「今日も分からないところあったら、遠慮しなくていいから訊いてきてね」
 すでに五日ほど前に学校の課題を終わらせ、今は受験のための勉強に取り掛かっていた成瀬さんが、手を止めて小声でささやいてきた。
「今日こそはお願いしなくてもいいように、頑張るよ」
「あはは、その意気だよっ」
 結局、夕方に成瀬さんが、
「今日はそろそろ終わろっか」
と言うまでに僕は三回も質問してしまった。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、明日」
 母が迎えに来てくれるという成瀬さんとは図書館前で別れを済ませ、来る時よりもだいぶ涼しくなった道を、無心で引き返した。
 家につき玄関を開けると、夕日の光があまり届いていない、暗い廊下が出迎えてくれた。
 僕は洗面所で手洗いとうがいを済ませ、リビングでソファに寝転んだ。
 薄暗い部屋の中、仰向けに天井をぼーっとながめてる内に、自然と瞼が吊り下がってくる。僕はそれに抗うことをせず、そのままそっと目を閉じた。
 やがて意識は、いつか夢で見たことのある光景の中に沈んでいった。
 目の前には一面真っ暗な世界が広がり、その中にひとりで座り込んで泣いている男の子を見つけた。
僕がその子に近づき、
「君は、何で泣いてるの?」
と尋ねても、男の子は僕を見ないで、ただひたすらに泣いてずっと誰かに謝っている。「ごめんなさい、ごめんなさい」と。
 どれぐらいの時が流れただろう。何十時間、何百時間いや、何千時間だろうか。それくらいの時間が過ぎた時、ついに涙は枯渇し、男の子は泣くことをやめた。
 そして男の子は僕に視線を向けてきた。僕も男の子の乾いた目を見つめた。
 その瞳の奥には、悲しみもつらさも苦しみも何もない、虚無の空間だけが広がっていた。
 男の子は何も言わないですっと立ち上がり、ゆっくりと歩きだした。
「……………い」
 やがて男の子は再び
「…………よ、……い」
 真っ暗な闇の中へと消えていった。
「……はんよ、起きなさい、啓」
 遠くの方から僕を呼ぶ声が聞こえて、意識は体に引き戻された。
 目を開けると、先ほどまで薄暗かったリビングはカーテンを閉められた代わりに電気がつけられ、明るさを得ていた。ソファの背もたれで姿は見えていないけど、キッチンの方からは僕をこの世界に引き戻した母さんの声が聞こえている。
「おかえり、母さん」
「あ、やっと起きたわね。帰ってたんならせめて電気くらいつけときなさいよ、母さん、電気つけた瞬間心臓止まるかと思ったわ………って啓?」
 母さんはぶつぶつ言ってる途中に、ソファから起き上がった僕の顔を目視して、少し動揺した様子で訊いてきた。
「なんで泣いてるの、啓」
「えっ」