それから何週間かに分けて不老者が施設に入ってきた。久美子が来た時はひとつしか埋まってなかった部屋も、気が付けば全て埋まっていた。世の中にこんなにも同じ境遇の人がいるのかと、久美子は驚いた。彼らと過ごすことで仲間意識が芽生え、心が少し軽くなり、以前ほど自分の運命を恨むことはなくなった。もちろん理恵とは相変わらず仲が良かった。
だが、平凡な生活は長くは続かなかった。異変を感じ始めたのは、久美子が施設に入ってきて二年目の冬のことだった。次第に不老者の数が減ってきていたのだ。彼らは、ある日研究者に呼び出されたきり、もう二度と戻っては来なかった。
始めは、何らかの事情で家に帰されているのだと思っていた。しかし、段々と数が減るにつれ、流石に変だと思い、理恵に尋ねた。
「ああ、あれはね、実験を行っているの。二年周期でやる、危険な人体実験。行ったら最後、命の保証はない」
衝撃だった。研究棟でそんな恐ろしいことが行われているなんて、思ってもいなかった。
「だから、ここにいれば、死ぬのは時間の問題ってこと。私だって、久美子だって、いつかはあの実験で死ぬの」
理恵は、洗濯物を畳みながら淡々と話す。彼女は生きることに執着していないのだろうか。死ぬのが、怖くないのだろうか。
私は、怖い。久美子は震えた。
「……逃げよう」
 そして気が付いたら、口にしていた。
「ここから、逃げようよ」
「……なんで?」
「なんでって、ここにいたら死んじゃうんだよ……? そんなの嫌だよ、私。ねぇ、逃げよう、理恵」
久美子は理恵の両手を掴んで説得した。しかし理恵は表情を曇らせて下を向いた。
「……私は、行かない」
「ど、どうして……!」
「私はもう、生きてたくないの」
「り、理恵?」
「…………」
ただならぬ雰囲気に、久美子は理恵の手を離した。理恵は、立ち上がり、背を向け窓の外を見た。
「私ね、さっきの実験、前に一回受けてるの」
「えっ……!?」
つまり理恵は、久美子より二年早く、この施設に入ってきているということだ。
「でも、私、奇跡的に生き残っちゃったの。ほかの子たちは、皆死んじゃったのに、私だけ……死ななかった」
衝撃的な事実に、久美子は言葉が出ない。
「私だって実験の話を初めて聞いた時は、生きたいって思ってた。不老者ってだけで、研究の材料にされるなんて、そんなの嫌だったから。どんなに不幸な人生歩んで来たとしても、あんな奴らのために死にたくなかった。それで私は、自分の望んだとおりになった。望み通り、生き残った」
仲間が亡くなり、二年間、孤独に耐え、悲しみに打ちひしがれながら、生きてきたというのか。久美子は彼女の想像を絶する過去に息を飲んだ 。
「でも、でも……こんな、こんなのひどいよ。こんな思いするくらいなら、私、みんなと一緒に死にたかった……。そしたら、今頃、向こうでみんなと笑っていられたのに……!」
理恵はその場に座り込み、肩を震わせた。泣いているのだろうか。嗚咽が聞こえてくる。
「だから、もう生きてたくなんか、ない。生きていたって、いいこと、無いもん。いじめられるし、差別は受けるし、人間扱いされないし……仲間は死んじゃうし……一人ぼっちになっちゃうし」
鼻を啜りながら、理恵は笑った。
「よく、人間は幸せになるために生まれてきたんだ、なんて言うけど、そんなの嘘だよね。私は生きててちっとも幸せじゃなかった……。なんで? 人間じゃ、ないから? 不老者だから……?」
理恵の気持ちは痛いほど分かった。久美子だって、理恵と同じように、生きる中でたくさんの苦しみを味わってきたから。
「……もうなんだっていいよね。死ぬんだし。私が死んだら、今度こそ、みんなに会える……。今度こそ、みんなと笑える……」
理恵は、久美子の方を向き、
「だから、私は死を受け入れる」
と言い放った。
涙で煌めいている瞳は、しっかりと久美子を見つめていた。意志が固いのだろう。だが、それに負けじと久美子は強い眼差しで理恵を見つめ返した。
「……そんなの、ダメだよ。理恵。死ぬことにどんな理由を付けても、実験で死ぬことに変わりはないんだよ。そんなことしたら、研究者たちの思うツボだよ」
「…………」
「そんなの嫌だよ、私。……ねぇ、理恵。やっぱりここから逃げよう? 一緒に生きよう?」
「……だって、生きていたって、どうせ幸せになんかなれない。今までも、これからもずっと……」
理恵は頑なに生きることを拒否する。それでも久美子は続けた。
「それは違うよ、理恵。私たちは一生不幸なんかじゃない……。辛いことがあったあとは、必ずいいことが待っている。だから、理恵。これからは、きっと幸せになれるよ……!」
「そんなの……嘘だ。私は、ずっと不幸だもん」
「そんなことない。理恵は……幸せを見逃しているだけだよ」
「……見逃している?」
「うん。……多分、人は誰でも一度は幸せを経験している。でも幸せって、不幸なことに比べて、地味というか、インパクトがないから……気が付かないことの方が多いと思うの。……だから、理恵だって絶対に、幸せを経験しているはず……!」
「……私も、幸せを?」
「うん……!」
久美子は満面の笑みで、首を縦に振った。そんな彼女を見て、理恵は昔を思い返してみることにした。
まだこの施設に来たばかりの頃、理恵の他にもたくさんの不老者がいた。彼らとはすぐに友達になり、一緒に話したり、歌を歌ったり、時には悩みを相談しあったりしていた。
たくさん笑った。たくさん泣いた。辛いこともいくつもあったが、それでもお互いに励ましあって、皆で生き抜いてきた。
そんな彼らと過ごした時間。それが、理恵の幸せだったのかもしれない。
「……なんだ」
理恵は、困ったように笑った。
「私、ちゃんと幸せだった」
こんな簡単なことにも気がつかなかったのか。理恵は可笑しくなって、思わず笑ってしまったのだ。
「うん。理恵は、生きていても幸せになれてるよ! 今までも、これからも」
幸せには、種類がある。大きな幸せと小さな幸せ。
大きな幸せは、どう頑張ったとしても一生のうちに指で数えられるくらいしか経験できないだろう。
反対に小さな幸せは、たくさん経験している。当たり前の日常の中に、または不幸の裏に、常に存在するものなのだ。
人間は、大抵その小さな幸せを見落としがちだ。ようやく気がついた時にはもう失ったあとなのである。
しかし、たとえ失った後だとしても、小さな幸せに気がついた人間は、どんな幸せも見逃すことはないだろう。だからきっと、多くの幸せを掴めるはずだ。
「私、生きるよ。みんなの分まで、生きてみせる!」
理恵は、久美子の両手を包み込んだ。
「久美子。私も一緒に逃げる。逃げて、生き延びて、幸せになる!」
理恵の瞳には、強い意志が宿っていた。久美子は、満面の笑みで答えた。
「うん! 一緒に幸せになろう!」