「私正直、あんたのことが苦手だった。ううん、今でもちょっと苦手。何でもかんでも言ってくるところが苦手。怖いの。見透かされてそうで、私の嫌なところ、全部バレてそうで、怖かった」
静かにこちらを見る瞳を見つめ返す。
「あの頃の方が良かったって言われて、でも、あの頃の私は自分にとっては一番消し去りたいものだったから。だから、嫌だった。それを肯定されるのが理解できなかった。あの私の何が良かったの、って。……じゃあ今の私はなんなの、って」
声が震えそうになるけれど、唇を噛んで押さえ込む。
「私、今の私が好き。不格好でも弱虫でも、必死に頑張ってる今の私が好き。……あの頃の私も、ちょっとだけなら好きだけどね」
だから、と。
「ごめん。私、戻れない。前にしか進みたくないから」
今までの私に、さよなら、って言う勇気が出たから。
「あんたも、なんか癖みたいにいつもへらへらするのやめなよね。さっきの演奏、すごい良かった。感動した。本当の南波は、あれなんでしょ。素直になりなよ」
最後だから、ちょっと偉そうなことを言わせてね。
「……演奏は嘘つかない、ってか? さっむいなあ! ……とか言ったらお前どうせ怒るんだろ?」
あははは、と南波が笑う。その笑い声がとても幼く聞こえて、私はびっくりして彼の顔を見た。
見たこともないほど目尻を下げて、朗らかな笑みを浮かべている。
笑われるなんて想像していなかった。何調子乗ってんだよって殴られるんじゃないか、くらいには覚悟をしていたのに。
「あーもー完敗だよ完敗。こりゃ勝てないはずだわ」
じゃあな、と手を振って階段を降りていった彼は、いつもより少しだけ背筋が伸びているみたいだった。
✱✱✱
私はさっきまで南波が立っていたところでもたれ掛かりながら、グランドを眺めていた。
……あのソロオーディションは、たぶん、先生が私たちに気づかせようとしてくれたのだと思う。心の持ち方の大切さを。音楽の経験なんて関係ない。私たちの何倍も長く生きているからこそわかるのだ。
2週間間を空けたのだって、2回目は手の数が見えるようにしたのだって。
十代の私たちがどれだけ変わりやすい存在で、今が大事な時なのかということを、わからせてくれたのだ。
私たちにはまだちょっと難しい。それでも、なんとなくぼんやりと掴み始めた。
風がまた強く吹く。それに運ばれるようにグランドで練習する部活の声が大きく聞こえてきた。
半面ずつ使って練習しているのは、野球部とサッカー部だ。知らず知らずのうちに、視線が吸い寄せられていく。
どれだけ離れていたって、人がたくさんいたって、きっときみを見失うことはないだろう。
「……海ちゃん」
意識しなくても、すぐに見つかる。
ずっと誰よりそばにいたから。
それなのに、ほんの2年。2年だ。高校に入ってからの2年間、一緒にいなかった時間の方が長く感じる。
どうしてだろう、と時々思うけれど、たぶんそれは、海ちゃんがいることが当たり前過ぎて、それが日常だったからなのだと思う。
それがどれだけ幸せなことだったのかも知らずに。大切なものは、いつだって喪ってから気づくのだ。
……私の想いは、きみには負担なんだろう。
わかっていた。本当はずっと前から。
いつも私の言葉に、困ったように一拍置いて微笑むのも。私の笑顔に、戸惑ったように眉尻を下げるのも。
困らせたくない。
でも、そばに居たい。
だから、わかっていたのに、海ちゃんが何も言わないのを良いことにずっと気づいていないフリをしていた。
「でもそれじゃ、だめだよね」
やっと踏ん切りがついた。
そばにいるために、しなきゃいけないことが、私にはある。
ピーッと笛の音が聞こえた。休憩だ。
私は慌てて階段を下りる。部活中だとはわかっていても、今を逃したら、もう言えない気がした。
玄関から飛び出す。グランドの方を見ても海ちゃんはいない。それなら部室棟の方だろうと校舎の角を曲がると、誰かとぶつかりそうになった。
「すみませ……」
顔を上げてから凍りつく。私を僅かに見下ろしているのは、神崎先輩だった。
何か言われるのだろうかと反射的に体を固くした私を暫く見つめてから、先輩は私を素通りして玄関の方に歩いていった。
「私、明日からパート練出るから、よろしくね」
すれ違いざまに、ぼそりとそう聞こえて振り返る。先輩がそのまま歩き去ろうとするので、思わずその腕を掴んだ。
「……何?」
「あ、えっと……えっと」
よく考えていなかったので困って口を開閉する。そんな私を見て、先輩はため息をついた。
「やっぱりあなたには勝てない。本気出されたら無理ね」
「……え?」
「私たち、本当は初めましてじゃないの。少なくとも私は。あなたが中学1年生の冬のアンサンブルコンテスト。同じ日で、出番が終わって客席で見てたの」
「え、え……っ!?」
同じ日、どこの学校があっただろう。思い出そうとするけれど記憶はよみがえってこない。別に有名なところじゃなかったからそんなものよ、と先輩が皮肉げに苦笑した。
「確かに技術は完璧じゃなかったかも。でも私はあの時初めてあんなに楽しそうに楽器を吹く人を見たの。トランペットが好きなんだって伝わってきた」
過去の私は、そんなふうに映っていたのか。
自分ではわからないものだ。嫌だとしか思っていなかった昔の自分だけれど、芽衣が言うように、悪いばかりではなかったのかもしれない。
「あの時からあなたの音が憧れで、中学の名前は知ってたから、きっとこのあたりで吹部が強い高校に行くんだろうと思った。同じところに行って、一緒に吹いてみたかった。……でも志望校に落ちたの。それで仕方なくここに来て。鬱憤を晴らすみたいに当たり散らした。でも、そうしたらまさか、あなたとここで会うなんて」
私は吹部の強さなんて気にせず、知り合いと会わないことだけを考えて入ったから、本当に偶然だったのだろう。すごい巡り合わせだ。
「すごく驚いた。嬉しかった。だけど、あなたは様変わりしてた。ずっと俯いて、吹けないっていうじゃない。……腹が立ったの」
先輩はひょいと肩を竦めた。
「まあ、そういうことよ。それだけのこと。だから、私も……これからはもう少し、周りを見るようにしようと思うわ」
今度こそ通り過ぎようとする先輩の背に声をぶつける。
「……先輩。高校入ってからは、先輩が私の憧れでした!」
驚いたように肩越しに振り返って、固まって。それから、ぎこちなく、ほんの少しだけ微笑む。
「明日から、またよろしくね」
頷くと、先輩はくるりと踵を返した。
それを暫く見守って、ぶんぶん、と頭を振る。
とにかく今は休憩が終わる前に早く海ちゃんを見つけないと。
今度こそ角を曲がる。部室棟の前のベンチに座っているのは、やっぱり海ちゃんだ。
「海ちゃん」
声をかけると海ちゃんはゆっくり頭をもたげた。
「……ああ、りっちゃんか。どうしたの?」
海ちゃんに自覚は無いのだろうけれど、その声のトーンでわかる。
「先輩がいたんだ?」
「そうだよ、よくわかったね」
「そこであったから、もしかしてって思って」
「なるほど、さすがりっちゃん」
にこーっと笑う海ちゃんに、ぎゅっと心臓が痛くなる。
やっぱり、私じゃダメなんだね。
「りっちゃん、ごめんけど休憩あんまないから、長話はできないんだけど……」
「うん、大丈夫。すぐ終わるから」
私はブレザーのポケットに手を突っ込んだ。さっき来る前に急いで入れたものを確かめて取り出す。
「手、出して海ちゃん」
「えっ、うん?」
淡々とした私に目を瞬かせながら、海ちゃんはそろりと手を出す。
その上に、私はそれを載せた。
手が震える。
「聴きに来て、海ちゃん。今年も」
吹奏楽コンクールのチケット。
「私、ソロ吹くことになったんだ」
は、と海ちゃんが目を見開いた。次いでそっと目を伏せる。私が失敗した時も聴きに来ていたから、ソロときいて不安がるのはわかる。
私だって不安だ。不安しかない。……でも。
「あのね。私、海ちゃんのことが好き」
自分が驚くくらい、何気なく。
想いを告げた。
「好きだよ、海ちゃん」
阿呆みたいに口を開ける海ちゃんに、畳み掛けるようにもう一度繰り返す。
「私じゃダメってわかってる。ダメだった、って」
「……そんな」
何か言おうとした海ちゃんを手で制した。きっと優しい彼のことだ、何か慰めの言葉をかけてくれるつもりだったのだろう。
幼馴染みとして。
「だけど、私変わるから。今まで自分のこと全然好きじゃなかった。自信なくて。嫌で。でも自分のことが好きって思えなきゃ、好きって思ってもらるはずないって……そんなの当たり前のことだったのに」
でもそんなのもう、終わりだ。
「お願いだから、もう分からないふりだけはしないで。私、本気なの。これは、恋愛感情としての好きだから」
胸を張って、この関係にさよならを告げよう。
「幼馴染みじゃやっぱり満足できなかった。これからは、ちゃんとそういう目で私を見てほしいの」
海ちゃんが黙って私を見つめていた。首を縦にも横にも振らず、呆然と。
「じゃあ……きっと来てね。約束だよ、海ちゃん」
反射的に伸ばされたような海ちゃんの手が空を切る。タイミングよく再開の笛の音が鳴る。
躊躇うように握られた手を見て、私は踵を返して走った。
勝手でごめん。迷惑かけてごめん。
だけど、こんなにも好きなの。
ずっと大切に抱えてきたものを紐解いて、すっきりとしていた。
そのはずなのに涙が出るのは、どうしてなのだろう。拭っても拭っても、袖はいつまでも濡れる。視界が歪んで、涙は止まらない。
今更怖くなって、歯がかちかちと鳴る。
全てを喪うかもしれない。今度こそ、本当にだ。
そういえば、あの日もこんな風に走りながら泣いていた。
……海ちゃんが、先輩を好きだと言った日。
これまで何度も海ちゃんへの『好き』を諦めようとしてきたけれど、誤魔化そうとしてきたけれど。
これでもう、どう転んでも終わりだ。
そう思ったら、鼻がつんと痛くなって、また涙がこぼれた。
静かにこちらを見る瞳を見つめ返す。
「あの頃の方が良かったって言われて、でも、あの頃の私は自分にとっては一番消し去りたいものだったから。だから、嫌だった。それを肯定されるのが理解できなかった。あの私の何が良かったの、って。……じゃあ今の私はなんなの、って」
声が震えそうになるけれど、唇を噛んで押さえ込む。
「私、今の私が好き。不格好でも弱虫でも、必死に頑張ってる今の私が好き。……あの頃の私も、ちょっとだけなら好きだけどね」
だから、と。
「ごめん。私、戻れない。前にしか進みたくないから」
今までの私に、さよなら、って言う勇気が出たから。
「あんたも、なんか癖みたいにいつもへらへらするのやめなよね。さっきの演奏、すごい良かった。感動した。本当の南波は、あれなんでしょ。素直になりなよ」
最後だから、ちょっと偉そうなことを言わせてね。
「……演奏は嘘つかない、ってか? さっむいなあ! ……とか言ったらお前どうせ怒るんだろ?」
あははは、と南波が笑う。その笑い声がとても幼く聞こえて、私はびっくりして彼の顔を見た。
見たこともないほど目尻を下げて、朗らかな笑みを浮かべている。
笑われるなんて想像していなかった。何調子乗ってんだよって殴られるんじゃないか、くらいには覚悟をしていたのに。
「あーもー完敗だよ完敗。こりゃ勝てないはずだわ」
じゃあな、と手を振って階段を降りていった彼は、いつもより少しだけ背筋が伸びているみたいだった。
✱✱✱
私はさっきまで南波が立っていたところでもたれ掛かりながら、グランドを眺めていた。
……あのソロオーディションは、たぶん、先生が私たちに気づかせようとしてくれたのだと思う。心の持ち方の大切さを。音楽の経験なんて関係ない。私たちの何倍も長く生きているからこそわかるのだ。
2週間間を空けたのだって、2回目は手の数が見えるようにしたのだって。
十代の私たちがどれだけ変わりやすい存在で、今が大事な時なのかということを、わからせてくれたのだ。
私たちにはまだちょっと難しい。それでも、なんとなくぼんやりと掴み始めた。
風がまた強く吹く。それに運ばれるようにグランドで練習する部活の声が大きく聞こえてきた。
半面ずつ使って練習しているのは、野球部とサッカー部だ。知らず知らずのうちに、視線が吸い寄せられていく。
どれだけ離れていたって、人がたくさんいたって、きっときみを見失うことはないだろう。
「……海ちゃん」
意識しなくても、すぐに見つかる。
ずっと誰よりそばにいたから。
それなのに、ほんの2年。2年だ。高校に入ってからの2年間、一緒にいなかった時間の方が長く感じる。
どうしてだろう、と時々思うけれど、たぶんそれは、海ちゃんがいることが当たり前過ぎて、それが日常だったからなのだと思う。
それがどれだけ幸せなことだったのかも知らずに。大切なものは、いつだって喪ってから気づくのだ。
……私の想いは、きみには負担なんだろう。
わかっていた。本当はずっと前から。
いつも私の言葉に、困ったように一拍置いて微笑むのも。私の笑顔に、戸惑ったように眉尻を下げるのも。
困らせたくない。
でも、そばに居たい。
だから、わかっていたのに、海ちゃんが何も言わないのを良いことにずっと気づいていないフリをしていた。
「でもそれじゃ、だめだよね」
やっと踏ん切りがついた。
そばにいるために、しなきゃいけないことが、私にはある。
ピーッと笛の音が聞こえた。休憩だ。
私は慌てて階段を下りる。部活中だとはわかっていても、今を逃したら、もう言えない気がした。
玄関から飛び出す。グランドの方を見ても海ちゃんはいない。それなら部室棟の方だろうと校舎の角を曲がると、誰かとぶつかりそうになった。
「すみませ……」
顔を上げてから凍りつく。私を僅かに見下ろしているのは、神崎先輩だった。
何か言われるのだろうかと反射的に体を固くした私を暫く見つめてから、先輩は私を素通りして玄関の方に歩いていった。
「私、明日からパート練出るから、よろしくね」
すれ違いざまに、ぼそりとそう聞こえて振り返る。先輩がそのまま歩き去ろうとするので、思わずその腕を掴んだ。
「……何?」
「あ、えっと……えっと」
よく考えていなかったので困って口を開閉する。そんな私を見て、先輩はため息をついた。
「やっぱりあなたには勝てない。本気出されたら無理ね」
「……え?」
「私たち、本当は初めましてじゃないの。少なくとも私は。あなたが中学1年生の冬のアンサンブルコンテスト。同じ日で、出番が終わって客席で見てたの」
「え、え……っ!?」
同じ日、どこの学校があっただろう。思い出そうとするけれど記憶はよみがえってこない。別に有名なところじゃなかったからそんなものよ、と先輩が皮肉げに苦笑した。
「確かに技術は完璧じゃなかったかも。でも私はあの時初めてあんなに楽しそうに楽器を吹く人を見たの。トランペットが好きなんだって伝わってきた」
過去の私は、そんなふうに映っていたのか。
自分ではわからないものだ。嫌だとしか思っていなかった昔の自分だけれど、芽衣が言うように、悪いばかりではなかったのかもしれない。
「あの時からあなたの音が憧れで、中学の名前は知ってたから、きっとこのあたりで吹部が強い高校に行くんだろうと思った。同じところに行って、一緒に吹いてみたかった。……でも志望校に落ちたの。それで仕方なくここに来て。鬱憤を晴らすみたいに当たり散らした。でも、そうしたらまさか、あなたとここで会うなんて」
私は吹部の強さなんて気にせず、知り合いと会わないことだけを考えて入ったから、本当に偶然だったのだろう。すごい巡り合わせだ。
「すごく驚いた。嬉しかった。だけど、あなたは様変わりしてた。ずっと俯いて、吹けないっていうじゃない。……腹が立ったの」
先輩はひょいと肩を竦めた。
「まあ、そういうことよ。それだけのこと。だから、私も……これからはもう少し、周りを見るようにしようと思うわ」
今度こそ通り過ぎようとする先輩の背に声をぶつける。
「……先輩。高校入ってからは、先輩が私の憧れでした!」
驚いたように肩越しに振り返って、固まって。それから、ぎこちなく、ほんの少しだけ微笑む。
「明日から、またよろしくね」
頷くと、先輩はくるりと踵を返した。
それを暫く見守って、ぶんぶん、と頭を振る。
とにかく今は休憩が終わる前に早く海ちゃんを見つけないと。
今度こそ角を曲がる。部室棟の前のベンチに座っているのは、やっぱり海ちゃんだ。
「海ちゃん」
声をかけると海ちゃんはゆっくり頭をもたげた。
「……ああ、りっちゃんか。どうしたの?」
海ちゃんに自覚は無いのだろうけれど、その声のトーンでわかる。
「先輩がいたんだ?」
「そうだよ、よくわかったね」
「そこであったから、もしかしてって思って」
「なるほど、さすがりっちゃん」
にこーっと笑う海ちゃんに、ぎゅっと心臓が痛くなる。
やっぱり、私じゃダメなんだね。
「りっちゃん、ごめんけど休憩あんまないから、長話はできないんだけど……」
「うん、大丈夫。すぐ終わるから」
私はブレザーのポケットに手を突っ込んだ。さっき来る前に急いで入れたものを確かめて取り出す。
「手、出して海ちゃん」
「えっ、うん?」
淡々とした私に目を瞬かせながら、海ちゃんはそろりと手を出す。
その上に、私はそれを載せた。
手が震える。
「聴きに来て、海ちゃん。今年も」
吹奏楽コンクールのチケット。
「私、ソロ吹くことになったんだ」
は、と海ちゃんが目を見開いた。次いでそっと目を伏せる。私が失敗した時も聴きに来ていたから、ソロときいて不安がるのはわかる。
私だって不安だ。不安しかない。……でも。
「あのね。私、海ちゃんのことが好き」
自分が驚くくらい、何気なく。
想いを告げた。
「好きだよ、海ちゃん」
阿呆みたいに口を開ける海ちゃんに、畳み掛けるようにもう一度繰り返す。
「私じゃダメってわかってる。ダメだった、って」
「……そんな」
何か言おうとした海ちゃんを手で制した。きっと優しい彼のことだ、何か慰めの言葉をかけてくれるつもりだったのだろう。
幼馴染みとして。
「だけど、私変わるから。今まで自分のこと全然好きじゃなかった。自信なくて。嫌で。でも自分のことが好きって思えなきゃ、好きって思ってもらるはずないって……そんなの当たり前のことだったのに」
でもそんなのもう、終わりだ。
「お願いだから、もう分からないふりだけはしないで。私、本気なの。これは、恋愛感情としての好きだから」
胸を張って、この関係にさよならを告げよう。
「幼馴染みじゃやっぱり満足できなかった。これからは、ちゃんとそういう目で私を見てほしいの」
海ちゃんが黙って私を見つめていた。首を縦にも横にも振らず、呆然と。
「じゃあ……きっと来てね。約束だよ、海ちゃん」
反射的に伸ばされたような海ちゃんの手が空を切る。タイミングよく再開の笛の音が鳴る。
躊躇うように握られた手を見て、私は踵を返して走った。
勝手でごめん。迷惑かけてごめん。
だけど、こんなにも好きなの。
ずっと大切に抱えてきたものを紐解いて、すっきりとしていた。
そのはずなのに涙が出るのは、どうしてなのだろう。拭っても拭っても、袖はいつまでも濡れる。視界が歪んで、涙は止まらない。
今更怖くなって、歯がかちかちと鳴る。
全てを喪うかもしれない。今度こそ、本当にだ。
そういえば、あの日もこんな風に走りながら泣いていた。
……海ちゃんが、先輩を好きだと言った日。
これまで何度も海ちゃんへの『好き』を諦めようとしてきたけれど、誤魔化そうとしてきたけれど。
これでもう、どう転んでも終わりだ。
そう思ったら、鼻がつんと痛くなって、また涙がこぼれた。