男は、愛車の窓を閉めてエアコンを入れる。
舗装されていない道路では、速度を上げるのにも限界がある。潮風は嫌いでは無いのだが、砂埃が混じった潮風の中を走っていると、車内が砂だらけになってしまう。それでなくても、暑い季節になってきているのだ。エアコンを入れないと、運転してられない。
今日の愛車は、いつものトラクターではない。荷物が特殊な物だった為に専用の車を用意して走らせている。
愛車は、改造を行う為に”工房”に置いてある。
男は、エアコンの入った車内で90年代のアニメソングを口ずさみながら---時折残念な位に音程を外している---車を走らせている。
それもそのはず、舗装されているわけではない田舎道だが、対向車も居なければ、男が運転する車以外に走っている車が居ない状況だ。信号も無いので、男は安全な速度を維持しながら車を走らせる事ができる。
男の車には、ナビが着いているのだが、通り慣れた道なので地図だけ表示している状況だ。地図には時折赤い点が表示されるが、男の車が赤い点を潰すように車を走らせる。赤い点が地図上から消えた事を確認して、いつもの道に戻る。赤い点が密集している場所も有ったのだが、男が来るまで近づいて踏み潰すようにする事で、地図から消える。
男の拠点から一番近い街が近づいてきた。
もともとは、国の中に合って、辺境と呼ばれるに等しい場所だったが、ここ数年は特産物の生産に成功した事で小さな寂れた港町から、通常の街に昇格できた。
街への入り口が見えてきた。男は、アクセルを緩めて、街の脇道から自分の拠点に繋がっている道路に車を向ける。
門で見張りをしていた男が、低速運転をしている男に話しかける。
「おい、ヤス!」
男は呼ばれた事に気がついて、車を停車させ窓を開けて、門から近づいてきた男に答える。
「なんだ。イザーク」
「今日は聞こえたのだな」
「だから、悪かったって謝っただろう」
「ハハハ。まぁいい。工房に戻るのか?その後はどうする?」
ヤスと呼ばれた男は、自分が乗っている車のパネルに表示されているスケジュールを確認する。
「あぁ・・・暫くは、オーダーが入っていないから、工房に籠もる事になるかな?」
「お!それなら、丁度良かった」
「なんだよ。厄介事なら、断るぞ?」
「違う、違う。カスパルの嫁さんがそろそろ出産なのは知っているよな?」
「・・・」
男は、自分がこの街に来てからのことを少しだけ思い出していた。
「そうか・・。もう、そんなになるのか?」
男が少し考えてから答えた事で、イザークと呼ばれた男もヤスと呼んだ男との出会いを思い出したのだろう。
「そう言えば、あそこの嫁さんを助けたのは、お前だったな」
「偶然だよ。それに、助けてもらったのは、俺の方だ」
「まぁいいや、それでな」
「おぉ?」
ヤスと呼ばれた男は、イザークと呼んだ男の表情から、断れる性質で依頼ではない事を悟った。それに、イザークにもカスパルにも世話になっている。少し難しい依頼の1つや2つならこなしてやろうと考えている。
「なぁに、お前ならそんなに難しくない依頼だ。今日、水揚げされた魚を、ヴァイゼまで運んで欲しい。カスパルの奴に頼もうかと思ったけど、嫁さんに付いていてやりたいらしくて・・・。ギルドに通した方がいいか?」
ヤスと呼ばれた男は、イザークと呼んだ男の話を聞いて、肩の力を抜いた。
確かに、ヤスと呼ばれた男なら簡単な依頼だ。しかし、ヤスと呼ばれた男以外では、達成不可能な依頼である事も確かだ。
「なんだ。それなら、通常の仕事の範疇だ。そうだな、ギルドを通した方がありがたい。後で顔をだす。荷物の準備をしておいてくれ。言っておくが、人は絶対に運ばないからな」
「了解。いつものところで待っている」
依頼内容は、魚の運搬だ。街で水揚げされた魚をヴァイゼの街まで運ぶだけの作業だ。確かに、魚の運搬だと男たちの仕事になるの。そして、それができるのも、ヤスと呼ばれた男とカスパルと呼ばれていた男だけになってくるのだろう。
男は、ギルドに出される依頼を確認してから、冷凍車か鮮魚車で行くのかを判断することにした。
まずは、工房に戻って報告と、愛車の改造の状態を確認する事にした。
男は、脇道を安全な速度で進む。ここから10Kmほどだが、ここから先は舗装されている道路が続く、男はアクセルを軽く踏み込んで速度を上げる。
「ただいま!」
男は車を所定の場所に置いてから、事務所に居るだろう、嫁に声をかける。
「ヤス!おかえり!問題はなかった?」
「あぁ途中で、ゴブリンの集落を見つけたら、踏み潰しておいた。あと、はぐれが何体か見つけたから潰しておいた」
「ヤス。どの辺り?あとで、ギルドに報告を上げるから、位置だけ教えて」
「おぉぉ。マルスに聞いておいてくれ、もう接続は終わっている頃だろう?」
「わかった」
『マスター。接続完了しました。情報を共有します』
「お!サンキュなマルス」
『マスター。私に、感謝などいりません。私は、マスターのために存在しているのです』
「はい。はい。仲がいいのはわかったから、ヤス。お風呂にする?食事にする。それとも・・・次の仕事にする?」
「そこは、”私にする”にしてくれよ」
「だって、ヤス。そんな事をいったら、本当に、私にするでしょ?」
「もちろんだよ。奥様?」
「ありがとう。旦那さま。でも、街ごとに現地妻を作るのは止めましょうね。いろんな所から苦情が届いていますよ?」
「はぁそんな事はしてないぞ、今は!」
「はい。はい。そうでしたね。散々待たされたのは今でも覚えていますよ?」
「う・・それは・・・。悪かった・・・。と、思っている」
「いいわよ。こうして、ヤスの秘密を知っているのは、私だけなのでしょ?」
「あぁ俺の1番の秘密を知っているのは、お前だけだ」
「嬉しい。それに、最後には、えぇ本当に最後には、私を選んでくれたのだから、許しましょう。旦那様」
男は、妻を抱き寄せてキスをする。
そして、ここまでの長くも短い出来事を思い出すのだった。
(そう、本当にいろいろ有った。従業員にも話していない本当の秘密)
この工房と俺の愛車マルス---ディアナと呼んでいる---が、俺と妻以外はアーティファクトで古代遺跡だと信じている。
俺が、古代遺跡のアーティファクトを使って商売しているのだと思っているのだ。
俺が記憶喪失になって、バッケスホーフ王国のユーラット街の近くにディアナと共に彷徨っていたと思われている。
これらのことは、全部が違っているのだ。間違っているわけではない。本当の事を伝えていないだけなのだ。
俺には、日本と言う異世界で過ごしていた記憶がある。
マルスは、俺の愛車に搭載されていたなんちゃってAIなのだ。愛車のトラクターを駆って全国を渡り歩いていたのだが、なぜか異世界に来てしまった。
俺は、異世界で運送配達を行うトラック運転手となっていた。