儂は、クラウス・フォン・デリウス=レッチュ。バッケスホーフ王国の辺境伯だ。絶賛、後悔中だ。好奇心に負けた過去の自分を殴りたい。
「クラウス殿。ここが貯蔵庫だ」
「貯蔵庫?」
「そうだ、ここで蒸留酒を寝かせている」
「しかし・・・」「そうだ、単純に寝かせているわけではない。ヤスが作った部屋で、端から1年。2年。4年。8年。16年。32年。と、なっている」
「??」
「嬢ちゃんに聞いていないのか?」
「えぇ何も?」
「そうか、それじゃしょうがないな。この部屋は、広さは20メートル四方くらいの部屋で、1日で言った年数が進む部屋だ」
「は?」
「扉を閉めている間だけ、時間が加速すると考えればいい」
「・・・。イワン殿?それは」
「本当だぞ。さっき試飲しただろう?あれは、8年物だ。神殿でも、この部屋があるのは、儂らの工房だけだ。エルフたちの果樹園は、エルダーエントやドリュアスの恵みがあるから通常よりも早く収穫できる上に品質もいい。それらの果実を使って、酒精を作って蒸溜して寝かせている。実験的に作った物も多いからな。味がよかった物から、量産している」
確かに、ここはドワーフの聖地だ。うまい酒精で、酒精が強い飲み物が揃っている。それだけではなく、数も揃えられる。
「値段は、嬢ちゃんに聞いてくれ」
「え?」
「だから、値段だよ。欲しいのだろう?」
「もちろんですが、値段を公表していると言うのは?」
「かなり前から嬢ちゃんたちには言っているぞ?ヤスからも、娯楽品や嗜好品は売っても構わないと言われている。実は、工房で作った二級品の酒精が大量の在庫になっていて、困っている。クラウス殿。安くするから、買ってくれないか?あと、武器と防具と日用品や魔道具も頼む」
「は?」
「後で嬢ちゃんに言っておくが、魔剣や聖剣もできれば買っていって欲しいが、止められているからな王家に献上してもいいが、数本だろう?出来た酒の置き場の方が大事だからな。儂たちが飲んでいるが、出来る方が早い。ワインを蒸溜した物を32年の部屋で・・・。お!飲んだほうがいいな」
何を言っているのか理解することを頭が拒否した。しかし、話しはそのまま進んだ。
儂は、表で売っていた武器や防具や日用品を買えるのか?ここで作っている酒も買えるのか?
そして、イワン殿が戻ってきて出された透明なグラスに琥珀色の液体が満たされている。ここで作った酒精だと言われた。出された琥珀色の飲み物を口に含んだ瞬間にすべてがどうでも良くなった。
「イワン殿。これは?」
「ヤスは、ブランデーと呼んでいたな。凄まじいだろう?32年の部屋で、5日間置き忘れていたら、最初の量の半分以下になってしまった残りだ。160年近く寝かせた物だ。ここには、それに匹敵する物が多い。儂たちが常に飲む物だ」
「・・・。確かに、これを飲んでしまうと、先程まで至高だと思っていた物が二級品と言われても納得してしまいますな」
「ハハハ。これが解る人だとは嬉しい。2-3本持っていけ!タダでくれてやる。その代わり、二級品をさばいてくれ、置き場所の為に、ヤスに工房の拡張を頼むのもあまり頻繁だと悪いからな」
「・・・」
惜しいが、1本は王家に献上しよう。ヤス殿からの贈り物として・・・。それから、武器と防具も娘と相談だな。酒精は、商会を通したら・・・。ダメだ。通常ルートでは、王国にある酒精を作って居る貴族が何を言い出すかわからない。王家と儂の派閥だけで・・・。娘たちが売りに出さなかった理由が解る。売りに出せば、確実に問題になる。欲しがる者が殺到するだろうし、提供が少なければ値段が高騰する、多ければ既存の製作者が潰れる。
本当に聞かなければよかった。
「イワン殿。在庫は?」
「二級品か?武器と防具は、二級品未満の物は冒険者と商隊が買っていくから、ある程度は捌けているが、奥の工房で作った武器と防具と魔道具が売れ残って困っている」
「作らないという選択肢は?」
「ないな」
解っていたが、はっきりと言われてしまった。
「ヤスの奴は、俺たちがなにか作ると、新しい製法や理論を考えるからな。実験がてら作っているだけだからな。酒精は辞めないぞ?儂たちの命だからな」
「酒精は諦めました。それに、ドワーフ族が増えたら、消費も増えるでしょう。際限なく飲めるでしょう?」
「ガハハ。そうだな。ドワーフ族が増えれば、儂のようなエルダードワーフも来るだろう。そうなったら、在庫の問題も解決だな」
ん?今、聞いてはならない情報が耳に入ったが、スルーさせてもらおう。
イワン殿が、ドワーフ族の王族に連なる、エルダードワーフだとは聞いていないし、知らない情報だ。
「イワンさん。お父様。そろそろ次の視察に向かいたいのですが?よろしいですか?」
正直な思いとしては”助かった”と思った。これ以上、この場に居ると知りたくない情報が入ってきそうだ。
「お!嬢ちゃん。クラウス殿が、在庫を処分してくれると約束してくれた」
娘の視線が痛いが、これ以上の情報は欲しくないし、儂が考えを拒否している最中に、話が進んで、なんか買うと決まってしまったのだ。
儂になにが出来たと言うのだ!
「はぁ・・・。わかりました。多分、そうなるだろうとは思っていました。お父様。値段や量などは、後日でよろしいですか?」
「それで頼む。頭がパンクしそうだ」
儂と娘が立ち去ろうとした所で、イワン殿が何かを思い出したのだろう、娘を呼び止めた。
「嬢ちゃん。ヤスから、渡されて困っている物がある。相談に乗ってくれ」
「・・・。はぁいいですよ?でも、アブソーバーみたいな物は困りますよ?」
「ハハハ・・・。はぁ・・・。嬢ちゃん・・・。すまん。先に謝っておく」
「え?」
娘が言ったアブソーバーも気になったが、イワン殿が先に謝るような物とは?
イワン殿が奥から、抱えられる程度の箱を持ってきた。なぜ、儂は、この時点で逃げなかったのか・・・。嫌な予感はしていたが、好奇心が勝ってしまった。
「これは?」
イワン殿は、箱を娘に渡した。娘は、受け取ったあとで中身を聞いたが、イワン殿は、開けて中身を見て欲しいと言っている。
娘は、諦めたようで、箱をテーブルに置いて蓋を開ける。そこには、瑞々しい葉っぱと神気さえ感じる枝。そして、蓋はしてあるがそれほど豪華でなない入れ物に入った水のような物だ。娘を見ると、顔色が赤くなってから青くなって・・・。今は、白に近い色になっている。
「イワンさん。ヤス様のことですから、これだけではないですよね?」
「正解だ。葉っぱは、100キロ。枝は200キロ。樹液に関しては、ほぼ無制限にある。奴は、あのバカは、この樹液で果実水を作ったら美味しかったから、酒の原料に使って欲しいと言ってきた。葉っぱや枝は、不純物を除くし、”菌”を殺すから、部屋の浄化にも使えるだろうと・・・。どうしたらいいと思う?」
「・・・。イワンさん。それで作ったのですか?」
娘がイワン殿を睨む。イワン殿も諦めたのか、正直に言った。
「・・・。作った」
何を作った。そもそも、それは?
「サンドラ?イワン殿?」「お父様・・・。後悔しますよ?」
「クラウス辺境伯様。これは、精霊樹の葉と枝だ。水は、精霊樹の樹液だ」
「・・・・・・・・。えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?せ、精霊樹?今、確かに精霊樹と言いましたか?」
娘が頭を抱えている。娘の魔眼なら、精霊樹の素材だと解ったのだろう。
「イワンさん?」
「すまん。巻き込みたかった」
「それはもういいです。お父様も自ら聞いたのです、自業自得です。それで?作った物は?」
イワン殿が別の箱を持ってきた。さきほどの箱と比べて大きめだ。
凄まじい効果がある。儂も欲しい。王家も欲しがるだろう。いや、貴族だけではなく、値段次第では誰もが欲しがる。
儂は、クラウス・フォン・デリウス=レッチュ。バッケスホーフ王国の辺境伯だ。絶賛、後悔中だ。
ドワーフ族だと名乗ったのに、実はエルダードワーフだったイワン殿。家名持ちと教えられた時点で気がつけばよかった。
目の前にあるものは見なかったことにして、自分の屋敷に帰ろうと本気で考えた。娘が、帰さないと徹底抗戦だ。たしかに、王家からの頼みをヤス殿に伝えないとならない。娘を睨むが、娘は、もういろいろと諦めている表情をしている。
目の前に置かれている、魔道具と酒精。見なかったことにしたい。
「イワンさん。それで、量産は可能なのですか?」
「残念ながら・・・・」
そりゃそうだろう。いくら伝説のエルダードワーフでも無理だろう。それだけの効果がある魔道具だ。
「簡単だ。表の奴らでも量産出来る。素材もヤスが準備出来る。100や200なら明日にも渡せる」
ダメだ。ドワーフに面白い素材を渡してはダメだ。
「そうですか、魔道具は、偽れますか?」
「そうだな。こっちは可能だ」
イワン殿が提示したのは、部屋に置いておくと定期的に部屋の中に漂う有害な物を排除してくれる魔道具だ。ヤス殿は、”空気清浄機”と命名したようだ。独特の命名だ。確かに、精霊樹の素材が使われていると宣伝しなければ・・・。毒を無効化して、部屋の中にある微細な汚れを吸収するらしい。精霊樹の素材を使っていると知らなければ、疑いながらも一つは試しに買ってみるだろう。
「もうひとつは、ダメだ。飲めば解ってしまう」
儂もイワン殿の話を聞いて納得した。
そもそも、精霊樹の樹液で酒精を作ろうとしないで欲しい。それだけで、伝説のエリクサーの材料で、高値で取引される物だ。それも、小指ほどの瓶に入った物でも白貨の価値はある。目の前にあるのは・・・。
「それでイワンさん。樹液で作った酒精は、何が出来たのですか?」
娘は儂が聞きたくなかった話を聞いてしまった。
「神の酒の出来損ないだ」
「え?」「は?」
今、イワン殿は、神の酒と言ったか?間違いないよな?
「イワン殿?」
「儂ら、ドワーフ族に伝わる言葉がある。『精霊樹の葉を精霊樹の枝で叩き、汁を金毛羊の羊毛で濾して、精霊樹の樹液と金毛羊の乳を加えて、100年寝かせた物が神の酒となる』と言われている。これは、128年寝かした物だ」
「は?」
「でも、神の酒にはならなかった。伝説では、神の酒は、『琥珀色で光っている』と言われている。色は、神の酒だが光っていない。最高にうまくて、古傷まで治るが、不死にはならなかった。ヤスに頼んで実験したが、欠損部分は治ったが、死ねなくなる効用はないと言われた。その時は、落胆したが・・・」
ん?不死の実験をした?どうやって?誰で?絶対に聞かない。聞いては絶対にダメな情報だ。
神の酒ではないと聞いて安心したが、欠損や古傷が治るとなると、上級ポーションの上だろう。エリクサーと同等の効用があると考えられる。
「そうだ。これは、飲まないと効用がなかったそうだ。ポーションの様にかけても効果があるような代物ではなかった」
安心できる情報ではないが、エリクサーでもないようだ。
イワン殿は、神の酒をさらに蒸留して寝かせてみたと言っている。本当にドワーフという生き物は・・・。
その前に・・・。
「イワン殿?そう言えば、金毛羊は無理なのですよね?魔物自体も超々レアだと思います、金剛羊の変異種ですよね?生きている状態で刈り取る必要が有ったと思いますが?」
「・・・」「お父様・・・。残念なお知らせです」
聞きたくない。
「ヤスさんは、それに関しても、とんでもない物を眷属にしています」
「眷属?」
「はい。銀色の毛と金色の瞳を持つ狼。金と銀の瞳を持つ漆黒の猫。額に赤く燃えるような宝石を宿している栗鼠。赤く鋭い角を持つ金色の兎。赤い翼を持ち全身は金色に輝く巨大な鷲。そして、全身を金色の毛で覆われた羊。眷属のトップとしてヤスさんに従っています」
「・・・。サンドラ」
「嘘でも、誇張でもありません。事実です」
「嬢ちゃん。違うだろう?」
イワン殿が複音とも言える訂正を入れてくれる。伝説の6体が揃い踏みしているわけがない。
「そうですね。正確には、眷属として、『その他多数の魔物を従えている』でしたね」
「は?」
「お父様にわかりやすい所だと、イリーガルウルフやイリーガルキャットあたりは当然ご存知だと思います」
「あぁ強くはないが、我が領の兵5人で1体に当たる程度だ。小さな村では、一匹現れたら全滅の可能性だてある」
「はい。それでは、インフェルノウルフやインフェルトキャットなら?」
「災害級だな。領都なら持ちこたえる可能性があるが、小さな都市では一匹で全滅だ」
「はい。そのインフェルトウルフやインフェルトキャットの変異体や上位個体・・・。特化個体が、先程の魔物達の王に従っています。数は、私がヤスさんに確認した時には、10体と言っていました」
「嬢ちゃん。少し古いな。俺が、精霊樹の素材を貰った時に聞いたら、それぞれ20とか言って笑っていたぞ?弱い個体がうまれてきたから、また鍛えるとか言っていたぞ」
「・・・。な・・・。な・・・・。なんで?そんな状況に!」
「お父様。ここに来るまで、魔物を見ましたか?」
「え?」
「街道沿いでも、神殿に上がる道でも、神殿でも構いません。魔物を見ましたか?」
「見ていない。だから、信じられない」
「間違っていません。さて、それでは、ヤスさんは、どこに眷属を集めているのでしょう?」
「まさか・・・」
「はい。神殿の迷宮区です。それも、冒険者の邪魔になってはダメだろうという気遣いで、最奥部に、最高濃度の魔素が吹き出る場所で生活をさせているそうです」
「もしかして・・・。餌は?」
「狩り放題でしょう。私が見学した時には、グレーターバッシュミノタウルスを集団で飼って、美味しそうに食べていました。もちろん、魔石も、すごく美味しそうに食べていました」
「嬢ちゃん。魔石じゃないだろう?魔晶石だろ?それだけの個体なら、魔石じゃなくて、魔法触媒にもなる魔晶石だっただろう?」
「そうですね。でも、些細な違いでしょう」
「ガハハ、確かに、確かに、些細な違いだな」
儂の頭が悪いのか、娘とイワン殿が話している、魔石と魔晶石の違いが些細な違いとは思えない。売買価格で100倍以上の開きがある。そもそも、希少性を考えれば、もっと高い取引になる場合もある。それを、魔物が食べている?グレーターバッシュミノタウルス?魔法名を持っている個体?それが餌?熟練の冒険者が数パーティーで挑む魔物でアンタッチャブルな存在だ。それが餌?
「あっ。お父様。だから、金毛羊の羊毛も素材として入手が可能です」
神の酒の問題は小さく感じてしまう。神の酒は、確かに重大な物だが、問題はない。神殿内部でだけ飲んだり使ったりすればいい。外部に出すときにも、信頼できる商隊に任せればいいだけだ。
だが、魔物は別問題だ。一体で、国を滅ぼしかねない。神殿の奥に居ると言っているが・・・。神殿の守護者の立場なのだろう。そう考えれば、ヤス殿が神殿を公開している理由がわかる。攻略は絶対に不可能だ。伝説の魔物が6体揃って、それぞれの眷属が20体付き従っている。そんな場所を攻略できる者が居ると思えない。
ひとまず、”空気清浄機”は神殿の中で流通させる。儂も5つ持って帰って、2つ王家に献上する。一つは信頼出来る商家に見せて反応を見る。2つは実際に屋敷で使ってみる。神の酒も同じ様にする。王家に黙っているのは無理だ。知られてしまった時に、反逆を疑われても文句が言えない。ヤス殿と儂の名前で王家に献上する。
娘の儂を見る目の意味がやっと解った。
王都から帰るアーティファクトの中で、『神殿に行ってヤス殿に面会する必要がある』と言ったときに、娘が止めたのに関わらず、『神殿の施設を視察できないか』と聞いてしまった。あのときの目は、こうなると予測・・・。いや、確信していたのだろう。
儂は、クラウス・フォン・デリウス=レッチュ。バッケスホーフ王国の辺境伯だ。絶賛、後悔中だ。
ドワーフの工房で精神的に疲れてしまった儂は、いろいろ譲歩・・・。ではなく巻き込まれてしまった。娘の策略を疑っているが、悪い話ばかりではない。いや、違う・・・。本来なら、領を富ませる最高の物を得たと喜ばなければならない。ただ、他の領主や王家だけではなく、領内の有力者に知られた時に、誰にどれだけの情報を流すのか、調整が難しい。
そして、ドワーフの工房の最奥部に入るときに、娘が言っていた。『神殿に住むと言わないで・・・』の意味が解った。何もかも投げ出して、神殿に住めれば、この気苦労を感じなくて済む。それは、出来ない。儂にも辺境伯だという矜持がある。
嘘である。
長男のハインツを呼び戻して、領主として教育をして、家宰と守備隊をつければ、儂が引退しても大丈夫にならないかと本気で考えた。すぐは無理でも、2-3年もすれば・・・。多分ダメだ。ハインツには王都での仕事もあるし、貴族社会で揉まれないと、当主としてやっていけない。
ドワーフの工房を出て外に戻ってきた。扉は、儂らが出たら自然と閉まった。どういう仕組なのか、我が屋敷にも導入したい。
「そう言えば、サンドラ、マリーカはどうした?」
「家に居ますわ」
「そうか、お前」「あっお父様。もうしわけありません」
娘は、カードを取り出して、不思議な動きをする。カードに触れて、何やら喋っているのだ。
相手が誰なのかわからない。
「お父様。ヤスさんが会議室で待っているそうです。ただ、視察を先に終わらせておいて欲しいということです」
「え?」
「ヤスさんは、ディトリッヒさんから報告を聞くそうです。それが終わる位に連絡をくれるそうなので、それまで視察を続けて欲しいという連絡です。それから、残念なお知らせです」
「ん?残念?」
「視察場所が増えました」
「どういうことだ?教習場と迷宮区とサンドラの家ではなかったのか?」
「はい。家は、会談の後になりました。迷宮区に行ってから、カート場に行って、教習場に行きます」
もう、半分以上はどうとでもなれという思いだ。
「わかった。サンドラに任せる」
いつもの癖で言葉が先に出てしまった。神殿では命取りになりかねない。娘の笑顔が眩しい。そんな風に、笑えるようになったのだな。少しは、ほんの少しだけだが、ヤス殿に感謝だな。魔眼を持っている娘は、見たくないものも見えてしまっていた。それで、心を閉ざして無能者になろうとしていた。それが、親を罠にはめて、イタズラが成功した子供のように笑うのだ。
娘の頭を、数回軽く叩いてから、言葉を続ける。
「それで、カート場までも先程のバスで移動するのか?」
「あっいえ、カート場は歩いていける距離です。今日は、誰も使っていないので、許可が出たようです」
「そうなのか?何をしている施設なのだ?」
「行ってみても・・・。わからないとは思いますが、まずは見てください」
「わかった」
カート場も神殿の地下にある施設だと教えられた。
ドワーフの工房に入ったときと同じ様にカードをかざすと扉が開いた。階段があると思ったが、階段ではなく小さな部屋があっただけだ。壁に何かボタンが着いている。儂が部屋の中央に立ったのを見て、娘が壁のボタンを押した。読めない。数字は解るが、それ以外は何が書いてあるのかわからない。
入ってきた扉が閉まった。
「お父様。箱が動きますが、驚かないでください」
「は?」
間抜けな声を出してしまった。ガクンと振動が身体を揺らしたかと思うと、箱が落ち始めた。娘が落ち着いているので、大丈夫だと思うが・・・。
しばらく、数字が書かれたボタンが光っている。
”チーン”
「お父様。着きました。正面の扉が開きます」
箱の動きが完全に停まった。娘が宣言通りに正面が開いた。そこには、門から伸びる道と同じような色をした道が広がっていた。
「ここは?」
「説明が難しいのですが・・・。”カート”と呼ばれるアーティファクトをヤスさんが貸し出してくれている場所です」
「アーティファクトを貸し出す?すまん。サンドラ。意味が全くわからない」
「はい。だと思います。今日は、特別にお父様にも許可が出ているそうなので、実際に試してみるのが早いと思います」
「あぁわかった」
「こちらに・・・」
娘に案内された場所には、表現が難しい物が並んでいた。微妙に形が違うが似たような物だ。乗ってきたアーティファクトに使われるような車輪をかなり小さくした物を付けたアーティファクトだ。街中で少しの荷物を運ぶときに使う物に似ている。
「私は、専用のカートがありますので、それを使います。お父様は、そうですね。サイズはそれほど違いませんが、大人用になっている物を使われたほうが良いと思います」
娘が何を言っているのか解らなかったが、手で押せば動くと言われて、一台を並んでいる場所から手で押した。黒く綺麗に整っている石の上に、白い線が沢山書かれている場所まで移動させてから娘を待っていると、娘が似たような物に跨って移動してきた。よく見ると、儂が動かした物と色が違う。
「サンドラ!おま・・。アーティファクトを動かせるのか!」
娘が、儂が動かしたカートの横に移動して来て、カートを停めた。娘に教えられながら、カートを動かした。
なにこれ・・・。すごく楽しい・・・。馬車が自分の意思通りに動くのと違った感じだ。そう、自分がすべてを支配して動かしている感じがする。
「お父様。カートは、こういう乗り物です。この地下でしか動かせません。そして、神殿の住民なら全員が動かせるわけではありません」
「どういうことだ?」
「はい。お父様は特別に許可を頂きましたが、本来なら、神殿の主であるヤスさんをサポートしているマルス殿から許可される必要があります」
また新しい情報だ。マルス殿?
「サンドラ。マルス殿とは?儂が会えるのか?」
「無理だと思います。ヤスさんとセバス。ツバキ以外にはお会いにならないようです。リーゼやドーリスも会えていません」
「そうか、ヤス殿のサポートをしながら、神殿を運営しているのだから、かなりの負担なのだろう」
「はい。そう思います。マルス殿から、許可が降りなければ、カート場はもちろん、先程のドワーフの工房も、これから行く教習場や迷宮区にも入られません」
「ん?でも、どうやって、許可が降りるか知るのだ?会えないのだろう?」
「それは、カードでわかります。許可が降りれば、印が着きます」
よく考えられている。カードが身分証明書になっている上に施設に立ち入るときの鍵になっている。
「審査はどうなっている?」
「セバスやツバキに申請して・・・。あっ、最近ではギルドでも可能になりました。マルス殿が行動履歴を調べて、ヤスさんが許可をだす様です」
「そうか・・・。出すようですという事は、審査基準は不明確なのだな」
「いえ、マルス殿から、明確な基準は示されています」
「それは?」
「神殿への帰属意識です。忠誠心と言えばいいのかも知れません」
「ん?それこそ難しくないか?」
忠誠心がわかる方法があれば儂も知りたい。部下を疑って過ごすのは気分的にも落ち着かない。
「お父様。ここが、神殿だというのをお忘れですか?」
「忘れては居ないが・・・。まさか、アーティファクトなのか?」
「はい。このカードもアーティファクトだと言えば、アーティファクトです」
「そ、そうだな」
「そして、カードは神殿に入る時から、持っていないと生活が出来ません。家の鍵にもなっています。バスに乗る時にも必要です。買い物の時にも必要になっています」
「・・・」
「行動履歴とは、そういうことです。スパイを炙り出せるのです。ある程度住んでいれば、すべての施設ではありませんが許可がおります。ただ、頻繁に外に出かける者や頻繁に外の者と会う場合には、許可が降りなくなります」
「サンドラは大丈夫なのか?」
「私は、大丈夫です。お父様にも神殿の中に来て頂けました」
「あっそうか、儂にもカードを渡したので、大丈夫と判断されるのか?」
「わかりませんが、お父様の許可はヤスさんから頂いています。それに・・・」
「それに?」
「お父様。正直に聞きます。神殿の勢力に対抗しようと思いますか?」
「無理だな。ヤス殿のアーティファクトだけでも敵対しようとは思わない。神殿の中を見てしまってからは、良き隣人になって利益を享受する方法を考える」
「はい」
娘が一番の笑顔で儂の言葉を肯定する。
儂は、クラウス・フォン・デリウス=レッチュ。バッケスホーフ王国の辺境伯だ。神殿の視察で、神殿の真実の一端に触れてしまった。しかし、これが終わりではなかった。娘の笑顔を見て、これで終わったと思ったが違っていた。
もう少し、カートを動かしたいと思ったが、ダメだと言われた。今度、休みが許可されたときにまた来て視察したい。ドワーフの工房は心臓に悪いから、カート場だけでいいか・・・。だが、ドワーフの酒精は魅力がありすぎる・・・。
カート場を出て、バスと呼ばれたアーティファクトに乗って、教習場と呼ばれる場所に着いた。先程のカート場を大きくしたような場所だ。
「お父様。ここが、教習場です」
「サンドラ?」
儂は自分の目を疑った。
バスだけでなく、儂が神殿に来るまで乗っていたアーティファクトと比べると一回りほど小さいアーティファクトが動いている。
「サンドラ。ここは、もしかして・・・」
聞きたくないが、聞かなければならない。バスに乗った時にも違和感があった。アーティファクトを動かしていたのは、人族の女性だ。
「はい。お父様が考える通りの施設です。ヤスさんのアーティファクトを貸し出して、動かし方を教えている場所です」
「それは、誰でも出来るのか?」
「いえ、教習場はカート場よりも審査が厳しいです」
「審査?」
「はい。マルス殿の審査の合格は必須なのですが、それ以外にも、読み書きや計算。あと、簡単な戦闘の確認もあります。あっあと、アーティファクトの操作に、ある程度の魔力と身長が必要なので、最低限のチェックが存在します。それから、”筆記試験”と呼ばれているテストに合格してから、教習場でアーティファクトの操作を覚える修練が始まります。修練期間は最大で6ヶ月とされています。その間に、試験を受けて、合格できたら、ヤスさんからアーティファクトが貸し出されて、最初は神殿の都内部を自由に移動できるようになって、更に試験を受けて合格できれば、ユーラットや関所の村まで移動できる許可がおります。その後は、多分ですが、領都までになると思います」
娘が省略したが、領都はレッチュ領の領都だろう。
アーティファクトでの輸送が行える?ヤス殿以外にも?
ドワーフの工房で見た二級品と言われていた、品質の高い武器や魔道具や日用品が手に入る?
それだけではない。目に見えないメリットも大量に発生する。まずは、塩や砂糖の輸送が可能になる。関所の村が出来たと言っても、そこから領都までは、安全とは言えない。盗賊は日頃から討伐しているから大丈夫かもしれないが、魔物の被害は・・・。それに、リップル子爵がどう動くのかわからない。帝国も驚異だ。
「お父様?考え事をしている所で申し訳ないのですが、考えている内容は、想像が出来ます。それを実現するためにも、ヤスさんに報告をして提案を受けていただかなければならないと思いますが?」
「そっそうだな」
いろいろ衝撃的な情報が多くて忘れていたが、儂が神殿に来た理由を思い出した。
「お父様。迷宮区に移動します」
「わかった。どうやって移動する?また、バスに乗るのか?」
「いえ、少しだけ歩きますが、ギルドから移動します」
「ん?」
「大丈夫です。行けばわかります」
教習場からギルドは割と近かった。それ以上に、住民たちが乗っているアーティファクトが気になった。
「サンドラ。あれは?」
「あれは、ヤスさんが言うには、”バイク”と言うそうです。そして、あれが、”原付き”という名前で呼んでいます」
「自転車とも違うのだな?」
「そうですね。アーティファクトではありますが、自転車は自分の力で動かします。”バイク”や”原付き”は魔力を使って動きます」
「そうか・・・。そうなると、バイクや原付きが欲しくてもダメだな」
「はい。自転車で満足してください。あっギルドや建物の説明は必要ないですよね?建物は、それほど違いはありません」
確かに、ギルドの雰囲気には違いはない。なぜか安心してしまった。
娘が、受付に居る女性に何やら話をしてから戻ってきた。
「お父様。行きましょう」
「大丈夫なのか?」
「えぇ問題はありません」
娘についていく、今までと同じ様にカードをかざすと扉が空いた。緩やかな下り坂になっている。
「お父様。ここが、迷宮区の入口です」
坂道を歩いて広場のような場所に出た。冒険者らしき者たちが、洞窟の入口あたりで何かを見ている。
「あれは?」
「あぁ相場を見ているのだと思います」
「はい。階層別に、狩れる魔物が違います。ギルドが買い上げた値段や商人が買い取った値段の新しい物から表示されています。時々、商人の希望買い取りも表示されたりします」
「なぜ?」
「ヤスさんが言うには射幸心を煽るためだと言っていました。他にも、正面にいくつも”モニター”があります」
「あれは?」
「近づけば見えてきますが、迷宮区の中を表示しています」
「え?」
娘に言われて近づいたら、たしかに魔物と冒険者が戦っている様子が表示されている。理解できないが、理解しよう。どうやって表示しているのかは、この際は気にしない。子供ではないが若い者が表示されている戦いを食い入るように見ている。戦闘の参考にするのだろう。真剣な眼差しだ。
傷だらけの者たちが休んでいる場所がある。迷宮に潜っているのなら、怪我もするだろうし、相手次第では死ぬこともあり得る。なのに、けが人だけが大量にいる場所があるのは理解できない。
「サンドラ。あの部屋は?」
「救護部屋ですか?」
「救護部屋?」
「はい。あっ丁度いいですね。右端のモニターを見てください。そろそろ、消えると思います」
「消える?」
娘に言われて、右端で戦っている者たちを見る。戦闘は訓練だけではなく実践を見てきているので、娘ほどではないが実力を見る目は持っている。儂から見ても、あの者たちが挑める魔物ではない。もって、5分。早ければ、1~2分でパーティーが崩壊するな。
儂の見立て通り、1分後に前線を支えていたタンクがやられそうになった。ダメだな。死んだな。
そう思った瞬間。パーティーメンバーの身体が光に包まれた。そして、次の瞬間には、写っていた場所から消えていた。同じタイミングで、救護部屋の一部が光った。光が収まると、先程戦っていた者たちが現れたのだ。
「サンドラ!どういう、一体、なぜ!?」
「お父様。落ち着いてください。彼らは、約束を守ってくれていたようです」
「どういうことだ?」
「ヤスさんからの命令で、迷宮区に入る時には、ある特定の魔道具を身につける約束になっています。私たちは、ヤスさんの命名通り”リターン”と呼んでいますが、腕輪タイプや足輪タイプ、イヤリング、指輪。いろんなタイプがあります。身に付けて、入口の・・・。あっ彼らのように、全員で入口近くにある魔道具に触れると、パーティーとして認められて、パーティーの誰かが瀕死の状態になった場合に、パーティーメンバー全員が救護部屋に転移されます」
「・・・。死なないということか?」
「そうですね。でも、残念ながら必ず助かるわけではありませんが、魔の森の探索や他の神殿に比べれば死ににくい状況ではあります」
「・・・。サンドラ。この情報は?」
「え?あっもちろん、ギルドには知らせています。お父様。でも、勘違いされるかも知れませんが、攻略が容易になっているわけではありません。実力がなければ、攻略できないのは同じですし、ギルドの難易度で言えば、最高ランクを軽く凌駕しています。ただ、他の場所と違って、順番に攻略していけば実力も身についていくように調整されているだけです。あと、お父様がいきなりどっかのパーティーに入って高難度の階層にはいけません。パーティー内で最低の実績に合わせた階層までしか許可されません」
「・・・。そうか・・・」
それしか言えなかった。
ギルドがこれで運営を許可しているのなら、口出ししてもしょうがないのだろう。王都周辺や他の街に居る冒険者が集まってくる事態にならなければいいとは思うが、そのくらいは考えているだろう。
「お父様の懸念がわかりますが、ここは神殿です」
「解っている」
「いえ、解っておられないと思います。迷宮区に入るにも申請が必要です。いきなり、今日住民になった者が迷宮区に入られるわけではありません。それに、神殿の都の住民になるのにも審査があります。ヤスさんが言うには、冒険者の審査はゆるくしているとは言っていますが、最低でも2回の審査があり、実績で狩場が決められるような、場所に他の場所で実績を作っているパーティーが来ると思いますか?話の種にするために一度は来る可能性はありますが定住はしないと予測できます」
「そうだな・・・」
迷宮区の入口を見回すと、確かに若手の冒険者しか居ないように見える。
武器や防具を売っている店もあるが、人影はまばらだ。道具屋もある。一般的な迷宮と考えれば普通の光景にみえなくもない。
ここは、モニターや転移を除けば”比較的まとも”だと思える。他の施設がひどすぎたから、感覚が麻痺しているだけかもしれないが問題は内容に思える。
正直、疲れた。本気で疲れた。来なければよかった。ヤス殿なら、領都に来てくれと言えば来てくれたと思う。サンドラと一緒に来てくれと伝えればよかったのだ。
そして、心の底から後悔している。好奇心に負けてしまった。でも、視察に来て自分の目で見て知れたのは良かった。後から、知ったら後悔では済まなかったかも知れない。王家に土産も出来た。そうだ、ハインツにも神殿の視察をさせよう。その後で、土産を持って王都に行かせればいい。王都で、王家とのパイプ役をやらせて、ゆくゆくは辺境伯を継がせる。そして、儂は神殿で隠居生活を行う。
「お父様」
「どうした?」
「セバスが来ています。私の家は、ヤスさんとの面談の後でいいですか?」
「大丈夫だ。サンドラの家も気になるが、領都の屋敷とそれほど違いはあるまい」
娘の可愛そうな人を見る目は気になるが、領都の屋敷は最新の魔道具で固めている。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫・・・・。だよな?
娘がヤス殿に会うまで儂の顔を見ようとしなかったのは気になったが、気持ちを入れ替えよう。交渉次第で動き方が変わってくる。
疲れた。一言で、表現してしまったが・・・。心の底から軽蔑する相手だが、リップル子爵と話をしたときの方が疲れなかった。
別に、ヤス殿が嫌いとか軽蔑すべき人物だという意味ではない。自分で言っていてよくわからないが、ヤス殿との交渉は本当に疲れた。
疲れただけの成果は有った。
「お父様。お疲れ様でした」
「サンドラ。疲れた。あの地図!?それに、モニターはあのようにして使うのか?セバス殿はまともだと思ったのだが?」
「お父様。それは無理というものです。ここ1週間住んで見ればわかります」
「どういう意味だ?」
「心配するのが馬鹿らしく思えます」
「ん?あっそうか、地図は、誰でも見られるのだな?モニターも・・・」
「はい。そろそろ、大丈夫だと思いますので、私の家に行きましょう。最後の視察です。お父様。くれぐれ先程のお約束を忘れないようにお願いします。そして、レッチュ領の領民がお父様を必要としていると忘れないでください」
「大丈夫だ。サンドラ。儂は、レッチュ領の領主だ」
「・・・」
娘の反応が悪い。
確かに、一度・・・ではないかも知れないが、神殿への移住が可能か考えたが、それでも、やはりレッチュ領が大事だ。ハインツが領を継ぐまでは頑張るつもりだ。少し、ほんの少しだけ陛下に進言して、ハインツを領主・・・。駄目だ、娘に考えている内容を読まれそうだ。どんどん、目が冷たくなっていく。
「はぁ・・・。お父様。ここが私の家です。マリーカも中にいます」
「・・・。ん?サンドラ?二人の家なのか?」
「そうです」
目の前にあるのは、神殿の大通り(ヤス殿に教えてもらった呼び名・・・??)に、並んでいる邸宅だ。貴族の別荘かと思っていた。
まてよ・・・。今までのパターンで言うと・・・。
「サンドラ。一応、確認しておく」「そうですよ。私とマリーカだけで住んでいます。二人または三人で住む家です」
「やはりか・・・、他の」「他の住民も殆ど同じですね。家族になると、もう少しだけ広くなります。あぁ一人とか、食事を作りたくないという人向けに、宿屋・・・。そうですね。王都の最高級宿屋を思い浮かべてください。あれと同等かそれ以上の部屋が与えられます。あと、ドワーフ族の様に、工房があればいいという人向けに宿も用意されています」
「・・・。サンドラ・・・」
「聞かれませんでしたので・・・。外で話しても進まないので、入りましょう」
娘が家の壁に着いているボタンを押す。
『はい』
「サンドラです。マリーカ。お父様のカードを一時許可にしてください。あっお父様。カードを当ててください」
何だ?あれは?
マリーカの声が聞こえてきたぞ?何かの魔道具のようだ。あれも導入したい。書斎から・・・。いろいろできそうだ。
娘に言われたようにカードをかざす。
今までと違って、すぐに緑色に光らない。
『旦那様。許可が出来ましたので、大丈夫です』
「おっわかった」
少し、声が大きくなってしまったが、マリーカがどこから聞いているのかわからないからな。この位でいいだろう。
”カチッ”
ドアが開いて、マリーカが顔を出す。
「旦那様。サンドラお嬢様。お飲み物の準備が出来ています」
そのまま、マリーカに案内されて家の中に入る。エルフ式なのか、ドアを入ったら靴を脱ぐように言われた。兵士病になっていると、警告が出るらしい。儂は大丈夫だが、兵士には辛いかもしれないな。ちょっと待て?警告が出るとかマリーカが言っていたな?嫌な予感がする・・・。
リビングに通された。
調度品もソファーも最高級品ではないが、高級品だろう。サンドラの家だからなのか?
「サンドラ。兵士病だけ」「ありますよ。今、ドワーフの工房で、エルフ族と協力して、解析しています。試作品が出来て、冒険者に”治験”してもらっています」
「・・・。それは」「もちろん、ヤスさんの指示です。購入も出来ます。ただし、安全性が確認されてからです」
「わかった。それで、この」「部屋の調度品は、私だからではありません。全部の家が似たような調度品になっています。違いは色や配置ですね。あっ魔道具も似たような物です。そうだ、お父様。お風呂はどうしますか?我が家にもありますが、公衆浴場もあります。私は、疲れたので一端下がります。マリーカ。お父様のお相手お願いします。食事は、6の鐘でお願いします」
娘は、儂の言葉を遮って一気に話をしてリビングを出ていってしまった。
「旦那様・・・」
唖然とする儂をマリーカが見つめている。
ひとまず、マリーカが持ってきた紅茶を飲んで落ち着いてから、マリーカが知っている神殿の情報を教えてもらう。驚いたのは、マリーカは、迷宮区にも潜れる様になっている。そして、アーティファクトでユーラットと関所の村アシュリまでは買い出しに行ける許可をもらっている。
家の中を案内された。娘が話していた内容がやっと理解出来た。駄目だ。ここに住みたい。
風呂が貴族の屋敷なら設置している場合が多い。性能が格段に違う。魔力を流すだけで、お湯が溜まる。それも、一定量になったら止まる?
他にもいろいろあるが、考えるのが疲れてきた。
6の鐘がいつなのかわからないが、マリーカに案内された部屋は王都にある貴族用の宿よりは狭いが、調度品は上だろう。ベッドも気持ちよさそうだ。今は、疲れているからと寝られない。
マリーカに食事まで時間があるので、公衆浴場に案内してもらった。
感想。
ただすごかった。疲れが取れたが、疲れてしまった。マリーカが表で待っていた。丁度バスが来たので乗って帰る。
「お父様。公衆浴場はどうでしたか?」
「サンドラ。あれを、領都に作ると考えると」
「そうですね。すでに、ドワーフの工房で”ボイラー”の開発は終了しているので、売り出すのは可能です」
「え?」
「マリーカ。公衆浴場は、西側?東側?南側?」
「お嬢様。南側です。一番小さくこの時間でしたらドワーフの方々もいらっしゃらないと思いました」
「お父様。本日、行かれた場所でしたら、浴槽の数も多くありませんので、金貨で100枚程度です。場所の確保や建物の用意はお願いします」
「そっそうか・・・。100枚・・・。歳費で賄えるな」
もっと必要かと思ったが、建物を入れても、金貨で200枚もあれば出来るのだな。
そうか、ランドルフの分隊が使っていた場所を解体して・・・。
「サンドラ。頼めるか」
「わかりました。ヤスさんに話を通しておきます。お父様。明日はどの様に、領都まで向かわれますか?」
「あっ」
すっかり忘れていた。
帰らなければならないのだ。それも、どうやって帰ると聞かれて、いつものように馬車でと思ったが、来るときはアーティファクトで来たから、帰りの足がない。ユーラットと領都の間では辻馬車も運行していない。
考えていなかった。
「やはり・・・。マリーカ。お願い出来ますか?」
「はい。サンドラお嬢様。私は、アシュリまでしかいけませんが?」
「大丈夫です。先程、マルス殿に申請して許可されました。マリーカには、試験を受けてもらいます」
「試験ですか?」
試験?なんの?
娘はマリーカに説明しているが、試験は口実なのだろう。ヤス殿に、アーティファクトを借りて、儂と娘を乗せて、領都まで移動する。朝に出て夜になるまでに、神殿に戻ってこられたら合格で、次から領都までのアーティファクトを移動出来るようになるという事だ。
食事をしながらサンドラに更に詳しく神殿の話を聞いた。
聞かなければよかったが、聞いてよかったと思える。領都に導入できそうな物や、貴族の屋敷に導入したほうがよいだろう物をいろいろと話をした。買える物、買えない物、持ち出せない物、開発中の物。全てではないが、かなりの情報がオープンになっている。
「サンドラ、最後に一つだけ教えて欲しい。情報を、儂に語っているが、問題はないのか?ヤス殿やマルス殿に疑われたりしないのか?」
「お父様。最後の質問に対する答えですが・・・。マリーカ。教えてあげて」
「旦那様。サンドラお嬢様がお話になった、通常ですと機密指定になって居るような情報だと私も認識しています」
さすがはマリーカだ。裏の仕事もこなせるだけはある。
「そうだな」
「しかし、これらの情報は、旦那様が入ってこられた門の近くにあります。”図書館”に行けば提示されています。また、家のモニターでも参照できます」
「は?」
サンドラは、肩をすくめて、儂にモニターを見るように指差す。
「・・・。サンドラ?これは?誰でも見られるのか?」
「流石に誰でもではありません。住民だけです」
「・・・。サンドラ。それは、誰でも見られると、同じではないのか?」
「そうですね。私も、ミーシャも、ドーリスも、ディアスも、ヤスさんに大丈夫なのかと聞いて、閲覧禁止にするか、神殿の運営に携わる者だけが見られるようにしたらどうかと進言しました」
「当然だな。それで?」
「ヤスさんは、笑いながら、『情報は隠せば隠すほど、後ろめたいと思われてしまう。皆が知っている情報なら、外部に漏れても”だからどうした?皆が知っている”といえる。本当に、隠すべき情報は、美味しいレシピや好きな子を思って書いた恋文の内容だ』と言っていました。私も疲れて、それ以上は何も言いませんでした。でも、実際にユーラットで神殿に弾かれた商人が、神殿の悪い噂を流していたのですが、皆がヤスさんなら悪い話もオープンにするはずだと言って信じませんでした」
考えさせられる話だ。
隠せば弱みになる。隠さなければ、弱みにならない。
一度、ヤス殿とじっくりと話がしたくなってきた。もしかしたら、よりよい統治に必要な知識を持っているのかも知れない。
儂は、娘との時間を楽しみながら、ドワーフ達が作った最高の二級品の酒精を飲んでから寝た。
ベッドも最高品だ。枕もいい。これはぜひ欲しいと娘に伝えたら、そのまま持っていっていいと言われた。簡単に買えるらしい。妻の分を含めて、数組用意して、ドワーフの最高の二級品の酒精を土産に領都に帰った。
疲労困憊だが、精神は元気になった。
考えなければならないが、それでも前向きな状況になるのは間違いない。まずは、王家と派閥に報告だな。
クラウス辺境伯が、長い後ろ髪を引っ張られながら、領地に戻っていってから、2週間が経過した。
ヤスは、一つの仕組みをドワーフのイワンと構築していた。
殆どは、マルスの仕事だったのだが、必要になって構築をおこなって、本日テストとして使うことにした。
『おぉヤス。どうだ?』
「お!感度もいいな。問題はないな」
『これはいいな。工房にいながら注文が出来る』
「イワン。会議用だぞ?注文に使うのは控えろよ」
『解っている。たまにならいいだろう?』
『ヤスさん。イワンさん。こちらも、問題はありません』
サンドラとドーリスが確認を行っている。
『トーアフードドルフのルーサだ。こちらも問題はない』
『お初にお目にかかります。神殿の主様。集積所を預かるエアハルトです』
『同じく、お初にお目にかかります。神殿の主様。帝国側関所を預かる。ヴェストです』
「ヤスだ。エアハルト。ヴェスト。これから頼むな」
実際には、魔通信機での会話は行っていた。
しかし、実際に顔を見るのは初めてだ。実際は、マルス経由で確認はしているので、本人確認を含めて終わらせてある。
『はっ。ヤス様。よろしくお願いいたします』
『はい。ヤス様』
エアハルトもヴェストも、ルーサからの推薦だ。
ヤスが、思いつきで作った集積所を任せる人材がいないかと、皆に相談したときに、ルーサから元々は商人をしていたが、リップル子爵家と息のかかった商人に家を潰された者だと推薦を受けた。家族や従業員はレッチュ領に逃がして、自分はスラムでルーサを補佐していたのだと教えられた。
帝国側関所は、村ではない。駐屯している者たちがいるだけの場所だ、所属はルーサが治めているアシュリの配下となるが、独立した場所として扱ったほうがいいだろうとサンドラから進言されて、ヤスが認めたのだ。駐屯している者たちは、ルーサの部下だけではなく、難民の中から戦える者を加えている。数は、40人程度だがイワンたちが神殿のためだけに作った武器防具を利用している。当然の様に、大量の魔道具(イワンに言わせると二級品以下)も大量に配備されている。責任者も同じくルーサから推薦されたヴェストが行っている。ヴェストは、元々はリップル子爵家で守備隊の一つを任されていた。100人規模の隊の隊長だった。幼馴染の嫁をリップル子爵家の分家扱いになっている男爵家から寄越せと言われて断った。演習を行っている最中に、嫁を子供と一緒に殺された。それから、ルーサの下で殺した犯人を探している。
神殿に属している彼らが、ヤスを含めての”情報交換をしたい”と申請してきたのを受けて、ヤスが”ネット会議”を思い出したのだ。魔通信機を応用して、5フレーム程度の動画をサーバになっている神殿に送って共有出来るようにしたのだ。
主な、報告は関所の村であるアシュリから行われる。
「ルーサ。それで?」
『はい。リップル子爵家は、帝国への出兵どころではなくなっているようです』
「ほぉ・・・。なぜだろうな?」
『ヤスさん。お父様からも同じ報告が上がってきています。ただ違うのは、エアハルトさんの所でしょうか?』
『はい。サンドラ様。ヤス様。ローンロットには、難民と孤児が集まり始めています』
「難民だけじゃないのだよな?」
『はい。孤児です。難民もいますが、多くはありません。マルス様の審査が通れば、大人でも雇い入れると通達しております』
「わかった。ヴェストがやりやすいようにしてくれ、割符には問題は出ていないか?」
『まだ始めたばかりですので、なんともいえません』
「サンドラ。バスの運行計画はどうなっている?」
『はい。ルーサさんとヴェストさんとエアハルトさんと話したのですが、まずはアシュリまでが妥当だろうと思います』
「わかった。アシュリまで問題が出ないように計画してくれ、ローンロットまで何日かおきに運行出来ないか考えてくれ、難民と孤児が多いと大変だろう。ルーサ。まだ余裕はあるよな?」
『アシュリですか?ユーラットですか?』
「アシュリだな」
『問題はありません。ただ、ヤス。できるだけ、神殿で受け入れて欲しい』
「そうだよな。サンドラ、どうだ?」
『ルーサさん。冒険者を中心に、アシュリに移動してもらおうかと思っていますがどうでしょうか?』
サンドラに変わって、ドーリスが現在、ギルドが中心になって動かしている計画を説明する。
『そうだな。ただ、アシュリは、神殿ほど稼げないからな・・・』
『大丈夫です。そのためのバスの運行です』
ルーサは考えてから、メリットとして、神殿の広場では家族ものを中心になってしまう。ヤスが作った住居の基準だから。宿屋の数も絶対的に足りない。正確には、宿屋を運営出来る人数が足りないのだ。急激に人が増やせない事情があるので、しょうがないことだ。その点、アシュリなら人が増えても問題は食料だけだが、神殿の森があり、海に出られる場所も作ったので、ある程度の食料が確保出来る。
『ドーリス殿。承諾した。ヤス。アシュリの住居や宿が足りなくなる前に建築を頼む』
「わかった。あと、ルーサ。エアハルトの所から流れてくる難民で、戦えそうな者を、トーアヴァルデに派遣してくれ、マルスに試算させたが、最低で100。できたら、300は必要と言われた。予備兵力で同数を確保する必要があるが、眷属たちを使えば予備兵力は必要ないと言われた」
『ヤス様。兵力ですが、私も試算してみました。今の武器防具と魔道具の配置から、200程度が妥当ではないでしょうか?』
疑問形になっているのを、ヤスは感じた。
「どうした?」
『イワン様。武器防具を、あと160人分と予備をいただくのは可能ですか?魔道具も同じです。あと、ヤス様。関所の森での訓練の許可をお願いします』
『武器防具は、正式な物ができるまでは、二級品で我慢しろ。でき次第、渡す。魔道具は、欲しい物をリストアップしておいてくれ、工房は酒の仕込みで忙しい』
ドワーフはドワーフということだ。
二級品の武器防具とイワンが言っているが、王都で売っている最高級品と同等以上の品質を持っている。十分に使える物だ。
『感謝いたします。魔道具は、必要になりそうな物をリストアップいたします』
『わかった』
「イワン。売らない魔道具も、ルーサとエアハルトとヴェストに送っていいよな?」
『大丈夫だ』
「ルーサとエアハルトとヴェストで、魔道具のテストや機能調整をしてくれ、量産する必要が無いものを作ってもしょうがないだろう」
『わかった』『かしこまりました』『はい。受諾いたします』
「人、物、金は、足りているか?」
『ヤス。工房を広げてくれ』
「またか?今度は?」
『仲間が酒精の話を聞きつけて集まってきた。人数は、20程度だ。住む場所は必要ない。あっ。女のドワーフも増えてきた』
「わかった」
『ヤスさん。サンドラですが、イワンさん。住民の一部から、ドワーフ族に苦情が出ています。酒精を公衆浴場に持ち込まないで欲しいという話です』
「イワン?」
『すまん。徹底していたのだが、ワインは、水と同じという感覚が抜けなくて・・・』
「そうか・・・。イワン。工房に隣接する形で、小さめの公衆浴場を作るか?」
『いいのか?』
「サンドラ。どう思う?酒盛りが出来る公衆浴場で、子供は入浴禁止。工房と迷宮区から行けるようにするのは?」
『儂も、それでよい。ヤス。是非作ってくれ、いちいち表に出て、浴場に行くのは面倒だ。それに、冒険者となら浴場で武器や防具に関して飲みながら話が出来る』
『賛成です。特に、迷宮区から行けるようにしてくれると助かります。汗臭いままギルドに来るので・・・』
「わかった。それから、ドーリス。商業ギルドから来ていた申請は、許可する。ただし、迷宮区の広場だけだ。神殿の広場は住民だけだ」
『ありがとうございます。商業ギルドに通達します。税は?』
「任せる。ゼロでもいいぞ?」
『はい』
『ヤスさん。領都の宿屋が神殿にも宿屋を作りたいと言ってきていますが?』
「神殿内部は却下だ。アシュリやローンロットは許可できる。ルーサの所は、宿屋は足りているよな?」
『そうだな』『ヤス様。ローンロットでは、宿屋が足りていません。それから、言葉が悪いのですが、できましたら、高級宿屋や貴族用の宿の建築する許可を頂きたい』
「サンドラ。頼めるか?」
『わかりました』
「餌が必要なら、迷宮区の広場とアシュリなら宿屋の建築を認めてもいい」
『ありがとうございます。十分な餌だと思います』
「旦那様。サンドラ様のご提案ですが、以前お話をしていました、別荘地を作ってみてはどうでしょうか?最低、3名の常駐を認めれば、貴族や豪商が競って別荘を建築すると思われます」
「サンドラ。どう思う?他の者も意見をくれ」
『概ね賛成ですが、どこに別荘を作らせるのですか?』
「ん?あぁそうか、場所は二箇所だな。関所の森の湖近くと、神殿の中に作る階層だな」
『ヤス。関所の森はわかるが、神殿の中というのは、迷宮区のような場所か?大丈夫なのか?』
「ルーサの心配はわかるが、西門を使おうと思う」
『西門?』
ヤスは、皆にセバスと考えていた計画を披露する。
関所の森は、誰でも別荘を作る許可を出す。神殿の中にも別荘を持ちたいと言い出す貴族や商人が出てくるだろう。そのために、閉じられている西門をオープンにする。西門の方向には、施設はまだ作られていない。神殿に入る門を設置して、簡単な審査だけで通過できるようにする。別荘区と名付ける階層を作る。別荘区には、西門から入った先にある門からしか侵入できない。特別な場所だという印象をもたせる。西門なので、アシュリを通過する必要もなく、到着できる。条件として、人を常駐させることを条件として提示する。常駐する人間は神殿の審査を通過する必要があるが、買い物の都合上、必須の条件となる。
「反対意見がなければ、準備を始める」
誰からも反対意見がなかったので、ヤスは別荘の作成と道の整備をマルスに指示した。
「次は、ルーサが集めてきた、噂に関しての検証だな。リップル子爵家と帝国の一部の貴族が相当追い詰められているらしいじゃないか?」
『はぁ・・・。ヤス。まぁいいけどな。まずは、リップルからでいいか?』
「頼む」
『その前に、サンドラ嬢。ディトリッヒは居るか?』
『いますよ。ミーシャと後ろに控えています』
『そうか、まずは、ディトリッヒから、塩と砂糖がどうなったのか報告させたほうがいいと思うが?』
ヤスが承諾したので、ディトリッヒがサンドラに変わって、前に出て説明する。ヤスとルーサは聞いていた話だが、黙ってディトリッヒの報告を聞いた。サンドラは、父親からの説明を受けていたので、実際の現場以外で行われていた内容を補足するように説明した。
ディトリッヒの報告は簡潔だ。
神殿の使者として、王都に『神殿から採取された、塩と砂糖と胡椒を献上する』目的で馬車を動かした。
レッチュ辺境伯も協力を申し出て、道中の護衛を約束して、息子のランドルフに最後のチャンスとして王都までの護衛を命じた。
想定していた場所ではなく、リップル子爵領を通り過ぎた場所で強盗に襲われた。
ディトリッヒは、強盗を数名だけ倒したが、その場から撤退する。強盗とランドルフは積荷を持って、リップル子爵領に消えていったという。ディトリッヒの後ろから斬りかかろうとしたランドルフを逃してしまったのが、痛恨の極みだと言っている。サンドラは、苦笑しただけで終わったが、ミーシャはランドルフがリーゼに言い放った言葉をまだ覚えていて、なぜ殺さなかったとディトリッヒに詰め寄った。
ヤスが、ランドルフは殺さないと言ったので、ディトリッヒは殺さなかったのだと説明されて、やっと怒りが鎮静した。
サンドラの補足は、その後の積荷の動きだ。
ランドルフの配下に手のものを忍び込ませている。定期連絡で受け取った内容は、予想の範疇を出ていなかった。リップル子爵は、すぐに塩と砂糖と胡椒を商人に鑑定させた。寄り親になっている伯爵に貢いで、公爵に取り次いでもらい、塩と砂糖と胡椒を通常の10倍以上の価値があると触れ込みを行い。献上を行った。
公爵は子爵の対応を評価し、定期的に入手する方法を模索するように命令する。
その頃には、レッチュ辺境伯が王家に”神殿産の塩と砂糖と胡椒”を、献上していた。
サンドラの補足は、ランドルフの処遇にまでおよんだ。
ランドルフが、領都を出立してから、ランドルフが密かに使っていた倉庫を強襲した。不正の証拠や、今までの悪事を公にした。神殿から帰ってからの最初の仕事となった。廃嫡は決められていたが、貴族籍からの除籍及びレッチュ領からの追放を宣言した。同時に、派閥貴族家からの絶縁も宣言された。あわせて、夫人に関しても数々の問題や不正行為を公表して離縁した。侯爵家には、離縁の理由を告げて、王家からの許可ももらったと告げている。侯爵家としてはうなずくしか無い状況だったのだ。
「さて、ルーサ。ディトリッヒとサンドラの報告に補足はあるか?」
『そうですね。ランドルフですが、死にましたよ』
「へぇ死んだのだな。殺されたのではないのだな?」
『そうですね。殺されたですね』
「ふーん。殺したのは、侯爵家の者か?」
『・・・。ヤス。お前・・・』
「状況を考えるとそうなると思っただけだが、合っているのか?」
『ルーサさん。ランドルフは、殺されたのですか?お父様に連絡したほうがいいですか?』
サンドラは、ランドルフの悪行を知って、余計に嫌悪感をつのらせていていつの間にか敬称を付けなくなった。敬称だけではなく、兄とも呼ばなくなっていた。
『サンドラ嬢。そうですね。ヤスが言った通り、侯爵が手を回したようです。奥方も、王都に向かっている最中に盗賊に襲われて殺されました』
「あれ?でも、ランドルフの母親はそれほど高い地位じゃなかったよね?」
『いえ、ヤスさん。あの人は、侯爵家の次女ですので、ランドルフが戻ってしまうと、継承順位が変動します。そして、戻ってきたら、地位や領地を与えないわけには行かないと思います』
「ふぅーん。面倒だな。証拠はないよね?」
『もうしわけない。流石に、侯爵家が使うような者だ、証拠は残していない。俺たちが知ったのも、もしかしたらわざとかも知れないと思っている』
「わかった。神殿としては、動く必要がないし、ランドルフの生死にはそれほど興味がない」
『はい。ヤスさん。お父様に連絡を入れておきます』
「うん。お願い」
『ヤス。それで、子爵家は王都に荷物を運んでからが面白かったぞ』
「ん?」
『侯爵と公爵に自慢した塩と砂糖と胡椒を持って、王宮に行ったらしいが、そこで出された紅茶に自分が持ってきたのと同じ砂糖が使われていた。それで、謁見の間ではなく、通されたのは通常の執務室で、対応したのは王家ではなく、宰相だった。王宮では、後見として公爵と侯爵の執事が一緒だったらしいが、宰相の執務室から出てきた二人は激怒していたという話だ』
「へぇ塩と砂糖と胡椒に、10倍・・・。いや、20倍の価値があるとでも言って、献上したのかな?それも、子爵家単体ではなく、侯爵と公爵の名前も使ったのではないのか?」
『ヤス。見てきたように話すなよ。詳細は、多分サンドラ嬢が後で詳しく辺境伯から聞くだろうから、置いておいて、公爵も侯爵も子爵家からかなりの塩と砂糖と胡椒を購入して、取り巻きに売りつけたようでな。恥をかかされたと言われているようだ』
『それで、帝国への出兵計画が遅れているのですね』
『それはわからないが、子爵家が孤立し始めているのは、間違いではない』
「ルーサ。子爵家は、トーアヴァルデの存在は知っているのか?」
『ヤスさん。神殿と同じに考えないでください』
『サンドラ嬢の言っているとおりです。ヤス。お前は少しだけ神殿が異常だと知っておくべきだ。イワン殿。あんたも同類だ!』
『ルーサ。儂は、関係がないぞ!ヤスが作って欲しいと言うから作っているだけだからな!ドワーフは、新しい物が作れて、研究できて、うまい酒精があればいいだけだ!』
『このクソドワーフ!確かに、武器防具は一流だし、酒精もうまい。だが、限度という物があるだろう。限度が!』
ルーサとイワンの口喧嘩はしばらく続いたが、解決する見込みは一切ない。
ルーサもイワンも相手を認めているから喧嘩をするのだ。
「解った。解った。ルーサには、俺からウィスキーを数本届ける。イワンには、新しい自転車を渡すから研究してくれ、話を続けてくれ」
ヤスが仲裁にもならない仲裁を行った。話を聞いたサンドラは眉間を押さえて頭を振った。また新しいおもちゃをドワーフに与えると言っているのだ、何が出来るのか解ったものではない。エアハルトにしてもヴェストにしても、ルーサにウィスキーが渡るとしたら、しばらくは仕事にならないと解っている。仕事が滞ってしまう可能性を考えたのだ。関所の村アシュリではルーサは飾りになっているが、書類が滞ってしまうのは問題なのだ。
「ルーサ。サンドラ。いやがらせの第一段階は成功したと思っていいのか?」
『あぁ思った以上の効果を発揮した』
「自業自得なのだけどな。塩と砂糖と胡椒を得たときに、レッチュ辺境伯に返していれば、報奨金を貰えて終わったのに・・・」
『そうだな』
「サンドラ。ルーサ。調べて欲しいことがある」
『はい』『なんだ?』
「リップル子爵領の特産物だ、できれば、同じ特産物が生産出来る他の領も調べてくれると助かる」
『可能ですが、どうされるのですか?』
「いやがらせ第二弾だな」
『??』『??』
「ローンロットを大きく動かす。エアハルト。倉庫には余裕があるよな?」
『はい。まだ、塩と砂糖と胡椒と少量の香辛料があるだけです』
「サンドラ。今、リップル子爵領から物を買うのは何故だ?」
『・・・。あっそうですね。ローンロットに遠方から物資を運んできて、そこから近隣に輸送すれば、コストも押さえられる。品質も同等以上の物が手に入る』
「それだけじゃない。税が抑えられると思うし、安くなるだろう?ローンロットから出す分には税をかけないと約束してもらっている。ようするに、直送したのと同じだ」
『・・・。はい』
「リップル子爵が追い込まれたら、税を上げるだろう?」
『間違いなく』
「ほら、そのときに、同等の品質で物が安くはないが同等以下で買えたらどうする?」
『買いますね』
「ということで、ルーサとサンドラは情報収集を頼む。あと、ヴェストには駐屯している者たちの訓練と哨戒を頼む」
ヤスの指示を受けて皆が行動を開始する。
ヤスは、会議の終わりを告げてから回線を遮断した。
「旦那様。関所の森の帝国側に関してのご報告があります」
「あぁセバスの眷属も参加していたのだったな」
「はい」
「こちらの犠牲は?」
「ありません。怪我を追ったものがいましたが、旦那さんの指示を優先させ、一人の犠牲も出しておりません」
「それは重畳。それで?」
「はい・・・」
話は、10日前のマルスの報告から始まった。
---
『マスター。関所の森に侵入者です』
「帝国側か?」
『はい』
「何度目だ?」
『6度目です』
「奴らは馬鹿なのか?違うな。損失を補填しようとして、大きな勝負に出て負け続けているだけだな」
『今回は、どうしますか?』
「今回も子供を連れているのか?」
『いえ、子供はいません』
「そろそろ、飽きてきたな・・・。有益な情報ももう無いだろう」
『はい』
「セバス。眷属を率いて、愚か者を殲滅してこい。ついでに、狼たちも連れて行け、運動不足だろう?運動になるかわからないが、狩りをさせてこい」
「はっ」
セバスが恭しく頭を下げる。
ヤスからの殲滅の命令だ。セバスや、念話で指示を受けた、魔物たちは歓喜で満たされた。
「マルス。相手の数は?」
『200名ほどです。騎士や兵士で構成されています。前回捕らえた、貴族の救出が目的のようです』
「ん?あいつ・・・。死んだよな?」
『はい。神殿の牢獄で、部下だった者に殺されました』
「だよな・・・。鎧や武器は保存しているよな?」
『はい』
「餌にしろ、それから、一人も逃がすな」
『了』
ヤスの命令を受けて、マルスはヤスに作戦案を提示した。
兵士たちに、神殿の力でポップさせた魔物を当てて、徐々に奥地に引っ張っていって、セバスたちに殲滅させるというよくある作戦だ。
「現場での指揮は、セバスに任せる。ただし、誰一人として死ぬのは許さない。死ぬ前提の作戦は却下だ。死にそうになったら、逃げろ。いいか、絶対に逃げろ。死ぬのは許さない」
「はい。旦那様の御心のままに・・・」
『了』
マルスが保護した子供はすでに60名を数えている。
奴隷紋の解除も行われて、神殿の学校施設で保護している。人数が増えたことで、寮の増設を行った。ルーサの所から、数名の女性を寮母として来てもらっている。他にも、リップル子爵家から流れてきた難民も保護をしている。孤児は神殿で受け入れて、家族者や単身の大人はアシュリで保護する方針になった。
低予算で大量に召喚出来る魔物を使って、ある程度まで帝国の兵たちを関所の森に誘い込む。そのときに、今まで捕獲した連中の武器や防具を置いておくことで、奥に行ったと思わせる細工も忘れない。
眷属たちが、後方を遮断する。後ろと左右から追い立てるように、湖の方向に追い立てていくのが最初の作戦だ。
湖近くには、広場を設置してある。追い込んでから、周りを取り囲んで一人も逃さない方法をとる。
あとは簡単な作業だった。広場から出ようとした者を始末するだけだ。
最後に残ったのは、帝国の貴族と皇国から来ていた司祭と奴隷商人と数名の護衛だけだ。見苦しくも仲間割れを始めるが、解決にもならない。
残った20名ほどを捕縛した。
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「捕らえた奴らは?」
『神殿の独房と牢獄です』
貴族や司祭や奴隷商人には責任を取ってもらうために生きていてほしいので、独房にいれた。その他は、どうなろうと構わないので、牢獄にいれた。
神殿の迷宮区に隣接する形で独房が作られている。
個室になっているが、ヤスが日本の刑務所を思い出して作ったものだ。この世界標準とはかけ離れているが、出られないという一点では同じだと考えられる。
集団で押し込める場所も作ってあるが、今回は独房に放り込んでいる。事情を聞く必要もないので、緩やかに死んでいくか、苦しんで死んでいくか、簡単に殺してしまうかの選択肢になってくる。
ヤスは、子供たちに、貴族と司祭と奴隷商人と護衛たちの処遇を任せることにした。
リーゼとカイルとイチカを伴って子供たちが集まっているカート場に行く。
奴隷紋を解除したのがリーゼだと知らせていないが、リーゼはカート場の主として知られている。子供たちに自転車の乗り方を教えたり、カートの乗り方を教えたり、レースの楽しさを教えたりしているので人気があるのだ。
「ヤス兄ちゃん!リーゼ姉ちゃん!」
子供たちが二人に集まってくる。
レースをしてくれると思っているのだ。
「今日は、君たちに聞きたいことが合ってきた」
「聞きたいこと?」
代表するように、年長の子が答える。最初に保護された子だ。
「そうだ。君たちを、関所の森に置き去りにした連中を捕らえた。俺の判断で、殺すと決めた。君たちは、そいつらを自分の手で殺したいか?俺に委ねるか聞きたい」
子供たちは黙ってしまったが、カイルとイチカがヤスとリーゼに向かって頭を下げる。
二人は、自分たちが長男で長女だという認識がある。
「ヤス兄ちゃん。リーゼ姉ちゃん。俺とイチカで話をさせて欲しい」
「いいが、二人で誘導するなよ?」
「もちろん」「はい。ヤスお兄様。自分たちの手で殺すとした場合にも手助けはしてくれるのですか?」
「もちろんだ」
「捕らえた者たちを見られるのですか?」
「みたいなら見せる」
「名前は?」
「名前は、わからないが、貴族と司祭と奴隷商人と護衛だ」
「ありがとうございます。1時間ほど待ってください。話をまとめます」
「わかった。会議室を使うのなら、ドーリスかミーシャに言えばいい。俺とリーゼは、カート場で待っている」
「はい。ヤスお兄様。リーゼお姉様」
イチカが二人に頭を下げてから、カイルを連れてカート場を出ていった。
会議室で話をするようだ。子供の中にもグループが出来ていて、グループの代表が集まって話をするようだ。カイルとイチカは、帝国に関しては部外者だが、子供の代表という立ち位置になっている。
ヤスとリーゼは、カート場でハンデ戦をしながら待っていた。
「ヤス!僕もかなり速くなったけど、ヤスと何が違うの?なんで、勝てないの?カートが違うの?」
「リーゼ。テクニックだ。カートは何度も変えただろう?リーゼは、ブレーキが下手なのだよ、減速のタイミングやハンドルの切り込み。全部が遅れている。だから、出口で窮屈になる」
「うぅぅ・・・。また負けた。ねぇヤス。ヤスのカートで僕とハンデなしで走ってよ。どの位の差があるのか知りたい」
「いいけど、コースは?」
「カタロニア!」
「いいぞ。何周?」
「うーん。5周くらいで!」
時間があったので、ヤスはリーゼに付き合った。
子供の奴隷紋の解除でリーゼに頼りっきりなので、リーゼの願いを叶えているのだ。
結局レースは、半周以上の差を付けてヤスが勝った。
「ヤス。僕のスマートグラスに今のヤスの走りを表示出来る?」
「出来るぞ?」
「お願い。今のヤスを目標にする」
「わかった」
「あ!兄ちゃんと姉ちゃん。ここに居た!」
二人を探して、カイルがサーキットにやってきた。
受付で、誰がどのコースに居るのか解るようになっているので、それを見たのだろう。
「カイル。話はまとまったか?」
「うん。全員が同じ考えだったから、早かった。全員を集めるのに時間がかかったくらいだよ」
「そうか、会議室か?」
「ううん。イチカが話をまとめてくる」
「わかった。工房の執務室で話を聞く」
「うん」
カイルは一度戻ってイチカと合流してから執務室に行くことになった。リーゼは、ヤスと一緒に執務室に移動する。
「ねぇヤス。どうするの?」
「どうするとは?」
「あの子たちが、復讐を望んだら手助けするの?」
「そのつもりだけど、多分・・・。違う道を選ぶと思うぞ?」
「違う道?」
「多分だけど、彼らは復讐するほど、貴族や司祭を恨んでいない。いや、正確じゃないな。恨むという行為がわからないと思う」
「え?」
ヤスは、リーゼの顔を見てから、少し話をしようと言いだした。
「リーゼ。リーゼは、オークの肉を食べるよな?」
「もちろん。おいしいよ!」
「魔物のオークは、別に俺たちに食べられる為に生きているわけじゃないよな?」
「当然。オークも私たちを餌として見ているでしょ?」
「そう。そのオークを奴隷化して、大きくなるように、餌を与えていたら、美味しく育つと思わないか?」
「どうだろう?でも、オークは餌も食べられて、大きくなるよね?戦わなくても、お腹がいっぱいになるのなら、いいと思うけど?」
「そうだろう。生まれたときから、人に育てられたオークならそれが当たり前だと思うだろうな」
「そうだね。人はお腹がいっぱいになるまで食べさせてくれるという認識じゃないかな?」
「人に育てられたオークは、大きくなったら、人に殺されて食べられてしまう」
「・・・。うん」
「その反対に、野生のオークは人と戦って負けたら殺されて食べられてしまう」
「そうだね」
「リーゼ。野生のオークが、人に育てられたオークに、『お前たちは人に殺されて食べられてしまう。一緒に逃げよう』と言ったとして信じると思うか?」
「・・・」
「俺は、人に育てられたオークは、人に殺される瞬間まで人を信じて居ると思っている」
「・・・」
「リーゼ。どっちのオークが幸せかな?いつ死ぬかわからないが戦って死ねるオークと、殺される瞬間まで安心できる場所で食事が提供される場所で過ごせるオーク。子供たちは、どっちなのだろうな」
リーザは、ヤスの顔を見て何も言えなかった。答えを求められているとは思わなかった。
ただ、先を歩いているヤスの背中を黙って見つめるしか出来なかった。
リーゼは、ヤスの背中を見ながら、後ろに付いていった。リーゼは、執務室に行く必要はなかったが、子供たちがどんな結論を出したのか気になったのだ。
執務室に入ると、イチカだけが待っていた。
「なんだ、座っていれば良かったのに・・・」
「今日は、ヤスお兄様にお願いに来ました」
「いいよ。イチカも座って・・・。えぇーと」「マスター。セブンです。お飲み物をお持ちいたします」
ヤスは執務室で控えていたメイドを見た。名前が解らなかったが、メイドが自分から名乗った。
「うん。セブン。頼む。リーゼの分も頼む」
「かしこまりました」
イチカは、ヤスの正面に座る。何も言わないでリーゼはヤスの隣に腰を下ろした。
「それで?」
「はい。ヤスお兄様。彼女たちは、神殿で過ごせれば満足だと言われました。貴族や奴隷商や司祭は、正直わからないと言っていました」
「わかった。俺は、子供たちが自分から出ていかない限り、神殿で保護する」
「イチカ。それだけか?」
「いえ・・・。彼女たちは・・・」
リーゼを見て言葉を切った。
(想像していた内容ではないが、”そういうことだろう”)
ヤスは自分に心当たりがあるので、適当ではないが、先回りして考えた答えを伝える。
「どうした?イチカ?彼女たちは、俺に身体を差し出すとか言い出したのだろう?過去の帝国に構っていられないのだろう?」
「え?なんで?」
「”必要ない”と、言うのは・・・。彼女たちが困ってしまうのだろう」
「ヤス。どういうこと?僕には、意味がわからないよ?彼女たちはまだ子供だよ?それが身体を差し出すとか・・・」
「イチカには、なんとなく解るのだろう?」
「はい。リーゼお姉さま。ヤスお兄さまは、与え過ぎなのです」
イチカの言っている内容は正しいのだろう。
表面的には、ヤスはカイルやイチカたちを始めとする子供たちに無条件で物や安全を与えているように見えるのだ。ヤスは、神殿の領域に住まわせるだけでメリットがあるのだが、教えていない。
イチカが言うように、ヤスからもらいすぎていると感じて少しでも返したいと考えたのだ。返さないと、いきなり取り上げられたり、出て行けと言われたり、どこかに売られたりするのが怖いのだ。なので、自分たちを差し出して生活の安定を図ろうと考えたのだ。生きるための本能というわけではないが、貴族や奴隷商人が話している内容を聞いていて、価値があるものとして自分たちの身体を考えたのだ。
もちろん、ヤスも気がついていたが、行動には移していない。必要ないと考えたのだ。
「イチカ。お前たちはどうだ?」
「私たちは、ヤスお兄様から仕事をもらっています。それに、弟や妹たちも出来ることから始めています」
「そうか、仕事の数が足りないのだな」
「・・・」
リーゼがヤスの服をツンツンと引っ張った。
「なんだよ?」
「ヤス。僕の所に来ているファーストに女の子を付けてくれない?」
「どうした?」
「ん?ファーストやセカンドは、ヤスの世話をするのが仕事だよね?」
「そうだな。ツバキの眷属だからな」
「すぐには難しいだろうけど、1ヶ月くらいファーストやセカンドに付いて居れば、メイドの仕事を覚えると思う。そうなったら、いろんな家で働けない?男の子は、カスパルとかと一緒にユーラットやアシュリに行って、作業の手伝いをさせれば?」
「・・・。リーゼ。本物か?リーゼがまともなことを言っている?」
「ヤス。ひどいな。僕だって真剣に考えているのに・・・」
頬を膨らませながらヤスに抗議するリーゼの頭を軽く叩いて、ごめんと謝るヤス。
「ヤスお兄様。私も、リーゼお姉様のご提案は良いと思います。ラナさんの所の宿屋でも人手が足りなくなってきていると言っていますし、ドーリスさんの所でも同じだと思います」
「そうか、わかった。リーゼとイチカに任せる。あっでも、学校の勉強を優先するようにしっかりと伝えろよ。最低でも、文字の読み書きと簡単な計算が出来るまでは、手伝いも禁止にする」
二人がうなずいたので、帝国から来た子供たちはリーゼとイチカに任せる。
話が終わって、二人を帰してから、ヤスはマルスと行わなければならない。嫌な仕事を片付けることにした。
執務室の扉に鍵をかけて、セブンを執務室の前で待機させる。
「マルス!」
『はい。マスター。部屋に遮音と防音の結界を張ります』
「頼む」
『準備が出来ました』
「ありがとう。マルス。愚か者たちはどうなった?」
『まだ生きております』
「何人だ?」
『総勢117名です』
「男だけか?」
『はい。帝国は、どうやら男尊女卑が激しい様です』
「それで、人族至上主義だったか?」
『はい』
「救えないな。それで、何を訴えている?」
『出せ。俺は偉い。司祭だぞ。等々、意味がある会話は望めません』
「そうか・・・。貴族と司祭と奴隷商人は、奴隷契約して情報を引き出したほうがいいだろう?」
『可能ですが、問題もあります』
「なんだ?」
『誰の奴隷にするのかが問題です。マスターは論外です。あのような者では、マスターの奴隷にふさわしくありません』
「誰でもいいのか?」
『はい。奴隷にする方法は、セバスと一部の眷属が習得済みです』
「それなら・・・」
ヤスは、少しだけ考えて、イタズラを考えついた子供のような表情になってから、エミリアでリストを見始めた。
見ているのは、配置できる魔物のリストだ。
「マルス。女だけの種族はいないのか?できれば、ゴブリンのような醜女がいいのだけどな?人間と交われる魔物だ」
『魔物を検索・・・。該当は、三種族です。アラクネ。蜘蛛の身体を持つ雌型の魔物です。ハーピー。女性型だけの魔物です。腕が鳥の羽根になった魔物です。セイレーン。マスターにわかりやすく言えば人魚です』
「うーん。どれも違うな」
ヤスは、一覧からマルスから言われた魔物を見て見るが、醜女ではない。顔が整っている。
『マスター。種族でなければ、ゴブリン(メス)。オーク(メス)。オーガ(メス)が該当します』
「そうか、別に種族にこだわらなければ・・・。オーガ(メス)辺りにしておくか、召喚して、マルスの支配下に置けば制御も可能か?」
『可能です』
「よし。貴族の主を、オークのメスにして、司祭の主をゴブリンのメスにして、奴隷商人の主はオーガのメスにしろ」
『了』
「あと、ゴブリンのメスとオークのメスとオーガのメスを、100体用意して、兵士たちに相手させろ。妊娠の制御も出来るのか?」
『子供が出来ないようにするのは可能です』
「十分だ。子供が出来ないようにしろ。兵士たちには3種類の魔物を孕ませられた者から解放すると伝えろ。もう一つの条件は、全部の魔物を殺せたら全員を解放すると伝えろ。それから、貴族たち3人には、兵士たちの様子を見せるようにしろ」
『了。見せるだけでいいのですか?』
「構わない。日々魔物の数は増やせ。奴隷契約で主が死んだら奴隷も死ぬ契約が出来たよな?」
『可能です』
「それなら、貴族と司祭と奴隷商人の主も魔物たちの中に紛れ込ませろ。3人にはその事実も教えてあげろ」
『はい。セバスの眷属に担当させます』
「わかった。任せる。貴族というのだから、領地が有ったのだろう?場所を聞き出せ、奴隷となっている者たちを救い出せ。関所の森までは連れてきていい。あとは、好きにさせろ。奴隷商人の所に居る奴隷でマルスが調べて問題がなければ開放しろ」
『問題がなければが、曖昧です』
「うーん。そうだな。神殿に入っても問題がない場合は解放。それ以外は、無視でいい」
『了』
ヤスが、終了の意思を見せたので、マルスは結界を解除した。
セブンが部屋に入ってきた。
「旦那様。お食事はどうしますか?リーゼ様がご一緒にと申しておりました」
「わかった。そうだな。カイルとイチカを誘ってくれ、学校の食堂で食べよう」
「わかりました」
セブンが頭をさげてから部屋を出た。
ヤスは、執務室にある椅子に深く腰掛けて、ため息を吐き出す。
(フフ。簡単に殺せとか思えるようになってしまった。アイツのことを笑えないな)
ヤスは自嘲気味に、笑ってから、カップに少しだけ残っていた、冷めてしまった紅茶を喉に流し込んだ。