圭美を連れて部活に行くと、プールサイドで堀内と野波が胸倉をつかみ合っていた。二人とも、まだジーンズにTシャツ姿だ。少し離れたところで、すでに水着姿の津村がニヤニヤ眺めている。
「あっ、石神君、何とかして!」
 同期の女子のキャプテンで個人メドレーを泳いでいる秋吉と二年生で背泳ぎの今泉という女子部員が堀内と野波のシャツをそれぞれ背後から必死につかんでいる。
秋吉と今泉は水着の上にTシャツをかぶっていた。女子とはいえ、朝から夕方まで毎日泳いでいるので、上腕や大腿筋はたくましく陽焼けして光沢をもっている。それでも、もちろん女の力で抑えられる堀内と野波ではない。
「おっ、石神、ちょっと聞いてよ。野波の野郎、オレのベストパンツを砂場に埋めやがったんだよ」
 堀内がこちらを向いてうったえる。そのすきに、野波が思い切り堀内の胸を突いた。
「お前がゴミ箱なんかに入れておくからだろ」
 堀内がよろけながら、野波のすねに蹴りを入れようとするが、届かない。
「野波、オレがゴミ箱に大事なパンツを隠してるの、知ってただろうが!」
「あれっ、そうだっけ。お前がどこにパンツをしまっているかなんていちいち見ちゃいないね」
「とぼけんなよ」
 どうやら、前日の練習後、野波が部室に一人でいたら、運動部を統括する体育教師の見回りがあったらしい。野波は荒れ放題の部室の掃除を命じられた。
自分だけが叱られ、一人で掃除するはめになった野波はおもしろくない。だだっ広いグラウンドの反対側にある焼却炉へ行くのが面倒で、プール横の陸上部が幅跳びの練習をする砂場にゴミ箱の中のものをぜんぶ捨てて砂をかぶせた。そのゴミ箱の底には、いつもように堀内の青いベストパンツが隠されていた。
つかみ合う二人の近くには砂まみれになったベストパンツがくるくるくるっとまるまったまま落ちている。それはちょっと、砂糖をまぶした揚げパンを思わせた。
「ベストパンツベストパンツって、堀内、三年になってベストタイムなんて一度も出してないじゃないか」
「お前、オレが一番気にしてることを言いやがって」
 圭美が唖然と、二人の争いを眺めている。
「水泳部の男の子たちはおバカだって噂では聞いていたけど、いつもこうなの?」
 あきれた表情を僕に向ける。
「堀内と野波はいつもこんなかな。マネージャー志望の件、やめるなら今のうちだけど」
堀内と野波のけんかは毎回迫力がある。柔道対少林寺拳法だからだ。二人は感情的になりながらも、明らかに、この頃プロレスラーのアントニオ猪木がプロボクサーや空手家や柔道家とさかんに行っていた異種格闘技戦を意識していた。かまえが芝居がかっている。
二人のけんかを仲裁しようとして僕はひどい目にあったことがある。傍観者でいたのに、一学年下のちょっとかわいい顔をした女子部員に「石神先輩、止めてください!」とアニメのキャラクターのような声で言われ、ついいいところを見せようとした。
二人の間に割って入ると、堀内を狙った野波の蹴りが僕のすねを直撃し、内出血で夜脚がぱんぱんに腫れ上がった。翌朝病院へ行くと、すねに馬の尻に打つような極太の注射針を刺され、どす黒い血液が長さ二〇センチほどもあるシリンダーいっぱいにたまった。
「石神君、止めないの?」
 圭美がとがめるような目を向ける。
「こいつらのけんかは止まらない。オレ、止めようとしてけがしたことあるし。けがしたら、泳げなくなるし。それに、ああ見えて、堀内と野波は仲がいいんだ。けんかもするけれど、入学してからずっと二人はベタベタ一緒にいる」
「それって、なんだか気持ち悪いわね」
「そう、あいつらは気持ち悪いんだよ。止めるのはばかばかしい」
 その間も堀内と野波はにらみ合い、依然秋吉と今泉が後ろから抑える状況が続いていた。練習に集まってきた後輩たちが遠巻きにしている。

「お前ら、何ぐずぐずやってる? 早く水着に着替えてこい」
 不機嫌そうな声にふり向くと、青木が立っていた。
「あっ、先輩、野波がオレのベストパンツを砂場に埋めやがったんですよ」
 堀内が訴える。
「早く着替えろ」
 青木はとりあわない。
「いや、だから野波がですね」
「お前の大切なパンツは見つからないのか?」
「砂掘ったら出てきました」
「だったら、早く着替えろ」
「そうだよ、堀内、見つかったんだから、ぐずぐずいうなよ」
 野波が勝ち誇ったように追い打ちをかける。
「野波! お前も着替えろ」
 青木の声がワントーン上がり、二人はふてくされて部室に消えていった。
 堀内も野波も、青木の言うことだけは素直にきいた。クロールも、バタフライも、すべての種目でかなわないからだ。
 それに、入学して間もない頃、青木に窮地を救われている。二人は三年生のラグビー部員五、六人に取り囲まれたことがあった。昼休みに、グラウンドに置かれたままになっているスクラム強化用のマシンに上ったり、タックルをしたり、遊んでいるところを見つかったのである。
高校生で二学年違いの体格差は大きい。しかも、相手はラグビー部のフォワードで、毎日スクラムを組んでいる猛者たちだ。堀内は物腰低く謝り、その場を収めようとした。ところが、野波は自分たちの非を認めずにつっぱった。
「小っちゃいことでうだうだからんでくるんじゃねえよ」
強がって抵抗した。堀内と二人ならばけんかに勝てるとあまい判断をしたのだ。
一年生になめられて怒った三年生のラグビー部員に二人はどつかれた。堀内はボコボコにのされる覚悟をしたそうだ。
そこに青木が通りかかった。
「うちの一年が何かしたか?」
 青木が二人の腕をつかんでラグビー部から引き離し、ことなきを得た。それ以来、堀内も野波も、青木の前では猫のようにおとなしく、一日一万メートルを超える練習も、ぶつぶつと弱音を吐きはしたが、毎日こなした。
「石神、お前も早く準備しろ」
 そう言ってこちらを見た青木が、僕の横に立つ圭美に気づく。
「先輩、彼女、うちのクラスの星野圭美です。マネージャーをやりたいというので、連れてきました」
 圭美は青木に向かって教師に挨拶をするように一礼した。
「三年で入部するのか?」
 一瞥した青木は意外そうな表情で訊いた。
「はい。観賞枠です」
「観賞枠?」
 青木が怪訝な顔になり、僕はあわてた。
「しっかり働くと言ったので連れてきました!」
 そう言うと、圭美がいたずらっぽい表情をこちらに向けた。
「わかった。動ける服装に着替えてこい。プールサイドでは、マネージャーも選手と同じだ」
 青木はそれ以上質問せず、圭美はマネージャーとして水泳部員になった。
「秋吉!」
 青木に呼ばれて女子キャプテンの秋吉が走ってくる。
「はい!」
「新しいマネージャーの星野だ。女子の部室に案内してやれ。石神によると、観賞枠だそうだ」
「観賞枠……?」
 秋吉は理解できず、困った表情を見せる。
 その様子を、津村が肩のストレッチをしながらにやにやと眺めていた。