5
「おかえりなさい」
僕は、そっと声をかけた。
元の時代に戻ってきた、由梨さんに。
寝ぼけ眼をこすりながら、由梨さんは何度か目を瞬かせる。
ここがどこか、ようやく思い出したようで__。
「知ってたんでしょ?」
「えっ?」
「あいつが、過去にいるって。だからうまいこと言って、あたしを過去に送り出したんじゃないの?」
「僕はそんなに器用じゃないですよ」
とは言ったものの、由梨さんはまったく信じていない様子だ。
未来に行きたいと言っていた由梨さんは、過去に行った。
そしてそこで、答えを見つけたんだ。
「ねぇ、まだいい?」
少し照れくさそうに続けた。
「たい焼き、欲しいんだけど」と。
「いいですよ。いくつですか?」
僕は尋ね、焼く準備をする。
牧子さんか、それとも誰かに買っていくのか、あんこ好きな由梨さん自身が食べるのか__?
「いっぱい、欲しいの」
「いっぱい?」
「そう、紙袋から溢れるくらい」
「わかりました」
ひとつ頷いて、たくさんのたい焼きを焼いた。そりゃもう、大漁だ。
溢れんばかりのたい焼きを胸に、由梨さんが出ていく。
その顔は、少し意地悪そうに見えた。
あたしは、チャイムを押した。
なんなら連打してやった。
「由梨、どうしたの?こんな時間に」
出迎えてくれた高橋昇(のぼる)の顔をまじまじと見つめる。
あたしを呼び捨てにするなんて、1000000年早いっての!
「いったい、どう、した__の?」
言葉が尻すぼみになったのは、あたしがたい焼きを持っていることに気づいたからだ。
紙袋いっぱいの、たい焼き。
昇の目元が、柔らかくなる。それは、懐かしさを運んできた。
「やっと、気づいたんだ?」
「なんで黙ってたのよ?面白がってたわけ?」
たい焼きを昇の胸に押しつける。
「違うよ。気づいてほしくてさ」と薄っすら微笑む昇は、あたしが知っている原田とは似ても似つかず__。
「そもそも、変わりすぎ!それに苗字が違う!」
「ああ、僕も両親が離婚したから。由梨ちゃん、僕のこと名前で呼んでくれなかったし」
「き、気づくわけない!」
「それはカッコよくなったから?」
にんまり微笑む昇に、ぐっと言葉に詰まる。
は、は、原田のくせに‼︎
「約束どおり、カッコよくなったよ?だから今度は、由梨ちゃんが約束、守ろうか?」
「や、約束⁉︎」
「そう。僕と、結婚してほしい」
弱くて泣き虫で、あたしの後ばかりついてきた原田。
あたしの側から離れることがなかった原田。
約束どおり、あたしを迎えに来てくれた原田。
あたしは、頷いた。
原田のくせに、と。
6
「おい、もう閑古鳥か?」
源さんは入ってくるなり、けたけたと笑った。
「ひまでちゅねー」と楽さん大志くんに頬ずりし、がははと笑う。
「商売の才覚がないんだな」と亀さんが続き、しんがりの吾郎さんが「俺を見習うんだな」と片腹痛いことを言う。
つまり、ありきは日常を取り戻していた。
女子学生で溢れかえっていたのは、せいぜい3日。
「なんか、ロールパンで恋が叶うってテレビでやってたらしくて」
我ながら言い訳めいているけれど、実際ここ最近パン屋の『ラ・ムール』は朝からごった返していた。
ごっそりお客を奪われたんだ。
というより、女子学生の流行り廃りは目まぐるしい。
「いいんですよ、あんまり忙しいのも困るし」
あんこを差しながら言うと「ちゅよがりでちゅねー」と楽さんがからかう。
「でもよ、揉みじやの由梨、結婚だってな」
ここ大丸商店街、1番の情報通の源さんは、高橋さんのスペックを事細かに説明する。
いったい、血液型までどこから仕入れるのか。
半ば呆れながら鉄板をふたすると、お店の前を美代ちゃんが通り過ぎていく。
その隣には、同じ年頃の男の子が歩いていた。
仲睦まじいその姿に、ちょっとでも僕のたい焼きが役立ったのかな?と誇らしい気持ちになる。
でも案外、おまじないとかじゃなく、2人で並んで仲良く食べただけかも。
温かいたい焼きは、心が重なり合うものだから__。
第3章
『天然と養殖』
1
「やられたぜ‼︎」
入ってくるなり、源さんが毒づいた。今にも椅子を蹴り飛ばしそうな勢いだ。
「俺のところも、こないだやられたばっかりだ」
亀さんも険しい顔で腕組みをしており、うんうんと頷いている吾郎さんはたぶん、まだ被害に遭ってはいない。
「俺もおちおち、こいつ連れて歩いてらんねーよ」
楽さんが、眠っている大志くんを見つめる。
ここしばらく、大丸商店街は殺伐とした空気に包まれていた。
「おめーとこはどうだ?」
熱いお茶を啜り、少し落ち着きを取り戻した様子の源さんが、僕に尋ねてくる。
「うちはまだ大丈夫です。ゴミは持って帰るようにしてるし」
丁寧に答えたつもりなのに、全く興味ないのか4人は早くも対策を話し合っている。
「捕まえることできねーのか?」
楽さんが声をひそめる。
「俺はよ、コロッケやろうとしたんだ。そしたら唸りやがって」
「俺もりんごやったら、噛みついてきたんだ」
源さんと亀さんは、心外だとでも言うように怒っている。
「俺だって煎餅やったけど、知らん顔だった」
同じように怒っている吾郎さんだが、それはちょっと違うような気がするけど__。
「俺も刺身やろうとしたら、吠えやがってよ」
楽さんが締めくくる。
つまり、全員が『コロ』に餌をやろうとしたらしい。
『コロ』は団子屋『みかど』の看板犬だった。
確かに懐く犬ではなかったけど、この商店街では誰もがよく知っている。
毛並みのいい芝犬はでも、見る影もないくらい薄汚れ、お店のゴミというゴミを食い漁っていたんだ。
商店街の中で唯一、観音様がおさまっている神社の敷地内にお店を構えていた『みかど』は、みたらし団子専門だった。
「みたらし」と「やじろ」の2種類のみ。
「みたらし」は、もち米を丸くしたもので、みかどはさらにそれを平たく潰してある。「やじろ」は細長くて四角い形をしたもので、そのどちらもとても柔らかく、薄めの蜜が絡みついていた。
観音様をお参りしたあと、必ずといっていいほどこのみたらし団子を食べるのが習わしというくらい、定着していたんだ。
ついこの間までは__。
「このままじゃ、保健所に連絡されんじゃねーか?」
楽さんが眉を寄せる。
大志くんの安全を思うなら、どうしてそんなに心配そうな顔をするのか?
「それがよ、もう通報した店が何件かあるらしい。ゴミを漁ってる野犬がいて困ってるってな」
「でもコロだろ?」と、亀さんが源さんを睨んでいる。
噛みつかれそうになって怒っていたのに?
「なんとか、なんないのか?」と吾郎さんが出来上がったたい焼きを見つめて言った。
要は、みんな気にかけてるんだ。
野犬になってしまった、コロのことを__。
【1丁焼き】の鉄板は、ずしりと重い。
フタを開け、ちゃっきりで生地を落とす。ほんの数滴、腹の辺りに。
量産型とは違い、生地はそれほど広がらない。
早めに何度もひっくり返すため、緩いと垂れ落ちてしまう。それは固めに焼き上げるためでもあり、粉を強めに配合してある。
あんこは、同じもので大丈夫だ。
甘味が少なく、それでいて水っぽくない、ありきのあんこ。
実は、あんこそのものが苦手だというひとに、ありきのたい焼きは好んで食べてもらえていた。しかも、2枚はぺろりとイケる。
ただ、あんさしで差し込むわけにはいかない。細長いへらで形を作り、生地に押し込んで広げていく。その上に再び、ちゃっきりで生地を落とす。
すぐに蓋をし、火にかける。
1丁焼きの焼き方は、煎餅に似ていた。
吾郎さんも、流れる汗を拭うことなく、長い菜箸で煎餅をひっくり返している。適当に挟み込んでいるようで、どれを返せばいいのか体に染み込んでいるんだ。
焼いている時の吾郎さんは、凛々しくてカッコいい。
あくまで、焼いている時の吾郎さんは。
細かくひっくり返して、じっくりと焼き上げていく。
量産型とは違い、1枚1枚と向き合っている、そんな感覚だった。
昔はどれも、1丁焼きだった。
重たい鉄板をくるくるとひっくり返し、その時に聞こえる音が、がしゃんがしゃんと響き渡っていたものだ。
1丁焼きはどれも『天然』と呼ばれ、親しまれていた。
それがいつからだろう?
一気にたくさん焼ける、量産型の鉄板が出回り始めた。
世間の移り変わりにともない、たい焼きの焼き方もシフトチェンジしていく。
今となっては、1枚ずつ手焼きをしているほうが珍しい。
特に今は、変わり種のたい焼きで溢れている。
カスタードなんてのはその代表格で、チョコレートや栗、季節に応じて中の餡を変えるのが一般的だ。
『こないだよ、たい焼きの中にしらすが入っててよ。ツバ吐きかけてやったぜ』
と、とても同じ食べ物を扱っているとは思えない源さんの発言だが、それらを1枚焼きで焼くわけにはいかない。
だから余計に希少価値が高まり、量産型は『養殖』と揶揄されるようになった。
僕からしたら、味はさほど変わらない。
多少、出来上がりのかたさが違うが、そもそも生地が違う。
ぱりぱりか、1日経ってもしっとりしているか、それぞれの特徴があって面白いんじゃないかな?
そうこうしているうちに、焼きあがった。
食べれば時代を遡ることも、進むこともできるたい焼きが。
お客さんはいない。
食べるのは__僕だからだ。
「うーっ、寒」
マフラーを鼻先にまで上げ、僕は自転車にまたがる。
商店街はもう、半分以上がシャッターを下げていた。
今からは提灯の出番だ。
陽気な歌声が聞こえてくるのはスナック『綾乃』だろうか。これだけ寒いと人通りもなく、僕はアーケードを突っ切って、行き止まりに着くと自転車を下りた。
ライトアップされた、風神雷神が出迎えてくれる。
その向こうには、日本三代観音の一つが威風堂々と佇んでいた。
他の二つの観音様とは比べものにはならないけれど、ちゃんと五重の塔だってある。遠方からの参拝客も最近は多くなってきた。
自転車を引いて、境内に入る。
お賽銭はいつも5円だ。
『今日も無事に終わりました。明日も良いご縁がありますように』
両手を合わせ、しっかりと感謝をする。
これが僕の日課であり、1日の締めくくりだった。
「よしっ」
明日も頑張ろうと気合を入れ、立てかけてあった自転車に__?
僕は足を止めた。
なにかが聞こえる。
不穏な、唸り声が__。
暗がりからぬっと現れたのは、犬だった。
すぐにコロだと分かったけれど、低く唸る芝犬はいきなり飛びかかってきた!