三度目は偶然だった。
私がバイトしているケーキ屋に内藤くんがバースデーケーキを買いに来たのだ。帰宅する人々が忙しなく駅の改札へと吸い込まれていく時間帯。内藤くんも社会人らしく白いYシャツ姿だった。
「ここで働いてるの?」
「副職だよ。お給料少なくて。ここにはもう何年も前からいるよ」
「知らなかった」
「会わないもんだよね」
会話に区切りをつけ、接客口調になって「お誕生日のプレートはどうしますか?」と訊くと、彼は名前を入れてくれと言った。
彼女かな。女性の名前をチョコペンで書きながら私は思った。
「こちらでよろしいですか?」
「うん」
「ろうそくは何本お入れいたしますか?」
「あ、いらないです……」
お会計をしてケーキの入った袋を渡す。
「ありがとうございました」
普通のお客だったらその声を背にさっさと店を出て行ってしまう。内藤くんも一度は背を向けた。でもすぐに振り返って私を見る。
「あのさ、今度、メシ行かない?」
「いいよ」
やっぱり私はあっさり頷いていた。
次の週の金曜日、私は内藤くんと食事に行った。仕事の後、駅前で待ち合わせて私がお気に入りの小さな洋食屋さんに行った。
食事しながらお互いの職場の事なんかを話した。静かな店内の雰囲気のせいもあっただろうけど、内藤くんは穏やかな落ち着いた話し方だった。学生の時みたいに饒舌じゃない。
会話の途中で時折、探るような間が差し込まれる。それは私も同じ。大人になったってことだよね。
店を出て通りの向こうを眺める。社会人女性や学生のグループがそぞろ歩いている。
またここでお別れなのかな。思って内藤くんを見上げる。
「どうやって帰るの?」
「バスで」
「じゃあ、駅前まで一緒だな」
先に立って歩き出す内藤くんに私はついて行く。
「バイト、毎日やってるの?」
「平日は仕事帰りにたまにだけど、土日はほとんどいるよ。そうしないと生活苦しくて」
「自立してんだってな。偉いよ」
「……」
親元を離れたことを話しただろうか。思い返していると、内藤くんが立ち止まってこっちを振り返った。
「おまえんち、何度か電話したんだ。娘はもういないって言われて、結婚したのかと思った」
あの母親は、まったくそんなこと一言も伝えて来ないで。昔さんざん、にやにや笑われたことを思いだし腹立たしさに頬が熱くなる。
「おまえと仲が良かった奴にこっそり教えてもらったんだ。親元離れてケーキ屋でバイトしてるって聞いて、それで店に行ったんだ」
俯きがちに急にそんな告白を始める彼にびっくりして、私はようやくのことで言葉を押し出す。
「あのバースデーケーキは……」
それかい、と心の中で自分自身にツッコむ。だって気になっていたんだ。どうしても。
「誕生日でもないのにこんなもの買って来てって母親に怒られた」
少し横を向いてぶっきらぼうに彼は吐き出す。急に中学時代に戻ったみたいだった。それから、はあっと気を取り直すように息をついてから顔を上げた。
「馬鹿だよな。おまえとはいつでも会えるって思ってたんだ。いつでも、おまえは、わかってくれてるって」
「うん……」
わかってたよ。でも、だけど、本当は。いつだって、言いたいことを我慢していた。
「でもね、私はこれっきりはもう嫌だ」
鼻の頭がつんと熱くなる。
「私は毎日一緒がいい」
内藤くんは瞬きしながら頷いた。
「うん。オレが悪かった。ごめんな」
私は指で目元をぬぐいながらやっぱり頷く。
「ほんとだよ」
「甘えてた。ごめんな」
内藤くんの言葉に私は何度も何度も頷く。
「うん。いいよ」
わかってたくせに何もしなかったのは私も同じ。甘えてた。彼が来てくれるのを待ってるだけだった。
「駄目だな、オレたち」
「ね」
「また大事な事忘れてる」
内藤くんは手を延ばして私の手を握る。
「好きだよ」
私も彼の手を握り返して笑った。
「私も、大好き」
私がバイトしているケーキ屋に内藤くんがバースデーケーキを買いに来たのだ。帰宅する人々が忙しなく駅の改札へと吸い込まれていく時間帯。内藤くんも社会人らしく白いYシャツ姿だった。
「ここで働いてるの?」
「副職だよ。お給料少なくて。ここにはもう何年も前からいるよ」
「知らなかった」
「会わないもんだよね」
会話に区切りをつけ、接客口調になって「お誕生日のプレートはどうしますか?」と訊くと、彼は名前を入れてくれと言った。
彼女かな。女性の名前をチョコペンで書きながら私は思った。
「こちらでよろしいですか?」
「うん」
「ろうそくは何本お入れいたしますか?」
「あ、いらないです……」
お会計をしてケーキの入った袋を渡す。
「ありがとうございました」
普通のお客だったらその声を背にさっさと店を出て行ってしまう。内藤くんも一度は背を向けた。でもすぐに振り返って私を見る。
「あのさ、今度、メシ行かない?」
「いいよ」
やっぱり私はあっさり頷いていた。
次の週の金曜日、私は内藤くんと食事に行った。仕事の後、駅前で待ち合わせて私がお気に入りの小さな洋食屋さんに行った。
食事しながらお互いの職場の事なんかを話した。静かな店内の雰囲気のせいもあっただろうけど、内藤くんは穏やかな落ち着いた話し方だった。学生の時みたいに饒舌じゃない。
会話の途中で時折、探るような間が差し込まれる。それは私も同じ。大人になったってことだよね。
店を出て通りの向こうを眺める。社会人女性や学生のグループがそぞろ歩いている。
またここでお別れなのかな。思って内藤くんを見上げる。
「どうやって帰るの?」
「バスで」
「じゃあ、駅前まで一緒だな」
先に立って歩き出す内藤くんに私はついて行く。
「バイト、毎日やってるの?」
「平日は仕事帰りにたまにだけど、土日はほとんどいるよ。そうしないと生活苦しくて」
「自立してんだってな。偉いよ」
「……」
親元を離れたことを話しただろうか。思い返していると、内藤くんが立ち止まってこっちを振り返った。
「おまえんち、何度か電話したんだ。娘はもういないって言われて、結婚したのかと思った」
あの母親は、まったくそんなこと一言も伝えて来ないで。昔さんざん、にやにや笑われたことを思いだし腹立たしさに頬が熱くなる。
「おまえと仲が良かった奴にこっそり教えてもらったんだ。親元離れてケーキ屋でバイトしてるって聞いて、それで店に行ったんだ」
俯きがちに急にそんな告白を始める彼にびっくりして、私はようやくのことで言葉を押し出す。
「あのバースデーケーキは……」
それかい、と心の中で自分自身にツッコむ。だって気になっていたんだ。どうしても。
「誕生日でもないのにこんなもの買って来てって母親に怒られた」
少し横を向いてぶっきらぼうに彼は吐き出す。急に中学時代に戻ったみたいだった。それから、はあっと気を取り直すように息をついてから顔を上げた。
「馬鹿だよな。おまえとはいつでも会えるって思ってたんだ。いつでも、おまえは、わかってくれてるって」
「うん……」
わかってたよ。でも、だけど、本当は。いつだって、言いたいことを我慢していた。
「でもね、私はこれっきりはもう嫌だ」
鼻の頭がつんと熱くなる。
「私は毎日一緒がいい」
内藤くんは瞬きしながら頷いた。
「うん。オレが悪かった。ごめんな」
私は指で目元をぬぐいながらやっぱり頷く。
「ほんとだよ」
「甘えてた。ごめんな」
内藤くんの言葉に私は何度も何度も頷く。
「うん。いいよ」
わかってたくせに何もしなかったのは私も同じ。甘えてた。彼が来てくれるのを待ってるだけだった。
「駄目だな、オレたち」
「ね」
「また大事な事忘れてる」
内藤くんは手を延ばして私の手を握る。
「好きだよ」
私も彼の手を握り返して笑った。
「私も、大好き」