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家に着いて自分の部屋へと入った僕は、今すぐにベッドで横になりたい衝動を抑えて、そのまま椅子へと腰を掛けた。
いつもならここで問題集でも開くところだけど、今日は大事な宿題がある。問題集の代わりに開くのは、まだまっさらなノートだ。
赤川さんが満足するような面白いアイディアなんて、僕に考えつくのかは分からない。それでも、今は自分にできることをする以外にはない。
ペンをとって、さっそく思いついた企画の一つを書き出してみる。が、すぐにあまりのセンスのなさに頭を抱えた。恥ずかしさですぐにそれを消したくなったけど、ぐっと我慢をした。今回は質には目をつぶって、思いついたままに書いていこうと決めていた。
またそこからうんうんと唸りながら、思いついたものをぽつぽつと書き出していく。「かくし芸大会」「カラオケ大会」……思いつくのは社会人の宴会みたいなものばかりで、盛り上がる予感もなければ、そもそも僕自身がやりたくない。納得のいくものは、一向に思いつかない。
考えているうちに夕食とお風呂の時間になって、それを済ませてからまた考える。そこからはまたネットの動画サイトを漁って、それを参考にしつつ探し続けた。
一つのことに集中していると、時間はすぐに過ぎる。いよいよ夜も遅い時間になった頃、ついにこれ以上アイディアが絞り出せなくなり、机の上にうなだれた。ごろりと机の上で上半身を横に向けると、地面に置かれたジオラマキットの箱が目に入った。小さなものを組み立てるのが好きで、幼いころからずっと作り続けてきていたけど、新しいものを二年生の終わりに買ったきり、今日まで全く触れていなかった。
受験がひと段落するまではお預けかな。
時計を見ると、もうとっくに日付が変わっていた。さすがに今日はもう寝ようと、椅子を立ち上がりかけた時だった。
ふと、明日の授業の予習ができていないことを思い出す。次の日の授業の予習だけは、どんなに忙しくても今日まで毎日欠かさずに続けてきたことだった。それをここでやめてしまうのは簡単だ。けど――
僕は「よしっ」とつぶやいて、眠りを求める身体に鞭を打つ。もう一度机に向かい合って、明日の授業の教科書を開いた。
「ど、どうでしょうか……」
次の日だ。この日も授業の終わりに部室で落ち合って、僕はびっしりとアイディアを書き出したノートを赤川さんに見せていた。
赤川さんは受け取ったノートをぱらぱらとめくりながら、そこに書かれた文字を目でなぞっていく。いったい何を言われるのか緊張が走る。部室には静寂が漂い、ノートをめくる音がやけに大きく聞こえた。
耐えきれずにつばを飲んだ、その時だった。やっと顔を上げた赤川さんは、恐ろしいものを見たかのような目をしていた。
「これ、全部昨日の夜考えたの……?」
「う、うん。やっぱりちょっと勢いで書きすぎちゃったかな……」
思いついたものを書き連ねているうち、結局一冊のノートがアイディアだけでびっしりと埋まってしまっていた。
「書きすぎっていうか、これだけあってことごとくつまらないんだけど……」
つまらない、それは覚悟していた一言のはずだった。だけど実際に突きつけられると、心にくるものがある。ごめん、と言葉が出かかった時だった。
「でも、まさかノートまるまる一冊埋めてくるとは思わなかったな」と、赤川さんが苦笑した。
それは普段学校で見せる完璧な笑顔じゃなくて、部活の時に加瀬くんたちに見せるような素直な笑顔だった。そして、それが僕に向けられたのは初めてのことだった。その表情に照れ臭くなる。
「面白いものを考えつく自信がなかったから、せめて少しでもたくさん考えていかないとと思って」
「それで夜通し考えてたの? 目、すごいクマできてるよ?」
言いながら、赤川さんは僕の顔を覗き込む。顔の近さにまたドキッとして、つい目をそらしてしまう。学校での赤川さんは、こういう仕草が自然に出てきてやっぱり卑怯だ。
「まあ……それもあるけど、授業の予習とかもしてたら深夜になっちゃって」
「これだけアイディアを考えて、それで予習までしたの?」
「次の日の予習は日課だから、どうしてもやらないと気が済まなくて……結局、そのせいで授業中居眠りしかけちゃったんだけど」
「なにそれ、本末転倒じゃん」
僕が自嘲気味に笑うと、赤川さんはまた自然な笑みで返した。しばらくそうして笑い合っていると、赤川さんはふと目を細めて、
「正直、古河くんって最初は役人みたいでつまらない人かと思ってたけど……いや、今もつまらないことに変わりないんだけど、でもなんか面白いね」
なんとも言えない褒め言葉の反応に困っていると、赤川さんは再び視線を手元のノートに移してぺらぺらとページをめくりだす。
「ねえ、もしかして工作とか得意なの? なんか仕掛けを作るようなネタが多そうだけど」
「工作っていうか、何か仕掛けを考えたり細かい作業をしたりするのは少しだけね。……でも、やっぱり現実的じゃないのばっかりだよね」
うーんと唸りながらページをめくっていると、ふとその手が止まった。
「これ、ちょっと面白いかも……」
「え?」とページをのぞき込む。そこに書かれていたのは、とても赤川さんの気を引くような面白いものには思えなかった。
「これをやるの?」
「うん。このままじゃ微妙だけど、アレンジしたらきっと映えると思う!」
力強いその言葉に背中を押される。どうすればこのアイディアが映えるのか想像もつかなかったけど、きっと赤川さんには考えがあるはずだ。
「じゃあ、次は何の準備をすればいい?」
「うーん、アレンジはこっちで考えるから、企画はいったん放置しよっか。どうせ、そっちだってこれから忙しくなるでしょ?」
「忙しく?」
忙しくなるような要因が思い当たらず首をかしげる。と、赤川さんは少し呆れたように、
「文化祭の準備、そろそろ始まる頃でしょ?」
「あ……」
言われて思い出す。この森宮第一高校の文化祭は、毎年七月の頭に開催されることになっていた。忙しく過ぎていく毎日の中ですっかり抜け落ちていたけど、いよいよ準備も始まる頃だった。
「お互い、まずは目の前の文化祭を頑張ろ」
高校最後の文化祭が、もうすぐそこまで迫っていた。
家に着いて自分の部屋へと入った僕は、今すぐにベッドで横になりたい衝動を抑えて、そのまま椅子へと腰を掛けた。
いつもならここで問題集でも開くところだけど、今日は大事な宿題がある。問題集の代わりに開くのは、まだまっさらなノートだ。
赤川さんが満足するような面白いアイディアなんて、僕に考えつくのかは分からない。それでも、今は自分にできることをする以外にはない。
ペンをとって、さっそく思いついた企画の一つを書き出してみる。が、すぐにあまりのセンスのなさに頭を抱えた。恥ずかしさですぐにそれを消したくなったけど、ぐっと我慢をした。今回は質には目をつぶって、思いついたままに書いていこうと決めていた。
またそこからうんうんと唸りながら、思いついたものをぽつぽつと書き出していく。「かくし芸大会」「カラオケ大会」……思いつくのは社会人の宴会みたいなものばかりで、盛り上がる予感もなければ、そもそも僕自身がやりたくない。納得のいくものは、一向に思いつかない。
考えているうちに夕食とお風呂の時間になって、それを済ませてからまた考える。そこからはまたネットの動画サイトを漁って、それを参考にしつつ探し続けた。
一つのことに集中していると、時間はすぐに過ぎる。いよいよ夜も遅い時間になった頃、ついにこれ以上アイディアが絞り出せなくなり、机の上にうなだれた。ごろりと机の上で上半身を横に向けると、地面に置かれたジオラマキットの箱が目に入った。小さなものを組み立てるのが好きで、幼いころからずっと作り続けてきていたけど、新しいものを二年生の終わりに買ったきり、今日まで全く触れていなかった。
受験がひと段落するまではお預けかな。
時計を見ると、もうとっくに日付が変わっていた。さすがに今日はもう寝ようと、椅子を立ち上がりかけた時だった。
ふと、明日の授業の予習ができていないことを思い出す。次の日の授業の予習だけは、どんなに忙しくても今日まで毎日欠かさずに続けてきたことだった。それをここでやめてしまうのは簡単だ。けど――
僕は「よしっ」とつぶやいて、眠りを求める身体に鞭を打つ。もう一度机に向かい合って、明日の授業の教科書を開いた。
「ど、どうでしょうか……」
次の日だ。この日も授業の終わりに部室で落ち合って、僕はびっしりとアイディアを書き出したノートを赤川さんに見せていた。
赤川さんは受け取ったノートをぱらぱらとめくりながら、そこに書かれた文字を目でなぞっていく。いったい何を言われるのか緊張が走る。部室には静寂が漂い、ノートをめくる音がやけに大きく聞こえた。
耐えきれずにつばを飲んだ、その時だった。やっと顔を上げた赤川さんは、恐ろしいものを見たかのような目をしていた。
「これ、全部昨日の夜考えたの……?」
「う、うん。やっぱりちょっと勢いで書きすぎちゃったかな……」
思いついたものを書き連ねているうち、結局一冊のノートがアイディアだけでびっしりと埋まってしまっていた。
「書きすぎっていうか、これだけあってことごとくつまらないんだけど……」
つまらない、それは覚悟していた一言のはずだった。だけど実際に突きつけられると、心にくるものがある。ごめん、と言葉が出かかった時だった。
「でも、まさかノートまるまる一冊埋めてくるとは思わなかったな」と、赤川さんが苦笑した。
それは普段学校で見せる完璧な笑顔じゃなくて、部活の時に加瀬くんたちに見せるような素直な笑顔だった。そして、それが僕に向けられたのは初めてのことだった。その表情に照れ臭くなる。
「面白いものを考えつく自信がなかったから、せめて少しでもたくさん考えていかないとと思って」
「それで夜通し考えてたの? 目、すごいクマできてるよ?」
言いながら、赤川さんは僕の顔を覗き込む。顔の近さにまたドキッとして、つい目をそらしてしまう。学校での赤川さんは、こういう仕草が自然に出てきてやっぱり卑怯だ。
「まあ……それもあるけど、授業の予習とかもしてたら深夜になっちゃって」
「これだけアイディアを考えて、それで予習までしたの?」
「次の日の予習は日課だから、どうしてもやらないと気が済まなくて……結局、そのせいで授業中居眠りしかけちゃったんだけど」
「なにそれ、本末転倒じゃん」
僕が自嘲気味に笑うと、赤川さんはまた自然な笑みで返した。しばらくそうして笑い合っていると、赤川さんはふと目を細めて、
「正直、古河くんって最初は役人みたいでつまらない人かと思ってたけど……いや、今もつまらないことに変わりないんだけど、でもなんか面白いね」
なんとも言えない褒め言葉の反応に困っていると、赤川さんは再び視線を手元のノートに移してぺらぺらとページをめくりだす。
「ねえ、もしかして工作とか得意なの? なんか仕掛けを作るようなネタが多そうだけど」
「工作っていうか、何か仕掛けを考えたり細かい作業をしたりするのは少しだけね。……でも、やっぱり現実的じゃないのばっかりだよね」
うーんと唸りながらページをめくっていると、ふとその手が止まった。
「これ、ちょっと面白いかも……」
「え?」とページをのぞき込む。そこに書かれていたのは、とても赤川さんの気を引くような面白いものには思えなかった。
「これをやるの?」
「うん。このままじゃ微妙だけど、アレンジしたらきっと映えると思う!」
力強いその言葉に背中を押される。どうすればこのアイディアが映えるのか想像もつかなかったけど、きっと赤川さんには考えがあるはずだ。
「じゃあ、次は何の準備をすればいい?」
「うーん、アレンジはこっちで考えるから、企画はいったん放置しよっか。どうせ、そっちだってこれから忙しくなるでしょ?」
「忙しく?」
忙しくなるような要因が思い当たらず首をかしげる。と、赤川さんは少し呆れたように、
「文化祭の準備、そろそろ始まる頃でしょ?」
「あ……」
言われて思い出す。この森宮第一高校の文化祭は、毎年七月の頭に開催されることになっていた。忙しく過ぎていく毎日の中ですっかり抜け落ちていたけど、いよいよ準備も始まる頃だった。
「お互い、まずは目の前の文化祭を頑張ろ」
高校最後の文化祭が、もうすぐそこまで迫っていた。