「本当にごめんね、遅刻は厳禁とか自分で言っときながら」
 僕は視線を時計台に移すと短針は九を、長針は二と三の間を指していた。そして再び視線を成瀬さんへもどした。
「成瀬さんが遅刻なんて珍しいね。何かあったの?」
「ちょっと、電車の時間を勘違いしてまして……」
 反省の色をみせながらも、成瀬さんは走って乱れた前髪を直している。
「まぁ、バスが来る時間はまだだし別にいいよ。…それに僕もさっき来たところだし」
「え、山野くんも遅刻したの?」
「…まぁね。少し焦ったけど成瀬さんもまだ来てなくて安心してたよ」
「……そうなんだ」
「だからそんなに気にしなくてもいいよ」
「…山野くん」
「ん?」
「ありがとね」
 そう言って成瀬さんは今日初めての笑顔をみせてくれた。
それと同時に僕もその言葉の意味を理解し、顔に少しの熱を帯びた。
「……なに、もしかしてどこかで見てたの?」
 成瀬さんは首を横に振る。
「んーん。見てなくも山野くんが優しいってことくらい分かってるよ」
「その優しさが、たった今、裏目に出てしまったよ。…できれば忘れてほしい」
「忘れないよ、絶対に」
 こんなやり取りをしているうちに、バスがロータリーに侵入し、僕たちがいるバス停で停車して扉を開いた。二段の段差を上がって車内へ入ると空席だらけだったので、僕たちは一番後ろから一つ手前の二人用の座席に並んで座ると、それをミラー越しに確認していた運転手のおじさんが扉を閉め、車内アナウンスとともにバスを発進させた。
 景色をよく見たいと言う成瀬さんを窓際の席に座らせたので、僕は通路側の席から反対側の窓から外を眺めた。
出発して十五分も経過するころには、バスは見慣れない風景の中を走っていた。
 そこで初めて、僕は成瀬さんのとある違和感に気づいた。
「なんで手ぶらなの?」
「なんでって、特に持ってくるものなかったもん」
「水着とかは持ってこなくてもよかったの?」
「私、別に海に入りたいとは思ってないよ。この気温じゃ寒いしね」
 そう言われると、たしかに成瀬さんは海に入ることよりも、見ることに強い憧れを抱いていたような気がする。
 だからと言って、せっかくこんなに苦労してまで行くのに、見るだけというのもどうかと思うが、全く同じことをしようとしている僕が言うのもおかしな話なので、そんな成瀬さんを認めざるを得なかった。
「まさか山野くん、私の水着姿に期待してた?」
 そう言いながら成瀬さんは自身の胸元を隠すように腕を組んで、僕から距離をとるように窓に寄りかかった。
 僕は軽くため息をついてから、目を伏せて慈悲を込めながら言った。
「言いにくいんだけど……」
「うん」
「その考えは、ほんとに一ミリもなかったよ。……なんかごめん」