っていうか、なにそれ? 真っ赤っか! と、私が膝の上で操作していたポータブルナビの画面を覗きこんで、花音が眉をひそめる。
「下道、渋滞してますね。予定到着時刻、十三時五十分ですよ?」
「そうかぁ。土曜だから空いてるかと思ったんだけど……高速乗ろうか?」
私の言葉に、運転席の環さんもナビの画面を覗き込んでプクッと片頬を膨らませる。
女子かっ!
今日の装いはグレージュのチュニックワンピースに黒のストッキング。可能な限りボディラインを目立たせないのは、女装子ファッションの基本らしい。
もっとも、昨日のようなスマートな服装でもまったく違和感なく着こなしてしまうのが環さんのすごいところだけど……。
「だからもうちょっと早めに待ち合わせを、って言ったのに……。高速なんて、経費大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。昨日、あまねくんがいっぱい稼いでくれたから」
直後、チッと、小さな舌打ちが真後ろから聞こえる。周くんだ。
花音の隣りの席でノートパソコンを広げなら、まだいろいろと調整中らしい。
「高速使うなら……あと二キロで入り口ですよ」
有料道路優先でルート検索をして、ダッシュボードのスタンドにナビを戻す。
すぐに、ナビからも高速道路に関する音声案内が流れる。
「そういえば咲々芽さん、さっき、メッセンジャーで何か送ってきた?」
「気付いてたんですか? なら、すぐに読んでくださいよ」
「う~ん、あれって、開くとそれが送り主にも分かっちゃうんでしょ?」
「〝既読通知〟ってやつですね。分かりますよ」
「それが伝わっちゃうと、すぐに返信しなきゃならない気がして、焦らない?」
「いつも読まないの、そんな理由だったんですか? 別に、雑談するために環さんにメッセージなんて送りませんから、読むだけ読んでくださいよ!」
環さん、意外と気遣い屋さん!?
「で、用件はなんだったの?」
「いいですよ……もう……」
ほんとは、花音にいろいろ気付かれる前に待ち合わせ場所を外に変えたかったんだけど……。周くんがうちに来ちゃった時点で手遅れだ。
「ああ! あたし、既読にならないようにするアプリ、知ってますよ!」
花音が、座席の間から授業中の小学生のようにまっすぐ挙手をする。
「ほんと? それ、私のにも入れられる?」
「大丈夫だと思いますよー。スマホ貸して下さい」
環さんからスマートフォンを受け取ると、自分のスマホも取り出してなにやら操作を始める花音。
あれ? アプリのインストールで、自分のスマホは必要なくない?
と思った矢先、ピロリン、と聞いたことのある効果音が流れる。
「花音……今の音、赤外線通信の音じゃない!?」
「うんうん。ロックかかってなかったから、ついでに番号の交換をね~」
「ついでに、って……勝手にそんなことする人、初めて見たよ!」
「そうかなぁ? えへへへ~」
「褒めてない!」
「ウフッ。これこそ、フレンドリーに友人の輪を広げていくフレンドプロジェクト、名付けて親友ダボハゼ作戦なのだよ、咲々芽くん」
「やけに、友が多いわね……」
っていうか、ダボハゼ言われてますよ環さん。いいんですか?
チラリと運転席に目をやるが、とくに気にしてはいないようだ。
はい、できましたよー、と、花音が環さんにスマホを渡したところで、車も高速入口の側道へ逸れていく。
「ありがとう、矢野森さん」
笑顔でスマホを受け取ったあと、高速に乗るからシートベルトしておいて、という環さんの指示に、花音も「は~い」と元気に答える。
「ほんとは一般道だって、後部座席もベルトしなきゃないんだよ、花音」
「胸が締め付けられて苦しいんだよねー。スポーツブラの咲々芽と違って……」
スポーツブラ? と、環さんが助手席の私を流し見る。
「ちっ……ちがいますよ! 普通のブラですよ! スポーツじゃない、普通の!!」
振り返ってキッと花音を睨みつけると、すでにそ知らぬ顔でベルトを締め終わった彼女がニコッと微笑みかけてきた。
くっそ……、覚えてろよ、花音のやつ……。
◇
高速から降りてさらに走ること十五分。ようやく『目的地周辺です』というナビの音声案内が車中に響く。
近くのコインパーキングに車を停め、四人で車外へ。
午後一時十五分。約束の時間より少し遅れたが、先ほど手嶋さんへは連絡を入れておいたので大丈夫だろう。
チュニックワンピースのスーパーモデルに、百八十センチ級のイケメン男子と制服姿の女子高生。
そして……花音曰く、早朝のゴミ出しファッションの私。
傍から見たら奇妙な取り合わせなのか、道行く子連れの主婦が二、三度私たちの方を振り返りながら通り過ぎていく。
「それにしても雪実、なんでN市なんかからうちの学校通ってるんだろ。別に、わざわざ通うほどの学校でもなくない?」
確かに――。
電車なら三十分、徒歩や待ち時間も合わせれば、通学時間は有に一時間を超えるだろう。
偏差値、五十そこそこの公立高校。全県一学区制導入前の、昔ながらの校区の生徒しか通わないような、言ってみればどこにでもある地元校だ。
こんな、見るからに高級住宅街に住む女子高生が、一時間以上かけて通う学校としてはあまりにもありふれすぎている。
聞いていた住所を頼りに五十メートルほど歩くと〝手嶋〟と表札の掲げられた、周囲の家よりもさらに一際……どころか、二際も三際も立派な豪邸の前に辿り着く。
ローマ字で書かれている家族四人の名前の中には〝YUKIMI〟の文字も。間違いない、ここが手嶋さんの家だ。
環さんが、アルミ製の門扉に付いているブザーを押すと、程なくして『はい』という女性の声がスピーカーから流れてきた。
――手嶋雪実さんの声。
「飛鳥井環です。すいません、少し遅くなってしまって」
『いえ、大丈夫です。どうぞ、お入り下さい』
「飛鳥井環です。すいません、少し遅くなってしまって」
『いえ、大丈夫です。どうぞ、お入り下さい』
手嶋さんが答えるのとほぼ同時に、門扉からカチャン、と解錠の音が聞こえた。
門をくぐると、すぐ左にはガレージの入口があり、敷き詰められた石畳から靴底を通して凸間凹間の感覚が伝ってくる。
石畳部分を抜けると青々とした芝生が広がり、ガレージの裏を回るように飛び石状の玄関アプローチが十メートルほど続いていた。
先頭に立ち、きょろきょろと首を回しながらアプローチを渡っていく花音。
「うっはー……、このガレージ、車何台くらい並ぶんだろ」
奥行き約五メートル、幅はアプローチが切れるさらにその奥まで続いている。
おそらく、普通車なら七~八台は並んで停められる広さだろう。
「ガレージだけでうちのマンションより広いかも……」
ポーチに辿り着いた花音が、母屋に隣接して建てられているガレージを覗き込みながら嘆息する。
続いて私、さらにすぐあとに、片手にノートパソコンを持った周くんも、色鮮やかな乱形石のポーチに足を載せる。
振り向くと、環さんがアプローチの中ほどで立ち止まり、額に手をかざして上を見上げている様子が目に止まる。
視線の先は……母屋の二階部分?
「どうしたんですかー?」と声をかけると、
「ああ……うん、いや、なんでもない」と言って、再びこちらへ向かって歩き出す。
午後の陽射しの下で、一瞬、口元の影がわずかに吊り上がるのが見えた。
あれは……なんでもない顔じゃないよね、絶対。
四人がポーチに揃ったところで、改めてチャイムを押そうとしたその時、両開きの玄関ドアがガチャリと開き、中から手嶋さんが顔を覘かせる。
白いTシャツにチェックの長袖シャツを重ねただけの地味な普段着。
「すごいね、ユッキーの家!」という花音の言葉に少しだけ微笑んで、
「お疲れさま。……どうぞ、中へ」といって大きく玄関ドアを開く。
手嶋さんに促されるまま、たっぷり三~四畳はありそうな玄関ホールへと足を踏み入れると、さらに玄関の奥で二人の女性が出迎えてくれていた。
いらっしゃいませ、と深々とお辞儀をしたエプロン姿の女性は……おそらく家政婦さんだろう。
その隣、家政婦さんに続いて「こんにちは」と軽く会釈をした、薄茶色のショートボブの女性は――
「こちらが、私の母です」
手嶋さんの紹介にあわせて、彼女がもう一度会釈をする。
「雪実の母の……手嶋洵子と申します。この度はわざわざご足労いただきまして、ありがとうございます」
エリートOLか、もしくはキャリアウーマンかのようなきちんとした挨拶だ。もちろん、高校生の私のイメージ上の話だけど。
アイライン、シャドー、チークに口紅……。
決して厚化粧ではないけど、しかし、隙のない入念なメイク。
息子が行方不明ということでもう少し憔悴した様子を想像していたんだけど……もしかするとそれを隠すためのフルメイクなのかもしれない。
「飛鳥井、環さん……。あの……所長さんですか?」
環さんから手渡された水色の名刺に視線を落としながら、洵子さんが意外そうに呟く。
「ええ……聞いていませんでしたか?」
「あ、いえ、雪実さんからは、所長様は男性の方だとお聞きしていたので」
自分の娘に〝さん〟付け?
テレビドラマなんかではたまにみたこともあったけど……お金持ちの家って、ほんとにそんな風に呼んでいるんだ!
「ああ、私、こう見えて男性ですので、間違ってはいませんよ」
環さんの言葉に「ええっ!?」と目を見開くも、すぐに気を取り直して、小心翼翼といった様子で頭を下げる洵子さん。
「あ、あの……ごめんなさい、知らなかったもので……大変失礼いたしました」
「いえいえ、この出で立ちですからね。これで、男性だと思えなんて、そんな鬼みたいなこと私だって言いませんよ」
環さんなりの冗談なのだろう。そういって微笑みかける環さんだったが、それでも洵子さんは恐縮したようにもう一度頭を下げた。
かなりの身長差のせいで、框に立った彼女と環さんの視線はほぼ同じ高さ。
環さんに見据えられながら微笑まれては、男女問わずああなるのも無理はない。
歳は……私の母よりもさらに若い?
二十代と言われても違和感はないけど、私たちの年齢を考えればさすがにそれはないだろう。多分、どんなに若くても三十代前半といったところか。
顔立ちも、綺麗だ。
メイクで作られた美貌ではない。地肌の瑞々しさを誇るような薄塗りのファンデーションから、上品な美しさが滲み出ている。
この母親からよく、手嶋さんのような地味な娘が生まれたよなあ……と、一瞬、失礼なことを考えながらチラリと彼女の横顔を覗き見る。
緊張しているのか、やや俯き加減で、少し頬も強張っているのが分かる。
環さんたちにも昨日でだいぶ慣れた気がしたんだけど、一日経ってまたリセットされちゃったのかな。
「とりあえず、お上がり下さい」
洵子さんが一歩退がり、手の平で床を指し示す。
框には四つのスリッパが――うち三つは、こちら向きに綺麗に並べられている。
反対向きの一つは、手嶋さんが履いてきたものだろう。
お手伝いさんが「すいません、お越しになるのは三人だとお聞きしていたので……」といいながら、慌ててもう一つスリッパを用意する。
「雪実……、だめだよ、咲々芽のこと忘れちゃあ……」
「花音だよ! 招かれざる客は!」
そんな私のツッコミに、特に気を留める様子もなく、花音が手嶋さんの肩に手を回しながら、もう一方の手で彼女の脇腹をグリグリと小突く。
それ、何ノリ? マブダチ!?
手嶋さんもすっかり、ダボハゼの一匹にされたらしい。
「ごめんなさい……」
どう考えてもおかしいのは花音なのに、そこで謝っちゃうのが手嶋さんなのだろう。
「それじゃあ、悦子さん……応接間に、お茶とお菓子を用意して」
「承知しました」
一礼して、家政婦さんが廊下の奥へと消える。
そんな彼女の後ろ姿を睨みながら「まさか!」といって目を見開く花音。
「ユッキー、ユッキー! もしかしてお手伝いさんの苗字って――」
「え? 佐藤さん、ですけど……」
「なぁ―んだ。惜しいっ!」
惜しい? 何が?
「もしかしたら市原かな、って思ってさ。そしたら事件なんてすぐに解決しそうだったのに」
と、花音が悔しそうに顔を顰めた。
「では、こちらへどうぞ……」
そう言って先に歩き出した洵子さんの背中を、すぐに環さんの声が追いかける。
「その前に、差し支えなければ息子さん……琢磨くんのお部屋を拝見してもよろしいですか?」
「え? あの……それは、えっと……」
洵子さんが私たちの方を振り返り、少し戸惑ったように視線を泳がせる。
まあ、それはそうよね。
訪問した用件は概ね承知しているとはいっても、彼女から見れば私たちはまだ、どんな人物かも分からない、得体の知れない来訪者なわけで――。
いきなり子供の部屋を見たいと言われても抵抗感はあるでしょうね。
しかし、現場を見てみないことには私たちが手伝えるケースかどうかも分からないし、それを確認する前に交わす会話など、社交辞令以外にはない。
大人中心のビジネスシーンではそれも重要かもしれないけど、私たちはまだ、そんな小間怠い手順を踏めるほど歳を取ってはいない。
「もしご心配なようであれば、お母様もお立会いいただいて……」
洵子さんの戸惑いを感じてそう提案した環さんに、しかし、わずかに手嶋さんと目を合わせると、彼女もすぐに首を振る。
「いえ、大丈夫です。屋内の案内は雪実さんにお任せすることにしておりますから、どうぞご覧になってください」
終ったら皆さんを応接間へ……と、小声で手嶋さんに伝え、洵子さんもすぐ横の扉の中へと姿を消した。
「こんな怪しげな四人をすぐに自由にさせてくれるなんて……神経質そうに見えたけど、意外と大らかなお母さんじゃない」
そう言いながら花音が、別の扉を勝手に開けて室内を物色し始める。
自覚があるならまず、その怪しげな行動を慎め!
「普通はお母さんも一緒に来るよね~」という花音の言葉に、先に勾配の緩やかな階段を上り初めていた手嶋さんが、つと足を止める。
「私は……母にあまり好かれてないんです」
「んん?」
何の話だろう?
真偽はさておき、話題としては少し唐突だ。
「ああ、いえ、その……家でもあまり顔を合わせないですし……」
「ま―、これだけ広けりゃ、なかなか出会えないこともあるでしょうよ」
部屋の物色から戻ってきた花音が、さもありなんといった表情でコクコクと頷く。
「何LDKなの? ユッキーの家」
「十……三……LDK、だったかな?」
「じゅ、十三!? もうちょっとで一ダースになるよ!」
花音の一ダースはいくつだよ!?
「そういうんじゃなくて……たぶん、避けられてるんです、母に」
前を向いたまま話す手嶋さんの表情がなんとなく想像できるような、少し寂しそうな背中。
なに深刻になってんのよ―、と、花音がポンポンと手嶋さんの肩を叩く。
「きっとほら、弟さんの行方が分からなくなって、ナイーブになってんのよ、ユッキーも……」
「ほんと、そういうんじゃなくて……母は……」
そう言いかけた手嶋さんの肩に、今度は環さんが、階段を上りながら手を置く。
「無理に話すことはないと思うよ、雪実さんも」
自分を追い抜いて先に二階へ上っていく彼を目で追いながら、中指で眼鏡を上げ直した手嶋さんが、意を決したようにもう一度口を開いた。
「母は……洵子さんは、私の本当の母親ではありません」
「えっ……」と驚いたのは、花音だけでなく私も一緒だ。
「本当の母は、私が小学校三年の時に離婚して家を出ていきました。洵子さんはその後……私が五年生の時に、父と再婚した継母です」
それだけ一気に言い終わると、手嶋さんが再び階段を上り始める。
少し驚いたように振り向いていた環さんに追いつくと、「どうして分かったんですか?」と、不思議そうに質問した。
「う―ん……確信があった、というわけではないよ。ただ、なんとなくそんな気がしたという程度で……。有体に言うなら〝勘〟みたいなものかなぁ」
「勘……ですか」
「ただ、それだけでお母さんに疎んじられてると考えるのは、早計だと思うよ」
「はあ……」
分かったような分からないような……煙に巻くような環さんの答えに手嶋さんも小首を傾げるが、しかしそれ以上何かを質問することはなかった。
環さんのああいった人間観察能力は、正直〝勘が鋭い〟なんて言葉で説明できるレベルを凌駕しているのは、付き合いの長い私や周くんなら知っている。
恐らく、人の意志や感情にも反応する〝霊子〟を視認できる――〝観測者〟としての能力が関係しているのは間違いないんだろうけど……。
でも、あまり詳しく訊ねたことはない。
その内容如何によっては環さんと普通に接することができなくなりそうだし、それは分かっているだろう環さんも、詳しく答えてはくれないだろう。
とにかく、これまで問題なく過ごせているのだから、今のままで問題ない。
再び、先頭に立って二階へ上っていく手嶋さんに、私たち四人も続く。
階段を上りきるとすぐ目の前に、一階のリビングを見渡せるバルコニーのようなスペースが広がり、すぐ右に長い廊下が続いていた。
パッと見たところ、廊下の両側には部屋の入口らしき扉が三枚ずつ。
二階は合計六部屋かな?と思ったが、少し廊下を進むと、最奥の一つはトイレの扉であったようだ。
さらにその先にも、入口にカーテンの付いた脱衣所らしきスペースが見える。奥には浴室もあるのだろう。
「ここが、弟の部屋です」
廊下の中ほどで立ち止まった手嶋さんが、〝TAKUMA〟とプレートの付いた扉を手で指し示しながらこちらを振り返る。
私のすぐ後ろで、パカンと、パソコンを開く音が聞こえた。
左腕に載せたノートパソコンの画面を眺めながら、周くんが口を開く。
「手嶋さんと……あと矢野森さんも、一つ約束して」
「うん、約束するぅ―!」と、周くんに歩み寄る花音。
せめて、聞いてからにしろよ約束……。
「先に俺たちが入るから、OKするまでは中に絶対に入ってこないで」
俺たち、というのは周くんと環さん、そして私も含めた三人だ。
普通なら他人の家で気軽に要請するような内容ではないんだろうけど……。
理由は分からなくても、昨日、霊子の説明を受けている花音と手嶋さんは、それが必要なことであると推測はできるのだろう。周くんの言葉に二人が頷く。
「気をつけてね、あまねくぅん……」
そう言って、腰に手を回してくる花音を避けるように、周くんが慌てて体を捻る。
「ばか、止めろ! パソコン持ってるんだから……危ねぇだろ!」
「なんで避けるのよ」
「避けるだろ普通! ……おい咲々芽! なんとかしろ、この女!」
なんだろう、この既視感……。
そっとドアを開くと、締め切られたカーテンのせいで一瞬視界が暗転したが、すぐに目が慣れて室内の様子が確認できた。
八畳ほどの室内は、ほとんど、手嶋さんの弟――琢磨くんが出ていった時のまま保持されているのだろう。
テーブルの上には、無造作に置かれた漫画本や携帯ゲーム機。
ベッドの布団は綺麗に整えられているが、上にはスクールバッグも残されたまま。
床には、カラフルな色のハンドグリップや小型のダンベルが転がっているのが見える。
部屋の隅に立てかけてあるのは……金属バットか。そういえば野球部だって言ってたっけ。
片付いていない物も多少あるけど、年頃の男の子の部屋としては概ね綺麗に使われている方かな?
もっとも、家政婦さんのいるような家だし、放っておいたって私の部屋のような惨状ににはならないか……。
最後に入室した周くんが部屋のドアを閉めるとすぐに、リュックから集音マイクのような道具を取り出してノートパソコンに繋げる。
正式には〝ハープーン〟と呼ばれている機器だけど、当然ながら私には、その仕組みはまったく分からない。
先に入っていた環さんが右の壁際へ移動する。
少しだけ前かがみになり、手の平でさするように壁の一部を撫でること数回。
さらに周囲の壁を一瞥したあと、枝垂れた長い黒髪をかき上げながら周くんの方を振り返る。
「あまねくん、ここの壁の中。アンカー」
「了解」
やっぱり……特異点だったんだ、この部屋!
周くんがゆっくりと壁に近づき、ここでいいな?と、壁の一点をハープーンの先で指し示しながら、環さんに再確認する。
ゆっくりと頷く環さんを見て、周くんがパソコンのキーを押すと〝プッ〟というビープ音がスピーカーから流れた。
「北緯三十五度XXXXX分、東経百四十度XXXXX分、アンカリング完了」
パソコンのモニターに目を凝らしながら周くんが呟く。
「あったんですね……霊粒子」
「そうだね。咲々芽さんのクラスメイトがたまたま特異点に関わっていたというのは、本当にものすごい確率だけど……」
「それにしても、珍しいですよね、こんな場所に」
「壁の中?」
「ああ、いえ、それもそうですけど……二階という点です。琢磨くんがここからミラージュワールドに入ったっていうのは……」
「うん。間違いないだろうね」
「特異点もそうですし、人を飲み込むような霊粒子だって、普通は地表に近い場所にできますよね?」
「まあ、これまでの観測ではそういう結果はでているけど……例外もないわけではないし、霊子に関してはまだ分かっていないことも多いからね」
そう言って微笑を浮かべた環さんが、再び周くんの方へ向き直る。
「ミラージュワールドとの相対距離は、出た?」
「ちょっと待って、もう少しで……ああ、でたでた」
周くんが、ハープーンを取り外してリュックに戻しながら、モニターのバックライトで青白く照らされた顔を上げる。
「一.〇九リップルだ」
「そう、よかった。……あまり離れてはいないね」
リップル……現界を〝一〟とした場合に、ミラージュワールドがどれくらい離れた波線上に形成されているかという数値……らしい。
イメージとしては、水面に投げこんだ石を中心に広がる波紋に近い、と、周くんに以前説明されたことがある。
どれだけ離れた波紋か、というのがミラージュワールドまでの距離で、原則として一以下はなく、その数値の二乗が、そのまま現界との相対時間になる。
つまり――
「相対時間は一.一八八一」と、周くん。
現界で一日が経過すると、え―っと……今回のミラージュワールドでは一日と約四・五時間が経過するということか。
琢磨くんが行方不明になってから約二日半が経っているから、琢磨くんのいる世界では約三日が経過していることになるのね……。
波線の位置によっては、相対時間が数倍に跳ね上がって一刻を争う事態になるが、これくらいのズレであればそこまで慌てる必要もない。
「霊粒子の活性度は、どうですか?」
そうだね……と、環さんが再び壁に手を当てる。
「大丈夫、沈静化に向かってるし副霊子の逆流も見られない。場合によっては凍結処理も、と思ったけど、これなら大丈夫だね」
「じゃあ、二人を呼んでも?」
環さんが頷くのを確認してから、ドアを開ける。
「中に入ってもいいわよ、二人とも」
「あー、やっとかー! 待たされ過ぎて苔がむすかと思ったよぉ」
廊下に座り込んでいた花音が、私の顔を見てスッと立ち上がる。
まだ、五分かそこらでしょ……。
「で、どうなのよ? 隠れ里への入口とやらは、あったの?」
「うん。やっぱり琢磨くん、ミラージュワールドに迷い込んだ可能性が高いわね」
私の答えに、一瞬強張った表情を見せた手嶋さんの横で、よっしゃ!と、握り拳を固めた花音が、私の横をするりと抜けて部屋の中へ――。
「で、ユッキー……あれはどこ?」
「え――っと……ああ、そこに立てかけてあります」
花音のあとを慌てて追いかけて、手嶋さんが部屋の一角を指差す。
「ああ、あったあった!……って、けっこう重いわね、これ」
花音が掴んだのは……金属バット!?
「な、なに、あれ?」と、思わず目の前の手嶋さんの肩を叩く。
「あ、ああ、えっと……矢野森さん、何か武器になるものはないかって言うので、弟の部屋にバットがあるかも……って教えたんですけど……」
一キロはないとしても、七、八百グラム程度はあるだろう。
女子高生の細腕で振り回すにはなかなかの重さだ。
「で? ゲートはどこ!?」と、室内をきょろきょろと見回す花音。
「げ、ゲート!?」
「あるんでしょ? その……隠れ里みたいなとこに入ってく門だか穴だかみたいなものが。でもって、その先には恐竜がいたりして……」
そこでようやく、花音が好きだと言ってた海外ドラマのことを思い出す。
「花音、プラ〇ミーバルの見すぎよ!」
「花音、プラ〇ミーバルの見すぎよ!」
「見てようが見ていまいが、他にどうやって行くのよ、異世界に? いちいちトラックに轢かれるわけでもないんでしょ?」
「と、トラッ……怖いわ!」
いつのまにか、隠れ里から異世界になってるし……。
花音の中で、何かいろいろと混ざってしまってるみたい。
「そもそも恐竜がいたとして、そのバットで何をどうするつもり?」
「咲々芽バカねぇ……素手で恐竜は倒せないでしょ? 常識だよ?」
「……その常識を、もうちょっと他の部分で働かせようよ」
まあまあ、咲々芽さん……と、環さんがにこやかに語りかけてくる。
「普通は、霊子だの隠れ里だのなんて話、眉唾でしか聞いてくれない人も多いのに、自分まで行くつもりで聞いてくれる人なんて稀だよ?」
「そりゃそうでしょうね。……というか、花音にはもともと事務所のことについては多少は話してたんですよ」
あの事務所は、警察が本腰を入れてくれないような不明者捜索を専門に請け負っている……という程度の情報だけど。
それでも、普通の女子高生――いや、当時は中学生だったけれど――が、何の疑問も持たずに『ああそうなんだ!』と受け入れられるような内容じゃないだろう。
ただ、花音に関して言えば、もともと常識という部分に多少の不具合をかかえているうえに、オカルト好き。
探偵社なんていうちょっと浮いた話も、昨日のミラージュワールドなんていう現実離れした話にしても、まるっと受け入れられたのはそのおかげなんだろうな。
「まさか環さん、花音まで連れて行く気じゃ……」
「いや、さすがにそれは無理だけどね」
苦笑する環さんに、今度は花音が詰め寄る。
「え? 今日召集されたメンバー、みんなで行くんじゃないんですか? 異世界……」
異世界でもないし、誰も花音を招集してもいない。
「う―ん……それはちょっと難しいかな。少なくとも、何度か経験を積んでからでないと、実際の事件に関わるミッションには参加させられないけど……」
「わかりました! あたし、がんばります!」
と、金属バットを肩に担ぐ花音。
まてまて……なにをがんばるつもりよ?
「環さんっ!!」
私の険相に、なに? といった表情で、環さんが向き直る。
「そんな……ガチで不思議そうな顔しないでくださいよ! 花音にあんなこと言ったら、本気でつきまとわれますよ?」
「いいんじゃない? やっと四台目のタンクもできたところだし、そろそろバディの増員を検討しても」
「それには反対しませんけど……なんでよりによって花音なんですか!」
花音に向けた私の人差し指を目で追いながら、環さんが首を傾げる。
「ん――……勘かな?」
でたよ……。環さんの気まぐれ発言。
「あまねくんは、潜跡追尾対象が増えても問題はないよね?」
環さんの質問に一瞬だけ上げた視線を、しかし、すぐにパソコンのモニターに戻す周くん。
「トラッキングは問題ないけど、佐枝子さんは何ていうかな。人選は一任されてるといっても、気軽にホイホイ一般人をスカウトしていい、って話ではないだろ」
「なに言ってるのよあまねくん」と、花音が彼の横にひらりとピットイン。
「あたし、言うほど一般人じゃないからね?」
一般人でしょ、コテコテの!
訝しそうに隣を流し見る周くんの視線を気にも留めず、花音が金属バットを抱きかかえるようにしゃがみ込んでアピールポイントを指折り列挙していく。
「えっと、こう見えて結構体力はあるし、思いやりもあるし、よく友達から相談さるし……ああ、そうそう! 五百円玉貯金で一万円貯めたよ!」
「間違いなく一般人だよ! ただの庶民だよ!」
花音から金属バットを取り上げて、もとあった場所に立て直す。
「そもそも、一万円ぽっち、なんの役に立つのよ?」
「バカだなぁ咲々芽は……金額の問題じゃないってば。五百円玉十枚を使わずに貯め続ける、その根性に注目しなさいよ」
「十枚じゃ、五千円じゃん」
「……だ、だからぁ! 金額の問題じゃないって言ってるじゃん!」
「いや、根性の問題にしたって大した枚数じゃないからね? っていうか、それならこの前カラオケで貸した千円、その五百円玉で返してよ」
「もうない。使った」
「ダメじゃん! 根性なし!」
あれ? そもそもなんの話だっけ?
ああ、そうそう、花音がミラージュワールドにいくかどうか、みたいな話か。
「私は、絶対反対ですからっ!」
と環さんに向き直るも、すでに私たちのくだらないやり取りなどそ知らぬ様子で、件の壁の前にしゃがみこみながら考え事をしている。
まだ何か、気になる点でもあるのかな?
「ところで雪実さん……」
おもむろに振り向いた環さんが、今度は手嶋さんに話しかける。
「この壁の向こうは、誰の部屋?」
「あ、えっと……私です」
「ちょっと、そっちも見せてもらっていいかな?」
「え!? 私の部屋をですか? ど、どうしてですか?」
「深い意味はないんだけどね。霊粒子の位置が位置だし、一応、周囲は見ておきたいな、って」
「わ、分かりました……ちょっと、散らかってるんで……片付けてきますから、二、三分待ってもらえますか?」
そう言って、慌てて手嶋さんが部屋から出て行く。
二、三分で片付けられる程度なら、散らかってるうちに入らないよ。
「どうしたんです、環さん? わざわざ手嶋さんの部屋まで……」
「う――ん、別に、はっきりとした理由があるわけじゃないんだけど……咲々芽さんは、気づいた?」
「なにがです?」
「え―っと、それじゃあ彼女、うちの事務所に何を相談しにきた?」
「え? それは……弟の琢磨くんが、行方不明になったって……」
「そう。普通は、人がいなくなれば〝行方不明〟だとか〝失踪〟だとかって表現するよね」
「そうですね」
まあ……言われてみれば、なかなか他の言い方も思い浮かばない。
「でも、雪実さんはずっと、弟が〝消えた〟って言ってたんだよ」
「どうぞ……」
私たち――手嶋さん以外の四人で琢磨くんの部屋から退出すると、ほどなく隣室のドアが開いて手嶋さんが顔を覘かせた。
「少し散らかっていますけど……」
そう言いながら、ゆっくりとドアを押し開く。
「うわ! おっしゃれ――っ!」
真っ先に部屋へ入った花音の声が室内から聞こえてきた。
続いて、私、環さん、周くんも順に中へ。
いかにも女子高生……といった、いわゆるガーリーな内装ではないだろうと予想はしていたけど――。
なるほど、確かにお洒落!
DIY風の調度品が配された洒脱な色調ながら、地味でもない……まるでインテリア雑誌にでも紹介されていそうな洒落た室内だ。
広さは、琢磨くんの部屋と同じ八畳ほど。
中央には、部屋を左右に間仕切りするように大きな白い書棚が置かれ、向かって右側がベッドスペース、左側がスタディルームに区分けされている。
ベッド側に向いた書棚の背面に、ピタリと付くように置かれた机の上には、電気スタンドと木製のレターケース、ノートパソコンなどが見える。
高い天井から室内を照らしている蛍光灯とは別に、ベッドスペースとスタディルームに吊るされた裸電球が、優しく室内を彩っている。
「ユッキーのことだからもっと地味かと思ってたよぉ……」
失礼な感想だけど、花音と同じ先入観を持っていた私も、思いもよらなかったモダンな室内に思わず仕事を忘れてみとれる。
「室内を、拝見しても?」
という環さんの問いに小さく頷きながら「そちらです」と、手嶋さんが右の掌で机の方を指し示す。
琢磨くんの部屋は確かに左側だけど……。
環さんが向かったのは右側のベッドスペース。
「え? あ、あの……」
戸惑ったような手嶋さんの声が環さんの背中を追いかける。
が、そんな彼女の言葉に気を留めることもなく……あるいは、聞こえないふりをして? ベッドを背に立ち止まると、書棚の中を眺める環さん。
腕を組み、背表紙を順に目で追いながら、右手の人差し指で唇を抑える。
昔からよく見せる……思考のピースを弄びながら、頭の中でゆっくりと組み立てているときの、彼の独特のポーズ。
「うわぁ~、本がいっぱい!」
環さんの隣に歩み寄った花音も、書棚を眺めて感嘆の声を上げる。
「これ、何冊くらいあるの?」
「そこには……三百冊くらい、かな?」
「三百!! ユッキーはあれだね……本の虫だね!」
小学生レベルの慣用句を使った程度で、ドヤ顔を見せる花音。
三百冊という数に興味が湧いて、私も環さんの隣で一緒に書棚を眺める。
太宰や芥川といった文豪作品から最近の小説やライトノベル、さらには実用書の類までジャンルはバラバラだ。
「これ全部……手嶋さんが読んだの?」
「え、ええ、一応……。書庫にあった親の本なんかもありますけど」
そう言いながら手嶋さんも、書棚の前にきて私の横に立つ。
しょこ? と、聞き慣れない上流階級の単語に小首を傾げながらも、再び口を開く花音。
「ユッキー、よく本なんか読む時間あるよね」
「テレビも見ないし、ネットもあまりやらないし……」
「あたしなんて毎日、友達とメッセしてるだけで時間なくなるよ。あれほんと、時間ドロボーだわ」
「私は……友達もいないから」
「だからって、代わりに三百冊って……。友達三百人ならすごいけど」
いや、本でもすごいよ。
「あ……雪実さん、ちょっと、そこ、いい?」
環さんが、手嶋さんの影に隠れていた辺りの本を見ようとして声をかける。
「え? ああ、はい……」
おずおずと身体をどかした手嶋さんの横から、一冊の参考書を取り出す環さん。
タイトルは……『小説を書くための基礎メソッド』?
環さんが引き抜いた付近に目をやると、似たような種類の参考書が何冊も並んでいる。
『小説を書く前に読みたい作品10選』
『ライトノベルの書き方講座』
『読者を楽しませるテクニック』
et cetera……。
他にも参考書や実用書の類はあるけど、明らかに執筆指南系のタイトルだけが群を抜いて多い。
「ユッキー、小説なんて書くの?」
花音も、環さんの手に取った本を覗き込みながら訊ねる。
チラッと私の目にも入ってきたページには、ピンクや黄色の蛍光ペンでびっしりと線が引かれていたようにも見えたけど――。
う、ううん! と、手嶋さんが慌てて首を左右に振る。
「それはたまたま、書庫にあった親の本を持ってきただけで……ちょっと面白そうかな、って思って……」
それだけで、こんなに沢山、同じような本を持ってくるかな?
さっきの蛍光ラインだって鮮やかな発色に見えたし、まだ引かれてからそれほど期間は空いていないように見えたけど……。
「でもさっき、全部読んだって言ってなかった?」と、花音にしては鋭い質問。
「う、うん、小説なんかはね。参考書や実用書は別だよ」
「ふぅん……。お父さんかお母さん、昔、小説家でも目指してたの?」
「あ、うん……そうみたい……」
私も、適当な一冊を手に取ってみる。
『ハリウッド脚本術 – 三部構成の基本と応用』――これも間違いなく執筆関係の参考書だよね。
何気なく、パラパラとページを捲ってみると、本に挟んであったらしい何かのメモがハラリと床に落ちた。
四つ折にされたA4サイズのルーズリーフ。
環さんが、足元に落ちた紙を拾って広げた次の瞬間――
「そ、それは! 違うんです!」と、大きな声を上げた手嶋さんが、環さんの手元から用紙を引ったくるように取り上げる。
これまでの、どちらかと言えばゆったりとした彼女の動きからは思いもよらない素早い動き。
赤いアンダーリムの眼鏡が斜めにずれるほどの勢いに、私も花音も一瞬呆気にとられたが……。
環さんは、いつもと変わらない落ち着いた様子で手嶋さんに向き直る。
「雪実さん、それって……」