七

「誰か、誰かいませんか! 開けて! あーけーてー!」
 腐敗臭がこびり付いた扉を大きく叩きながら、外にいるかもしれない誰かに訴える。ポケットに入れていたスマートフォンには十七時と大きく映し出していた。放課後で人がいないとはいえ、まだ部活動で残っている生徒や先生はいるはずだ。
 しかし、かれこれ十分が経過するが、反応どころか倉庫に人が寄ってくる気配はない。
 スマートフォンで連絡するにしても、実咲と瑛太は部活中で手放している。今から送っても来てくれるまで時間がかかってしまうだろう。巳波先輩は持っていても連絡先を知らない。担任の猪野先生は、今日の午後は出張だと言っていた。他のクラスメイトにはかけづらいし、学校に連絡するのも笑い話だ。
「どうしよう……」
「……参ったな」
 一人で項垂れていると、助けを呼ぶこともせず破かれた反省文を眺めていた東雲君がようやくこっちを向いた。その表情はどこか残念そうな顔をしている。
「ちょっと、考えるの後回しにして手伝ってよ」
「え? 何かあった?」
「閉じ込められたの! 鍵がかかってて開かないから助けを呼ぶしかできなくて」
「なんでそんなことに……あ、本当だ。いつの間に」
 東雲君はあっけらかんと扉を押したり引いたりして鍵がかかっていることを確認する。
 なんてこった。ずっと一人の世界に浸っていたのか。ドンドン、と扉を叩くが、勿論外からの反応はない。
「外に誰もいないの?」
「何度か声をかけているけど誰もいなさそう。本当は巳波先輩と連絡が取れたらいいんだけど、私知らなくて……」
「裕司先輩、基本スマートフォンは鞄の中だから多分知っていても意味ねぇな。あ、俺はスマートフォン持ってないから」
 信用できないし、期待もできない。
「こうなったら体当たりで……」
「教師から一番目をつけられているアンタが、学校の建物を壊してお咎めがないとでも思ってんの? 生徒の現金を盗み、理事長の息子をぶっ叩いただけでは飽き足らず、ゴミ置き場とはいえ学校の建物壊すとか……かなり最悪な状況になるけど」
 彼の言う通りだ。ここで学校の建物を壊したら即停学処分――もしかしたら退学かもしれない。それでもこんな場所にずっと居座るのは嫌だ。
「これは非常事態なの! 壊したところで誰かに閉じ込められたんだから多少の融通は効くはず!」
「その自信はどこから出てくるの?」
「それに、東雲君も一緒にいるんだから連帯責任でしょ!」
「あ……」
 今しまった、っていう顔をした。
「こんなところでゴミを漁って散らかしてるなんて、生徒指導室に呼び出されるに決まってるよ! ただでさえ授業中寝ているんだから、今度こそ反省文を書くことになってもしょうがないよね!」
 自棄になって怒鳴った途端、東雲君は何か閃いたように目を見開いた。そしてまた、手に持っていた破り捨てられていた反省文を見つめる。
「……あー……そういうこと?」
 彼は残念そうに溜息を吐くと、私を見た。
「あくまで仮説だから詳しいこと言わないけど、分かったかも」
「何が?」
「犯人」
「……はい?」
 とぼけた声を出した私に、東雲君は鼻で哂う。一体どういうことだろうか。
 眉をひそめていると、東雲君は鍵が掛けられた引き戸を限界まで引っ張った。当然、丸落としの鉄棒がはまっていて開く様子はない。かなり古いこともあってか、約五センチほどの隙間はできても、鍵を開けることは難しそうだ。
「これが限界か……」
「ちょっと、何しようとしてるの?」
「……まだわかんねぇの?」
 軽く舌打ちすると、振り返って私に言った。
「この倉庫の鍵になっている丸落としの構造からして、簡単に取り付けられる代わりにとても脆い。体当たりでもすればすぐ抜け出せる。でも壊してまで外に出るとなると器物破損で訴えられるかも。……どうする?」
「どうするって、急に何? 壊す以外の方法があるっていうの?」
「アンタならわかるだろ。この隙間を使って、鍵を開ければいい。そうすれば扉を壊すことなく外に出られる」
「は……?」
「牛山ちゃんだったら開けられる。……いや、開けたくてうずうずしてんの、わかりやすい」
 一瞬、息が止まるかと思った。彼の皮肉な笑みに悪寒を感じて、思わず一歩後ろに下がる。
「何を……言ってるの?」
「そのまんま。アンタなら、慣れた手つきで開けられるって言ってんの」
 苦し紛れに問うと、あっさりと返される。
「……東雲君も同じことを言うの?」
 震えるのをどうにか抑えて絞り出た言葉はそれだけだった。私が盗んでいない事実を証明してくれるのではなかったの?
 私の反応を見て察したのか、東雲君は少し考えてから口を開いた。
「同じこと……それは『牛山ちゃんならピッキングできるでしょ?』ってこと? いやいやまさか。俺は最初からアンタは犯人じゃないって言ってるじゃん。
「……ああ、『犯人じゃない』とは言ったけど『ピッキングができない』とは断言してないな。それに関しては謝るよ。ごめん。ピッキングに関して言えば、アンタは犯人よりプロだと思うよ。
「根拠? ピッキングって、錠前の中を開けて確認しないとわからないくらい、上手く開ける泥棒はそうそういないんだろ? 警察が調べれば見つかるものに、素人がわかる訳がない。
「アンタは南京錠を俺から取って、真っ先に鍵穴を確認していたよな? 普段の生活で付くひっかき傷とピッキングした形跡の傷を判断するのって結構難しいんじゃねぇかな。それをアンタは短時間で気付いた……それって見慣れているから見分けがつけられたんだろ。南京錠にピッキングされた痕がないってわかった途端、鍵まで調べたいとまで言い出したら、気にかけないわけがないよな。だから鍵を見たかと裕司先輩に聞いた。
「でもそれは自分の無実を証明するためでも、被害に遭った馬場ちゃんのためでもない。アンタの好奇心からだ。『鍵を開けたい』という欲を抑えつつ、平然を偽るには好奇心が顔に出すぎ。……ちがう?」
 淡々と並べた彼の話に、私は頬が引き攣ったまま固まってしまった。あくまで仮説でしかないその話が、あまりにも私の行動にぴったりはまっていたからだ。
「……仮に私がピッキングできるとして、どうしてこの丸落としを私がわざわざピッキングしないといけないの? 私がピッキングできることを証明しているようなものじゃない。それだったらここで大人しく待って、犯人が来たところを取り押さえたらいいんじゃないの?」
「アンタが敵に回してるのは学校全体だ。奴が学校関係者の有力者にゴマを擦っていれば、すぐ警察に突き出されてもおかしくはない」
「そうかもしれない。……でも、私はこんなことでピッキングをして約束を破るわけには……!」
 ――あ。
 口が滑った。気付いた時には東雲君は少し笑みを浮かべていた。
「……ここを出ることは黒幕をおびき出し、アンタが犯人じゃないことを証明することに繋がる。仮にこの倉庫をピッキングしたところで、棒を突いたら開きましたって言えばどうとでもなる。校舎で今頃走り回ってるユウジ先輩が開けたことにしてもいい」
「……でもそれはこの倉庫のことだけであって、盗難騒ぎの南京錠をピッキングしていない証明にはならないんじゃ……」
「それも大丈夫。犯人は応急処置の方法でしかできない素人だ。それに――アンタがピッキングするなら、そのヘアピンで十分足りるだろ」
 東雲君は私の左耳を指さして言う。いや、正確には耳ではなく隠すようにして差し込んでいたヘアピンを指していた。
「南京錠を見て実際にそのヘアピンでピッキングしてただろ。普通、あんな自然にヘアピンをL字に折り曲げたりしねぇからな」
「…………」
「あくまで仮説だから否定とかしてもらっていいけど、反論ある?」
 ああ、もうこれは弁解の余地がない。論破するだけして反論を問うなんて、なんてえげつないやり方だ。
 私は大きな溜息を吐いて、降参と両手を挙げた。
「……いつから気付いてたの?」
「教室を出てすぐ、俺がアンタの頭をぐしゃぐしゃにしただろ。アンタが俺の手払ったときに人差し指にタコがあったのが気になった」
 ほんの数時間前、教室を出てすぐのことだ。確かに私は彼の手を掴んで降ろさせたが、まさかあんな数秒の出来事で気になるなんて。右手を見てみると、よくヘアピンを挟んでいる親指と人差し指にわずかなくぼみがあった。自分でも気付かないくらい、小さなタコだ。
「結構前からピッキングできたんでしょ。いつから?」
「……小学校、くらい」
「随分早いな。どこでそんな技術を……」
「護身用ってことで、教えてもらってたから」

   *

 ――私の両親の馴れ初めは、とてもロマンチックだったらしい。
 父は空き巣の常習犯、母は鍵屋の娘。出所後の父が最後の一回だけと決めて盗みに入った家に、錠前を綺麗に磨いている母がいた。
 懸命に錠前を磨いて満足げに笑う母に一目惚れした父は、盗みで入ったにも関わらず、ずかずかと母の前に行くと、その場に片膝をついて「貴女の心を盗みに来ました」とキザな台詞で唐突に告白をしたという。
 母は何を思ったのか、その場で「盗んでごらんなさい」と哂って挑戦状を出した。
 それから毎日、父は母に会うために一輪の花と一緒に同じ時間帯に訪れ、母が用意したであろう錠前をいくつもこじ開けて家に入ってきた。最初は冗談半分でやり始めた母も、いつしかムキになってきてわざと難しい錠前をつけて待っていたらしい。
 出会って一ヵ月経ったある日、父はいつもの時間に来なかった。
 母はついに諦めたかと思って買い物に出たところ、公園でお年寄りのお爺さんが乗っていた自転車を直していた父を警察が事情聴取をしている場面に遭遇した。
 なんでも、父がお爺さんから金銭を騙し取ろうとしているのではないかと、巡回中の警察官が疑っていたらしい。
 老人の話に耳を向けない警察官に腹を立てた母は、彼らの間に割り込んで怒鳴ったという。
「警察のくせに被害者の話も聞かないの? 今困った顔をしているのはお爺さんよ。こっちの話を聞くのが先でしょう? そこのアホ面の男は逃げも隠れもしないし、私がさせないんだから放っておきなさい!」
 母の一言でお爺さんの話を聞いた警察官は、苦虫を潰した顔で父に謝罪すると、逃げるように去っていった。
 このことがきっかけで更に惚れ直した父は、また毎日母の元へ通うようになった。最終的に母の方が折れる形で交際に発展、プロポーズまで時間は掛からなかった。

 ……ね? 傍から聞いているとすごく恥ずかしくなってくる惚気でしょ? 話している私も恥ずかしいんだけどね。
 それでもこの話を聞いた幼い頃の私は、ふざけた告白をした父と、勝負を仕掛けて最終的に折れた母の関係性がすごく素敵だと思った。物語の中でしか在り得ない非日常な出来事を、自分の両親が体験した。――それが誇らしかった。

 結婚して一年後に私が産まれ、小学校に上がってすぐ鍵屋の仕事をしていた母の職場で悪気もなく南京錠をいじって遊んでいた私を見て、父は内緒で私にピッキングを教えてくれた。南京錠はもちろん、ダイヤル錠にシリンダー錠、金庫まで、ある程度の錠前は時間をかけてでも確実に開けられるようになっていた。
 母がそれを知ったのは、玄関の鍵をピッキングしている、最悪のタイミングだった。
 学校から帰って玄関を開けようと鞄を開けると、鍵を忘れていたことを思い出した私は、つい先日父が教えてくれた玄関錠のピッキングを試みた。
 鍵穴に差し込んだヘアピンが音をたてて開けた瞬間、母が買い物袋を落とした音が同時だったのを今でも覚えている。唖然とした表情の母に、私はただ顔を青くして地面に落ちた買い物袋の中で潰れた卵を見つめていた。その日の夜は当然、私も父もかなり怒られた。
 そしてピッキングをするにあたって、両親と約束事を決めた。
・必ず必要な時だけ使用すること
・必ず誰かの為に行うこと
・必ず自分の為に行うこと――そして三つ全て該当するときだけ、使用すること。
 それ以来、誰かの前で絶対ピッキングをしない代わりに、私は自分で買った錠前や母の職場で使わなくなった錠前を集め、自室でピッキングをするようになった。
 これは高校に入学してすぐ、母から聞いた話だが、父が私にピッキングを教えていたことを何となく察していたらしい。
 コミュニケーションの取り方が苦手な父なら、きっと娘の気になっているものを話のネタにして近づこうとしていたのはわかっていた。まさか南京錠のピッキングを教えているとは、想像を超えていて笑ってしまったという。
「南京錠で遊んでいるときから予感はしたのよ。でも二人が楽しそうに話してるから止められなくてね。……それに、ツヅミが目的もなしに鍵を開けようとする子にならないように頑張らないといけないねって、あの人とちゃんとお話できたんだから、今となっては良い思い出なのかもね」
 その話を聞いて、私は二人を裏切ることはしないと誓った。察することしかできない小学生の時も、高校生になった今も。

   *

「――東雲君の言う通り、私だったらロッカーにつけられた南京錠もダイヤル錠も開けられる。でも私は絶対に人前でやらないし、金銭目的で開けることは絶対しない」
 私は自分が無実であることを強調して訴える。東雲君は口を一文字にしたまま黙って話を聞いてくれた。
 やっと口を開いたかと思えば、どこか満足そうな顔をして見たことがない程、優しい笑みを浮かべた。
「……思った通りだった」
「はい?」
「何でもない。今の話聞いて、やっぱりアンタにはこの扉を開けてもらう必要があると思った。これは無実を証明するためじゃない。アンタの言う約束事に当てはまっているし、何より鍵穴が見えない裏側から開けるなんて楽しそうじゃん?」
 東雲君はそう言って、悪い笑みを浮かべた。
「俺は俺で、アンタの無実を証明するよ」
 私はもう一度、両親と交わした約束を思い出す。――閉じ込められたこのゴミ倉庫から出るために、
巻き込まれた東雲君と自分のために。全ての条件に当てはまってはいる。あとは私が懸念していたことを彼に問う。
「東雲君、本当に犯人がわかったの? ただここを出るための口実だったりしない?」
「疑い深いなぁ。少しくらい信用してよ。……いや、それ以前にアンタは自分を信じなきゃダメだ。自分の今後を他人に預けているんだから、自分で決めるべきなんじゃない? 俺だったら絶対嫌だけど、アンタの場合は俺に委ねている部分もあるんだし。俺が犯人について今言えるのは、証拠が少ない中でこんなことができるのは一人だけだってこと。……よく考えて。アンタが決めなきゃ、俺を選んだ選択はおじゃんになる」
 真相を解明することも、自分の無実を証明することも、ほとんどを東雲君任せにしている今、私に正解を導くことはできない。――いや、そもそも正解なんてないのかもしれない。推理も仮説もどうせ似たようなものだ。
 それならいっそ、彼を信じてみるのも悪くはないんじゃないか。
「……証明、してくれるんだよね?」
「もちろん」
 自信満々の笑みを浮かべて簡単に言ってくれる。私は小さな溜息を一つ吐いて、タコの痕が残っている右手を差し出す。
「……わかった。今回だけね」
「そう来なくっちゃ」
 小さくハイタッチをした音が倉庫内に響いた。