儂は、クラウス・フォン・デリウス=レッチュ。バッケスホーフ王国の辺境伯だ。絶賛、後悔中だ。

 ドワーフの工房で精神的に疲れてしまった儂は、いろいろ譲歩・・・。ではなく巻き込まれてしまった。娘の策略を疑っているが、悪い話ばかりではない。いや、違う・・・。本来なら、領を富ませる最高の物を得たと喜ばなければならない。ただ、他の領主や王家だけではなく、領内の有力者に知られた時に、誰にどれだけの情報を流すのか、調整が難しい。

 そして、ドワーフの工房の最奥部に入るときに、娘が言っていた。『神殿に住むと言わないで・・・』の意味が解った。何もかも投げ出して、神殿に住めれば、この気苦労を感じなくて済む。それは、出来ない。儂にも辺境伯だという矜持がある。

 嘘である。

 長男のハインツを呼び戻して、領主として教育をして、家宰と守備隊をつければ、儂が引退しても大丈夫にならないかと本気で考えた。すぐは無理でも、2-3年もすれば・・・。多分ダメだ。ハインツには王都での仕事もあるし、貴族社会で揉まれないと、当主としてやっていけない。

 ドワーフの工房を出て外に戻ってきた。扉は、儂らが出たら自然と閉まった。どういう仕組なのか、我が屋敷にも導入したい。

「そう言えば、サンドラ、マリーカはどうした?」

「家に居ますわ」

「そうか、お前」「あっお父様。もうしわけありません」

 娘は、カードを取り出して、不思議な動きをする。カードに触れて、何やら喋っているのだ。
 相手が誰なのかわからない。

「お父様。ヤスさんが会議室で待っているそうです。ただ、視察を先に終わらせておいて欲しいということです」

「え?」

「ヤスさんは、ディトリッヒさんから報告を聞くそうです。それが終わる位に連絡をくれるそうなので、それまで視察を続けて欲しいという連絡です。それから、残念なお知らせです」

「ん?残念?」

「視察場所が増えました」

「どういうことだ?教習場と迷宮区とサンドラの家ではなかったのか?」

「はい。家は、会談の後になりました。迷宮区に行ってから、カート場に行って、教習場に行きます」

 もう、半分以上はどうとでもなれという思いだ。

「わかった。サンドラに任せる」

 いつもの癖で言葉が先に出てしまった。神殿では命取りになりかねない。娘の笑顔が眩しい。そんな風に、笑えるようになったのだな。少しは、ほんの少しだけだが、ヤス殿に感謝だな。魔眼を持っている娘は、見たくないものも見えてしまっていた。それで、心を閉ざして無能者になろうとしていた。それが、親を罠にはめて、イタズラが成功した子供のように笑うのだ。

 娘の頭を、数回軽く叩いてから、言葉を続ける。

「それで、カート場までも先程のバスで移動するのか?」

「あっいえ、カート場は歩いていける距離です。今日は、誰も使っていないので、許可が出たようです」

「そうなのか?何をしている施設なのだ?」

「行ってみても・・・。わからないとは思いますが、まずは見てください」

「わかった」

 カート場も神殿の地下にある施設だと教えられた。
 ドワーフの工房に入ったときと同じ様にカードをかざすと扉が開いた。階段があると思ったが、階段ではなく小さな部屋があっただけだ。壁に何かボタンが着いている。儂が部屋の中央に立ったのを見て、娘が壁のボタンを押した。読めない。数字は解るが、それ以外は何が書いてあるのかわからない。
 入ってきた扉が閉まった。

「お父様。箱が動きますが、驚かないでください」

「は?」

 間抜けな声を出してしまった。ガクンと振動が身体を揺らしたかと思うと、箱が落ち始めた。娘が落ち着いているので、大丈夫だと思うが・・・。

 しばらく、数字が書かれたボタンが光っている。

”チーン”

「お父様。着きました。正面の扉が開きます」

 箱の動きが完全に停まった。娘が宣言通りに正面が開いた。そこには、門から伸びる道と同じような色をした道が広がっていた。

「ここは?」

「説明が難しいのですが・・・。”カート”と呼ばれるアーティファクトをヤスさんが貸し出してくれている場所です」

「アーティファクトを貸し出す?すまん。サンドラ。意味が全くわからない」

「はい。だと思います。今日は、特別にお父様にも許可が出ているそうなので、実際に試してみるのが早いと思います」

「あぁわかった」

「こちらに・・・」

 娘に案内された場所には、表現が難しい物が並んでいた。微妙に形が違うが似たような物だ。乗ってきたアーティファクトに使われるような車輪をかなり小さくした物を付けたアーティファクトだ。街中で少しの荷物を運ぶときに使う物に似ている。

「私は、専用のカートがありますので、それを使います。お父様は、そうですね。サイズはそれほど違いませんが、大人用になっている物を使われたほうが良いと思います」

 娘が何を言っているのか解らなかったが、手で押せば動くと言われて、一台を並んでいる場所から手で押した。黒く綺麗に整っている石の上に、白い線が沢山書かれている場所まで移動させてから娘を待っていると、娘が似たような物に跨って移動してきた。よく見ると、儂が動かした物と色が違う。

「サンドラ!おま・・。アーティファクトを動かせるのか!」

 娘が、儂が動かしたカートの横に移動して来て、カートを停めた。娘に教えられながら、カートを動かした。
 なにこれ・・・。すごく楽しい・・・。馬車が自分の意思通りに動くのと違った感じだ。そう、自分がすべてを支配して動かしている感じがする。

「お父様。カートは、こういう乗り物です。この地下でしか動かせません。そして、神殿の住民なら全員が動かせるわけではありません」

「どういうことだ?」

「はい。お父様は特別に許可を頂きましたが、本来なら、神殿の主であるヤスさんをサポートしているマルス殿から許可される必要があります」

 また新しい情報だ。マルス殿?

「サンドラ。マルス殿とは?儂が会えるのか?」

「無理だと思います。ヤスさんとセバス。ツバキ以外にはお会いにならないようです。リーゼやドーリスも会えていません」

「そうか、ヤス殿のサポートをしながら、神殿を運営しているのだから、かなりの負担なのだろう」

「はい。そう思います。マルス殿から、許可が降りなければ、カート場はもちろん、先程のドワーフの工房も、これから行く教習場や迷宮区にも入られません」

「ん?でも、どうやって、許可が降りるか知るのだ?会えないのだろう?」

「それは、カードでわかります。許可が降りれば、印が着きます」

 よく考えられている。カードが身分証明書になっている上に施設に立ち入るときの鍵になっている。

「審査はどうなっている?」

「セバスやツバキに申請して・・・。あっ、最近ではギルドでも可能になりました。マルス殿が行動履歴を調べて、ヤスさんが許可をだす様です」

「そうか・・・。出すようですという事は、審査基準は不明確なのだな」

「いえ、マルス殿から、明確な基準は示されています」

「それは?」

「神殿への帰属意識です。忠誠心と言えばいいのかも知れません」

「ん?それこそ難しくないか?」

 忠誠心がわかる方法があれば儂も知りたい。部下を疑って過ごすのは気分的にも落ち着かない。

「お父様。ここが、神殿だというのをお忘れですか?」

「忘れては居ないが・・・。まさか、アーティファクトなのか?」

「はい。このカードもアーティファクトだと言えば、アーティファクトです」

「そ、そうだな」

「そして、カードは神殿に入る時から、持っていないと生活が出来ません。家の鍵にもなっています。バスに乗る時にも必要です。買い物の時にも必要になっています」

「・・・」

「行動履歴とは、そういうことです。スパイを炙り出せるのです。ある程度住んでいれば、すべての施設ではありませんが許可がおります。ただ、頻繁に外に出かける者や頻繁に外の者と会う場合には、許可が降りなくなります」

「サンドラは大丈夫なのか?」

「私は、大丈夫です。お父様にも神殿の中に来て頂けました」

「あっそうか、儂にもカードを渡したので、大丈夫と判断されるのか?」

「わかりませんが、お父様の許可はヤスさんから頂いています。それに・・・」

「それに?」

「お父様。正直に聞きます。神殿の勢力に対抗しようと思いますか?」

「無理だな。ヤス殿のアーティファクトだけでも敵対しようとは思わない。神殿の(真実)を見てしまってからは、良き隣人になって利益を享受する方法を考える」

「はい」

 娘が一番の笑顔で儂の言葉を肯定する。