「起きねぇな……」
時計の針は午後五時を回っている。伊都はため息をついた。
彼が例の少女を家に連れてきてから、約三時間が経過した。今のところベッドに寝かせているのだが、全く起きない。気持ちよさそうに寝息を立てている。
もしかすると、あの時彼女は気絶したのではなく、ただ寝てしまっただけなのかもしれない。そうだと言える証拠はどこにもないが。
改めて寝顔を見てみる。大人びてはいるが少しあどけなさも残るなんとも不思議な顔立ちだ。身長はおそらく百三十センチほど。非常に華奢な身体付きである。年齢は十二、三歳といったところか。肌は抜けるように白く、まるで何年も日に当たっていなかったかのようだ。
これだけ挙げると特に変わった様子はなく、ごくごく普通の少女に思えるが、実は彼女には、伊都には理解できない特徴があった。
それは、服装。青色のジップアップパーカーを来ているのだが、そのボロさといったらなかった。あちこちが擦り切れ、色褪せている。そこまでして着たいのだろうか。謎である。
「しっかし、よく他人の家で寝られるよな……」
伊都は呆れ顔でつぶやく。果たしてこのまま寝かせておいて良いのだろうか。そもそも、ここに連れてきたこと自体、大丈夫だったのだろうか。今更ながら不安が襲ってくる。
「……ちょっと待てよ」
伊都は、机に置いた携帯を開き、「未成年 家に連れ込む」と検索した。すると、「逮捕」だの、「法律違反」だの、恐ろしい単語の数々がヒットした。
「やば……」
もし、これが何らかの形で警察にバレて問題になったら、自宅謹慎どころの騒ぎではない。全国ニュースである。伊都の背中を冷や汗が伝った。すぐにでも警察に相談しなければ。面倒くさがってる場合ではない。伊都は、少女を起こそうと、彼女の方を向いた。その時だった。
バタン!!
なんと少女がベッドから落ちた。まさかの寝相が悪いタイプであった。少女はうなりながら、床の上でゆっくりと起き上がる。
「……?」
少女は自分の身に何が起こったのか、まだ理解していないようだった。
「はぁ……やっと起きたか」
長かった三時間であった。早く、交番に連れていかなければ。
「おーい、大丈夫か?」
寝ぼけている少女に伊都が話しかけたその時、彼女の様子が急変した。
「いやー!! 変態!」
と叫び、目の前の伊都を足で蹴った。彼女の足は伊都の腹部にクリーンヒットした。鈍い痛みが伊都を襲う。
「いってーな! なんだよいきなり!」
「ここどこよ! 私を連れてきて、どうするつもり!」
「は?」
「誰に言われたの!? 答えなさいよ、誘拐犯!」
「誘拐!? ちげーよ、俺はお前を助け…… 」
「ていうか、誰よ、あなた!」
「いや、お前が誰だよ!!」
 悲しいことに会話が全く噛み合わない。というか、こちらの話を全く聞いてくれない。
「名前を言わないってことは、やっぱり誘拐犯……」
ガチャっ。
部屋の外で玄関の開く音がした。まずい、誰か来た。少女はまだしゃべり続けるので、伊都はあわてて、彼女を黙らせる。
「シーーっ!!」
「は!? 何よ」
「いいから、黙ってくれ、頼む……!」
伊都はひそひそ声で叫ぶ。だが、少女は黙らない。
「黙るわけないでしょ! 聞きたいことが山ほどあるのよ、誘拐犯!」
こうなったら、最終手段だ。伊都は止む無く少女の口を手で覆った。
「っ!? んーーーっ!」
なんとか喧嘩を中止させた。それにしても、誰だろうか、こんな時に。伊都は耳をすませる。
「ただいまー」
帰宅したのは、伊都の母であった。
まずい。こんな状況を見られたら、なんと言われるだろう。伊都は、母が部屋に来ないことを祈った。
ガチャっ。
再びドアの開く音がする。どうやら母は、二階の伊都の部屋には来ず、そのまま一階のリビングへと直行したようだ。思わず安堵のため息が漏れる。
すると、伊都は思いっ切り肩を叩かれた。何度も、何度も。叩いているのは少女であった。伊都は、自らの手が少女の口を覆ったままだったことに気がついた。
「あ、悪い」
伊都が手を離すと、少女は真っ赤な顔で怒りを顕にした。
「いきなり何すんのよ、誘拐犯!」
「お前が黙らないからだろ!」
「だからって、やっていいことと悪いことがあるでしょう! ああ、それとも誘拐犯はその程度の判断も出来ないのかしら?」
「頼むから、あんまり誘拐犯って連呼しないでくれ……」
誘拐犯というのはあながち間違っていない。伊都が先程調べたところによると、こういうものは「未成年誘拐」に入るのだそうだ。そうなのだ。そうなのだが……。
「誘拐犯は誘拐犯でしょ! 事実を言って何が悪いのよ」
「だから、誤解だって! 俺はお前を助けたんだよ」
「助けた? さらったの間違いでしょ!」
少女は伊都の言い分を全く信じる気配がない。
ピーンポーン。玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
一階から母の声がする。どうやら母が出たようだ。 微かに母の声が聞こえる。今度は話していても大丈夫そうだ。
「とりあえず、名乗って。話はそこからよ」
「ってか、さっきから、なんでそんな上から目線なんだよ」
「上から目線? 別に普通に接してるつもりだけれど 」
 自覚がないようだ。どうやら彼女はこういう性格らしい。
「で、名前は?」
「えらい聞きたがるけど、そんなに重要かよ、名前って?」
「重要よ。答え方次第で、あなたの運命が変わるわ」
「んなわけねーだろ、大げさだな」
「んなわけあるのよ。はい、教えて」
いや、んなわけねーよ。伊都は少女の言うことに納得出来なかった。
やはり少女の上から目線が気になる。何より腹が立つ。たかが名前を聞かれているだけではあるが、聞かれる度に、答える気がなくなる。伊都は、意地でも名前をいうつもりはなかった。
「名前を聞く時は、自分からってもんだろ。お前が先に名乗れ」
「何よ、その態度。失礼でしょ」
「お前が言うな」
少女も名前を言うつもりはないようだ。睨み合いが続く。その時、伊都の部屋のドアが開く音がした。
「こんばんは、霧野くん」
伊都が声のするほうを振り向くと、そこには、スクールカウンセラーの田沢舞子が立っていたのだ。
最悪だ。なぜこのタイミングで。
伊都は言い合いに夢中で、彼女の階段を登ってくる音も聞こえていなかったのだ。
「突然、ごめんなさいね。どうしても……。えっと、そちらの方は?」
舞子が少女の存在に気がついた。伊都は焦った。どうしよう。なんと答えるべきか。
ふと少女の方を見ると、なんと彼女も焦っているようだった。先程の高圧的な態度を取っていた少女の面影はどこにもない。
「あー、えっと……」
とにかく俺が何とかしなければ。でも、どうする。どうする! 焦った伊都はとっさに、
「い、いとこなんですよ!」
「いとこ?」
「そうです!」
「あら、そうなの。でも、どうしてここに?」
「あー、えっと、俺が自宅謹慎になったから、わざわざ心配して来てくれたんです」
「へー、素敵ないとこさんね」
舞子は微笑んだ。何とか切り抜けたか。伊都が安心したのもつかの間。
舞子が座りつつ、少女に話しかけたのだ。
「お名前は何ていうの?」
名前。その言葉に伊都は凍りついた。それは少女も同じだったようで。
「名前……あ、えっと……」
下を向いて、困っていた。そしてちらちらと伊都を見てくる。明らかに助けを求めていた。
なんで、俺! だが、文句を言っている場合ではない。この状況をなんとか出来るのは伊都しかいなかった。
伊都は、もう一度改めて少女を見た。小柄の割に大きなパーカー。フードも当然大きい。
パーカー。フード。
「フーカ!」
「え?」
「フーカって言うんです、そいつ!」
「そうなの?」
舞子に聞かれた少女は、ヘドバン並に頷いている。
「もう、びっくりしたじゃないの。どうして、霧野くんが答えるのよ」
「いや、その、フーカは、結構人見知りで」
本当は全然違うが、ここまできたらでっち上げていくしかない。
「へー、可愛らしいのね」
「ははは……」
舞子は見事に騙されている。
「こんなに可愛らしい子が来ているんだったら、私、来る必要なかったわね」
「え?」
「ああ、私ね、穂積先生に頼まれたの。霧野くんが明日学校に来るか心配だから、家庭訪問してくれないかって」
「なるほどー、穂積先生が。そうだったんですねー」
穂積、余計なことしやがって。伊都は心の中で舌打ちをする。
「でも、その様子じゃ、心配なさそうね。良かった」
舞子は目を細めて微笑む。伊都もそれ合わせて、何となく笑っておく。
舞子は、伊都が苦手とする教師の一人である。何だか怖いのだ。笑顔の奥に、とんでもないものを隠しているような気がして。
「それじゃ、また明日」
舞子は立ち上がり、後ろを向いてドアノブに手をかけた。しかし、「あ」とつぶやき、すぐさま振り向いた。
「霧野くん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい?」
「霧野くんって、お兄さん、いるわよね?」
「いますけど……」
いきなりどうしたというのか。
「お兄さんって、研究者?」
「あ、はい」
「今はどちらに住んでいるの?」
「さあ……俺もよく知らないんですよね」
「そう……。ありがとう」
舞子は微笑み、「それじゃ」と言って部屋から出ていった。彼女の階段を降りていく音がする。しばらくして、母との会話が聞こえた後、玄関の閉まる音がした。
「どうなることかと思った……」
伊都は緊張が解け、ほっとため息をつく。
「………あの」
少女が口を開く。
「なんだよ」
「その……」
先程の伊都を誘拐犯呼ばわりしていた少女は、どこへ行ったのやら。気まずそうに下を向いている。
「言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ。さっきまで、さんざん言ってたくせ……」
「ごめんなさい!」
「え?」
少女は頭を下げていた。
「誘拐犯とか言って、ごめんなさい!」
「え、え?」
あまりにも急な謝罪に、たじたじになる伊都。
「でも、どうしても分からなくて……。私、何も覚えてないの。どうしてここにいるのかも、ここに来る前、何をしていたのかも……」
「そ、そうか」
「だから、教えて。……ううん、教えてください! お願いします」
少女は伊都の手を掴みながら言った。アイドルに握手をされているような気分である。無論、伊都はそんなことされたこともないが。だからこそ、変にドキドキしてしまう。
「分かった、分かったから。とりあえず、離せって」
「あっ、ごめんなさい……」
少女は、ぱっと手を離す。
「さっきから、何度も言ってるけど、俺はお前を助けたんだ。あの公園で」
「公園……?」
「お前が白衣の奴らに囲まれて、助けてって言ってたから、俺は上手く、そいつらを追い払って、お前を助けた。でもその後、お前は気絶した。だから、仕方なく、ここに連れてきたんだ」
「………」
「でも、それがどうやらまずいらしくてだな。だから、今から交番に行くぞ」
 伊都はそう言ったが、少女から返事がない。
「おーい、聞いてんのか?」
 少女は、考え込んでいた。思い出そうとしているのだろうか。
やがて、少女は顔を上げ、青ざめた顔でつぶやいた。
「そうだ……私……」
どうやら、思い出したようである。
「よし、行くぞ。思い出したんなら、状況言えるな?」
「え、どこに……?」
やはり、話を聞いていなかったようである。伊都は、一から説明をし直した。
「交番……? 警察……?」
「そうだって言ってんだろ。行かねーと俺がやばいんだって。だから、行くぞ」
伊都は立ち上がった。
「ま、待って……!」
少女は伊都の服を引っ張った。その手は、震えていた。
「警察は……行きたくない」
「は?」
「嫌だ……また、あんなの……いや……」
少女は、苦痛に顔をゆがめ、必死で伊都を止めていた。伊都はただならぬ状況を感じ取った。
「何か……あったのか?」
伊都は座り、少女に事情を聞くことにした。
「……私、旅行中、なの」
予想だにしていなかった返答に、伊都は目を見開いた。
「はっ? 旅行中……?」
「正確には、家出中……。でも、親には友達の家に泊まりに行くって言って出てきた……。だから、旅行中」
「いや違うだろ」
「あなたが言ってる、『未成年誘拐罪』って……確か、親の了承を得ずに泊めた場合でしょう? だから、これで大丈夫……」
「いやいやいや! 不審に思われて、お前の親に行方不明届出されたら終わるんだって」
「……出すと思う? あんな……私を人間扱いもしてないような……親……」
「え?」
「…………」
少女は暗い顔をした。
「今まで、何回も家を空けてきた。でも、何も言われなかったし、帰ってきても、おかえりも言ってくれなかった。今回だってきっと同じよ。だから、大丈夫」
ネグレクト、だろうか。伊都も聞いたことはある。戻りたくはないだろう。それに、彼女の言っていることが本当なら、誘拐罪には引っかからない。
「お願い、泊まらせてください」
少女は頭を下げた。どうするべきなのだろうか。少女の言うことを信じて、ここで匿うのが正解なのだろうか。だが、伊都はやはり、首を縦には振れなかった。
「いや、やっぱり無理だ。親だっているし……バレたら、やばいし」
「そうなったら出て行くから。お願いします」
「いやいや、お前はそれでいいかもしれねーけど……。一歩間違えりゃ警察沙汰になるからな……」
すると、先程まで気弱だった少女が豹変した。
「……はぁ? そんなことでビビってるの? バカじゃないの」
伊都は、カチンときて、言い返す。
「なっ……バカはお前だろ! さっきから言ってんだろうが、俺の責任になるんだって! いい加減分かれよ、バーカ!」
「バカはあなたよ! いい? そんなことにはならないの! 分かった?」
「どこにそんな証拠があんだよ! 子供のくせに、知ったような口ぶりで言うな!」
「子供!? 私は大人よ!」
「嘘つけ! どう考えても小六だろ!」
「はぁ? あなたより大人よ!」
「誰が信じるかよ、そんな嘘!」
これでは埒が明かない。お互いが一歩も引かないまま、熱戦は続く。
「ちょっと、なに騒いでるの。電話?」
いつの間に階段を上ってきたのだろうか、扉の向こうから、母の声が聞こえた。
まずい。なんと言い訳すればいいのか。伊都は焦り、「開けるんじゃねぇぇぇ!」と言おうとしたが、遅かった。
扉は開いてしまった。
「もう、何して……。………」
母が固まった。仕方がない、弁解だ。
「……いや、あの。俺は、悪くねえんだよ? こいつが勝手に!」
「あ、あの! 私は何も悪くないんです! 信じて!」
「ああもう! ややこしくなるからお前は黙っとけって!」
「なんでよ! 私にだって、喋る権利はあるでしょ!」
「だから、黙れって!」
「あなたが黙りなさいよ!」


「かわいいいいいい!!」


「…………え?」
伊都が、その声が母であることを理解するのに、数秒かかった。
母は突如として、叫んだのだ。
「母さん……?」
「かわいい。かわいいじゃないの! もう、伊都。彼女が出来たなら、お母さんに言いなさいよー」
興奮気味で母は言う。どうやら、少女を見て、伊都の彼女だと思ったようだ。まさかの、そっちに行ったか。伊都は頭を抱える。ふと、伊都が少女の顔を見ると、戸惑いの表情を見せていた。
「お名前は何ていうの?」
「……えっと、ふ、フーカって言います」
「フーカちゃん! 素敵なお名前ね。今日はどうしてここに?」
「あの……お泊まりしたいなって言ったら、彼……い、イトがいいよ来なよって言ってくれたから……」
所々つっかかりながらも、少女はなんとか話をでっち上げた。しかも、伊都に言ったこととは違う話を。
すると、母は目をハートにして、
「まあ、伊都が? いつの間にそんな男らしいこと言えるようになったのね〜」
さりげなく、母は息子をディスる。
「おい」
「私の親には言ってあるんですけど……ごめんなさい、いきなり来てしまって。あ、でも明日には出ていくので、あの……」
「あら、そんないそがなくていいのよ? ここで良かったら、いくらでも泊まっていって!」
 少女は目をぱちくりさせた。
「いくらでも……?」
「ええ!せめて夏休みの間だけでも。ね?」
正気か?
伊都は開いた口が塞がらなかった。夏休みは短い。だが、いくら短いとはいえ、三週間はある。三週間も、彼女と共同生活をしなければいけないというのか。
「ありがとうございます!」
少女は頭を下げていた。こんなことを言う母親が存在するのか。
「ああ、でも、部屋が用意出来ないのよ。だから、寝る時は伊都と一緒でもいいかしら?」
「だ、大丈夫です」
「ありがとう。じゃあ、伊都。今日から床に布団敷いて寝なさいね」
「え、俺が床!?」
「当たり前でしょ。彼女を床で寝させるつもり?」
伊都は不満だった。なんでこんな奴のために床で寝なきゃいけないのだ。大体、彼女でもないし、いとこでもない。赤の他人なのだ。
「あ、あの、床で大丈夫です」
母と伊都のやり取りを見ていた少女が、控えめに、だがしっかりと言った。
「あら、いいの?」
「はい。その……きっとイトだって、いつも寝てるところのほうが寝やすいだろうし……」
「まあ、気遣いまで出来る、いいお嬢さんね! 伊都、大切にしなさいよ」
「はぁ……」
もうベタ褒めである。
「それじゃあ、夕飯出来たら呼ぶわね」
母は、上機嫌で伊都の部屋を出ていった。
「……なんか、大変なことになったな」
「本当にね」
「俺の彼女、だってさ」
「そうみたいね」
「どう思う?」
「すこぶる嫌」
「だろうな」
「でも、泊まること、許してくれて良かったわ」
「……俺は、あと三週間も警察に怯えて過ごさなきゃいけねーのか」
「だから、親に言ってあるってば」
「本当かよ……」
「本当よ。……それにしても、とてもいいお母さんね」
「まあ、昔俺に向かって『娘も欲しかったわ』って言ってきたことあるからな。娘ができたみたいで、嬉しいんじゃねぇのか」
 そうなのである。伊都の母は、人一倍、娘というものに憧れを持っていた。今後も母の、少女への優遇措置は続きそうである。
「とにかく、これからお世話になるわ。よろしく、イト」
「……よろしく」
ああ、また面倒なことになってしまった。伊都は大きくため息をつく。
「あ、名前、イトで合ってるのよね?」
「合ってるけど……。結局、お前のことはなんて呼べばいいんだよ」
「私? フーカって言ってたじゃない。それでいいわよ」
「いや、お前の名前じゃねぇだろ。大体パーカーとフードを組み合わせて適当に作ったやつだし、やめたほうが……」
「でも、気に入ってるのよね。この名前。私、今日から『フーカ』で生きていくことにするわ」
少女……フーカは、満足そうに言った。彼女からは自然と笑みがこぼれている。そんなに嬉しいのだろうか。思わず彼女の好みを疑う。
「ご飯よー。降りてらっしゃーい」
下の階から母の声が聞こえる。フーカの目が輝き、すぐさま立ち上がった。伊都もゆっくりと立ち上がる。
「ちょっと、なにチンタラしてるのよ。案内して。私、分からないんだから」
「はいはい、わかりましたよ」
 もう彼女が上から目線なのは諦めることにした。きっと、皆に対してこうなのだ。そうに違いない。むしろ、そうであることを願った。

こうして、伊都とフーカの共同生活が幕を開けた。