「かーなちゃん、良く頑張りました!」
面接が終わり、二人が帰った後に私は大きく息を吐き出した。それを見ていた対馬さんが背中をトントンと軽く叩く。
「ドキドキしました……。二人共、良さそうな方で良かったです」
「俺もそう思った。面接の途中、カナちゃんの表情が強ばってなかったから気にいったのかな~?とは思ったよ」
「対馬さんには何でもお見通しなんですね…」
二人で笑い合った。
アールグレイの紅茶を入れて、お取り寄せのバウムクーヘンを一緒に食べる。バウムクーヘンを四等分して、残りは福島さんとヒロ君の分。
今度からはアシスタントさんの分もお取り寄せしなきゃなぁ。仕事中の休憩は大切だよね。
「それよりも……、ヒロ君とは上手くいってる?」
「う、上手くって……、な、何ですか?」
ヒロ君との関係性は特別何もないが、通信制の高校からの手紙を見られてしまった事に、名前を聞いただけで酷く動揺している。
「仲良くなった?」
「あ、えっと……毎回少しずつ、距離は縮められてると思います」
「……そう、良かったね」
対馬さんは自分から話題を降ってきたくせに、そっぽを向き、つまらなそうに答えた。
「アシスタントも決まったし、彼氏候補も出来たし、俺も本業に専念出来るかな?ネームのやり取りだけならネットでも出来るしね。原稿だってバイク便か福島に取りに来て貰っても良いしね。カナちゃんとは会う機会が少なくなるかな……」
対馬さんは微笑みながら、でも、どこか悲しげな表情をしながら私に言った。
「そ、そんな……悲しい事言わないで下さい!たまには顔を見せに来て下さい!」
私も対馬さんに会えなくなったら寂しい。それは恋愛感情ではないけれど、対馬さんは私にとってはお兄ちゃんみたいな人だから……、家族みたいに接する事が出来る人だから、会えなくなるのは寂しくて辛くて……切ない。
「……カナちゃん、そんな事を面と向かって言われたら、男は勘違いするよ。この子は俺が好きなのかな?って……」
「好きですよ、対馬さんの事。それが恋愛感情じゃないにしても、人として好きです。福島さんも好きです。例えば漫画家を辞めてたとしても、関係は切りたくないなって思います……」
「あー……、俺は思いっきり振られたけど、告白もされたみたいな変な感じ……」
「………?」
対馬さんの頬がほんのりと赤い。
私は思うままに伝えてしまったけれど、思い返せば……大胆な事を言ってしまっていた。……けれども、否定する気はない。
対馬さんも福島さんも人として好きだもの。
「対馬さんの大好きなビールも用意しますので、福島さんと一緒に遊びに来て下さいね」
「……考えとく」
先日、20歳になりました。未成年じゃないからお酒も買える。対馬さんの大好きなビールと福島さんの大好きなお菓子を買いだめして置こう。いつの日か、また、三人で笑い合えるように。
対馬さんが会社に戻ると行って立ち上がった時に玄関のチャイムが連打された。
ピンポン、ピンポン、ピンポン。
多分、これは……!
「お疲れっス~!先生の新作ネームを拝見しに来ました!」
「お疲れ様です。今、福島さんの噂をしていた所です」
「え?マジですか?なんで、何で?」
玄関先からテンションが高い福島さん。
「うるさいぞ、福島!お前の担当はカナちゃんじゃないだろ!毎回、毎回、ネームの進行状況見に来やがって!」
「だって、担当してる先生よりも気になるんですもん!奏心先生の方が可愛いし、あのむさくるしい先生よりも面白いし、優しいし……!」
「そろそろ口を慎め、福島……」
対馬さんが福島さんに対して怒っている。本気で怒っている訳ではなく、じゃれているのだけれども……。言い訳している福島さんが必死で可愛らしい。
「所でアシスタントが決まったから、お前の助けはもういらない」
「えー!無理!そんなの無理です!大好きな漫画に私も参加したいのに~」
福島さんに対馬さんがアシスタントの件を伝えると有難くも嬉しい言葉が返って来た。
「どうする、カナちゃん?福島も仲間に入れる?」
対馬さんはクスクスと笑いながら尋ねる。
「……私は嬉しいですけど、身体に負担がかかりませんか?」
正直嬉しいけれど、無理をさせて身体を壊してしまったら元も子もない。福島さんみたいな身近なファンが居てくれて、私は飛び上がる程嬉しいの。でもね……、私もこれ以上、二人に甘えたくはないの。
「先生……、私のオタク魂舐めてます?オタクは身を滅ぼしても好きな物を守り抜きますよ。私は先生も先生の作品も大好きだからこそ、お手伝いしたいのです!お手伝い出来なくなったら、寧ろ……、泣きます…」
「福島さん……」
福島さんに面と向かって、一直線に気持ちを伝えられた。私は感動して涙が目尻に溜まった。こんなにも福島さんに作品や自分自身が好かれて居たなんて……!
「カナちゃん、俺達はね、好きで手伝ってるんだよ。だから、遠慮しないでもっと頼りなよ。日本を代表する漫画家先生なんだから、もっと堂々としてて」
「……はい!有難うございます、対馬さん、福島さん。わ、たし……嬉し……すぎ、て……」
二人に感謝の気持ちを伝えたいのに涙が邪魔をして伝える事が出来なかった。二人とは仕事上の関係だけれども、絆は友達よりも深く繋がっているように思う。
漫画家になって一番の幸せは、人気が出た事ではなく、この二人に出会えた事。違う誰かじゃ、晴れて漫画家の道を手に入れても、途中で嫌になって放棄していたかもしれない。
「……ってゆー訳なんで、ネーム見せて下さい!」
「本気で図々しいな、お前は……」
福島さんが私に手を差し出して、ネームを要求する。対馬さんがツッコミを入れて、私が笑う。この下りが好きだから、まだまだ漫画家を頑張って行こう!
改めて宜しくお願いします、対馬さんと福島さん───……
───私が倒れてから、ヒロ君に初めて会う。
こないだ、通信制高校からの手紙を見られて以来、会ってない。どんな顔をして会ったら良いのか、万が一聞かれたらどんなリアクションを取れば良いのか、………分からない。
嫌われる覚悟で事実を伝えた方が良いのかな?
昼間は気にし過ぎて、仕事に集中出来なかった。
ヒロ君に対して社長令嬢だと嘘をついている事、本業は少年誌の漫画家だと言う事を包み隠さずに伝えたとして嫌われる確率は……きっと高いだろう。
それから漫画家だと知れたら、私の頭の中身を覗かれてるみたいで、とてつもなく恥ずかしい。
私の思考の全てをさらけ出し、本能の赴くままに描いている漫画。プロとして、自分のマンガに誇りを持ちたいのだが、私がこんな性格故に自信を持って、『この作品を描いているのは私です』とも言い出せない。
少年誌の漫画が恥ずかしいと言って否定している訳では決してなくて、私は女性なのに異世界の少年漫画を描いているのが恥ずかしくて言い出せないのだ。変なプライドが邪魔をしている。
私が漫画家だと言う事は編集部の方々と両親しか知らない。高校が別々になった小中学の同級生とは疎遠になった為に誰も知らない。
……もうすぐヒロ君が来てしまう!
漫画の作業場には入らないようにお願いしてあるので、片付けなくても良いのだが、問題はリビングだ。先日のように手紙等が置いてないかチェックをする。
気持ちが落ち着かずにリビング周りをウロウロしているとヒロ君からメッセージが届いた。
ヒロ君とは電話番号を交換したが、最近ではメッセージアプリのIDも交換した。それからの連絡はいつもアプリからだ。……と言っても、急な予定変更などにしかメッセージを送らないから、やり取りはたまにしかしないのだけれども……。電話だと緊張し過ぎて上手く話が出来ないので、簡単に短文で送信できるアプリで丁度良いのかもしれない。
ヒロ君、今日は遅れるらしい。
早く会いたい気持ちもあるが、対処法を考えてはいないので、ホッとしたような気持ちもある。
対馬さんは履歴書を見たので素性を知っているが、私は履歴書を見せて貰えなかったので何も知らない。
ヒロ君は学生?それとも昼間はお仕事してるのかな?
私から聞いてみても良いのかな?雇い主が履歴書を見てないのが知れたら、おかしいと思うかな?信用出来ないと思うかな?
私はとにかく、ヒロ君の事が気になって仕方がない。
完全に恋をしちゃっている。
───ヒロ君は30分程、遅れて来た。
ヒロ君が来る少し前から夕立のような雨が降り出し、傘を差しても身体が濡れていた。
「良かったら、シャワー使います?濡れたままだと風邪をひいちゃうので……」
私はタオルを渡し、ヒロ君にシャワーを浴びるように言ったが、着替えがないからと断られた。それもそうだよなぁ……。
洋服はレディースサイズしか持ってはいない。ヒロ君が着れる洋服は何かないかな?
……乾燥機で服が乾くまでの間、着れるもの…と言えば……ヒロ君が風邪を引かないようにと必死で考える。
あ、アレだ。恥ずかしいけれど、アレしかない。アレならば男女兼用だから大丈夫だよね?
「こ、高校のジャージで申し訳ないんですけど……、男女兼用だから乾くまでの間、着てて下さい!」
ヒロ君をリビングで待たせたまま、クローゼットから取り出したのは高校時代のジャージだった。ジャージとはゆえ、チャック付きのトレーニングウェアに近いので、原稿に集中している引きこもり中は着ていたりする。着てるけれど、キチンと洗ってあるから大丈夫、……だとは思う。
高校時代は様々な出来事があったけれど、ジャージに罪は無いので捨てられなかった。投稿漫画もジャージを着て描いたりしていたので、愛着もある。
高校のジャージなんかを取り出してきて恥ずかしいけれど、ヒロ君が風邪を引くよりはマシだ。
ジャージを差し出した時に驚きでヒロ君の瞳が真ん丸になったけれど、それは私がジャージを用意した事に驚いた訳ではなかった。
「有難う、カナミちゃん。有難く使わせて頂きます!」
「すみません、こんなものしかなくて…」
ヒロ君は笑顔でジャージを受け取ってくれた。
私は高校時代、ぽっちゃりしていたので男女兼用のLサイズを着ていた。ヒロ君は細身だけれど、身長があるからLサイズで丁度良いかもしれない。
「実は俺もこのジャージを着てたよ」
「そうなんですね……」
ヒロ君がこのジャージを着ていた?
……と言う事は同じ高校出身みたいだ。偶然ってあるもんだ。ヒロ君はジャージを見ては懐かしんでいた。私は『そうなんですね……』に続く言葉が見つけられずにいる。
同じ高校出身と言う事はとても嬉しくて喜ばしい事なのだが、途中で逃げ出した私は素直に喜べなかった。
卒業していれば、高校の話題で盛り上がったかもしれない。私は卒業まで辿りつけなかった為、墓穴を掘ってしまう可能性があるので話題を拡げられなかった。
通信制の高校からの手紙でヒロ君は薄々は気付いているかもしれないが、素性がバレてしまうまで時間の問題だ。
高校の事には触れずに、ヒロ君に再びシャワーを浴びる事を勧める。シャワーを浴びたヒロ君の洋服をお急ぎモードで洗濯し、乾燥機にかけた。
対馬さんや福島さんも泊まり込みで手伝ってくれる時に浴室を使う為、自分なりに綺麗に掃除しておいたつもりだから貸す事には躊躇いはなかった。
「カナミちゃん、お言葉に甘えてシャワーを借りちゃってごめんね」
私のお気に入りのシャンプーとボディーソープに包まれたヒロ君からは、とても良い香りがしている。
「引越しした時に処分してしまったけれど、うちの高校のジャージはデザインも良いし、着やすかったよね。懐かしいなぁ……」
高校のジャージを着ているヒロ君はとても新鮮。時計の針がヒロ君の高校時代に戻ったみたいで嬉しかった。同じ出身校とは言い切れないのが寂しいけれど、高校時代を一緒に過ごしている様な感覚に陥っている。
「私もこのジャージは着やすくて、捨てられないんです……」
ジャージ姿のヒロ君もカッコイイ。こんなにカッコイイんだもん、高校時代もモテモテだったんだろうなぁ。
ヒロ君はきっと、男女共にモテモテで誰からも好かれていたのだと想像する。それに比べて私は……、嫌われていたから素性は晒せない。
ヒロ君のジャージ姿を見て浮かれていても、余計な事は何も言えないのだ。先生の話とか、してみたい話は沢山ある。……けれども、墓穴を掘らない為にも自分からは何も言わないのが得策である。