どのくらい走ったのだろう。
気がつけば森の中にいた。夜の森は本当に暗い。そして、寒い。さすが冬である。汗だくだったが、吹く風が身体を冷やしていく。それでも久美子は足を動かし続けた。
「……!」
暗闇の中で、久美子はぼんやりと光る明かりを見つけた。近づくと、家であった。久美子は、急いで近づき、ドアを叩いた。
「助けて! 追われてるんです! 殺されちゃう! 助けて!!」
何度も何度も、壊れるくらいにドアを叩いた。ドアが開き、中から背の高い男が出てきた。
「何の用だ」
男性はかなり不機嫌そうである。いつものフーカなら怯んでしまうところだが、今回はそうはならなかった。
「あの! わ、私、施設から逃げてきて……それで、ここに……!」
男は怪訝そうな顔をしたが、「よく分からないが、とりあえず入れ」と家の中へ入れてくれた。
家の中へ入ると、まず壁にかけてある時計が目に入った。時刻は深夜一時だった。こんな真夜中に電気がついている家が、しかも森の中にあったということが奇跡である。思わずほっとして、玄関で座り込んだ。
「……そんなところに座り込まれると、中に入れないだろう」
後ろから男の声がする。
「ご、ごめんなさい」
久美子はあわてて立ち上がった。しかし、足の力が抜けて、立ち上がることが出来ない。
「え? な、なんで……」
どうやら、腰が抜けてしまったようである。
「…………」
男は、ため息をつくと、久美子の靴を脱がせた。そして彼女を持ち上げ、ダイニングテーブルの椅子へと座らせた。
「えっ! あ、あの」
その動作があまりにも突然のことだったので、反応した時にはもう座っていた。
「……あ、ありがとう……ございます」
「礼には及ばない。あんなところに座られていたら、何も出来ないからな」
男はぶっきらぼうに答えると、奥のキッチンへと向かった。コーヒーメーカーを作動させて、コーヒーを作り出したようだ。部屋に香りが充満する。
男は二人分のマグカップを持ってきて、久美子と自分の前にひとつずつ置いた。
「あ、あの……これ……」
「お前のはココアだ。それなら飲めるだろうと思ったが、苦手か?」
「え、あ、そうじゃなくて、私の分までいいんですか……?」
「そんなことか。気にするな」
向かいの席に座り、男は涼しい顔をして答えた。久美子は「ありがとうございます」と言い、早速一口飲んだ。温かい。程よい甘さが染み渡り、疲れた体を癒していく。その時、玄関のチャイムがなった。
「全く、今度は誰だ」
男は不思議がっていたが、久美子は来客が誰なのかすぐに察した。自分のことを追ってきた研究者である。その事を男に伝えたかったのだが、恐怖からか声が出せなかった。
「……どうした」
そんな久美子を見て、彼は驚いた顔をした。
「……まさか、先程言っていた追っ手か?」
久美子は何度も縦に首を振った。状況を理解した男は、再び久美子を持ち上げ、棚の影に移動させた。
「そこにいろ。玄関からは死角のはずだ」
それだけ言うと、男は玄関に向かっていった。確かにここからは、玄関は見えない。久美子は息を潜め、耳をすませた。
「夜分遅くにすまない。君にちょっと聞きたいことがあるのだが」
「……何ですか」
「ちょいと前に、ここに女の子が訪ねてこなかったか? もしくは、見たとか」
「いえ、来てませんし、見てもいませんが」
「そうか……。もし見つけたら、すぐに木下さんへ報告してくれ。それでは失礼する」
久美子は耳を疑った。ある程度話が通じている。それに研究者との接し方的に、明らかに知り合いである。ということは……。
扉が閉まる音がして、男が戻ってきた。久美子は彼を睨みつけた。
「もう大丈夫だ。……なんだ、その目は」
「…………」
久美子は勢いよく立ち上がった。
「お前、足治ったのか」
「……あなたは、研究者なんですか?」
「だったら、なんだ」
男はさらりと認めた。やはり、そうであった。
「あなた方は、いったい何が目的なんですか?」
「何って、もちろん不老者が元の身体に戻れるようにすることだ」
「嘘つき」
憎悪の念をこめて、久美子は言った。
「施設に閉じこめて、人間扱いしないで、挙句の果てに容赦なく殺していったくせに」
ふと理恵の笑顔が脳裏を過った。また涙が溢れそうになったが、必死で飲み込み、じっと男を睨み続ける。しかし彼は表情を変えなかった。
「……それは、恐らく闇研究者の仕業だ」
「闇研究者?」
「ああ。私たちはそう呼んでいる。本来、不老者研究グループに属する研究者たちは、不老者を救うために存在する。だが、彼らは違う。不老者を使って金儲けすることしか考えていない。前は「不老」の秘密を暴こうとしていたみたいだが、諦めてそちらに変更したようだ。私は噂にしか聞いたことがなかったが、まさか本当にいたとはな」
「……!」
「ということは、さっきお前を追いかけてきた奴も、彼が言っていた『木下』という人物も、その類いだな」
男は淡々と語った。
「彼らにとって、不老者は獲物だ。だからお前のことは、これからもきっと、追ってくるだろう」
「……なんでそんなに闇研究者のこと、詳しいんですか?」
「不老者の研究とは別に、個人的に調べているからだ。将来的に、彼らの撲滅するために」
これが本当のことなのだろうか。疑わしい話だが、筋は通っている。彼を信じてもいいのだろうか。
「……その顔は、半信半疑だな。まあ無理もない。私が闇研究者ではないという証拠などどこにもないからな」
男はため息をついて、椅子に座った。
もし彼が闇研究者だとすれば、ここにいるのは危険だ。いつ施設に送り返されてもおかしくない。果たして彼は嘘をついているのだろうか。
久美子は机の上の二つのマグカップに目をやった。彼は、自分の分も用意してくれた。しかも、同じものではなく、久美子のことを考えて、違うものを。
口数も少なく、表情もほとんど変えず、返事もぶっきらぼうだが、本当は優しくて思いやりのある人なのだろう。
また、瞬時に久美子の状況を理解したのか、先程訪ねてきた研究者に嘘をつき、彼女を守った。下手をすれば、敵を作りかねないのに。
何より、不老者の自分と普通に接してくれている。何もかもが、施設にいた研究者たちと正反対だ。だから、久美子は彼が嘘をついているとは思えなかった。
「……信じます。あなたのこと」
「そうか。それはありがたい」
久美子が急に考えを変えた理由も尋ねず、男はそう言った。人から信頼されるとかされないとか、もともとそういったことに執着がないのだろう。そう思うことにした。
「……本当に、元の身体に戻してくれるのが目的なんですよね?」
「まだ疑ってるじゃないか」
「いえ、そうじゃなくて……。そんなこと、本当に可能なのかなって……」
「いつかそうなれるように、日々研究している」
「いつかって……」
「仕方ないだろう。生憎、私には協力者がいない。一人でやっていれば、それだけ時間もかかる」
男は元いた椅子に座った。それに続き久美子も向かいに座る。
「じゃあ、私があなたに協力すれば、可能性は増えますか?」
「協力してくれるのか?」
「本来の身体に戻れる日が、少しでも短くなるなら」
「協力者が増えれば、格段に短くなるとは思うが」
「それなら、協力します」
「本当に、いいのか? お前が嫌だと思うことも聞いたりするかもしれないが」
「はい」
覚悟の上だった。彼に協力するということは、そういう事だ。久美子は力強く頷いた。
「……分かった。感謝する」
こうして、久美子は彼に協力することになった。同時に、彼のところでしばらく匿ってもらうことになった。その提案を彼から聞いた時、久美子は驚いた。「いいんですか?」驚きながら久美子がそう聞くと、「当たり前だろう」と彼は言った。
気がつけば森の中にいた。夜の森は本当に暗い。そして、寒い。さすが冬である。汗だくだったが、吹く風が身体を冷やしていく。それでも久美子は足を動かし続けた。
「……!」
暗闇の中で、久美子はぼんやりと光る明かりを見つけた。近づくと、家であった。久美子は、急いで近づき、ドアを叩いた。
「助けて! 追われてるんです! 殺されちゃう! 助けて!!」
何度も何度も、壊れるくらいにドアを叩いた。ドアが開き、中から背の高い男が出てきた。
「何の用だ」
男性はかなり不機嫌そうである。いつものフーカなら怯んでしまうところだが、今回はそうはならなかった。
「あの! わ、私、施設から逃げてきて……それで、ここに……!」
男は怪訝そうな顔をしたが、「よく分からないが、とりあえず入れ」と家の中へ入れてくれた。
家の中へ入ると、まず壁にかけてある時計が目に入った。時刻は深夜一時だった。こんな真夜中に電気がついている家が、しかも森の中にあったということが奇跡である。思わずほっとして、玄関で座り込んだ。
「……そんなところに座り込まれると、中に入れないだろう」
後ろから男の声がする。
「ご、ごめんなさい」
久美子はあわてて立ち上がった。しかし、足の力が抜けて、立ち上がることが出来ない。
「え? な、なんで……」
どうやら、腰が抜けてしまったようである。
「…………」
男は、ため息をつくと、久美子の靴を脱がせた。そして彼女を持ち上げ、ダイニングテーブルの椅子へと座らせた。
「えっ! あ、あの」
その動作があまりにも突然のことだったので、反応した時にはもう座っていた。
「……あ、ありがとう……ございます」
「礼には及ばない。あんなところに座られていたら、何も出来ないからな」
男はぶっきらぼうに答えると、奥のキッチンへと向かった。コーヒーメーカーを作動させて、コーヒーを作り出したようだ。部屋に香りが充満する。
男は二人分のマグカップを持ってきて、久美子と自分の前にひとつずつ置いた。
「あ、あの……これ……」
「お前のはココアだ。それなら飲めるだろうと思ったが、苦手か?」
「え、あ、そうじゃなくて、私の分までいいんですか……?」
「そんなことか。気にするな」
向かいの席に座り、男は涼しい顔をして答えた。久美子は「ありがとうございます」と言い、早速一口飲んだ。温かい。程よい甘さが染み渡り、疲れた体を癒していく。その時、玄関のチャイムがなった。
「全く、今度は誰だ」
男は不思議がっていたが、久美子は来客が誰なのかすぐに察した。自分のことを追ってきた研究者である。その事を男に伝えたかったのだが、恐怖からか声が出せなかった。
「……どうした」
そんな久美子を見て、彼は驚いた顔をした。
「……まさか、先程言っていた追っ手か?」
久美子は何度も縦に首を振った。状況を理解した男は、再び久美子を持ち上げ、棚の影に移動させた。
「そこにいろ。玄関からは死角のはずだ」
それだけ言うと、男は玄関に向かっていった。確かにここからは、玄関は見えない。久美子は息を潜め、耳をすませた。
「夜分遅くにすまない。君にちょっと聞きたいことがあるのだが」
「……何ですか」
「ちょいと前に、ここに女の子が訪ねてこなかったか? もしくは、見たとか」
「いえ、来てませんし、見てもいませんが」
「そうか……。もし見つけたら、すぐに木下さんへ報告してくれ。それでは失礼する」
久美子は耳を疑った。ある程度話が通じている。それに研究者との接し方的に、明らかに知り合いである。ということは……。
扉が閉まる音がして、男が戻ってきた。久美子は彼を睨みつけた。
「もう大丈夫だ。……なんだ、その目は」
「…………」
久美子は勢いよく立ち上がった。
「お前、足治ったのか」
「……あなたは、研究者なんですか?」
「だったら、なんだ」
男はさらりと認めた。やはり、そうであった。
「あなた方は、いったい何が目的なんですか?」
「何って、もちろん不老者が元の身体に戻れるようにすることだ」
「嘘つき」
憎悪の念をこめて、久美子は言った。
「施設に閉じこめて、人間扱いしないで、挙句の果てに容赦なく殺していったくせに」
ふと理恵の笑顔が脳裏を過った。また涙が溢れそうになったが、必死で飲み込み、じっと男を睨み続ける。しかし彼は表情を変えなかった。
「……それは、恐らく闇研究者の仕業だ」
「闇研究者?」
「ああ。私たちはそう呼んでいる。本来、不老者研究グループに属する研究者たちは、不老者を救うために存在する。だが、彼らは違う。不老者を使って金儲けすることしか考えていない。前は「不老」の秘密を暴こうとしていたみたいだが、諦めてそちらに変更したようだ。私は噂にしか聞いたことがなかったが、まさか本当にいたとはな」
「……!」
「ということは、さっきお前を追いかけてきた奴も、彼が言っていた『木下』という人物も、その類いだな」
男は淡々と語った。
「彼らにとって、不老者は獲物だ。だからお前のことは、これからもきっと、追ってくるだろう」
「……なんでそんなに闇研究者のこと、詳しいんですか?」
「不老者の研究とは別に、個人的に調べているからだ。将来的に、彼らの撲滅するために」
これが本当のことなのだろうか。疑わしい話だが、筋は通っている。彼を信じてもいいのだろうか。
「……その顔は、半信半疑だな。まあ無理もない。私が闇研究者ではないという証拠などどこにもないからな」
男はため息をついて、椅子に座った。
もし彼が闇研究者だとすれば、ここにいるのは危険だ。いつ施設に送り返されてもおかしくない。果たして彼は嘘をついているのだろうか。
久美子は机の上の二つのマグカップに目をやった。彼は、自分の分も用意してくれた。しかも、同じものではなく、久美子のことを考えて、違うものを。
口数も少なく、表情もほとんど変えず、返事もぶっきらぼうだが、本当は優しくて思いやりのある人なのだろう。
また、瞬時に久美子の状況を理解したのか、先程訪ねてきた研究者に嘘をつき、彼女を守った。下手をすれば、敵を作りかねないのに。
何より、不老者の自分と普通に接してくれている。何もかもが、施設にいた研究者たちと正反対だ。だから、久美子は彼が嘘をついているとは思えなかった。
「……信じます。あなたのこと」
「そうか。それはありがたい」
久美子が急に考えを変えた理由も尋ねず、男はそう言った。人から信頼されるとかされないとか、もともとそういったことに執着がないのだろう。そう思うことにした。
「……本当に、元の身体に戻してくれるのが目的なんですよね?」
「まだ疑ってるじゃないか」
「いえ、そうじゃなくて……。そんなこと、本当に可能なのかなって……」
「いつかそうなれるように、日々研究している」
「いつかって……」
「仕方ないだろう。生憎、私には協力者がいない。一人でやっていれば、それだけ時間もかかる」
男は元いた椅子に座った。それに続き久美子も向かいに座る。
「じゃあ、私があなたに協力すれば、可能性は増えますか?」
「協力してくれるのか?」
「本来の身体に戻れる日が、少しでも短くなるなら」
「協力者が増えれば、格段に短くなるとは思うが」
「それなら、協力します」
「本当に、いいのか? お前が嫌だと思うことも聞いたりするかもしれないが」
「はい」
覚悟の上だった。彼に協力するということは、そういう事だ。久美子は力強く頷いた。
「……分かった。感謝する」
こうして、久美子は彼に協力することになった。同時に、彼のところでしばらく匿ってもらうことになった。その提案を彼から聞いた時、久美子は驚いた。「いいんですか?」驚きながら久美子がそう聞くと、「当たり前だろう」と彼は言った。