猫になったイモウト

 その問いに、ネコモリサマは後ろ足で首筋を掻きながら、気だるそうに答える。
「人間は、分からん事があると何でも神様のせいにしたがるのう。儂は神様などでは
ない。人間と同じ生き物じゃ。只、生きておる場所が違うだけじゃよ」
 …? 何を言ってるのか分からない。
「儂は、人間の言う『超次元』に棲んでおる生き物なんじゃ」

 超次元? 超次元って何なんだろう?

「…でも、ネコモリサマって、普通の猫なんじゃ?」
「だから、それは擬態じゃといっておる」
「…あの。…ギタイ…って何ですか?」

 ネコモリサマがデッキチェアの上でズッコける。
「擬態とは、生き物が体の色や形を、周囲の物や他の生き物に似せることじゃ」
「?」
「枯葉そっくりの蝶とか、カメレオンが体の色を変えたりするとか、そんなんじゃ」
「あー、わかりました。なんとなく…。でも、ネコモリサマは、なんで猫に?」
「儂も生きてるかぎりは、食べにゃならんのでのぉ。猫に化けておると、黙っていて
食べ物を貰えるんじゃ」
「なるほど」

 ネコモリサマがデッキチェアから飛び降りて、私の周りを回り始める。
「それで、ここがさっき言った超次元じゃ」
「ここが?」
 ともう一度辺りを見回してみる。
「只の真っ白な草原に見えるけど」
「まぁ、人間にはそう見えるかもしれんのう」

「私が見た川みたいなのは何なんですか? その中に、私が映ってたんですけど」
「それは、超次元から見たお前達の世界じゃよ」
「じゃぁ、向こうの世界の私はどうなってるんですか。まさか…」
「ただ気絶しとるだけじゃ。美寿穂に用があるので、意識だけ来てもらったのじゃ、
こっちへな」
「用事? わたしに?」
「忘れてもうたかのぅ。恩返しの三つの願い。美寿穂は、あと二つ願いを叶える事が
出来るんじゃよ」
 恩返しの三つの願い。

 そうだ、大事な事を忘れていた。
 翠を人間に戻して貰うために、ネコモリサマを探してたんだっけ。

 私はネコモリサマの方を向いて、正座のまま姿勢を正す。
「ネコモリサマ。ネコモリサマ。私の願いは、たった一つです。猫になった妹の翠を
人間に戻してやって下さい」

 へっ。
 ネコモリサマが、間の抜けた返事をする。
「すまんのう。願いの意味が、わからんかった。もう、一度言ってくれるか」
「何度だって言います。翠を元に戻して下さい。翠を人間に戻して下さい」
「えー!!! …と、それは…。最初の願いを無しにするって意味かの?」
「そうです。最初の願いを無しにして欲しいってことです!!」
「あらまあ、それは…」
「あらまあ、それは?」
「それは、ちと…」
「それは、ちと? まさか、出来ないんですか? ネコモリサマなのに?」
「いや、そんな事はないんじゃが…。なんか、他のお願いにならんかの?」
「他のお願いなんてありません。翠を戻してください。出来ないんですか?」

 私をはぐらかそうとしてるのか、ネコモリサマの答弁が段々と怪しくなる。
「ひょっとして、本当に翠を人間に戻せないですか」
「いや…、そんな事は…ない。…ぞよ」
 断言の言葉を吐きながら、視線はあらぬ方向を向いている。
「それなら、今すぐ…」
「それがの、それは…、ちと条件が要るんじゃ」
「条件?」
「そう。叶えてしまった願いの取り消しには、条件が要る」
「どんな?」

 えーと、それは。
 と言いながら、ネコモリサマが私の周りをソワソワと歩き始める。
 絶対、いまその条件てのを考えてるよね…。

「うほん。条件は決まった」
 とネコモリサマが改まった顔で私を見る。
「なんですか、条件って?」
 私の質問に対して、ネコモリサマがネヘヘと嫌な笑い顔を作る。
「それはの…、儂の隠れ家を見つける事じゃよ」
「隠れ家? 隠れ家って何ですか?」
「それを言ったら、探す意味が無くなるじゃろ。これから、美寿穂の時間で24時間
以内に、儂の隠れ家を探し出すこと。それが、最初の願いを取り消す条件じゃ」
「24時間以内。そんな…、大体、どこなんですが隠れ家って?」
「それを探すのが条件じゃよぉ」
「そんな…。全然、見当もつかない…。なにかヒントとかは?」
「ヒント…。そうじゃのう…。儂が、むかし住んでおった所に入り口がある」
「えぇっ!? それじゃ、ヒントにも何もなってないじゃないですか」
「フフフ。ちゃんとヒントになっておるんじゃよ。じゃーねー」
 そう言うと、ネコモリサマは前足を片方挙げて、バイバイの仕草をした。
 自信たっぷりにニヤついているその顔が憎たらしい。
 と、見る間にネコモリサマの姿がぼやけていく。
 私の周りの真っ白い世界の景色も霞んでいく。

 あっ、ちょっと待って!
 そう思って、右手をネコモリサマの方に差し出した。
 そこで、意識が無くなった。
 あっ、待って! 行かないで。
 ぼやけていくネコモリサマを追いかけるために、一歩踏み出した。
 と、何かが顔にぶつかって、目の前に火花が飛び出し、視界が真っ暗になる。
 鼻の頭が痛い。唇にも何か柔らかい物がぶつかった感触があった。
「痛~い」
 鼻の頭を手で押さえながら目を開ける。
 すると目の前に、私と同じように顔の中心を手で押さえた三笠君が居た。

「「だ、大丈夫」」
 とお互いに声をかける。
 ここで私は、畳の上に寝かされ、上半身を起こした状態である事に気が付いた。
「あれっ、私、どうして…?」
「神社の前で、急に気を失ったんだよ。それで、素子さんと、ここまで運んだんだ」
 と三笠君が説明してくれた。でも、何か三笠くんの顔が赤い? 熱でもあるのか。

 スッと、部屋の障子が開いた。
「なになにっ? 今、アッとかキャッとか聞こえたけど」
 素子さんだった。
「いやっ、そのっ…」と三笠君が口ごもる。
「何があったん?」と畳みかける素子さん。
「あの、濱野さんが譫言を言い出したんで、様子を見ようとして顔を覗き込んだら、
急に起き上がったんで……」
「急に起き上がったんで…?」
「……顔と顔がぶつかったんです」
 顔と顔がぶつかった? 私と三笠くんが?
 そういえば、唇に柔らかい何かが当たった気がする。あれはなんだったんだ?
「なになに? イヤだよ、いくら二人きりになったからって、人の家でキスするのは
無しだよ」と素子さんが揶揄うように笑う。
「いや、そんなことしてませんから」と大慌てて否定する三笠くん。
「本当?」
「ほ、本当です…」と照れながら否定する三笠くん。
「ならいいけど。私、店番があるから居なくなるけど、キスとかするなら表に聞こえ
ないようにお願いしますね」と可笑しなことを言いながら部屋を出て行った。

 私と三笠くんが座敷の部屋に取り残される。
「あのぉ。さっきのは事故だから…、その…。気にしないで…」
 三笠くんがあらぬ方向を見やりながら弁明する。
 事故? やっぱり私、三笠くんとキスしちゃったの? 気が付かないうちに。
 猛烈に顔が熱い。頭から湯気が立ちそうだ。

 私と三笠くんが、お互いに背を向けたままで座っている。
 言葉を発する雰囲気では無い…。困ったな、何を話せばいいだろう。
 テコテコテコ、と、翠が小走りでやってきて、私の膝の上に乗っかった。
 そうだ。悠長にしては居られない。
「あの、三笠くん。私、気絶してる間に、ネコモリサマに会ったの。それで…」
 私は、超次元でのネコモリサマとの会話の内容を三笠くんに語って聞かせた。
 翠を元に戻すために、24時間以内にネコモリサマの隠れ家を探し出さねばならぬ
事も伝えた。

「ネコモリサマの隠れ家…かぁ…。それだけじゃ、全くわからないな」
 三笠君が腕組みして考える。
「そうだ…。ネコモリサマが以前に住んでた場所に入り口があるって言ってた」
「ネコモリサマが以前に住んで場所…ねぇ。結局、その場所も分からないからなぁ」
「でも、ネコモリサマは、それがちゃんとしたヒントなんだって…」
 そうか…。と、唸って三笠君がまた思案し始める。
 暫くたって、三笠君が「なるほど、そういうことか」と頷いてみせる。
「何か分かったの」
「すこしね、ヒントのヒントくらい」
「ネコモリサマが以前に住んでた場所?」
「うん」

 すごいよ三笠君。
「じゃぁ、急いで、そこへ…」
「うん。その前に…素子さんと、話をしないといけない」
「素子さんと?」
「ああ」
 三笠君は、そう言うと立ち上がって、座敷の襖を開ける。
 襖の向こうは、和菓屋の店内に繋がっていた。
 幸い店内には誰も居ない。

「あら、濱野さん、具合いはもういいの?」
 私と三笠君に気づいて、素子さんが声をかけてくれた。
「もう、何ともないです。ありがとうございました」
と頭をさげる。
「素子さん。ちょっと、教えて欲しいんことがあるんですけど」
 三笠君が質問を切り出した。
「うん? 何でも聞いて。でも、キスの仕方とかは知ってるんでしょ?」
「何で、そうなるんですか。真面目な話なんですけど…」
「ごめん、ごめん。で、なに?」
「猫守神社の由緒話では、こちらの先祖の仁連佐七さんが、ここに新しく猫守神社を
建てたって事になってますよね」
「うん。そうだよ」
「って事は…。別の場所に、前の猫守神社があるって意味だと思うんですけど…」
 なるほど。ネコモリサマが以前に住んでた所って、そう意味なのか。
「そういえば、ここは新社で、前に本社が有ったって聞いた事がある」
「で、その場所はどこなんでしょう」
 私と三笠君が、期待の眼差しで素子さんの次の言葉を待つ。
「それが、私は知らないんだよね。そういうの、あんまり関心なくてさ。ごめんね」
「御家族の方とか、ご存じありませんか?」
「おじいちゃんなら、知ってるかもだけど。今、アメリカ西海岸に旅行中」

 そうですか…。と項垂れる三笠君。
 いい線行ってたのになぁ。と、私も肩を落とす。
「そういう昔の話なら、奥寺さんに聞けば分かると思うけど」素子さんが呟く。
 私は、その名前にピクリと反応する。
「奥寺さんて…。奥寺彩愛《あやめ》さんの家ですか?」
「そうだよ。あなた、彩愛ちゃんを知ってるの?」
「はい。アーちゃんは、同級生なんです」
「そうなの。あそこも、うちと同じで古くからこの町に住んでるから、お互い懇意に
してるんだ」
 そういえば、アーちゃんのとこって、もの凄く古いお屋敷だった。
 期待できるかもしれない。早速、アーちゃんに連絡してみよう。
 プルルルル、プルルルル、プルルルル。
 呼びだし音続く。
 プルルルル、プルルルル。
 どうしたんだろう、なかなか出てくれない。

 モシモシ。
 やっと返事が返って来た。
「もしもし。アーちゃん?」
「ああ、美寿穂ね。ちょっと待ってて…」
 そこで、アーちゃんからの通話が無音になる。
 暫く経ってアーちゃんから反応が届く。
「お待たせ。今、蔵の虫干しを手伝わされてたんだ。美寿穂のお陰で、抜けられた。
助かったよ。で、何の用?」
 とアーちゃんから。
「アーちゃんに教えてもらいたい事があるの」
「私に? 一体なに?」
「ちょっと待っててね。今、電話代わるから」
 えー!? 誰と? アーちゃんの大きな声がスマホから漏れ出てくる。
「もし、もし。電話代わりました。三笠です」
 えー!? 三笠君!? なんで三笠君が美寿穂と一緒にいるの?
 アーちゃんの大音量で、スマホが震える。
 三笠くんも、その声に気おされ、スマホを耳から遠ざける。
 アーちゃんのリアクションが収まるのを待って、三笠君が口を開く。
「あの…、ちょっと事情があって、濱野さんと一緒に探し物をしてるんだ」
「何々、どんな事情? 詳しく教えて!」
「いや、それは後で。…で、その探し物なんだけど…」
「ああ、そうだったね。で、何探してるの? 私に分かるようなこと?」
「奥寺さんの家って、代々この街に住んでるんですよね」
「うん。そうだよ」
「猫守神社って知ってる?」
「知ってる知ってる。和菓子の仁連屋本店の中に有るんだよね。仁連さんと私んちは
懇意にしてるから、知ってるんだ」
「僕たち、今そこに居るんだ。それで、仁連屋さんの猫守神社は、新しく建てられた
社らしいんだけど、以前の社、本社が何処にあるのか知りたいんだ」
「それなら、仁連屋のお祖父さんに聞いて見れば?」
「それが、生憎と旅行で不在なんだ。それで、奥寺さんのご家族の方なら、知ってる
かも知れないと、素子さんに言われて、連絡したんだよ」
「なるほど。うちのオババなら知ってると思う。でも……」
「でも……?」
「オババは知り合いの年寄りとアメリカ西海岸に旅行中」

 どうなってるんだ。アメリカ西海岸がブームなのか、この辺りでは。