《うん。出場種目のこと。最低一種目は必ず決めておくこと、ってさっき先生が言っていたじゃない? でも、私は当日見学していてね、って言われたの》
「見学? 何で?」
そう尋ねると、律は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
《体育祭って、やっぱ、怪我する可能性があるじゃない? 場合によっては、大怪我する可能性も……。私、怪我とかしても大声で助けを呼べないから、学校の方針で競技に参加はさせられないって》
「は!? 何それ!」
《あ、でも仕方のないことだから。先生が悪い訳じゃないし、競技に参加はさせてもらえなくても、体育祭に出席出来るのは嬉しいし》
「でも……」
《達樹くんは知らないかもしれないけど、私、そういう理由で体育の授業もほとんど見学してるの。単位はレポート提出すればもらえるし、私が気にしてる腫れ物扱いとは違うから、そこは諦めてるよ》
だけど……と言葉を続けると、律は顔を上げて。
《一種目でもいいから、何か競技に出場したかったなっていうのも本音だけどね》
……そう、だよな。
運動とか体育祭とか嫌いな人ならともかく、律は運動神経いいし、スポーツ大好きだし、絶対出場したかったに決まっている。
何か、俺に出来ることはないだろうか? 律の為に……
いや、
俺の為、かもしれない。
俺が、律のこんな寂しそうな笑顔、見たくないから……。
《ごめん、しんみりしちゃったよね。誰かに話、聞いてもらいたくてさ。さあ、教室戻ろう》
うん……と答えながら腰をあげ、一緒に教室へ戻った。
その後、授業中も休み時間も、俺なりに色々考えてーーそして、俺なりの〝方法〟を考えた。
「では、朝のホームルームで先生から話があった通り、これから、体育祭での出場種目について決めていきます」
放課後のホームルームで、学級委員の尚也が、教壇に立って話を始める。
「希望人数が制限人数より多い場合は、話し合いやジャンケンで決めていくので。じゃあまず、大縄に出たい人はいますか?」
大縄への参加希望者が次々に挙手していく。
俺は、コーヤと障害物競走、尚也とリレーに出たいなという話を休み時間にした。
そして。制限人数にさえ引っ掛からなければ一人最大三種目に出場することが出来るから……
「では、次。二人三脚に出たい人、いますか? 人数は、一ペア二人です」
尚也がそう言い終わった瞬間に、俺は右手をバッと挙げた。
少々勢いよく挙げ過ぎたせいで、クラスメイト達の視線を一気に集めてしまった。
「達樹、障害物競走とリレーも出たいって言ってなかったっけ? 二人三脚も出るのか?」
尚也が少し驚いたような表情でそう聞いてくるが、俺は「うん」と答える。
「そっか。他には希望者はいないみたいだし、じゃあ達樹は決定で。もう一人、誰か希望者はいますか?」
クラス全体にそう問い掛ける尚也に、俺は「あのさ」と口を開く。
「どうした?」
「えっと……。俺、律と、出る。二人三脚」
ほんの少しだけ、クラスの空気が揺れた気がした。
律と一緒に体育の授業を受けている女子たちは、律が体育祭で競技には出場しないと分かっていただろうし、女子と積極的に二人三脚に出たがるのも、少しおかしく思われたかもしれない。
「永倉さんは、それでいい?」
尚也が、俺の後ろの後ろの席にいる律に目を向け、そう尋ねる。
律には何も言わないで、勝手に今の行動を起こしている。事前に相談しても、気を遣わないで、とか言われそうだったから。
でも、やっぱり相談しておいた方が良かったかも、と今更ながら思う。律がどう思ったか、少し不安になってきた。律の方を向けない。
すると、律のリアクションより先に、教室前方の窓際で尚也の進行を見守っていた担任が、口を開いた。
「長尾。申し訳ないが、永倉は体育祭当日は応援と見学のみしてもらうことになってるんだ。本人にはそう話してある」
こう言われることも、想定済みだ。
「俺も、本人からそう聞きました。でも、本人は一種目でもいいから出場したいって言ってました。万が一ですけど怪我をしたとしても、二人三脚なら俺が隣にいますし」
「でもなあ」
うーん、と担任は腕を組んで頭を悩ましている様子だ。
悩んでいるということは、可能性があると思っていいだろうか。
俺は期待しながらOKの返事を待った。
でも。
「……やっぱり駄目だな。許可は出来ない」
「何でですか」
「長尾の気持ちはよく分かる。先生だって、永倉が出場を希望しているのなら、そうさせてやりたいさ。でも、これは学校の方針だから。二人三脚だからっていう理由で安易に例外は認められない。それに、二人三脚こそ、声を出して、声を揃えて走らないと、何よりも怪我に繋がる種目だろう?」
ぐっ……と言葉に詰まる。
確かに、そうかもしれないけれど……。
頭ごなしに反対されるよりも、こうして優しく諭される方が、何だか反論しにくい。
すると、引き出しに入れていた携帯が、ブブッと震えた。
ちらっと画面を見てみると、たった今届いたらしい律からのメッセージが画面に表示されていた。
【ありがとう。もう大丈夫だよ】
……それを見て、俺は「分かりました」と先生に伝えた。
律の方を、余計に向けなくなった。
ありがとう、と言ってくれたけれど。
もしかしたら、期待だけさせて傷付けただけだったかもしれない……。
「達樹、二人三脚どうする? 他の誰かと出るか? 何だったら俺が一緒に出るけど」
「うーん……」
どうしよう。一気に気が抜けてしまった。律と出られないなら、二人三脚はやめておこうか。
「えっと、じゃあ……」
「はい!」
俺が言い掛けるのと同時に、千花の声が教室内に響く。
「私が代わりに長尾と二人三脚出る!」
千花の席に視線を向ければ、千花が右手を大きく挙げてそう主張する。
マジで?
「じゃあ、二人三脚は達樹と市川さんで決まりで」
尚也がそう言って、黒板に俺と千花の名前を書き込む。
二人三脚はやっぱり出ません、とはもう言えない雰囲気だ。
もう一度、千花に視線を向ければ、ぱちっと目が合って、にっこりと微笑まれた。
……まあいいか。
クラス全員の出場種目が無事に決まって、ホームルームは終了した。
担任は教室を後にし、クラス内は程良い賑やかさを取り戻す。
俺は、いまいち楽しい気分にはなれないまま、部活に行く準備を始める。
すると後ろから、律が俺の席へとやって来た。
不安からくる緊張でドキ、と胸が跳ねるのを感じる。
でも、そんな風に思う必要はなかったようで。
【さっきはありがとう。達樹君の気持ち、嬉しかったよ】
律が見せてきた携帯の画面には、その文字が打たれていた。
「……本当は、出場出来れば一番良かったんだけど」
頭をボリボリと掻きながらそう言うと、律はにっこりと笑った。
律は多分、俺に気を遣わせないように明るく振る舞ってくれている。
それなら、俺もいつまでも暗い顔していちゃいけないよな。
俺も、律につられたかのように笑ってみせた。
「声は出せなくても、当日は応援してくれよな。あと、昼飯はコーヤとか尚也とか誘って、一緒に食おうぜ」
その言葉にも、律は頷きながら笑ってくれた……のだが。
「あと、千花もな」
そう言うと、少し表情が曇った。
「律?」
「……」
「……あ、もしかして千花とまた何かあった?」
そう聞けば、律は慌てたように首を横に振ってみせた。何かあった訳ではないようだ。
じゃあ、今の表情は一体?
ちょうどその時。
「なーがおっ」
噂をしてればなんとやらで、千花が話し掛けてきた。
「二人三脚、頑張ろうね」
「え? ああ、うん」
「なによ、そのリアクション! 薄っ」
「あ、いや、そんなつもりはないけど」
「足引っ張らないでよね!」
「足手纏いになるなってこと? それとも、走ってる時に物理的に足引っ張るなってこと?」
「何それ、面白っ」
そんなに面白いことを言ったつもりもないのだが、あははと楽しそうに笑う千花。
何やら機嫌が良さそうだ。
「律も、出場は出来ないけど、応援は一緒にしようね」
千花が律にそう言うと、律は笑顔で頷く。
だけど、やっぱり笑顔がどこか曇っている。千花は気付いていないようだけれど。
「ねえ、長尾。二人三脚の練習しにいこう」
「いや、俺これから部活だし」
「サボれ」
「お前、馬鹿じゃねーの」
俺達がそんな会話をしていると、律は俺と千花に片手を振った。
バイバイ、だろう。
もう少し、律と話したかった。
まあ、無理に引き止めても仕方ないか。俺も部活行かないとだし。
「おお、バイバイ」
「律、バイバイ。じゃあ長尾、いつ練習するか決めよ!」
「練習しなくてもいいんじゃない?」
「駄目ーっ」
律が教室を出ていくのを見届けてから、コーヤと尚也に声を掛け、体育館へと向かった。