「ねぇヤスは?」
リーザは、ファーストに神殿の主であるヤスの居場所を尋ねる。
「セバスの話では、明日には帰ってくるそうです」
「わかった。明日だね。ねぇ僕が相談したいことがあると言ったらヤスは会ってくれるかな?」
「大丈夫だと思います。事前に、お伝えしておきますか?」
「え?あっうん。お願い」
ファーストが、すぐにリーゼの家から出て、神殿に向かった。
セバスかツバキに、リーゼの要望を伝えるためだ。
幸いなことに、セバスが神殿に居たので、リーゼの要望を伝えた。
セバスは、マルスに伝達をして、移動中だったヤスから返事を貰った。ファーストは、返事をリーゼに伝えた。
「リーゼ様。旦那様は、明日の昼にはご帰還の予定です。昼を一緒に食べようとおっしゃっています」
「お昼?どこに行けばいい?」
「食堂での会食を準備をするように言われております」
「わかった」
---
ヤスは、神殿の領域に住んでいる人たちに、強制することはなかった。住居を与えたが、それ以上は何も言わない。最低限の食事は、ファーストたちが対応してくれている。そのために、仕事をしていなくても生活が出来る。
リーゼの場合は、それに”エルフ族”からの支援があり、しっかりとした食事も生活もできている。
「リーゼ様。旦那様とのお食事の時間です」
「ん?ありがとう」
リーゼは、ファーストが用意した服に着替えて、食堂に向かった。スカートだったので、自転車ではなく、キックスケーターで食堂まで移動する。
「リーゼ!」
「あっサンドラ?どうしたの?」
「どうした?は、こっちのセリフ。ギルドに来るなんて珍しいね。何か依頼?」
「あっ違う。食堂に行こうと思っているだけだよ」
「食堂?」
「うん」
「へぇ・・・。なんか、ヤス様が、食堂に入っていったけど、リーゼ絡みなの?」
「そうだよ?なんで?」
「え?」
サンドラは、リーゼを冷やかそうと思ったのだが、素直に答えられてしまって、冷やかす以前だと認識した。
リーゼがヤスを意識しているのは、神殿に住んでいる者たちの共通の認識だ。ただ、誰もリーゼに確認していないので、真偽は不明なままだ。ヤスにしても同じだ。ヤスが、街々で娼館に行っているのは公然の秘密になっている。神殿には、ヤスにならと考える女性は多い。
「サンドラは、王都に行かないの?」
「え?」
「ほら、なんとか子爵と、なんとかいう貴族がヤスに喧嘩売って、ヤスが返り討ちにして、なんとかいう貴族がお取り潰しになって、アデーが管理している別荘に押し込まれたのでしょ?」
リーゼの話は的を得ているが、話に出てくる人物の殆どが”なんとか”になっていてわかりにくい。
「えぇ」
「王都では、大変なのでしょ?なんか、商人たちが慌てていたよ?それに、サンドラのお父さんはまだ帰ってこられないのでしょ?行かなくていいの?」
「それは・・・」
「裁定が下っても、まだ帰ってこられないのは、何か決まっていないってことだよね?」
「え?あっ」
サンドラが声を詰まらせたのは、リーゼの予想が大筋で当たっているからだ。事情を知っている者なら簡単に導き出せるのだが、リーゼに渡っている情報は、サンドラが知っている限りでは、商人たちの噂話以上ではない。それも、王都から来ている商人は、リーゼには接触していない。ユーラットやアシュリの商人だけだ。
「どうしたの?」
「え?あっ。私は・・・」
「あっ!ヤスを待たせている!サンドラまたね!」
「え・・・(嵐のような人ですね)」
サンドラと別れたリーゼは、食堂に急いだ。
ヤスが待っていると聞いたからだ。待たせているという認識があるので、急いでいるのだが、別の感情が芽生え始めている。
「ヤス!」
「久しぶりだな。なんか、相談があると聞いたけどなんだ?勝負なら仕事が終わってからにしてくれよ」
「違うよ!あっ!その前に、『おかえり!』」
「ただいま」
ヤスは、立ち上がってリーゼを椅子に座らせる。ファーストに食べ物を持ってきてもらうように頼んだ。リーゼもファーストに注文をした。
「それで?」
「あっうん。ヤス。僕ね・・・・」
「なに?」
ここで、ファーストが二人分の食事を持って戻ってきた。
話は、食事の後にして、まずは食事を摂る。
食事の間、リーゼはヤスに、ヤスが居なかった間の話をしている。ファーストがフォローをいれるが、ヤスはリーゼの話を黙って聞いている。カートの話だけではなく、東門に作られたコースで、カイルやイチカとのレースの話や、西門にあるコースでの話だ。リーゼが楽しそうに話すのを、聞いているだけで、ヤスも嬉しくなってしまう。
リーゼが楽しそうにしているのも嬉しいが、カイルやイチカだけではなく、保護した子どもたちが楽しそうにしているのが嬉しいのだ。
食事が終わって、食後のデザートをリーゼが食べる。ヤスは、コーヒーをファーストに頼んだ。
「リーゼ」
「あっ。ヤス。僕、お店を持ちたい」
「店?」
「リーゼ様。それでは、旦那様に伝わりません」
「えぇ・・・。だって・・・」
「ファーストは聞いているのか?」
「はい。旦那様。リーゼ様。私からご説明してよろしいですか?」
「うん!お願い」
ヤスは、ファーストの説明を聞いて、なんとなくリーゼがやりたいことを整理した。
「リーゼは、神殿の迷宮区に店舗をだして、対価を貰って治療をする」
「うん。駄目?」
ヤスは、考えるふりをしてマルスに相談をしている。
『マルス。どう思う?』
『マスター。個体名リーゼが、治療魔法や治癒魔法を使えるのは判明しています。他人に教えることが出来るか確認してください』
「なぁリーゼは、魔法を他人に教えることは出来るのか?」
「僕が?基礎なら大丈夫だと思うけど、それ以上は難しいと思う。僕の魔法は、ちょっと特殊だから・・・」
『マスター。基礎だけでも、学校の子どもたちで、素質がある者を個体名リーゼの部下につけて教えるのならよいことだと思います』
『それで?』
『治療や治癒の魔法が使える者が増えれば、神殿の価値が上がります』
『価値?』
『はい』
『まぁいい。リーゼがやりたいみたいだし、子供が出来る仕事が増えるのはいいことだからな』
『了』
「リーゼ。迷宮区にリーゼの店を出すのは許可する。対価も、リーゼに任せる。商店でポーションを売っているから、ポーションよりは安い対価はやめてくれよ。それと、子どもたちをリーゼの部下につけるから、基礎を教えてくれ」
「旦那様。対価は、私が調べて調整します」
「任せる」
「ヤス、ありがとう!僕、頑張るね!」
「ファースト。セバスとツバキと相談して、リーゼの店の場所を決めてくれ」
「かしこまりました」
『マルス。サポートを頼む。それから、セバスとツバキに、子どもたちで適性がある者をリストアップしておくように言ってくれ』
『了』
ヤスは、リーゼが自主的にやりたいと言ってきた内容なら認めようと考えていた。
治療院なら、冒険者たちの治療が行える。
翌日には、ギルドにリーゼが書いたことになっている申請書が届けられた。ヤスが承認しているというサイン付きだ。迷宮区の入り口は、ギルドが管理しているので、筋を通す必要があったのだ。
ギルドもヤスが許可をだしていることに異議を唱えるつもりはない。それに、治療院が出来るのはギルドにとってもいいことなのだ。
リーゼの実力はわからないが、冒険者に選択肢ができるのは、競争が産まれるので、良いと考えた。
リーゼの対価は、低級のポーションよりは高く、中級のポーションよりは安くしている。怪我の度合いで変えようとする意見も有ったのだが、判断が難しいので、一回の対価として考えたのだ。助手の子どもたちが行う場合には、低級のポーションと同等にしている。そして、子どもたちの中から本人が承諾した者は、迷宮区に一緒に入る許可が出た。冒険者が護衛をしっかり行うことと低階層のみという縛りがあるが、ドーリスからの要望を受けて行っている。
リーゼが作った治療院は、マルスが考えていた以上に神殿の価値を上げた。
未来の話なのだが、神殿で治療や治癒を習った子どもたちが、他の場所(=集積所)に店舗を出し始めて、各地の治療や治癒を行い始める。ヤスは最後まで抵抗していたのだが、店名は”オオキ(場所の名前)治療院”となってしまった。
大木の都に住む者たちは順調に増えている。しかし、神殿の都に住む者たちは増えていない。
カイルとイチカたちは、神殿の都で受け入れた。その後に、帝国で二級国民になっていた子どもたちも受け入れた。ヤスが決定したことなので、異議を唱える者は居なかった。神殿の都に住むには、マルスの審査が必要になる。厳しい審査だ。審査基準が公開されていないので、敬遠する者も多いのだ。しかし、他の村では、審査は王国の町や都市に近い状況なので、移民として移り住む者が増えている。
神殿の都ないで特別な施設は、学校関連だろう。カイルたちや帝国で保護された子どもたちで、テスト運用していた学校関連の施設が、正式に稼働し始めた。
午前中は基礎学習を行う。文字の読み書きから、簡単な計算を勉強する。年齢で学年は分けていない。ヤスは、日本の小学校をイメージしていたのだが、育った環境がバラバラで、年齢で分けるよりも、習熟度で分けるほうがいいと判断した。
基礎学習は、テストに合格すれば卒業となる。あとは、成人の年齢まで、学校で生活を行っていく。
食事と住居が与えられる。卒業までは、学校で行われる好きなカリキュラムを受けることが出来るようになっている。
リーゼの治療魔法を教えるカリキュラムは人気講座の一つだ。
他にも、イワンが選出して学校に派遣してきた者が行っている、魔道具の製作講座も人気だ。
ヤスも、最初は運転の講座を実行しようとしたが、神殿の住民から”辞めて欲しい”懇願された。神殿の主が講座を行えば皆が受けたいと思うのは当然の話で、受けられない者から苦情が”学校やギルド”に殺到するのが目に見えていたからだ。
施設の利用は、大木の都の住民には解放した。
成人後でも意欲があれば勉強を始められるようにしたのだ。文字の読み書きは必須ではないが、出来たほうがいいのは当たり前だ。四則演算も必要ではないが、騙されないためにも覚えておいたほうがいい。
学校の施設は、成人前の子供なら無料で利用できる。元々は、住民に限っていたのだが、大木の都も大きくなり、バスの運行が始まったことで、ユーラットだけではなく、トーアフードドルフやトーアヴァルデ、ローンロットだけではなく、湖の村やウェッジヴァイクからも通ってきている。
講座も、いろいろ始まっている。神殿の都の住民が申請して始まった講座も存在する。受講を希望する講座は、最初は”ギルド”で受けていたのだが、作業が多く煩雑になることから、学校に事務局を設置した。
事務局には、三月兎の店主だったラナが就任した。事務局長はお飾りだがヤスが就任している。神殿の都の施設は、ギルド以外は全てのトップはヤスなのだ。ヤスは、面倒だから好きにしてくれと言っているのだが、住民からの求めに応じた形になっている。
学校は、発展には必要な物だが、効果がすぐに現れる施設ではない。
ヤスが、為政者なら学校など作らなかったであろう。各村の代表が集まる会議でも、議題として学校が取り上げられる。支出が飛び抜けて多いのが学校施設だからだ。大木の都は一国として考えると、領土は少ないし、領民も少ない。純粋な戦力で考えると、最弱なのだが、”神殿を攻略した”事実が不気味に見えるのだ。ユーラット近くにあった”神殿”は活動していないと言われていた。しかし、大量のアーティファクトが産出されて、迷宮区と呼ばれる場所まであったのだ。神託を伝えていた皇国のメンツが潰された状態になっているのだ。ヤスだけが目立つ形になっている状態で、”国”としての大木の都は、辺境に出来た”街”程度に考えられていた。
各村の代表は、”村”と呼ばれる場所が、従来の常識で考えれば、”都市”と同等以上の防衛力を有している状態なのを認識している。
ヤスが、頑なに”村”という呼称を続けているので、皆も”村”と呼称し続けている。王国内で、神殿の情報に詳しい者たちは、”村”でないのは承知している。学校で行われている内容は把握していても、その価値に気がついている者は少ない。
学校は、ヤスが絶対に続けると言っている施設だ。運営を行う為の資金の殆どは、ヤスから出ている。
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サンドラは、4つの案件を持って、ヤスに面会を申し込んだ。
ヤスは、物流倉庫の設営のために出ていた。二日後に戻ってくると伝えられたサンドラは、安堵の表情を浮かべる。4つのうち3つは大きな問題にはならない。問題は、王都から伝えられた内容だ。サンドラは、伝えられた内容を、アデーに確認したのだが、アデーも知らない内容だった。すぐにジークに連絡をして確認したが、書類には不備がなく、すでに発行された命令だった。大木の都は、独立した国家と同等と考えられていて、そこの主人であるヤスに命令は出来ない。サンドラは、与えられた二日間で最大限の努力をした。情報を収集して、打開策を模索した。アデーやドーリスやアフネスを巻き込んだが、いい方法は浮かばなかった。
サンドラは、重い足で約束の場所に向かった。疲れた身体を、重くなっている心が更に重くさせていた。
部屋の前に居たセバスに、ヤスとの面会で来たことを告げる。
「お待ちしておりました」
セバスが開けたドアから、サンドラは部屋に入る。サンドラが、重要な報告があるとヤスに伝えての会議だったので、学校の会議室ではなく、ヤスの工房に隣接して作られている執務室に通された。
「おかけになってお待ち下さい」
「ありがとう」
サンドラを案内したセバスが部屋から出ていくと、入れ替わりにツバキがコーヒーを持って現れた。サンドラが良く飲んでいる物だ。ヤスが座る場所には、紅茶を置いた。サンドラは、出されたコーヒーの美味しさから息を吐き出した時に、工房に繋がる扉が開いて、セバスが部屋に戻ってきた。サンドラは、持っていたカップをテーブルに置いて立ち上がろうとした。
「立たなくていいよ。座って」
セバスの後ろから、ヤスがサンドラに座っているように言っている。素直に従って座り直す。
「悪かった。待たせたな」
「いえ、お時間を頂きましてありがとうございます」
「うん。それで?報告があると聞いたけど?」
「はい」
サンドラは、4つの報告があるとヤスに伝えてある。
細かい内容を伝えようとしたのだが、ヤスがサンドラの様子から、直接会って話を聞きたいと言ったのだ。
1つ目の報告は、各”村”の現状をまとめた物だ。
ヤスは、サンドラから報告を受ける。ヤスは、好きにしていいと、何度も言っているのだが、”村”の代表は、ヤスが”頭”だと譲らないのだ。仕方がないので、ヤスは報告をマルスにも聞かせて、問題がないのかをチェックさせている。サンドラたちも、報告をまとめる時に皆で集まって作成するようにしている。二重にチェックが行われているような状況になっている。そもそも、ヤスは”村”から税を徴収していない。”村”は王国に支払っていたのと同等の”税”を収めようとしたのだが、ヤスは必要ないと言っている。その代わり、集めた”税”は各村で使うように指示を出した。それに異議を唱えたのは、各村の代表だ。折衷案として、”税”は神殿に集められて、全部を各村に配布するとことになった。今は、集められた”税”の説明が行われている。
2つ目の報告は、各村からの提案だ。
ヤスは提案に関しては、どんな些細なことでも伝えるように各村に伝えている。そのために、本当に些細なことからぶっ飛んだ要望までヤスに伝えられる。人間関係や個人的な願いは却下していくが、生活が楽になったり、村の為になったり、公益になるような物ならヤスは受け入れている。
今回の提案の中から即座に採用が決まったのは、3つだ。
一つは、アシュリとトーアヴァルデとローンロットの間に一定間隔で物見櫓を建てたいという提案だ。商人だけではなく、別荘に向かう貴族や豪商の安全を確保するためにも必要だと思われた。サンドラが裏の意味として、貴族たちや豪族たちの置き土産を排除する意味があると言っていた。
置き土産。護衛として申請して連れてきた者を、神殿の近くに忍ばせて諜報活動をしようとしているのだ。完全な排除は難しいが、抑止力にはなると提案はまとめられていた。
実は、物見櫓は必要ではない。マルスが領域を神殿の領域を広げて監視を行っているので、不審者は処理されている。その事実を知らされていない者たちからの提案だった。
二つ目は、一つ目にも関わることだが、守備隊の増強を提案された。予算に問題がないのなら増強は問題ではないとヤスはサンドラに伝えた。
三つ目は、マルスからの微妙な反応を無視してヤスが即決した。各村が集まる”祭り”の開催提案だ。会場の手配から、内容までヤスが責任を持つと宣言した。
残り二つの報告は、一つはそれほど問題ではないのだが、もう一つが・・・。
サンドラは、残っていたコーヒーを一気に煽ってからヤスに報告を告げる。
ヤスは、サンドラからの二つの報告を聞いて、少しの休憩を挟んだ。ヤスの問題ではなく、サンドラの体調を考えてのことだ。
会議に参加はしていなかったが、マルスからの指示を受けて、ツバキがタイミングを見て飲み物の替えを用意した。一段落したタイミングで飲み物の交換なのだが、サンドラの分だけしか用意されていなかった。
ツバキがお茶を替えている時に、セバスがヤスを探していると告げた。強制的に中断させる方法を取ったのだ。
部屋から一時的に出ていくヤスを、サンドラは見送った。気を使われているのだと解ったが、確かに休憩が欲しいと思っていた。自分の考えが、まだまとまっていないのも影響しているのだが、ヤスにどう説明していいのかわからないのだ。ヤスの逆鱗に触れて、サンドラだけが出ていけと言われるのなら、甘んじて受けようと思っている。
ゆっくりと出されたコーヒーを飲みながら、サンドラは問題になっている。王都から送られてきた書類を見る。
アフネスは無視してしまえと言っていたが、無視できるような物ではない。他の”村”の長たちも、送り主にはあまりいい感情を持っていないので、ヤスに見せる必要はないと言っていたのだが、ドーリスとサンドラが、見せなかった時のデメリットが大きいと判断した。
15分くらいの休憩を挟んで、セバスが戻ってきた。
「サンドラ様」
「あっ飲み物はもういいわ」
これ以上、緊張を和らげるために、コーヒーを飲んだらヤスと話をしている時に、中座したくなってしまう。それだけは避けなければならないと思っていた。
「わかりました。旦那様が戻られます。座ってお待ち下さい」
「ありがとう」
ヤスが、執務室に戻ってきた。サンドラの正面に座って、ツバキに飲み物を頼んだ。
「それで?」
「はい。残り二つの報告なのですが、一つ目は・・・」
ヤスは、サンドラから渡された書簡の束をみながら、話を聞いていた。
サンドラから見えるヤスは、書類に目を落としているが、サンドラの説明をしっかりと聞いてくれている。しかし、ヤスは書類を目で追っているし、話も聞いている・・・。ように見えているが、実際にはマルスに確認をしながら、どうしようか考えていた。
「会議では、結論が出ませんでした」
「意見も出なかったのか?」
「・・・」
「サンドラ。どうした?」
「ヤス様。意見は出ました。反対意見もありましたが、概ね受け入れてもいいのではという意見です」
「うーん。反対意見は?」
「財政面が主な理由です」
「他には?」
「技術の流出を懸念しています。あと、ヤス様や神殿の内部に関する情報の流出です」
「技術は、本当に秘匿しなければならない物以外は公開していい。情報は、積極的に開示しているよな?」
「はい。貴族たちは、ヤス様が開示されている情報を欺瞞情報だと思っています」
「うーん。欺瞞情報だと思われているのなら、何をしても無駄だ。無視する」
「はい」
「技術を習得して、自領の為に働きたいのなら、別に構わないぞ?基幹技術は、イワンが秘匿しているから、結局、神殿に頼らないと無理なのだろう?」
「そうなってきます」
「人数は?」
「え?」
「予想される、学校に通いたい人数が書かれていなかったからな」
「え?あっ。貴族家からは打診が有っただけで、無条件に受け入れてくれるとは思っていないようです」
「そうか・・・」『マルス。帝国は、まだ神殿への侵攻を諦めていないと思うか?』
『是』
『そうだよな。一回の失敗で懲りるような連中じゃないよな?』
『はい』
「なぁサンドラ。書類には、学校の場所が明記されていないけど、間違いはないよな?」
「え?神殿の都で受け入れるのでは?」
「それも考えたけど、神殿の領域にある学校は、俺たちが保護した孤児や孤児院出身の者たちの為で、貴族の子弟を預かるようにはなっていない。そうだよな?」
「・・・。あっ!そうですね。宿の問題もあります。孤児と同じ宿舎に泊めるわけには行かないと・・・」
「うん。でも、受け入れを行わないと、後がうるさそうだ。実際に、レッチュガウからの留学は認めているよな?」
「はい。もうしわけございません」
「サンドラを責めているわけではない。それに、レッチュガウから来ているのは、孤児やスラム街に居た子どもたちだよな?」
「はい。父には商人の子供や寄り子からの押し込みは拒否してもらっています」
「クラウス殿の寄り子や派閥の貴族なら、それで話が通るけど、書類を見るとそれだけではないよな?中立派閥の者も多いよな?」
「・・・。はい」
今、ヤスがした指摘が、サンドラの頭を悩ませていることだ。父や王家の者たちの思惑としては、神殿を餌に中立という日和っている連中を派閥に組み込みたいと考えているのだろう。ヤスなら、貴族の思惑にも気がついていると思っていた。あえて説明しないで、指摘されてから、事情の説明をしようと考えていた。
「ふーん」
サンドラは、冷や汗が止まらない。書類を見る。ヤスの表情が怖いのだ。
「サンドラ。”学校に通わせたい”がこの書類の趣旨だよな?」
「はい。そうなります」
「教師にも限界がある。クラウス殿や王家から人を出してもらうことは出来るか?」
「受け入れる条件に設定はできます」
「わかった。それなら受け入れよう。学費は、神殿で講座を受ける大人と同じでいいか?」
「え?」
サンドラは、その10倍程度の要求を行うつもりだった。
『マルス。ウェッジヴァイクとトーアヴァルデの間にある使いみちが無かった土地に使いみちを与えるぞ』
『了。よいお考えだと思われます』
「サンドラ。提案がある。王家は無理だと思うが、学園の理事を派閥のトップから出してくれ、それから、学園に子供を送りたい貴族は、必ず子弟を送るように付け加える」
「よろしいのですか?」
「問題はない。学園の理事会を作る。理事会の役割は、後で説明するけど、学園の運営は理事会が全て決定する。議席数の2/3の賛成が必要で、神殿から厳選した理事の数は、2/3以上になるように調整してくれ」
「はい。問題はありません。理事会の全員が、神殿の関係者でも問題にはなりませんが?」
「駄目だ。必ず、貴族や豪商の関係者を潜り込ませろ、そうしないと、神殿側の人間を買収しようと動くはずだ、数名でも神殿側ではない人間が居れば、そいつらをマークすればいい。情報戦を制することができる」
「はぁ・・・。わかりました」
サンドラは、ヤスの目論見が未だにわからない。
神殿の物で、ヤスが運営すれば問題にはならないと思っているのに、”なぜ他人に任せる”のか、理解ができないのだ。ヤスが自分で得た権利を手放しているように思えてしまうのだ。
ヤスに言われたことは、メモしているが、ヤスから渡された”録音機材”を使って録音もしているので、後で、アフネスたちと検証して、ヤスの真意を理解しようと思っている。自分一人で抱えるには案件が大きすぎる。最低でも、アデーを巻き込もうと考えていた。
サンドラが、ヤスの真意が見抜けないまま、言われた内容をメモしている。
ヤスは、セバスに指示をして、部屋にかけられているスクリーンに地図を表示する。サンドラは、更にヤスの真意がわからなくなっていた。サンドラたちの提案として、受け入れる場合には、別荘区を貴族に買い取らせて、そこに子どもたちの宿舎を自分たちで建てさせるつもりだったのだ。別荘区からなら歩いてでも学校に通えるし、無駄な警戒をする必要がない。
「サンドラ。神殿にある学校では、授業内容は別にして貴族の子弟が満足出来るような物ではない。そうだな?」
サンドラは、違うと思っているが、くだらない部分で見栄を張る奴らはどこにでも居る。平民と貴族が同じ場所で勉強をするのがおかしいと文句を言い出す輩が絶対に存在する。
「・・・。はい」
「だから、この場所に、新たな学校を作る」
「え?」
ヤスが示した場所は、サンドラたちの斜め上をいく場所だ。別荘区のフロアの一つに学校を作ってはという意見はたしかに存在していたし、一番いい解決策のように思えた。しかし、ヤスが示した場所は、誰も考えていなかった場所だ。
「しかし、その場所は・・・」
「法的な問題はないよな?帝国側が問題にしてくるだろうけど、実効支配しているのは神殿の勢力だ」
「そうですが・・・」
サンドラは、メリットとデメリットを考える。
「あっ!それで、理事会なのですね」
ヤスはニヤリを笑う。いたずら小僧の笑いだが、サンドラは別のことを考えていた。帝国だけではなく、王国内の貴族に対しての牽制にもなる。
お父様たちも、こんな手を使われるとは思っていなかったでしょう。
「そう。それで、トーアヴァルデと同じように、城壁で囲った、学園村を作る」
「学園村?」
「そうだ、学校のベースは同じにして、寮を分ける。あとは、商人を誘致してもいい。神殿に商店を作られない者たちの不満が溜まっているのだろう。ガス抜きに使えばいい。運営は、理事会に一任。神殿は、技術提供と場所貸しだな」
「わかりました。検討します」
「うん。広さとか決まったら教えてくれ、セバスたちに城壁を作らせる。学校施設と寮は作るけど、商店や住民用の住居はまかせていいよな?」
「はい。お任せください」
「それで?」
サンドラは、次の話をする前に、資料をヤスに見せる。
「ヤス様。話は一つですが、その前に状況をお伝えします」
「頼む」
「はい。リップル子爵家から始まった騒動ですが、セバス殿やツバキ殿のご協力を得て、証拠が固められました。本来なら、王家がヤス様にお礼を言いに来るのが筋ですが・・・」
「必要ない」
「ありがとうございます。既に、ヤス様にご報告の通りに、指示を出した、公爵家と侯爵家は当主の交代と、領地の没収が完了しております」
「あぁ聞いている。クラウス殿の領地が増えるのだろう?寄り子に任せたとは言っていたな」
「はい。王国としては、ヤス様に領地を任せたかったようですが・・・」
「飛び地だし、俺は、ユーラットと周辺だけで満足だよ」
「はい。ヤス様から言われているように領地は必要ないと伝えてあります。そして、関わった者たちへの処分が終了しました」
「一部、別荘区に来ているよな?」
「はい。アデーが管理する別荘に幽閉しております」
「いいのか?」
「はい。その件で、レッチュ辺境伯からお礼が届いております」
「必要ないのに、俺としてもメリットがある話なので受けただけだ」
「わかっております。貴族の見栄だとお考えください」
ヤスは少しだけサンドラを見つめてから、受け取ると返事をした。サンドラは、話の前段が問題になるような部分がなく終了したことに安堵した。
王国からの報告を交えてしまうと、王国が神殿を”流刑地”にしている印象を持たれてしまう。それに、王家からの”礼”ではなく、辺境伯から”礼”が来ている時点で、王家が神殿を”下”に見ていると思われてもしょうがない。
実際の話として、ヤスは”上”とか”下”とか、もっと言えば、”メンツ”にはこだわらない。もし、メンツを考えているような人間なら、アデーに別荘区の管理を一部とは言え任せたりはしないだろう。それだけではなく、”流刑地”だと思われるような使い方をされたら、文句の1ダースをサンドラにぶつけているだろう。
ヤスにとっては、些細なことなのだ。
自分がやりたいことが出来る状況になっているのが嬉しいのだ。
辺境伯も自分たちにメリットがある為に、ヤスの提案である”物流倉庫”の建築を推し進めた。短期的な効果は予想以上に大きいが、長期的なメリットを感じ始めるには至っていない。長期的なメリットが感じ始めた時には、ヤスの”物流”に頼ってしまっている実情を嘆くことに鳴るのだが、神殿の価値が上がる行為なので、サンドラも辺境伯に言葉を濁した忠告をしただけだ。
二人が言及しない”辺境伯からの礼”には、情報提供が含まれている。
サンドラとアデーには、別荘区の管理を任せている。実際には、管理ではなく、監視業務を任せているのだが、サンドラは貴族に関係する業務が多いために別荘区の業務はアデーに任せたいと思っていただのが、アデーは自分の趣味に走ってしまっている。二人は、自分たちの従者や侍女に一定の権限を与える許可をヤスに求めた。ヤスは元々二人が業務をやるとは思っていなかった。別荘区の入り口近くに作った建物を二人に与えて、その中で業務を行うように伝えて、侍女や従者に権限を与える許可を出した。別荘区に出入りする者たちの監視が表向きの業務だが、神殿の力を使った監視が行える状況になっている。それらの情報をまとめて辺境伯や王国に提供しているのだ。もちろん、アデーとサンドラの名義での提出になっている。二人は、情報料を貰って、ヤスに”監視施設”の賃料にしようと考えていたのだが、ヤスは受け取らなかった。代わりに、別荘区で働く者たちへの給金として渡すように言われた。二人は、孤児院などから成人が間近に迫った子どもたちを雇って、最低限の教育をさせてから施設の運営に必要な人員を確保する計画を立てて、ヤスに承認してもらった。
「”礼”に関しては、俺からクラウス殿に、”受け取り状”を出せばいいのか?」
「もうしわけありませんが、お願い致します」
「わかった」
「ヤス様。本題なのですが・・・」
「あぁ」
「別荘区に、幽閉されている公爵家の元当主が、帝国経由で皇国に密書を流していたことがわかりました」
「それは?」
ヤスも、その事実は掴んでいる。
サンドラやアデーのルートとは違うが、セバスが楔の村経由で掴んだ情報だ。帝国のヤスに乗っ取られた男爵家にも同じ内容が皇国から届けられている。
「要約すると、”王国の公爵家が、神殿の管理は皇国に委託された。従って、不法占拠している、管理者を名乗る者を皇国に差し出し、神殿を明け渡すように通達する”です」
「へぇ・・・」
ヤスが怒り狂う状況を考えていた、サンドラは拍子抜けしてしまった。
「ヤス様?」
「あぁサンドラ。少しだけ、考えたのだが、俺の考えを補填するために、状況を少しだけ教えてくれ」
「はい。私が知る限りの情報をお伝えいたします」
「まずは、皇国が言い出した根拠となる”公爵家の当主”は、別荘区に居るのだよな?」
「はい」
「ドッペルだよな?」
「はい」
「事情を聞き出すことは出来るよな?」
「はい。事情は既に聞いています。本人も認めています。帝国からの増援が欲しくて、帝国からの提案を受ける形で、密書を送ったようです」
「密書なのか?」
「はい。しかし、公爵家の紋章が使われています。密書でも、正式な文章としての効力があります」
「それは、どうでもいい。重ねて聞くが、サンドラたちが対処に困っているのは、王国にある教会も似たようなことを言い出しているからなのか?」
「え・・・。はい。公爵家と侯爵家の派閥にいた者たちが、教会を扇動したようです」
「なぁサンドラ?」
「はい」
サンドラは、身体をこわばらせる。
「俺が、神殿を攻略したから、神殿の領域は俺が好き勝手にしていいということだよな?」
「はい」
「神殿の迷宮区は、開放しているけど、俺が各地を回って聞いた話では、俺たちが居る神殿以外では、神殿を攻略した者だけが神殿に入られるようになっているのだよな?それは、再攻略されるのを恐れるからなのか?」
「当然です。再攻略されたら、神殿の権利を奪われてしまいます」
ヤスは、周りが見ている神殿の状況を改めて認識した。
自分がしているように神殿の権能を使って、迷宮を複雑に攻略出来ないようにすれば、迷宮区を公開して、冒険者たちを誘致すればメリットが多くなる。ヤスの考えが異端だと認識出来たのは大きいことだ。これで、ヤスの思考が加速する。サンドラの目の前で話をしても良かったが、一人で考える”フリ”してマルスと相談しようと考えた。
「ふぅーん。10分くらい考える時間をくれ」
「え?わかりました」
サンドラは、ヤスに頭を下げてから控えの部屋に移動した。
『マルス!話は聞いていたな』
『是。愚かなことです』
『だよな。再攻略は不可能だろう?』
『今、迷宮区に入っている者たちが100万人居ても可能性は”0”です』
『一人が、100万倍の強さになったら?』
『それでも、0.0025%です。マスター。最下層の部屋を思い出してください』
『あっ・・・。そうか、もう密林になっている広大なフィールドの中で、天井に結界で何重にも守られた場所に居る米粒程度の魔物を倒す必要が有ったのだな』
『はい。それだけではなく、エルダーエントの個体名セバス・セバスチャンやエルダードリュアスになっている個体名ツバキの本体があります。経験を積んだ眷属たちが守っています。攻略は不可能です。また、密林は炎で焼き尽くしても、すぐに復活します』
『そうだけど、できれば最下層は隠したいな』
『是』
『マルス。今なら、階層はどこまで増やせる?』
『限界はわかりませんが、魔素の充填を考えると、255階層が限界です。入り口が実質的には、5階層になるので、迷宮区として使えるのは、250階層です』
『作るのには?』
『マスターの努力次第ですが、階層だけなら、164時間39分です』
『約1週間か・・・』
『作成に当たって、討伐ポイントの殆どがなくなります』
『運用を現状維持で考えて、支障がないレベルで作成を行うと?』
『261時間45分です』
『わかった。階層を増やす処理を始めてくれ』
『了。最下層の前に挿入する形で階層を増やします』
『わかった。一時的な安全装置の解除も可能だよな?』
『是。マスターが命名した安全装置の解除は可能です』
ヤスは、その後も時間までマルスと打ち合わせを行った。
時間が来て、サンドラをセバスが呼びに行った。
セバスに連れられて、サンドラが部屋に入ってきた。
「ヤス様。先程の学園村ですが、イワン殿とルーサ殿とヴェスト殿とエアハルト殿とアデーは、賛成しています。ドーリスとアフネス様は、連絡が取れなかったので、後ほど連絡します。クラウス辺境伯。ハインツお兄様は、会議に出ていまして不在でした。家令のガイストに伝言を頼んであります」
部屋に入ってきて、サンドラは状況をヤスに伝える。
「わかった。ドーリスとアフネスの賛成を持って、学園村の建設を始めようと思う。皆で規模を決めてくれ」
「はい」
「場所はこちらで決めるが、規模を決めてくれ、決まったらセバスに設計なり提案なりを渡してくれればいい」
「はい。かしこまりました」
サンドラは、持ってきたメモ用紙に書き込みを行う。
今から話す内容次第では、自分が神殿から退去しなければならない可能性だってある。そうなっても、後顧の憂いがないようにしておきたいと考えた。
セバスが二人の前に飲み物を置く。
紅茶のいい匂いが、サンドラの鼻孔を擽る。沈んだ気持ちを多少は持ち上げてくれるが、ヤスと教会や皇国の話をすることを考えると、美味しいはずの紅茶の味を感じられない。
珍しく、ヤスも同じものを飲んでいる。
ヤスがソーサーにカップを戻した。カップとソーサーが触れる音が優しくサンドラの耳を刺激する。
「さて、サンドラ。教会と皇国と・・・。あと乗せられた愚かな貴族への対応だけどな」
「はい」
ヤスの言い方では、王家を含めて、言ってきた者を”愚か者”と考えているようだ。サンドラはヤスの一言で悟った。自分たちは見捨てられない。自分はまだ神殿で生活ができる。サンドラは、ヤスが何を考えて、何を実行しようとしているのか、わからないが、神殿に住んでいる者は守ってもらえると考えたのだ。
「サンドラとドーリス・・・。あと、冒険者には悪いけど、しばらく、迷宮区を入らないようにしてもらいたい。リーゼにも、治療院を休止してもらう必要がある」
「それは、大丈夫だと思います」
「正確には、別に潜ってもいいけど、今までのようにセーフティーが作動すると思わない欲しい」
「え?」
「サンドラ。教会や皇国や貴族連中に、迷宮区を解放する」
「・・・?」
「俺が出来たのだから、奴らにも出来るだろう?いくつもの組織が神殿を明け渡せ、アーティファクトを正当な持ち主に返せと言っているのだよな?」
「・・・。あっそうです。そうです。一つの組織ではないです。複数の組織が言っているのです」
「だろう?俺は、誰に返せばいいかわからない。だから、”6ヶ月の間に神殿を攻略してみせろ”と伝えることにする。俺が攻略するのに使った期間の6倍もあれば文句は言えないだろう」
嘘である。
ヤスは攻略していない。しかし、外部に向けての情報では、”1ヶ月の間”神殿に潜っていたことになっている。アフネスたちが後から考えたシナリオだ。神殿の攻略途中で見つけたアーティファクトの力を解放したヤスが、神殿を攻略したと発表している。
「よろしいのですか?」
サンドラが心配するのは当然だ。
この楽園のような生活は、ヤスが神殿の主だから保証されている。他の者が主になれば、楽園は地獄に変わってしまう。
「問題はない。”攻略ができる”と、思うのなら、攻略してみればいい」
「皇国は帝国の兵士を投入します。教会も、かなりの兵士や冒険者を使ってくる可能性があります」
「うーん。サンドラ。今の、攻略状況をしっているか?」
「たしか、25階層辺りだったと思います。5階層ごとのフロアボスを突破したと報告が出ています」
ギルドの業務を手伝っているサンドラは、潜っている冒険者たちの情報を把握している。
実力がない者たちが深い階層に入ろうとするのを止めているのだ。そのために、階層の状況は潜っている冒険者たちよりも把握している。
「そうだよな。それで、この迷宮区の最終階層は知っているか?」
「え?30階層か35階層ではないのですか?」
ヤスは公言しているわけではないが、階層を突破する者が出るたびに報奨金を出している。その、報奨金を出しているのがヤスだ。
発表されている報奨金が30階層までになっているので、皆が30階層か多くても、35階層だと思っている。
「それは、セーフティーが動作している階層だ。実際には、249階層だ。最終階層は守護者の間になっている。それを突破して、250階層にあるコアに触れて主に認められなければならない」
「・・・。ヤス様。補給は?宿は?」
「知らないよ。勝手に、どこかから補給してくれよ。神殿の店舗から買ってもいいけど、売る方の判断だな。宿?そんな物を提供してやる義務はないな」
「ハハハ。ヤス様。それならば、迷宮区の入り口を、別荘区に繋げられませんか?」
「ん?」
「アデーの所に居る、公爵や侯爵たちが”いい仕事”をしてくれると思います」
いい仕事とは、情報収集をしてくれるという意味だが、別荘区なら情報収集だけではなく間引きも可能になる。
偉そうにしている者が、公爵や侯爵に面会を申し込んできたら、ドッペルと交代すればいい。
「そうだな。それも面白いな。わかった手配する。ギルドに繋がる場所は、繋げておくけど、ギルドで閉鎖してくれ」
「わかりました。ドーリスと相談します。あと、トーアヴァルデはどうします?」
「ん?変わらないよ。王国からの許可が出ている者は通すけど、許可を持たないものは通さないよ」
「え?」
「通す必要があるのか?神殿に向かいたければ、大きく迂回して、元侯爵領を通ればいい。王国内を帝国の軍隊が通れるとは思わないけどな」
ヤスは、怒っているわけではない。いい加減にしてほしいと思っているだけだ。
権力を持った奴が嫌いなだけなのだ。ヤスが、帝国からの侵入を防いだのは、神殿の為であって王国の為ではない。王都で、長々と権力闘争や派閥の組み換え遊びをしている奴らに、自分たちの安全が如何に脆いものなのかを教えてやろうと思っているのだ。
特に、侯爵家や王都に居る連中は、辺境伯が前回は神殿が帝国の侵略を防いだので、自分たちは安全だと安心しているのだ。
サンドラは、ヤスの意図に気がついた。そして、実行された時に発生する可能性がある動きを推測した。王国と帝国と皇国の関係が、変わるのだ。
今までは、皇国は帝国を扇動して、王国の辺境伯領に攻め込んでいた。帝国が海を欲しがっていたということも関係するが、それ以上に侯爵が皇国と繋がっていた駄目だ。しかし、侯爵が失脚した。その領地を、どう配分するのかくだらないことで、王国は右往左往している。
右往左往している間に皇国が帝国を使って、侯爵領を通ろうとする。
通過を許さないのなら、許さない理由が必要になる。戦闘に発展するかもしれない。しかし、王国側には侯爵領を治めていない状況があり分が悪い。帝国は嬉々として戦闘を仕掛けて占領しようとするだろう。
皇国が、王国との関係を変えたくないのなら、トーアヴァルデに攻め込むだろう。
そうなっても、前回と同じかそれ以上に分が悪い戦いになる。大兵力の展開が難しく、ウェッジヴァイクが後方を遮断する可能性だってある。そもそも、関所の森を収める帝国貴族は、ドッペル男爵だ。神殿の意向で物資の流通を阻害するだろう。
それならどうするのか?
冒険者に扮した者たちを、パーティー単位で送るしか無い。しかし、ここにもヤスの罠がある。神殿の攻略には、教会も乗り出す、合わせて侯爵や公爵派閥の貴族たちも、教会に乗っかる形で、冒険者や兵を出す。状況を伝える間者は見逃しておけば、欲に目が眩んだ連中は、ヤスを相手にしているのに、自分が”所有する予定”になっている神殿を他の者たちに奪われたくないのだ。アーティファクトも欲しい。素材も欲しい。
従って、他の者たちよりもより早くより多くの者たちを投入する必要がある。
「乗ってきますか?」
「乗ってこなければ、それでいいよ。俺はチャンスを与えた、これからも平等に与える。今までは、神殿が認めた者しかアタックできなかったが、その6ヶ月間は神殿が認めない者でもアタックできると言えばいいだろう?来なければ、”臆病者”とレッテルを貼ればいい。臆病者に、”神殿を明け渡すことは出来ない”と言えばいい。神殿の主は、攻略を成功させた者だけだ、違うか?」
「・・・。そうですね。詭弁に聞こえますが、教会も神国も、”神殿は神が認めた者しか踏み入れられない。攻略した者が主となる”と言っていますからね」
「あぁ今回は特別に主である俺が、無制限に神殿の迷宮区に受け入れを行うと宣言する。期間は6ヶ月。開始時期は、サンドラとドーリスで調整してくれ」
「はい。かしこまりました」
サンドラは、話を持ち帰った。
難題をヤスから宿題として渡されたが、神殿側に立って対処できることに喜びを感じていた。そして、頭を悩ましていた問題の解決が見えてきたので、気持ちも楽になった。
案の定、イワンは笑いながら賛成している。アフネスは、苦笑でサンドラの話を聞いて6ヶ月プラス数ヶ月の間のユーラットの計画を立てると宣言した。ルーサは、完全にあきれている。アシュリの守備は万全にすると宣言した。問題になるのが、トーアヴァルデだが危機感は薄い。大兵力で囲まれても勝てると踏んでいるのだ。二重三重の罠が出来ている状況で突破されるとは思っていない。それに、今回は突破されても目的地は死地なので気が楽だと言っている。防衛部隊の避難経路の確保を急ぐと言っている。ローンロットは、何も変わらない。もしかしたら、王国の兵や冒険者が大量に移動する可能性もあるが、ローンロットは許可した者以外は滞在の許可がおりないルールだ。王国の法で守られた場所だ。問題が発生したら、辺境伯と協力して排除すればいい。
そして、今回のヤスの提案を歓迎したのは、ドーリスとダーホスのギルド側だ。ギルドが宣言して、ヤスが攻略者と認めて、所有を保証している場所を横から口を挟んできたのだ。ギルドに異議申し立てをするのならわかるが、王家に対して苦情を言っているのが姑息なのだ。ギルドも、今回の件で意見が割れていたのだが、神殿の主であるヤスからの申し出があれば動くことが出来る。対処は予想以上に負担が少ない。6ヶ月の間は、魔の森近くでリーゼたちの治療院を開くように、リーゼと交渉したのもヤスだ。その上、”魔の森”の一部は今までは許可していなかった領域での採取を許可すると宣言した。
新たな学校の設置と、神殿にある迷宮区の解放を、同時に進行することになった。
ヤスの宣言を、大木の都の代表者で協議した。
実行してもいいだろうと賛成したのは、アフネスとサンドラとルーサとイワンとラナだ。反対したのは、エアハルトとドーリスだ。意見を保留したのは、ヴェストとデイトリッヒだ。デイトリッヒは、冒険者の取りまとめとして参加している。ラナは、住民の代表として参加した。
賛成した者の意見は、別段反対する理由がないという意見だ。アフネスはユーラットに溜まっている貴族からの間者が居なくなれば嬉しいという考えが根本にある。サンドラは、うるさい貴族の問題が片付けば良いと思っているだけだ。アデーも”別荘区”の代表として参加を求められたが、貴族側に近い立場もあるので、参加を固辞した。
エアハルトは、ローンロットが襲われる可能性を考えて、反対をしている。大木の都の中で、楔の村を除くと、神殿から離れているのが影響している。
ドーリスが反対するのは、ヤスが言っている”安全装置”が解除される点だ。冒険者は自己責任と言っても、神殿の迷宮区は、王国だけではなく、近隣から注目されている。今回の公開が行われない状況でも、冒険者に公開されている珍しい神殿なのだ。通常は、神殿が攻略されると、その後は閉鎖されて、独占されるのだが常だ。しかし、ヤスは認められた多数に公開している。神殿に認められた人という条件は着くが、多数が神殿の内部に入り込むような場所は、大木の都以外には無いのだ。ドーリスだけではなく、ギルドの総意としてヤスに神殿の管理を続けてほしいのだ。
「サンドラ。それで、ヤス様は、何か言っていたの?」
ドーリスが疑問をサンドラに投げる。
「そうね。簡単に言えば、攻略は不可能だと言っていたわ」
「どういうこと?」
他の面々もヤスの言い方が気になった。”攻略は不可能”これだけ聞けば、神殿は安泰に思えるが、それならヤスはどうやって攻略したのか気になってしまう。
「あぁそう言えば、ギルドにも話していない情報を教えられたわ。この会なら話題に出していいと許可はもらってある」
「え?」
「ヤス様が言うには、迷宮区は250階層に成長しているそうよ」
「は?」
これには、会議に居た皆がサンドラの話した内容が理解できない状態になってしまった。
今まで、ヤスは最下層がどこにあるのか教えていなかった。明確に教えたのは、最初に攻略を証明したときだけだ。
それから、多くの冒険者たちが探索を繰り返して、迷宮区の最下層は20ー30階層だと判断されていた。冒険者ギルドの情報や過去に存在していた神殿と比較して最下層を割り出そうとしていた。階層の広さなどから導き出された数字なのだ。
「サンドラ。その数値は?」
「論じても、意味はないと思う。ヤス様が正式に発言された言葉なの」
サンドラの言い方は正しい。ヤスが250階層あると言えばあると信じるしか無い。
「それを公表しても?」
「どうかしら?ヤス様からは、一つのアイディアを貰いました。実行してみませんか?」
サンドラはヤスから提案された話を、ドーリスたちにした。
簡単な話だ。階層が、250もあると言っても誰も信じない可能性がある。しかし、攻略を考えている者には必要な情報だ。
「ククク。ヤスが言ったのか?」
サンドラの説明を聞いて、黙っていたアフネスが笑い出した。
「はい。アフネス様」
「ドーリス!どうする?」
今度は、ドーリスを見る。
「この機会に、近隣のギルドだけでも綺麗にしましょう」
「その覚悟があるのなら、ヤスのアイディアは最適だろう」
「はい。ギルドでも、情報が貴族に流れているのを危惧しています」
ヤスのアイディアは嫌がらせのレベルだが、効果が無くても別に困らないたぐいの物だ。
この場に居る物は、250階層だと知っている。流す情報に手心を加えるだけだ。
・最下層は50階層で徐々に狭くなっている。
・階層は、100階層だが広さは階層によって違う。
・階層は、30階層だが上下の移動やトラップで階層がわかりにくくなっている
・100階層とか50階層という情報が出ているが、実際は200階層ある
いくつかのグループでこの情報が”秘密の情報”で、家族はもちろん同僚にも教えるのは禁止する。
では、”なぜ”このような情報が必要になっていかと言えば、神殿を攻略するのに必要な物資を計算するのに必要になるからなのだ。
「本当に、ヤスの考えることは、えげつないね」
「そうですね」
アフネスの呟きに同調したのはサンドラだ。イワンは頷いている。
「え?どういうことですか?」
ドーリスだけがわからなかったようだ。
「サンドラ。教えてあげたら?」
「アフネス様。面倒になったのですね。ドーリス、ヤス様のアイディアを実行して、私たちや貴方方に不都合はある?」
「まったく。問題がありそうな部下に流すだけですから、手間が多少必要になるだけです」
「そうよね。それで、失敗したら、何か問題はある?」
「え?失敗って有るのですか?『噂はなしを聞いたけど、噂だから他で喋るな』と、言えばいいだけで・・・。本当に、250階層まであるのが解っても、噂を信じなくてよかったなで、終わる。噂が漏れて、誰からそれを信じたのなら、”それは噂でギルドとして認めている話ではない”で終わりますよ。失敗のパターンが考えられないのですが?」
「それが、ヤス様のアイディアの”えげつない”所なのです」
「??」
「私たちは、何も失わない。でも情報を貴族に流している者たちが踊らされたら、私たちのメリットになる。噂を信じなくても、階層が250もあるのに攻略が難しいのには代わりがない」
「そうですね。言われてみたら、確かに、メリットしかない状況をよく作り出せますよね」
「あぁそれが、ヤスの怖い所だな」
「アフネス様。ドーリス様。サンドラ様。イワン様。ルーサ様。ラナ様。エアハルト様。ドーリス様。ヴェスト様。デイトリッヒ様。旦那様からお許しがありまして、最下層の概要を説明できますが、どういたしましょうか?」
急に、セバスが皆の名前を読んでから、最下層の説明が出来ると告げた。
「セバス殿。ヤスからの許可が出ていると言ったが?」
「はい。アフネス様。旦那様からは、反対の者が居た場合に、攻略が難しいことを説明しろと言われています。最下層の状況を説明するのが一番だと言われております。また、マルス様からシミュレーションした映像がありますので、見せても大丈夫だと言われております」
「いろいろ気になる言葉があるが、まずは、最下層の状況を教えて欲しい」
アフネスが宣言したが、皆もまずは最下層の状況を知りたいと思っている。
皆が頷いたのを確認して、セバスが端末を操作する。
マルスから指示されている操作を行う。
「セバス殿。これは?」
「最下層の様子です」
映し出されるのは、天井まで50メートルはある部屋だ。中央に大きな木がある。周りに何本もの木が植えられている。部屋の広さはそれほど広くない。部屋は、天井にある魔道具で明るく照らされている。
「これが最下層?」
「はい。コアルームの手前です。木々はエント種で、木々の周りにある草はドリュアス種です。また、フェンリル種が木々の間から襲ってきます」
「フェンリル種が階層主なのか?」
「いえ、違います。階層主は、旦那様命名の魔物で、クマムシという者です」
「それは?」
「お見せできませんが、1ミリ程度の虫種です。天井にある魔道具の後ろに居ます」
「は?」
「天井の魔道具には、多重結界が施されています。また、結界と結界の間には、毒物が仕込まれていて、結界を無理やり破壊すると、部屋に毒物が充満します」
「なっ!」
皆が絶句する。
それだけで、ほぼ攻略が不可能だ。
「次に、人種が生きていく為に必要な物を、部屋から取り除きます」
「それは?」
「締め切った同じ部屋に大量の人が居たら、徐々に息苦しくなります。呼吸する時に、必要な物質を取り除きます。そうすると、人種は活動ができません」
「・・・。それでは、魔物や階層主はどうなる?」
「問題にはなりません。確認しました」
「それは・・・」
アフネスが黙ってしまったが、神殿の情報を盗もうと忍び込んだ間者が一人も戻ってこなかった事実を知っている。殺されたのだろうとは思っているが、どこで殺されたのかは解っていない。迷宮区のトラップに使われたのだろう。
「セバス殿。他には?」
「はい。マルス様が、標準的な責め方や、迷宮区でボスと対峙したときの冒険者の動きなどを参考にして、考えた攻略方法をシミュレーションした結果です」
マルスが作ったシミュレーションが流れた。
魔法や剣での戦い。それらを複合した戦い。全てが、返り討ちにあう結果になっている。そうなるように作られていると思ってみていても、納得するしかない状況だ。
「・・・。おい、ヤスは、何と戦っている?こんな物、攻略が出来るわけがない」
ルーサの投げやりな言葉が、皆の感想だ。
皆が思い出したのだ、見せられた部屋は、10階層に有るわけではなく、最下層の部屋。250階層にある。そこまで一本道ではない。迷宮を戦い抜いた先にある部屋なのだ。攻略は”不可能”だと言うしかない状況なのだ。ヤスのように、高速で移動できる手段を持ち、どこでも休める状況でも無い限りは、攻略は不可能だ。攻撃手段と移動手段と補給手段か物資の輸送能力を持たないと、神殿の攻略は不可能だと結論付けられた。
朝から、イーリスとサンドラは、不機嫌を隠さないで来る”客”の対応を行っていた。
想像通りだった。
神殿の迷宮区が”一般公開”されて、皆が考えている状態になった。ヤスというよりも、マルスの読みどおりに、面白いように王国内の貴族が喰い付いた。それだけではなく、教会も前のめりになるくらいに喰い付いてきた。帝国も皇国も喰い付いてきた。
続々と軍を送り込んでくる愚か者たちの相手を、ヤスがするわけがなく、ギルドの代表としてイーリスと辺境伯から委任される形でサンドラが行っている。
「ですから!何度もお伝えしている通り、ギルドからは何も情報をお出しできません。冒険者や商人から情報を買われるのでしたら問題にはいたしませんが、ギルドは今回の蛮行には、反対の立場なのです」
朝から繰り返されている言葉。
イーリスだけではない。ギルドの面々は、貴族の代理だと言っている者たちを最初は個別に対応していたが、あまりにも数が多くて対処が難しくなってきた。貴族も一枚岩ではない。貴族家の長男と次男で別々に隊を率いて攻略に乗り出している例もある。
サンドラは、サンドラでギルドの仕事を手伝いながら、辺境伯の派閥の者が攻略に乗り出してきた場合に、辞めるように助言をしている。対価として、別荘地を貸し与える許可をもらっていた。ヤスから見れば、懐が傷まない相手が喜ぶものだ。それだけでは、”もうしわけない”と考えたヤスは、イワンと交渉して蒸留酒で”でき”の良くない物を無料で提供した。商人に売るにも、一定の品質が必要になってくる。無料で放出した酒樽は、味は良かったがアルコール度数が無闇に高くなったり、低くなったり、安定しなかったものだ。他にも、色が悪い物も存在した。しかし、もらった貴族は喜んだ。神殿の酒精は、一部の者しか手に入らない物だったのだ。サンドラは、辺境伯から苦情を受けて、辺境伯の派閥に同等の物と販売に耐えられるギリギリの品質の物をヤスから貰い受けて大量に放出した。
王国内では、国を3つに分断する争いが勃発した。
ヤスが投げた一石が大きな反響を持って迎えられた。王国内に燻っていた火種が大きく燃え上がったのだ。
王家の権力は、健在な状況だ。しかし、地方では貴族が好き勝手に治世を行っていた。それらが、ヤスの物流(部隊)と一緒に流れてくる情報という目に見えないが、たしかに存在する物によって繋がってしまった。
王家と辺境伯は、神殿の再攻略には消極的な立場を貫いた。それに反発したのが、リップル子爵の蛮行で派閥に壊滅的な打撃を受けたものたちだ。再攻略が出来るほどの戦力は有していないと思われたが、公爵派閥に教会の一部が繋がった。神殿の攻略に向かうと見せかけて、王家派閥の貴族領に攻撃を開始した。
そして、ヤスと辺境伯が始めた物流拠点から締め出しを食らった商人たちも教会と手を結んだ。新しく構築される治世での商業面を取り仕切るという甘い蜜に吸い寄せられた。教会は、両方の勢力に武器や人を貸し与えた。情報と機動力で勝っている王家派閥は、適切な場所に適切な部隊を集めて、物資の運搬をヤスに依頼した。移動に必要な物資だけで動ける王家派閥の部隊と違い、兵站と重装備を持って移動する者たちが叶うはずがない。ヤスは、神殿に住む許可された者たちに、バスを貸し与えた。バスは、逃げる住民を運ぶために利用した。兵士は運ばないと約定を入れさせる徹底した状況だ。
時を同じくして、帝国でも内乱が発生していた。
ヤスが見せた甘い蜜に群がった者たちが発端となっている。帝国では、多くの貴族が神殿攻略に前のめりになった。最初は、自領の冒険者や不法者たちを集めて神殿に送っていたが、誰一人として帰ってこなかった。たどり着けたのかも不明な状況になってから情報を収集しはじめた。一部の貴族が楔の村を取り囲んだ。楔の村から神殿の内部に入られると噂されているのを信じたのだ。取り囲んだ、軍は”魔物たちの大群”に蹂躙された。それを皮切りにして、帝国内部で貴族同士の小競り合いが勃発した。裏には、マルスが送り込んだドッペルたちの活躍があったのだが、とある男爵家以外は王家を含めて、どこかと紛争状態になってしまった。紛争が長引いている理由は、なぜか勝利の天秤が傾き始めると、勝ちそうになっている貴族領に大量の魔物が発生する。魔物を討伐している最中に、天秤が元に戻ってしまうのだ。帝国の内乱は、規模を大きくしていく。
皇国は、当初は傍観だったが、帝国からの救援要請に応えるかたちで内乱に巻き込まれる。そこに、王国内で行っていた工作が裏目に出た。教会を通して、援助を申し込まれたのだ。断ることも出来たのだが、祭司の一人が答えてしまった。皇国内部でも争いが発生した。神殿を再攻略出来ていないのに、自分たちなら問題なしと考えて、王国の貴族からの救援に応じたのだ。それだけではなく、帝国からの救援にも、BETをしたのだ。勝ち馬に乗ろうとして、皇国の有力者が受けた救援要請に応じたのだ。そして、それは”民”に増税という”幸”を与えた。皇国の民は、信徒が大半を占めている。しかし、度重なる増税に信仰を捨てる者までではじめた。それで、信仰を捨てた者たちは、帝国や王国に行くのかと思われたが、難民にならずにもっと短絡的に利益を求めた。盗賊になったのだ、村ごと盗賊になった場所も存在した。皇国が抱えた火種は、日を追うごとに燃え広がった。
『マスター。これが、王国と帝国と皇国で発生している内容です。概ね、マスターが望む通りになっております』
「わかった。王国は、そろそろ片付きそうか?」
『了』
「問題は、帝国と皇国だけど、気にしてもしょうがないよな?」
『了。皇国の瓦解は止められないと考察します。帝国は、ウェッジヴァイクに使者が向かっています』
「使者?」
『帝国貴族アラニスの生き残りです』
「アラニス・・・。あぁディアスの実家か?」
『是』
「ん?でも、ディアスには・・・」
『是。偽物です』
「そうか、何人程度だ?もしかして、ドッペルが忍び込んでいる?」
『是』
「捕らえて、ドッペルを送り返せ」
『了』
「まだなにかあるのか?」
『マスター。個体名ドーリスと個体名サンドラが限界です』
「うーん。手がないよな?」
『ドッペルを使いましょう』
「ドーリスとサンドラのドッペルでも作るのか?」
『違います。マスター。個体名ドーリスに提案してください』
「ん?」
『別荘区に、ギルドの出張所を作るように提案してください。そのギルドの職員は、ドッペルに任せます』
「いいのか?マルスの負担が増えないか?」
『大丈夫です。今の状態では、個体名ドーリスと個体名サンドラの不満が溜まってしまいます』
「わかった。場所は、ドーリスに決めさせればいいよな?」
『是』
ヤスは、すぐに動いた。女性の機嫌を放置するのは悪手だと知っているからだ。
呼び出されたドーリスとサンドラは、化粧で誤魔化しているが見た目にも疲れているのが解った。
ヤスの・・・。マルスの提案を、聞いて、ドーリスが即座に動いた。サンドラも、辺境伯に連絡をした。資材は、神殿が用意して建築はギルド職員と冒険者が総力を上げて建築した。翌日には、出張所が完成した。マルスは、約束通りにドッペルを派遣した。再攻略に来た者たちへの対応を開始した。
貴族たちは、自分たちが特別扱いされたのだと喜んだ。そして、そのまま”死地”に攻略部隊を送り込んだ。
結果、数万もの人間が迷宮区に潜って帰ってこなかった。
貴族たちが異変に気がついたときには、変える領地さえも怪しい状況になってからだった。
僕の名前は、ハインツ。クラウス・フォン・デリウス=レッチュ辺境伯の長子だ。
”俺”という一人称を使ったり、”私”と言い換えてみたりしているが、”僕”が一番しっくりと来る。
今の僕の役割は、妹のサンドラからくる情報を、父や派閥の長に伝えるのが仕事になっている。
こんな状況になってしまったのには理由がある。
僕の弟である、ランドルフの問題行動に起因している。
最初に話を、サンドラから聞いた時には、僕が自ら手を汚して殺してやろうかと思った。
サンドラの機転と、神殿の主の温情によって救われた。
本当なら、父上と僕の命を差し出すくらいの失態だ。特に、リーゼ嬢を、一般的なエルフと同列に扱ったのが間違いの始まりだ。それだけなら、まだ奴の首を差し出せば許された可能性も有ったのだが、奴は神殿の攻略者をないがしろにするような発言を繰り返して、派閥の者に聞かれてしまっていた。これで、奴の首だけで済む話ではなくなった。
サンドラからの話を聞いて頭が痛くなったのは、リップル子爵やアデヴィト帝国と繋がっているような疑いが出てきたと教えられた辺りからだ。
『兄様』
「サンドラか?それで?」
『間違いありません。子爵家からの資金援助を受けています』
「証拠は?」
『あります。マリーカが見つけてきました』
「そうか・・・。父上は?」
『ヤス様の提案を受けることをお決めになりました』
「ヤス様?神殿の主だな?」
『はい。ヤス様とお父様がお話をされて・・・』
内容を聞いて納得した。それなら辺境伯家が責任をかぶる必要が少ない。それだけではなく、もしかしたら・・・。
「わかった」
それからは、一つでも読み間違いがあれば、自分たちの首が飛んでいたかもしれない内容のオンパレードだ。
全て、神殿の主が描いた道筋だとは考えたくなった。
サンドラから聞かされる話や、父上からの話。神殿に潜り込ませている部下からの報告。全てが、同じ内容になっていた。
誰が、筋書きを書いたのかわからないが、公爵と侯爵が失脚した。一部の者しか知らされていないが、二人は既に死んでいる。今、神殿で監禁生活を送っているのは、神殿が用意した魔物が乗り移った?者だ。記憶も引き継いでいるらしいので、生前と矛盾は”丸く”なった程度で、監禁生活が堪えているのだろうと誰もが考えている。父上に、聞かされた時には、僕には黙っていてほしかったと本気で思った。こんな重い秘密を僕にまで引き渡さないで欲しい。
王女殿下であるアデーが国王を説得して実現したことのようだ。
神殿の勢力だけで、帝国とリップル子爵と派閥連合を、一人の死者も出さずに撃退した。
僕だけではなく、貴族社会に激震が走った。父上は、神殿の主であるヤス殿の下に、サンドラを人質とも取れる内容で出している。他の貴族も同じように、実行しようとしたが、王女殿下であるアーデルベルト様が神殿に人質の形として住むことになった。神殿の別荘区という場所を買い取って、住んでいるようだ。僕も、別荘区に住みたいと父上に進言したのだが、却下されたサンドラが既に神殿に住んでいるのに、僕まで行く必要がないと言うのが父上からの返事だった。
父上の本心が違うのを知っている。家令のガイスト経由で聞いた話だが、父上は、今回の騒動が終息したら、”若い世代”に地位を譲るというもっともらしい理由で、僕に辺境伯の地位を受け渡すつもりのようだ。そして、父上はどうするのかと思うと、ガイストたちを連れて神殿の別荘区に移り住むつもりのようだ。名目上は、”新たな時代の辺境伯がいるのに、古い考えを持つ自分が居ては邪魔だろう”というもっともらしい理由を考えているようだ。ガイストも、神殿に移り住むことを承諾している。他にも、メイド長を含め多くのメイドが一緒に行くようだ。
メモとして、残しておこうと考えて書き始めたが、いろいろありすぎて時系列でまとめられない。
父上に対する文句ならいくらでもかける。それは、別のノートに書き連ねておこう。ついでに、サンドラへの文句も書いておこう。心の平穏のために・・・。
侯爵派閥の人間たちが思った以上に失脚しない。公爵と侯爵が健全なのが理由なのかもしれない。殺してしまったほうが良かったと思うのだが、父上は違った考えを持っていた。侯爵派閥のトップが居なくなれば、派閥は二つに分かれて、その二つも更に二つに分かれる。こうして、少派閥が大量に出来るのは、統率を考えると手間なのだと教えられた。無能な状態でまとまっていてくれるのが一番良いのだと言われた、次点では、派閥の消滅だが・・・。その時には、派閥に属している全ての貴族を、取り潰す覚悟が必要になる。
王城で行われている会議が3ヶ月にもなろうとしている時点で、風向きが変わった。父上やサンドラやジークムント殿下が”集積所”なる場所を作り始めたのだ。最初は、レッチュ伯爵領や王家の所領に作っていたのだが、神殿のアーティファクトを利用して、またたく間に物資を搬送して作り上げてしまった。それだけで、終われば軋轢は産まれなかった。神殿の主は、アーティファクトを神殿に住まう者たちに貸し出して、”集積所”から”集積所”までの物資の輸送を行い始めた。最初は、それほど意味があるとは思っていなかった。
しかし、効果はすぐに現れた。村から村への輸送は馬車を使って、行商人が行っていた。しかし、長距離への輸送には適していない。護衛が必要になるし、大量に運ばないと意味がない物が多い。そのために、近隣でしか使われていない物が多かった。長時間の輸送に耐えられるような物は、大きな物が多くやはり馬車を使う搬送には適していない。余剰になっている物資を大量に安価で短時間で運んでしまうアーティファクトは、村や町や街で余剰になっていた物資を動かし始めた。必要としている場所に必要としている物資が届けば、町や村が発展する。
”集積所”の近くにある町や村が発展していくのだ、それだけではなく、情報という今まで貴族が握っていた物までもが回り始める。税が安い領へ、安全な場所へ、住みやすい町へ、人が流れるのは当然のことだ。そのために、領を治める者たちは、今まで以上に”民”に向き合う必要が出てきた。
良い流れが産まれ始めた場所が出てくれば、淀む場所も産まれてしまう。
”集積所”の設置が出来ていない場所は、今までと同じ生活を続けていた。本来なら、何ら問題にはならなかったのだが、行商人が運ぶ物資や情報を得て、噂だけが広がってしまった。
一部の貴族が”神殿の力”があれば自分たちも発展すると考えた。そして、古い貴族の価値観で無理を通そうとした。
王家はそれを許さなかった。当然だ。神殿は攻略した者が統治する。王家が”この”不文律を犯すわけにはいかない。国の根本が崩れてしまう。
しかし、皇国に連なる教会や、帝国は違った。神殿の力を、王国が独占するのなら”に武力で奪い返す”と通達してきた。一部の貴族が裏で動いたのはわかっている。また、神殿の主が今まででは考えられなかった手を打った。神殿の再攻略を許したのだ。冒険者を招き入れて、攻略を続けさせることだけでも信じられないのに、それ以上に部隊を導入して攻略を行うことを許したのだ。
貴族家だけではなく、帝国や皇国もこの話に飛びついた。
一人の人間が攻略を行ったと軽く考えていた者たちは、当初は雇った冒険者に守備隊を監視として送り出した。
神殿の主は、信じられないことに、”集積所”まで来たら、アーティファクトで神殿まで運んだのだ。情報の売買も許した。しかし、それで攻略が進むわけではない。神殿に入っていった者たちは、”協力”するわけではなく独自で動く。足の引っ張りあいを神殿の”迷宮区”で行っていた。
遅々として進まない攻略が3ヶ月を過ぎようとしている時に、帝国で内乱が発生した。神殿に兵を送った貴族に、近隣の貴族が攻め込んだのだ。内乱は、皇国でも発生した。皇国は、民に寄る反乱だ。虐げられている民が、奴隷と同様に扱われていた”二級国民”の”紋”なぜか消えるという事態になっていた。
内乱は、王国でも発生した。
王国内で発生した内乱は、神殿に兵を出して再攻略を行っていた貴族家で発生した。裏で、”誰か”が動いた可能性が高い。内乱は、即座に鎮圧された。死地に送られそうになっていた守備隊の反乱だった。男爵家や騎士爵家が潰された。指示を出していた、寄り親の子爵家は、転封され力を落とした。王家派閥以外の者たちは、壊滅状態に陥った。伯爵家も存在したが、神殿の別荘区での謹慎処分となった。
これが、”神殿”を発端とした狂騒だ。帝国や皇国は、まだ内乱が終息していない。
王国は、王家の直轄領が増えた。小さいが、”集積所”と街道を整備した場所だ。
王国内が再編されている状態にも関わらず、僕や父上は王都から離れられない。
毎日ではないが会議が行われている。神殿の主の協力が必要になる前提ではあるが、物資の輸送が可能になり、生産調整が必要になってしまっているのだ。派閥内で調整は可能だが、派閥に属さない貴族家への配慮も必要になる。もちろん、王家の直轄領や公爵家へ配慮も同様だ。輸送に適さない物は、近隣で調整すればよかったが、長距離搬送が可能になり状況が変わった。
神殿の主が提供するアーティファクトは、神殿に住まう者が教習を受けて運用が可能になる。
権限を持たない者が動かそうとしても、アーティファクトは動かない。アーティファクトによっては、御者台に乗り込むことも出来ない。盗難が不可能なのだ。動かすためには魔力が必要になり、魔力を充填できるのも、神殿だけで定期的に神殿に戻す必要がある。
豪商が無理やり奪おうと考えて、御者を脅したが、御者が居なければ動かない。御者台に、御者が収まった状態でなければ、アーティファクトは動かないのだ。
それだけではなく、御者台に対する攻撃が無効化されて、害することが不可能なのだ。そして、豪商は”集積所”への出入りを禁止されて、落ちぶれていく未来が見えてしまった。
真面目に商いを行っていた小規模の行商人を、神殿は優遇した。
神殿から来ている者たちを、神殿の主が許可した行商人を、アーティファクトに載せて商売を行う許可が出た。馬車と同じ程度のアーティファクトを使った行商は、さらに物資の移動を促進した。
集積所から村への搬送だけではなく、村から村への輸送が可能になり、村で余剰になっている物が存在していることが判明した。
麦や大麦が税として徴収していた。そのために、村々では”麦”の栽培をしていたのだが、それだけでは食べられないために自分たちが食べる用の作物が存在していた。同じように近隣に山がある村では、山の実りを採取している。川があれば、川の幸を採取している。
これらは、村民たちの腹を満たす物で、外向けや税の対象ではない。しかし、大量に作物が出来てしまう場合もある。元々は、行商人がそれらを買い取って他の村で売っていたのだが、近隣同士は植生も似ている。しかし、アーティファクトを利用して、山の幸を川辺の村落に、川の幸を山の村落に、輸送すれば喜ばれる。村だけではなく、町や街でも同じだ、近隣には無い物が手に入るようになる。今まで、二束三文で買い叩かれていた物が、遠隔地に輸送できれば高値で売ることができる。
王城で行われているのは、今まで誰もやったことがない調整なのだ。
官僚たちも頭を突き合わせて考えているが結論が出ない。
サンドラに現状を伝えたら、笑いながら言われてしまった。
『信頼できる行商人や街々にいる顔役に調整させればいい』
妹の言葉を受けて、僕は父上に進言した。
いきなり王城の会議で提案できる内容ではなかったために、自分たちの領地で実験的にやってみることになった。父上からの命令で、僕が領地に戻り、陣頭指揮を取った。なぜか、次期国王のジークムントと一緒に成り行きを見守ることになった。
幸いなことに、レッチュガウは山も川も海も平原もあり、王国の縮図のようになっている。
各地区を代表する者たちを領都に招集して、話を始めた。
最初の頃は、集落や地区の事情がぶつかり合って話が進まなかった。
しかし、行商人や小規模の商人が会議に参加するようになって事情が変わった。
行商人が調整をおこなって、商人が値段の保証をした。そこからは早かった。父上から税に関しても、無理に”麦”でなくても問題はないと言われている。辺境伯領では、神殿のマネをして”人頭税”を廃止した。同じく、”集積場”には”税”をかけていない。商人が、売った金額に応じて”税”をかけているだけだ。領を通る時の、通行税や入領税なども廃止した。これで、税収が減ると考えていたが、以前よりも二割以上多くの税収が集まる予想になった。
税を簡略化して、少なくすることで、税収が増える。最初は、意味がわからなかった。
ジークムントも驚いていた。収穫物での税を廃止したことで、村々では育てやすい食物を育て始めた。それらを、行商人が買い取って別の村に持っていく、それだけのことなのに、税収に結びついた。
今までの流れと状況をまとめた資料を作成した。
資料作成だけで、3日も必要になってしまった。
父上に報告するまえに、ジークムント殿下に確認してもらうことになった。
僕が書き上げた資料は、事実だけが書かれている。
「ハインツ」
「殿下?」
ジークムント殿下が、今までのことがまとめられている資料を呼んで僕の名前を呼んだ。
「俺には理解ができない」
「僕も同じです。ですので、聞かないでください。資料は、事実です。事実だけが書かれています」
「それはわかっている。俺が関係した案件も存在している」
「はい」
そうなのだ。ジークムント殿下が直接関わったわけではないが、神殿の別荘区の管理者はアーデベルト殿下なのだ。
「クラウスは、別荘区で限界まで購入したそうだな」
「はい。陛下も購入されたようです」
「・・・。ハインツ」
「はい。殿下」
「陛下は、俺に王位を譲って、神殿の別荘区に移住すると言い出した」
「・・・。殿下、レッチュ辺境伯も同じです」
「阻止するぞ」
「はい」
ジークムント殿下が僕と同じ考えであったのは嬉しく思うが、多分無理だろう。1-2年程度は伸ばせる可能性は残っているが、移住を阻止するのは無理だろう。
陛下や父上だけなら、可能だったかもしれないが、家令やメイドまで父上に協力すると、僕のちからでは無理だ。多分、殿下のところも同じだろう。アーデベルト殿下から神殿での生活を聞いているのだろう。多分、流れは止められない。
神殿の価値。
多くの者は、アーティファクトと考えるだろう。
僕も最初はそう思っていた。
馬なしで走る馬車。それだけの存在ではない。通常の馬車の10ー15倍の速度で移動できる。荷物は、アーティファクトの大きさで違うが、最小でも馬車と同等の運搬能力がある。神殿の主しか使えない物に至っては、推定100倍だと言われている。サンドラが言うには、それでもまだ余裕があるのだと教えられた。
確かに、大きなメリットだ。神殿のわかりやすい価値だと言える。
商人たちは違う見方をしている。
神殿の主が許可する形にはなっているが、住んでいる者たちに価値を感じている。ドワーフの工房から生み出される品。酒精は、王国では手に入れた者は、自慢するために、酒精を披露するためだけにパーティーが開かれるほどだ。武器も一級品だ。家宝物の宝剣が売られている。それだけではなく、神殿からの産出に頼っていた魔道具の再現が成功している。商人たちは、買い漁った。商人は、神殿の価値を生み出される魔道具や武器や酒精。迷宮区から産出する素材だと感じている。
確かに、大きなメリットで、神殿の価値だと言える。自由に研究ができる場があるから、職人が居着く環境が提供出来なければ意味がない。商人だけではなく、職人に取っても神殿には価値がある。
民にも神殿は価値がある。
移住を求める難民は後をたたない。しかし、神殿は無条件に民を受け入れているわけではない。安全に生活ができる環境を提供している神殿への移住を考えるのは当然の成り行きだ。レッチュ伯領でも住民の移住が増えそうになった。サンドラの献策を採用しなかったら、住民の流出が発生したかもしれない。それだけ、神殿は魅力的に見えるのだ。
「ハインツ。最後にまとめられている。”神殿の価値”だが、ハインツが考える価値はなんだ?」
「質問に、質問で返してもうしわけないのですが、殿下は”価値”をどこに見ますか?」
「俺か?俺は、神殿が抱える武力が一番の価値だと考える。武力を支える、搬送能力があるために、遠隔地でも適切な武力の行使が可能になる。今まででは考えられない方法だ。武力とそれを支える輸送能力こそが、神殿の価値だと思う」
「たしかに・・・」
「ハインツは違うのか?」
「僕が思うには、神殿の主・・・。ヤス殿の知識と、姿は誰も見たことがないとマルス殿の知識ではないでしょうか?武力も輸送も研究も全て、ヤス殿とマルス殿の知識に支えられていると思います。神殿の価値は、お二人の知識だと考えます」
僕が、最後にまとめたのは、ヤス殿とマルス殿がサンドラやアーデベルト殿下に語った統治や”物流”に関する知識だ。
神殿が”価値”のある存在として認識されたのも、ヤス殿とマルス殿の知識が有ったからだと確信している。
僕がまとめたノートをジークムント殿下は読み終えて、いくつかの訂正と補足を頼まれた。
ジークムント殿下は、僕の名前で報告書を陛下に提出してくれると約束してくれた。