一、赤ひげ兄弟
「おれは海賊になろうと思うんだ」
兄の突然の言葉に、弟は手に持ったグラスを取り落としそうになった。兄は続けた。
「いろいろと考えてみたのだが、海賊ほど面白い商売はない。おれは海賊につかまって、三年もの間ガレー船のオールを握らされて、海賊というものをつぶさに見てきたが、これほど儲かる商売はほかにないと思ったんだ」
弟は、兄のひげだらけの顔をだまって見つめていたが、やがて口を開いた。
「海賊ということは、泥棒というより強盗じゃないか。人をおどしたり殺したりして金品を奪うことに、心の痛みを感じないのか?」
兄はそういわれて、口元に不敵な笑みをうかべた。
「おれも、三年前まではまじめに漁師をやっていたが、もう漁師にもどる気はない。こつこつと働いてきたおれを奴隷にしやがって、海賊どもはおれをこき使いやがった。おかげで体はこんなに逞しくなったが、これからも海賊に襲われる可能性がある。又奴隷にされることを考えたら、とてもじゃないが、まともな仕事はやっていられるものじゃない。お前だって、いつあいつらに襲われてガレー船に繋がれるか、分かったものじゃない。奴隷の生活がどれほど惨めなものか、お前には想像もつくまい」
弟は兄の毛むくじゃらな腕を、ぼんやり見つめながら黙っていた。兄は続けた。
「おれたちは、誰にも守ってもらえないんだ。親父もおれもギリシャ正教徒だというのに、おれを奴隷にした奴らはキリスト教徒なんだ。おれたちがオスマントルコ領の、ちっぽけなミドルリ島に住んでいるというだけで、イスラム教徒と決めつけたんだ。だからおれはイスラム教に改宗して、イスラムの海賊船に志願しようと考えた.キリスト教の海賊どもを片っ端からやっつけて、キリスト教国の商船を襲ってやろうと考えているんだ」
「兄さんは、イスラム教というものをきちんと理解できたのか?」
「いや、そんなものは何も知らない。イスラムの仲間に入ってしまえば、そのうちに分かるようになるだろう」
「イスラム教もいいけど、ヨーロッパは、トルコ以外はすべてキリスト教国だから、キリスト教徒になる方が有利なのじゃないかな」
「それも考えたが、キリスト教のやつらは狭量というのかな、誰彼なしに受け入れようとはしないんだ。しかし、そこへ行くとイスラム教のオスマントルコという国は、誰でも受け入れてくれる国だぞ。現に、われわれギリシャ正教徒をこの島に住まわせてくれているし、首都のイスタンブールには、キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、ギリシャ正教徒も沢山住んでいる。モスクも、チャペルも、シナゴーグも、みんな許容されているんだ」
「オスマントルコという国は、たしかに魅力があるな」
「歴史は浅いが、ヨーロッパ全土を相手に戦う気でいるらしいんだ。おれはそこが気に入ってるんだ」
「だけど、ヨーロッパをすべて敵にまわしたら、オスマン帝国といえども危ないんじゃないのか?」
「おれも最初はそう思った。しかしトルコという国は、何代も前の皇帝からヨーロッパと戦う姿勢をしっかりと持っている。今のセリム一世だって、一歩も退かない構えのようだ」
「それならイスラムの方がいいな。シリアとエジプトも征服したし、日の出の勢いだものな」
弟はようやく同意した。兄の名はウルージ、二十三歳になっていた。弟の名はハイルッディン、五歳下の十八歳であった。
「奴隷にされたお陰で、おれは筋力が強くなった。足の鎖を引きちぎるだけの腕力ができあがった。この腕力のお陰でガレー船から逃げ出すことができたが、腕力のない仲間たちは逃げられなかった。もしかすると、一生涯オールを握らされるかもしれないのだ。考えても見ろよ、何も悪いことをしないのに一生涯鎖につながれて、鞭で打たれて、海賊どものためにオールを漕がされて、大砲が船のどてっぱらに当たりゃ魚の餌になるんだ。これじゃたまらんだろう、どうだハイルッディン」
「たまらないな」
弟はふたたび同意した。
「よそへ行って漁師をやっても同じことだし、トルコの内陸へ行けば海賊に攫われることはないだろうが、百姓をやろうにも土地がないしな。どうだハイルッディン、おれと一緒に海賊にならんか」
弟は窓から、藍色の水をたたえたエーゲ海と、対岸に見える島々のオリーブ畑の白い花の群れを見つめていたが
「少し考えてみるよ」
と、だけ言った。二日後、兄は一人で出て行った。ハイルッディンは、年老いた陶工の父親と、食卓で向き合っていた。
「お前も、ウルージと一緒に行きたかったのじゃないのか?」
父親は、控えめなものの言い方をした。
「うん、でも、おれはまだ若いし、それに、お父さん独りになってしまうから。おれはまだ、人を殺してまで金品を奪うことに抵抗があるんだ」
「それはそうだ。人に殺されるのは運命かもしれんが、人を殺すことが運命だ、とはわしには思えないな」
父親は目をしょぼつかせながら、息子の顔を見た。息子は黙って考え込んでいる様子だった。父は続けた。
「とはいっても、ウルージの気持ちもわからん訳ではない。海賊になったからといって必ず儲かるとは限らないし、戦いに負ければ殺されるか、また奴隷にされるかもしれないし。それを覚悟の上で、この世を逞しく生きてみようというのだから、わしも反対し切れなかった。もし、お前も一緒に行くというなら、それもやむを得ないことだ、と考えていた。 ウルージのことだ、そのうちに、一人前の海賊になって戻ってくるだろう。ウルージは体力と行動力があるし、お前はウルージより頭がいい。二人で組んだら、相当なことができるかも知れない」
ハイルッディンは、父の言葉の中に、海賊行為をある程度肯定する気持ちを見いだして、意外な感じを抱いた。その父が一年後に亡くなった。海賊になろうという決断がつかないままに、ハイルッディンは漁師を続けていた。二年後、ウルージが戻ってきた。
「おれはイスラムに改宗した。トルコの海賊船に乗せてもらって、航海術と砲術を習得したんだ。仲間をさそって、小さなギャリオット船を一隻手に入れて海賊業をはじめたが、今じゃ、ガレー船三隻とギャリオット船二隻の船長だ。これからは一人前の海賊さ」
そういって胸をはる兄は、一段と逞しくなっていた。肩幅はあくまで広く、胸板はぶ厚く、パンを二つ並べたように胸筋がもり上がり、腕は丸太ん棒を二本ならべたようであった。そんな兄を見ているうちに、ハイルッディンの血が騒ぎはじめていた。
「お前にこれをやろう」
兄は黄金づくりの短剣を、一振り取り出してみせた。
「うわー、すごい短剣だ。こんなすごいもの、おれが貰ってもいいのかい?」
「ああいいとも、おれのはもっと凄いんだ」
兄が腰から抜き取って見せた短剣は、同じ黄金作りながら鞘に宝石がちりばめられていた。
「ダイヤモンドとルビーが、一杯ついているんだね」
ハイルッディンは、目を丸くしてその短剣に見とれた.
「こんな高価なもの、まさか買ったわけじゃないんだろう?」
「当たり前だ。こんなもの買ったら、いくらするか見当もつかないだろうよ。ジェノバの商船にのっていた豪商から取りあげたのだが、おまえのはポルトガルの商船を捕まえたときに、船長が持っていたものだ」
弟はふた振りの短剣を見つめて、深いため息を漏らした。二十歳の青年は髪とひげは兄と同じく真っ赤だった。顔立ちもよく似ていたが、弟のほうが二十センチ近く背が高かった。夕方、兄弟は港にある酒場へでかけた。
「おれの仲間を紹介するよ」
兄はひろい酒場のなかで、大騒ぎをしている数十人の男たちを紹介した。酒場の片隅に、手足を鎖につながれたキリスト教徒の奴隷たちが、静かにすわっていた。海賊たちは大声をあげて笑ったり、酒場の女たちをひざの上に乗せてはしゃぎ回っていた。それに対して奴隷たちは、彼らの方は見ないようにして、ひっそりと食事をしていた。ハイルッディンは奴隷たちに同情したが、助けてやることは、もちろんできない相談だった。
ウルージは、仲間たちから「赤ひげ船長」と呼ばれていた。赤ひげは、仲間たちの中にとけこんで快活に笑ったり、女たちと戯れて屈託がなかった。そんな兄と仲間たちを眺めているうちに、弟の体中の血がふたたび騒ぎはじめていた。
「海賊だー」
突然、男の声が酒場の外でひびいた。
「なに、海賊だと?上等じゃねえか。海賊の本拠に、海賊がのり込んできやがったか」
ウルージは、テーブルに立てかけてあった長剣を掴むと、すっくと立ち上がった。体中から闘志がわき立っているように見えた。仲間たちも一斉に立ち上がった。奴隷たちは、これで自分たちが救われるかもしれないという淡い期待に、腰をのばして窓の外を見つめた。酒場から港までは百メートルたらずの距離であった。ハイルッディンは兄と一緒に走りながら、剣が一振りほしい、と痛切に思った。
剣を振り回したことはなかったが、日々魚と格闘している漁師である、二百キロもあるマグロを釣り上げる重労働をして鍛えた体と、腕力には自信があった。仲間たちは皆剣を抜き放っていた。兄は剣を抜き放つと、鞘を放ってよこした。弟は走りながらそれを受け取ると、この鞘で戦うことに腹をきめた。港につく前に、大勢の人影が一団となって歩いてくる姿が目に入った。
月明かりに照らしだされた海賊は、手に手に得物をもっている。総勢百人近い人数であった。船から上がってきたばかりの海賊にちがいない。弟は鉄製の頑丈な鞘をにぎりしめた。両集団は約十メートルの間隔をとってにらみ合った。ウルージが一歩前に出た。
「われわれを赤ひげ軍団と、承知の上でやってきたのか?」
驚くほどの大声であった。先頭を進んできた髭面の大男が、驚いたように聞き返した。
「赤ひげだと、お前たちも海賊なのか?」
「おうさ、われわれは海賊は海賊でも、オスマントルコ海軍に所属しているレッキとした軍人だ」
ウルージは胸をはって、口からでまかせを言った。それを聞いて、敵の集団に動揺がはしるのが手に取るようにわかった。
「この島の反対側には百隻のガレー船と、二千人の海軍が停泊しているんだ。ここでわれわれと事を構えるということは、オスマン帝国の海軍を敵に回すことになるんだぞ」
ヨーロッパ系とみられる先頭の大男は、じっと、ウルージと数十人の仲間を見回していたが、ゆっくりとうなずいた。
「よしわかった、われわれは酒を飲みたくて、この島に立ち寄ったのだが、今日のところはおとなしく帰ろう。また酒を飲みたくなったらやってくるぜ」
ボスは苦笑しながらそういって、踵をかえした。数の上では敵の数が二倍ちかくであったから、弟はホッと胸をなでおろした。海賊の群れが三隻のガレー船に分乗して沖へでるまで見送って、ウルージは仲間たちをふり返った。
「敵は百人位いたから、例えればライオンだ。われわれは約半分の人数だから、豹くらいの大きさだが、豹は豹でも黒豹だ。樹の上から飛びかかれば、ライオンと戦っても互角の力があるだろう。もし、危なくなったら樹の上にかけ上がって、また飛びかかる。戦いというものは、やり方ひとつでどうにでもなる。みんな、心配はいらないぞ!」
ウルージのみじかい演説に、仲間たちは歓声をあげて答えた。弟は兄を見直した。とっさの間に、機転をきかせた応接は見事だった。もし、トルコ海軍をもちださずに、真っ向から斬りあえば、貴重な仲間を何人か失うことになったであろう。下手をすれば、全滅するかもしれない。仲間をふやして、できるかぎり大きな集団にならなくては、生きのびられないのが海賊稼業なのである。
「俺も海賊になろう。奴隷にされる可能性のたかい漁師なんか,やめてしまえ。兄貴のように大らかに、のびのびと生きてやろう」
そう考えがまとまると、ハイルッディンは海賊たちの中に入って.酒を浴びるほど飲んだ。体の中から天使を追いだして、自ら悪魔になろうとするかのように。海賊達の飲む酒は、ラクと呼ばれるつよい酒である。ブドーの絞り粕などからつくる蒸留酒で、ウイキョウの実のかおりが強烈だった。水で割ると白く濁ることから、別名ライオンのミルクと呼ばれる。
ギリシャ人はブドー酒を飲むが、トルコ人はこの当時ブドー酒をあまり飲まなかったらしい。羊肉と魚を好み、長い串に刺したシシケバブや、魚のフライなどが好んで食べられた。魚は日本と同じようなものが多く、イワシ、サバ、カツオ、マグロ、スズキ、ボラ、イカ、タコ、ムール貝など豊富である。米も食べるが、主にパンをたべる習慣があった。翌日からのハイルッディンは、見違えるほど溌剌としていた。
「水を得た魚のようだ」
と兄は目をほそめた。獲物の船に斬りこむときは、兄弟が先頭に立った。同じような顔をした二人の赤ひげが、剛刀をかるがると振りまわして、斬りこんでくる姿は敵から見たら、二匹の赤鬼が配下をしたがえて、襲いかかってくるような恐ろしさであったと想像される。小さなギャリオット船一隻ではじめた海賊業であったが、いつの間にか、ガレー船十七隻と、ギャリオット船八隻の、艦隊ができあがっていた。
 兄弟が生まれたミドルリ島は、人口が数千人で、半農半漁の貧しい島である。しかし、エーゲ海の眺めはすばらしく、空気が澄みきっているせいか、海の色は藍色である。島も平和で、人々は心ゆたかに暮らしていた。島で一軒だけの酒場は、元海賊で鳴らしたアヌイが経営していた。アヌイには、十九歳と十七歳になる二人の娘があった。
 姉の名はドーニャ、妹の名はソアラ。ドーニャは知的な顔立ちで、スタイルがよく、おとなしい性格であった。ソアラは活発で愛嬌にあふれ、ひまわりの花のような明るい性格であった。赤ひげ兄弟はこの酒場に通ううちに、この姉妹にひきつけられていった。 兄は姉のドーニャが気に入っており、弟は妹のソアラに魅かれていた。漁師や海賊たちがあつまる酒場の中で、赤ひげ兄弟がもっとも裕福で、金離れもよく、体力もずば抜けていたので、ほかの若者たちはこの姉妹に近寄ることを避けた。
姉妹はこの酒場の看板娘として、父をたすけて店を切り盛りしていたが、いつしか赤ひげ兄弟を特別な目で見るようになっていた。酒場が雇っている酌婦は八、九人いて、男たちにサービスをする。経営者のアヌイに金をにぎらせれば、外に連れ出すことができた。態のよい売春婦である。姉妹はそんな酒場で働きながらも、生活が荒れることもなく、表情に翳りもなかった。ある日、ウルージは思いきってドーニャにきり出した。
「おれの女房になってくれないか」
「えっ、あたしと?うれしいんだけど、実はソアラがあなたにホの字なのよ」
「いや、おれはお前がいいんだ。弟の奴がソアラに惚れているし・・・」
「あたしもあなたが好きだし、ハイルッディンも好きだし、困ったわねえ」
「それは、おれだってソアラは好きだけど、結婚するならお前の方、ときめているんだ」
「困ったわ、正直に言うと、私は結婚するならハイルッディン、と決めていたのよ。ソアラはハイルッディンも好きだけど、結婚するならウルージとって、言っているのよ」
 そう言われてウルージは絶句した。しばらくして、彼はつぶやいた。
「どうして、こういう事になっちまうんだろう。世の中って奴は、いつもうまく行かないように出来ていやがる。ハイルッディンが聞いたら、さぞがっかりするだろうな」
「ウルージ、あなたは弟思いなのね。いつも弟のことばかり心配しているじゃないの」
「そういうお前だって、妹思いじゃないか。おれはソアラよりお前の方が好きなんだ。お前はおれにないものを持っている。深くものを考える力があるし、字も知っている。お前の顔を見ていると、不思議と心が落ちつくんだ」
「人間って、自分にないものを他人に求めるけど、でもそれは初めだけで、結局は、自分とおなじ性格のもの同士が一緒になるんだって、父が言ってたわ。ソアラはあなたと同じように明るくて活発でしょ。私は、ハイルッディンの頭のよさが好きなの。彼はあなたのような親分肌じゃないけど、彼はきっと成功すると思うのよ」
「分かったよ、うちへ帰って弟と相談してみるよ。あいつはたしかに頭がいいんだ、何かいい知恵があるかもしれん」
 ウルージは弟に素直に相談した。弟は、兄の話を聞いてじっと考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「兄貴、こういう案はどうだろう。兄貴もおれもあの姉妹がすきだ。あの二人もおれたち兄弟がすきだ。だから、どちらか一人と決めないで、四人で一緒の家に、住んだらいいんじゃないか」

二、奇妙な結婚
「えつ、女房を共有するのか?」
「そうだ」
「ふーん、あんまり聞いたことのない話だが、そんなことが出来るのかな?」
「おれも、そんな話は聞いたことがないんだが、海賊になってみたら、世の中にこわいものなんか、ひとつもなくなってしまった。剣で斬られて、海の中へ蹴落とされることを考えたら、もう何があっても、何が起こっても、驚くにはあたらないんだ」
「それはそうだが、相手は姉妹だけじゃなくて、親父もいるんだ」
「親父は難物だが、それは何とかなるだろう」
「イスラムの法は、どうなっているんだ?」
「イスラムの法律では、女房は四人まで持てることになっているのだから、問題はないだろう。お互いに、二人ずつ女房を持つことになるが、実質上は一人だから、もっといい女が現れたら、あと六人女房をもてるんだ」
「ほう、なんだかうれしくなるような話だな。おれはドーニャが好きだが、ソアラだって好きだ。お前も、ソアラが好きだからといって、ドーニャが嫌いなわけじゃない。互いに一人と決めようとするから、話が難しくなってしまうんで、決めなければいいんだ」
「われわれ兄弟の間では、それは問題はないことになったが、あの姉妹が、そこのところを割り切れるかどうかだ。明日、四人で話し合うことにしてはどうだろう」
「それもいいが、先にドーニャにこの案を話して、姉妹で話し合ってもらった方が、いいかもしれないな」
「ああ、その方がよさそうだ」
「やっぱりお前は頭がいいな」
ウルージの提案に対して、姉妹は、最初つよく反発した。
「夫が二人いるなんて、考えただけで気が変になるわよ」
ドーニャが強い口調でソアラに言った。ソアラは、少し恥ずかしそうな笑顔で答えた。
「夜は、どっちと寝るかが問題だわね」
「まあ、ソアラったら現実的なのね。夫が二人いて、子供ができたとして、どっちの子供だか分からない、なんてことになるかもね」
「背の高さ以外は、顔立ちが二人とも似ているものね。子供にどっちがお父さんなの、なんて聞かれたときに困るわね」
「子供のことより、うちのお父さんが、まず反対するわよ」
「お父さんかあ、それは間違いなく反対するわよ」
「どうしよう」
「二人で家出したんじゃ、このお店が困っちゃうし・・・」
 二人は窓の外をながめながら、黙りこんだ。窓の外は晩秋のひそやかな日ざしが、庭の樹木を照らしていたが、やがて北風が吹きはじめる予感を、感じさせる寒さであった。
「そうだ、こうすればいいのよ」
姉が突然叫んだ。
「私はハイルッディンと、あなたはウルージと、同時に結婚することにするのよ。結婚式もおなじ日に、住む家もおなじで、ということにすればお父さんも変に思わないでしょ?」
「そうか、あまり正直に言わなければいい訳か・・・」
「おなじ家に住むっていうところに、引っかかるかもしれないけれど、兄弟、姉妹の仲がいいことは、お父さんだって、よく知っていることだし・・・、兄弟の仕事と
私たちの仕事の両方にとっても、ひとつの家に住む方が都合がいいんだと言えば、お父さんもそれ以上は勘ぐらないでしょう?」
「その手で行こう」
二人は手をとり合った。姉妹は、結婚しても酒場を手伝うことを条件に、父を説得して了解をとりつけた。
「だけど、子供の問題はどうする?」
ソアラが話を蒸しかえした。ドーニャは再び考えこんだ。
「そうね、私の子供はハイルッディンの子供で、あなたの子供はウルージの子供、ということにしておきましょうよ。子供にはそう思い込ませれば、それでいいんじゃない?」
「そうかもね、親だってどっちの子だか分からないんだから、子供に分かるわけないか。それはいいとして、夜の問題よ」
ソアラはこれが一番の問題だ、という顔をした。
「たとえば、四人で一部屋に寝るとするでしょ、そうすると・・・」
ソアラは自分で言い出しておきながら、その後を続けることが出来なかった。
「あなた、随分そのことに拘るのね」
ドーニャは、きまり悪そうにしながらも、想像を逞しくせざるを得なかった。
「でもこの問題は、男が決めることじゃないかしら。私たちが決めなくても、いいように思うんだけど・・・」
「二人とも優しいから、うまくやってくれるんじゃないかな」
姉妹は顔を見合わせて笑ったが、なんとなく気恥ずかしい笑い方だった。赤ひげ兄弟はミドルリ島の住民を、他の海賊から守ってくれるたのもしい用心棒であり、島中の人気者であったから、結婚式は賑やかなものであった。兄弟の父親が陶器をつくっていた仕事場を改造して、四人がゆったり住める家もできあがった。
そして、四人の奇妙な新婚生活が始まった。新婚旅行はイスタンブールであった。姉妹はこの島の生まれで、トルコ本土に渡ったことが一度もなかった。春の訪れを待って、赤ひげ艦隊はオスマン帝国の三日月旗を掲げて、堂々とイスタンブールの金角湾に入港した。水と食料を補給すると、黒海につながるヴォスフォラス海峡をゆっくりと北上した。
金角湾を出ると、右手に乙女の塔が見え、ウスキュダル地区のモスクと、その賑わいぶりが見えてきた。やがて、左手にベイレルベイ宮殿が現れ、ついで、ルメリ・ヒサールとよばれる要塞が現れる。アナドゥール・ヒサールと共に、海峡を通過するビザンチンの艦船を迎撃した巨大な要塞である。ヴォスフォラス海峡は三十一キロと短く、やがて、広々とした黒海に入る。 黒海の沿岸には港町がいくつもあったが、イスタンブールの賑わいとは比較にもならなかった。再び金角湾にもどった四人は、イスタンブールの町に入った。
ヴェネツィアの貴婦人のように着飾った姉妹は、兄弟と腕を組んでトプカプ宮殿をめざした。ヴォスフォラス海峡、金角湾と、マルマラ海を同時に見おろす小高い丘の上に上った四人は、いまや世界一の幸せ者であった。コンスタンチノープルを征服して、イスタンブールと改名したメフメット二世の銅像を仰ぎ見ながら、ハイルッディンは、後年ガラタ橋を渡った海辺の埠頭に、自分の銅像が建立されようとは、もちろん想像もできないでいた。薄暮の頃、四人はイスタンブールの街を連れ立って歩いていた。
「この街は、アジアとヨーロッパに跨った都市なんだ」    
ウルージが姉妹に説明した。
「どうして、両方に跨って出来たのかしら?」
ドーニャが説明を求めた。
「それは・・・」
ウルージは返答に窮した。それを見て、ハイルッディンが助け舟を出した。
「ヴォスフォラス海峡が、川みたいなものだからさ。川によって、町や国境が分かれる場合もあるけど、大きな川が真ん中を通っていても、ひとつの町として成り立っているケースは、けっこう多いんだよ」
「それはそうね、この海峡は狭いし、川といったって、向こう岸が見えないほどの広い河もあるそうじゃない」
ソアラが納得顔で云った。
「でも、アジアとヨーロッパに跨った都市なんて、他にはないんじゃないの?」
ドーニャが云った。
「世界中を歩いたわけじゃないから、俺にはなんとも言えないな」
ウルージらしい答え方だった。
「おそらく、イスタンブールだけだと思うんだが、あるいはロシアにはあるかもしれないな」
ハイルッディンが思案顔で云った。
「アジア側より、ヨーロッパ側の方がずっと賑やかなのね」
ドーニャは目をこらして海峡の向こう側を見つめた。春の夕暮れはゆっくりと夜を迎えていた。
「この町がコンスタンチノープルという名だった頃は、ヨーロッパのキリスト教の中心地だったから、そのせいだろうな」
ハイルッディンは歴史を学んでいた。
「アジア側の方が土地の値段が安いから、人々はアジア側に住んで、ヨーロッパ側で仕事をするようになったんだろう」
「さすがハイルディンね、本を読んでいるのね」
 ドーニャが、長身のハイルッディンを尊敬の眼差しで見上げた。ソアラは、ウルージのそばへよって手を握った。
「私はあなたのほうが好きよ」
 口には出さなかったが、目がそう語っていた。ウルージはひょいと屈むと、ソアラの前に広い背中を出した。
「疲れただろう、おぶってやるよ」
「こんなところで?」
ソアラは尻込みした。
「旅の恥はかき捨て、というじゃないか、恥ずかしがることはないぞ」
ソアラはそういわれて、ウルージの背中ににっこりと笑いかけると、その背中に飛びついた。うれしくて大きな背中に頬ずりをした。
「面白い話を聞かせよう」
 歩き出しながら、ウルージが背中のソアラに話しかけた。
「どんなお話?」
「キリスト教徒の話でね、南米のペルーであったことだが、インディアンが一万人も出迎えた海岸に、キリスト教の坊さんが上陸したんだ。すると、大きなアメリカライオンが二頭、うなり声を上げて飛びかかって来たんだそうだ。ところが坊さん、あわてず騒がず、持っていた十字架をライオンの背中にあてがうと、二頭のライオンは静かになって、その場に伏せてしまったというのだ」
「本当かしら?」 
「嘘に決まっているじゃないか」
「そうでしょうね、キリスト教の宣伝なのね」
「海豚の話は知っているかい?」
「いいえ」
「海にはいろいろな化け物がいるのだが、海豚という奴が、一番危険なのだそうだ」
「海豚なんて聞いたこともないわ、どう危険なの?」
「象くらいの大きい奴がいて、船板を噛み砕いてしまうという話だ」
「まあ恐ろしい」
ソアラは無邪気に答えた。
「巨大な海豚が船に近づいてきて食べ物を要求するので、パンを投げてやると、大抵はおとなしく立ち去るのだが、それでも立ち去ろうとしないときは、怒った顔をしてみせると、怖がって逃げ出すそうだ」、
「それも嘘でしょう?」
「海賊は他愛のない話をして、喜んでいるのさ」
ハイルッディンと手をつないだドーニャが、話しかけた。
「海賊は人のものを奪ったり、人を殺したりするけど、死んだ後、地獄へ行かせられるのかしら?」
「人間というものは」
ハイルッディンは少し考えてから答えた。
「動物を殺したり、植物を摘みとったりして食べることで生きているのだから、生まれたときから罪を犯している、とおれは考えている。人のものを奪ったり、人を殺すのも同じことだと思うんだ。人間だけが尊いと考える人もいるけど、動物にも植物にもそれぞれ命があるんだから」
「そう云われれば、そうね」
「人間が生きていくために、ほかの生命を奪うように神がつくったとしたら、悪いのは海賊ではなくて、神の方だと思うよ」
「神様の方が悪いっていう話は、初めて聞いたわ」
「これはハイルッディン流の暴論だがね」
彼は大声で笑ってからつづけた。
「この世の中の富を、独り占めしようとする大金持ちを懲らしめて、それを貧しい人たちに、分け与えようという海賊業は神聖な仕事なのだ」
「海賊業は神聖なの?」
「われわれ海賊は皆そう思っている。だから、死後は天国に行けることになっている」
「ずいぶんと調子がいいのね」
「海賊は女を大切にあつかうし、貧乏人には優しいからな」
「この世の中の富をひとり占めしようとする大金持ちは、地獄行きだと思うわ」
「そういう輩をやっつけるんだから、海賊は神のお使いかな」
「それは少し言いすぎでしょ」
ドーニャも笑い出した。夢見心地のハネムーンが終わって、二週間後に四人はミドルリ島に戻った。
赤ひげ軍団は仕事に復帰した。彼らはオスマン帝国の商船はけっして襲わず、イタリア、スペイン、フランスなどのキリスト教圏の商船に的をしぼって襲撃をつづけ、しだいにエーゲ海を制圧して行った。ただ、同じイタリアでもヴェネツィアだけは、トルコとの友好関係にあったので、襲うことはなかった。地中海の奥深く、トルコとギリシャに囲まれた青く澄んだ海は、季節風が吹きすさぶとき以外は、比較的穏やかなことが多かった。
掠奪した品物は各地で売りさばいていたが、定まった市場をもつ必要が出はじめていた。暴風のときに避難すべき港も必要であった。赤ひげ軍団は、エーゲ海から次第に地中海の中央にまで、そのテリトリーを広げつつあった。ハイルッディンの提案で、アフリカのチュニスの国王と取引をすることにした。
赤ひげ艦隊はチュニスの港には入らず、沖合いに碇をおろして、ハイルッディンだけが部下に小船を漕がせて港に入った。拝謁を申し出たハイルッディンは、二時間ほど待たされた後で、ようやく国王に会うことができた。国王ハッサンは、赤ら顔に黒い口髭を蓄えた小太りの中年男であった。
「お前が、あの有名な赤ひげ海賊の弟か?」
国王は肥えた腹をゆすり上げながら、長身の海賊を見あげた。
「お願いがあって、やって参りました」
「どういう用件だ、申してみよ」
「チュニスの町で、品物を販売したいと思いまして、お願いに参りました」
「ふむ、盗んだ品物を売り捌きたいわけか。で、条件は?」
「売り上げの十パーセントをさしあげます」
「十パーセントだと?けちなことを言うな。どうせ盗んだ品物だ、半分よこせば許可する」
それを聞くとハイルッディンは、声を立てずに笑った。
「王様、いくら何でも半分はないでしょう。私どもがもちこむ商品は、私どもが命を的にして手に入れた品物です。それを何もせずに半分もって行こうとは、王様もお人が悪い」
国王はそれには答えずに、くるりと背を向けて、窓の外を眺めるふりをした。しばらくして、国王は向き直った。
「わしはスペイン国王から、チュニスの国王として認められている。すなわち、フェルディナンド国王の代理として、この国を治めているのである。したがって、この地における権限のすべては、このわしの手の中にあるのだ。わかるかね、海賊君」
「はい、よく承知しております。しかし、これは王様と私どもの商取引であります。これがもし、王様の所有する山から私どもが黄金を掘りだしたのであれば、お互いに半分ずつ山分け、ということもありましょう。しかし、私どもは敵の艦隊と砲撃戦を行い、接近して鉄砲や弓矢で撃ちあい、さらに接近して敵艦に斬りこんで、まさに命がけで得た品物です。いくらなんでも、半分さしあげる訳にはまいりません。」
「どうしてもいやだ、と申すのか?」
「はい」
「しかし海賊君、ここはよーく考える必要があるんだよ」
そういうと国王は立ち上がって、いすに座っているハイルッディンを見下ろしながら、目をキラリと光らせた。
「わしは君を逮捕しようと思えば、今すぐにでもできるのだよ。なぜならば、君が海賊だと自分から名乗り出たのだから。わしの兵は三千人いるのだから、君を捕らえておいて、君の仲間をおびき寄せて、一網打尽に捕らえてしまうことくらい、朝飯前なのだよ、わかるかね?」
それを聞くと、ハイルッディンは笑い出した。今度はかなりの大声だった。
「ハッハッハ・・・、今度は脅しにかかるお積りですか。王様、われわれを捕らえてなにかお得になることがおありでしょうか?」
そう言われて、ハッサン国王は不快な表情で海賊をにらみつけた。ハイルッディンは含み笑いをつづけながら、国王の不快な表情を無視してつづけた。
「仮に、今わたくしどもが持っている品物を、全部お取り上げになったところで、大した額にはなりません。それより年に何十回か品物を運びこんできて、その売り上げの十パーセントづつを取り上げた方が、よほどお得ではありませんでしょうか?」
「やかましい、お前のような若造に説明されなくても、その位の事は分かっておるわい!」
「ご理解いただけて、ありがたく存じます。それでは、王様のお顔を立てるために、売り上げの二十パーセントを、差し上げることに致しましょう」
「ふん、二十パーセントか」
「ただし、チュニス湾に浮かぶジェルバ島を、わたくしどもの本拠地として使わせていただきたいのですが、如何でしょうか?」
「ジェルバ島を本拠地にするだと?」
「あの島には住民が相当数居住しておりますが、住民に対して、われわれに協力するよう、お触れを出していただきたいのです」
「それは・・・」
「これはぜひとも、お許しをたまわりたいのです。われわれの運びこむ商品は、膨大な額に上ります。おそらく一年間で、王様が生涯楽に暮らして行けるくらいの額にのぼると思われます。もし王様がお許し下さらないのなら、他の町へ行って交渉するまでのことです」
「お、お前は、今度はわしを脅すつもりか?」
「脅すつもりはありません。しかし、もし、王様が私を捕らえたりしますと、午後になっても私がもどらない場合は、赤ひげ船長はこの町を砲撃し、斬りこみ隊を引き連れて、上陸する手筈になっております。勝ち負けは別として、このチュニスの町は大混乱に陥るでしょう」
「お前たちの船は何隻あるのだ?」、
「大型のガレー船から、ギャリオット船までふくめて、約百隻でしかありませんが、大砲は五百門、斬りこみ隊は精鋭ぞろいで約二千名に上ります」
それを聞くと、国王の顔から血の気が失せて行くのが、はっきりと見てとれた。海賊は国王の赤ら顔を冷たい目で、じっと見すえた。
「よ、よし分かった、わしは町の人々に怪我をさせたくないだけだ。チュニスの国王が海賊ごときに脅されて、うんと言った訳ではないぞ」
国王はそばにいる七人の部下と、次の間にひかえる十数名の兵士たちに、気をつかいながら、言い訳をした。
「では、ジェルバ島の使用は、許可していただけるのですね」
「よろしい。その代わり、売り上げの二十パーセントをおさめることと、町の女には手を出さないことを、きちんと約束しろよ」
海賊はにっこり笑ってうなずいた。
「もちろんですとも。王様には、飛び切りのお土産をお持ちすることも、必ずお約束しますよ」
ハイルッディンは、二人の部下をつれて意気揚々と引きあげた。百隻の艦隊も五百門の大砲も、二千人の斬りこみ隊も、彼一流のハッタリにすぎない。しかし、文書を取り交わした以上、ジェルバ島は赤ひげ軍団のものであった。
「国ではないから、一国一城の主とは行かないが、一島一城の主にはなれたわけだ」
赤ひげは手放しでよろこんだ。
「積荷を売りさばく市場はできたし、おまえの腕はたいしたもんだ。もし、わしが交渉に行ったのだったら、きっと戦闘になっていただろう。これからも、交渉ごとはすべてお前に任せよう」
「この次は十パーセントに減らして見せる。五十隻以上の艦隊になったら、必ずそうして見せる」
ハイルッディンは、自信ありげにそう言いきった。事実一年後に、十パーセント引き下げは実現している。いまや、ハッサン国王は、赤ひげ軍団の言いなりであった。
「この次はハッサンを追い出して、チュニスの町を我々のものにして見せる」
ハイルッディンは心の中でそう誓ったが、言葉にはしなかった。やがて赤ひげはオールを備え、帆を張った大型快速船を建造した。帆の力だけで走る帆船の時代がくるのは、十七世紀になってからであるが、この時代(十六世紀)としては、最も新しい技術であった。