12
それは、突然舞い込んできた幸運だった。
青葉と二人で文化祭を回れるなんて、つい昨日まで、いや、ほんの三十分前まで想像さえもしていなかった。予期せずして舞い込んだこの幸福を噛み締めながら、僕は青葉と二人で、たくさんの生徒と来場者で混雑した道を歩いていた。
「やっぱり、どこもすごくにぎわってるね」
「ちょっと一度作戦会議しよっか」
青葉に促されて、屋台のない校庭の外れに移動する。そこまで行って、ようやく一息をつけた。
自由時間をもらった僕たちが真っ先に向かったのは、加瀬くんのいる弓道部の出店だった。ぜんざいが売られていたそこには、加瀬くん目当てらしき女子たちの長蛇の列が伸びていて、断念せざるを得なかった。次に向かったのは赤川さんの調理部で、僕も試食をしたフィナンシェが売られていたそこは、やっぱり男子たちで長蛇の列だった。
「やっぱりあの二人はすごい人気だったね。混んでるだろうとは思ってたけど、まさかあそこまでとは……」
「だね。うちの制服以外の人もたくさんいたし、他校まで噂が広がってるのかも」
青葉はそう言うと、何かに気づいた様子だった。
「あ、晃嗣」
青葉の視線を追って、人混みの向こうへ目を向けてみると晃嗣くんの姿が見えた。隣には文化祭のスタッフが数人いて、彼らにテキパキと指示を飛ばしている。距離があって細かい表情までは見えないけど、スタッフの人たちの態度から晃嗣くんが頼られているのが伝わってくる。
晃嗣くんも、加瀬くんや赤川さんと同じで非凡なものを持っている。
「頑張ってるね」
こんな場面を晃嗣くんに見られたら、間違いなくまた睨まれてしまう。僕はつい隠れるように顔を伏せる。
この瞬間くらいは、どうか今という贅沢を許してほしい。
と、晃嗣くんは僕たちとは反対側に向かって歩いていき、青葉はその背中をじっと見つめている。
「なんだか、働いている人を外から眺めるのは変な気分」
「そうかもね。こうして一緒に文化祭を回るのだって初めてじゃない? 青葉はいつも運営側にいるし、中学の時だって」
「そうだね。私だって別にやりたくないのに、いつも気づいたらそういう立場になってる」
青葉は自分から責任者に立候補をするタイプじゃない。ただ、何かを決める時はいつも最適なアドバイスを送ってしまうから、そのまま周りに担がれてまとめ役になってしまう流れが多かった。
「青葉はきっと、そういう星のもとに生まれたんだよ」
「そうなのかな。まあ、だとしてもやることは変わらないけど」
青葉は目の前を埋め尽くす人混みを眺めながらそう言った。いくつもの屋台が並ぶ通り歩く人たちは、そこで買ったものを片手に隣を歩く友達と楽しそうに談笑している。
せっかくの機会なのに、このまま校庭の隅で立っているだけというのももったいない。
これが、青葉と二人で回れる最初で最後の文化祭なんだ。食べ物でも企画でも、どこか一つだけでも回っておきたかった。
「それより、次はどこに行く? まだ時間は平気?」
「うん、もう少しなら。二時から軽音部のステージが始まるから、それまでに戻れれば」
「よかった。何か面白そうなところとかあるかな」
文化祭のパンフレットを開くと、ステージのタイムスケジュールが目に入った。メインステージの体育館では、常に何かしらの出し物があるみたいだ。
「ちょうど今から、小清水先生たち教師陣が漫才をするらしいけど」
「それはいいかな。……身内のコントって正直かなり寒いし」
「あはは……まあ確かに」
青葉の歯に衣着せぬ言い方に苦笑する。だけど実際、変に滑ってサムい空気になるのは目に見えていた。
「じゃあ、教室の企画とかだと……」
と、めぼしいものを探してページをめくった時だった。慌ただしい足音とともに、人の気配が迫ってきた。
振り向くと、息を切らした一人の男子だった。
「あの、西峰先輩……!」
「どうしたの、そんなに慌てて」
生徒会の人だろうか。慌てた様子に嫌な予感を覚える。彼は言いにくそうにしながらも、恐る恐るといった様子で、
「すみません、自由時間中に。実は、メインステージの方でちょっとトラブルがあって、その対応を……」
「この時間のメインステージは中山に任せたはずだけど?」
「そうなんですけど、西峰先輩の判断を仰ぎたいと言っていて……すみません」
その男子は、また悲痛な表情で頭を下げる。青葉は少しも顔色を変えず、ひたすらに冷静だった。
「ううん、半端に任せちゃった私が悪いから。やっぱり、ちゃんと私が見ていなくちゃいけなかった」
青葉はそう言ってから僕の方を振り向くと、そこで初めて申し訳なさそうに表情をゆがめた。
「ごめん。やっぱり戻らないといけなくなっちゃったから……」
「ううん、いいよ。少し回れただけで満足だから」
青葉は最後にもう一度「ごめん」と口にすると、生徒会の彼を連れて急ぎ足でこの場を去っていく。通りはたくさんの人でにぎわっていて、人混みに紛れると、その背中はすぐに見えなくなった。
一緒にいられたのは、ほんの十分か十五分くらいだろうか。なんとなくすぐに教室へ戻るのがはばかられて、僕はゆっくりと寄り道をして帰った。
それは、突然舞い込んできた幸運だった。
青葉と二人で文化祭を回れるなんて、つい昨日まで、いや、ほんの三十分前まで想像さえもしていなかった。予期せずして舞い込んだこの幸福を噛み締めながら、僕は青葉と二人で、たくさんの生徒と来場者で混雑した道を歩いていた。
「やっぱり、どこもすごくにぎわってるね」
「ちょっと一度作戦会議しよっか」
青葉に促されて、屋台のない校庭の外れに移動する。そこまで行って、ようやく一息をつけた。
自由時間をもらった僕たちが真っ先に向かったのは、加瀬くんのいる弓道部の出店だった。ぜんざいが売られていたそこには、加瀬くん目当てらしき女子たちの長蛇の列が伸びていて、断念せざるを得なかった。次に向かったのは赤川さんの調理部で、僕も試食をしたフィナンシェが売られていたそこは、やっぱり男子たちで長蛇の列だった。
「やっぱりあの二人はすごい人気だったね。混んでるだろうとは思ってたけど、まさかあそこまでとは……」
「だね。うちの制服以外の人もたくさんいたし、他校まで噂が広がってるのかも」
青葉はそう言うと、何かに気づいた様子だった。
「あ、晃嗣」
青葉の視線を追って、人混みの向こうへ目を向けてみると晃嗣くんの姿が見えた。隣には文化祭のスタッフが数人いて、彼らにテキパキと指示を飛ばしている。距離があって細かい表情までは見えないけど、スタッフの人たちの態度から晃嗣くんが頼られているのが伝わってくる。
晃嗣くんも、加瀬くんや赤川さんと同じで非凡なものを持っている。
「頑張ってるね」
こんな場面を晃嗣くんに見られたら、間違いなくまた睨まれてしまう。僕はつい隠れるように顔を伏せる。
この瞬間くらいは、どうか今という贅沢を許してほしい。
と、晃嗣くんは僕たちとは反対側に向かって歩いていき、青葉はその背中をじっと見つめている。
「なんだか、働いている人を外から眺めるのは変な気分」
「そうかもね。こうして一緒に文化祭を回るのだって初めてじゃない? 青葉はいつも運営側にいるし、中学の時だって」
「そうだね。私だって別にやりたくないのに、いつも気づいたらそういう立場になってる」
青葉は自分から責任者に立候補をするタイプじゃない。ただ、何かを決める時はいつも最適なアドバイスを送ってしまうから、そのまま周りに担がれてまとめ役になってしまう流れが多かった。
「青葉はきっと、そういう星のもとに生まれたんだよ」
「そうなのかな。まあ、だとしてもやることは変わらないけど」
青葉は目の前を埋め尽くす人混みを眺めながらそう言った。いくつもの屋台が並ぶ通り歩く人たちは、そこで買ったものを片手に隣を歩く友達と楽しそうに談笑している。
せっかくの機会なのに、このまま校庭の隅で立っているだけというのももったいない。
これが、青葉と二人で回れる最初で最後の文化祭なんだ。食べ物でも企画でも、どこか一つだけでも回っておきたかった。
「それより、次はどこに行く? まだ時間は平気?」
「うん、もう少しなら。二時から軽音部のステージが始まるから、それまでに戻れれば」
「よかった。何か面白そうなところとかあるかな」
文化祭のパンフレットを開くと、ステージのタイムスケジュールが目に入った。メインステージの体育館では、常に何かしらの出し物があるみたいだ。
「ちょうど今から、小清水先生たち教師陣が漫才をするらしいけど」
「それはいいかな。……身内のコントって正直かなり寒いし」
「あはは……まあ確かに」
青葉の歯に衣着せぬ言い方に苦笑する。だけど実際、変に滑ってサムい空気になるのは目に見えていた。
「じゃあ、教室の企画とかだと……」
と、めぼしいものを探してページをめくった時だった。慌ただしい足音とともに、人の気配が迫ってきた。
振り向くと、息を切らした一人の男子だった。
「あの、西峰先輩……!」
「どうしたの、そんなに慌てて」
生徒会の人だろうか。慌てた様子に嫌な予感を覚える。彼は言いにくそうにしながらも、恐る恐るといった様子で、
「すみません、自由時間中に。実は、メインステージの方でちょっとトラブルがあって、その対応を……」
「この時間のメインステージは中山に任せたはずだけど?」
「そうなんですけど、西峰先輩の判断を仰ぎたいと言っていて……すみません」
その男子は、また悲痛な表情で頭を下げる。青葉は少しも顔色を変えず、ひたすらに冷静だった。
「ううん、半端に任せちゃった私が悪いから。やっぱり、ちゃんと私が見ていなくちゃいけなかった」
青葉はそう言ってから僕の方を振り向くと、そこで初めて申し訳なさそうに表情をゆがめた。
「ごめん。やっぱり戻らないといけなくなっちゃったから……」
「ううん、いいよ。少し回れただけで満足だから」
青葉は最後にもう一度「ごめん」と口にすると、生徒会の彼を連れて急ぎ足でこの場を去っていく。通りはたくさんの人でにぎわっていて、人混みに紛れると、その背中はすぐに見えなくなった。
一緒にいられたのは、ほんの十分か十五分くらいだろうか。なんとなくすぐに教室へ戻るのがはばかられて、僕はゆっくりと寄り道をして帰った。