妹尾は、途中で真剣に脱落を考えた瞬間が何度かあった。だがそんな時は、ここに派遣される直前に、すでにジャングル訓練修了済の隊員から受けたアドバイスを思い出した。
「いいかセナ。あと何キロ歩かなくてはならないという風に考えたらアウトだぞ。なんせ百メートル進むのだって並じゃない世界だからな」
「では、どうする?」
「時間で考えるんだ。あと何分で休憩だ、あと何時間で飯だ、あと何日で終わりだっていう風にな。時間は必ず過ぎていく。三日過ぎれば訓練は終わる。その時は必ずやってくるんだからな」
実際、このアドバイスは役に立った。どうなろうが、時間は過ぎて終わりの時はやってくる。この地獄にも終わりはある。そんな風に考えながら一歩一歩を踏み出していった。そしてどうにか落後することなく訓練をやり抜くことができた。
ところで、そんな過酷を極めるジャングル訓練でさえ、鼻歌混じりに余裕を持ってこなす化け物じみた隊員も珍しくなかった。
「セナよ、全くきついよなぁ、おい」「地獄へようこそ、セナ」などと軽口を叩きながら、すいすいと妹尾を追い越して行く彼らの表情は、言葉とは裏腹に余裕たっぷりで、まるでこの試練を心から楽しんでいるように見えた。
一体、こいつら何なんだ・・・到底同じ人間とは思えない。
度肝を抜かれた妹尾は、この時、高いレベルにある兵士の底知れぬ能力を目の当たりにして初めて畏怖の念を抱いた。これが世界最高峰レベルの軍隊の実力なのだ。そして謙虚な気持ちを思い出すとともに、嬉しさが込み上げてきた。こんな連中に囲まれていれば、自分の兵士としての能力だって嫌でも伸びざるを得ないだろう。やはりここにきたのは正解だった。
外人部隊に入隊して一年が過ぎようとしていた1982年、妹尾は初めて実戦を経験した。
非常呼集で集められた隊員たちを前にして、中隊長が「これは訓練ではない」と言った時、隊員たちの間を、緊張感と同時に歓喜の感覚が駆け巡った。すべての隊員がこの時を待っていたのだ。一歩間違えば死亡する実戦に出ようというにも関わらず、誰一人悲壮感を漂わせる者は見当たらない。むしろ期待と興奮でそわそわするその姿は、まるで遠足を翌日に控えた小学生のようだった。
これが人生初の実戦となる妹尾とて気持ちは同じだった。必要となる武器、弾薬を輸送トラックに運び込みながら、はやる気持ちを抑えられなかった。
1975年から続くレバノン内戦。82年、イスラエル軍がレバノンの首都ベイルートに侵攻。アラファト議長率いるPLОの拠点へ攻撃をしかけた。
数日後にはイスラエルが南レバノン地域をほぼ制圧し、PLO部隊はチェニジアへの撤退を余儀なくされる。
その後、現地に取り残されたパレスチナ難民の安全保障を名目に多国籍軍が派遣され、その一部としてフランスも参加。国連監視軍第一陣に妹尾たち第2落下傘連隊も加わっていた。
任務はあくまで敵との戦闘ではなく監視であり、結果的に銃弾が飛び交うことはなかったが、妹尾は燻る紛争地域特有のひりひりするような緊張感の中に、実戦の醍醐味を味わった。
軍用トラックで、瓦礫と化したレバノン南部をパトロールしている時、反イスラエルを掲げた民衆のデモを目撃し、彼らの日常生活と死との距離感の無さに衝撃を受けた。
その光景は、戦場においてある種の非現実性を帯びて見えた。イスラエル軍によって設置された無数の地雷が埋まる立ち入り禁止区域で、ぼろぼろの身なりの民衆が、音の割れたラジカセから流れる音楽に合わせて踊っているのだ。中には片足のない難民の姿もあった。命を賭けて戦争に抗議する人々の姿は、妹尾の脳裏に焼き付いた。
「いいかセナ。あと何キロ歩かなくてはならないという風に考えたらアウトだぞ。なんせ百メートル進むのだって並じゃない世界だからな」
「では、どうする?」
「時間で考えるんだ。あと何分で休憩だ、あと何時間で飯だ、あと何日で終わりだっていう風にな。時間は必ず過ぎていく。三日過ぎれば訓練は終わる。その時は必ずやってくるんだからな」
実際、このアドバイスは役に立った。どうなろうが、時間は過ぎて終わりの時はやってくる。この地獄にも終わりはある。そんな風に考えながら一歩一歩を踏み出していった。そしてどうにか落後することなく訓練をやり抜くことができた。
ところで、そんな過酷を極めるジャングル訓練でさえ、鼻歌混じりに余裕を持ってこなす化け物じみた隊員も珍しくなかった。
「セナよ、全くきついよなぁ、おい」「地獄へようこそ、セナ」などと軽口を叩きながら、すいすいと妹尾を追い越して行く彼らの表情は、言葉とは裏腹に余裕たっぷりで、まるでこの試練を心から楽しんでいるように見えた。
一体、こいつら何なんだ・・・到底同じ人間とは思えない。
度肝を抜かれた妹尾は、この時、高いレベルにある兵士の底知れぬ能力を目の当たりにして初めて畏怖の念を抱いた。これが世界最高峰レベルの軍隊の実力なのだ。そして謙虚な気持ちを思い出すとともに、嬉しさが込み上げてきた。こんな連中に囲まれていれば、自分の兵士としての能力だって嫌でも伸びざるを得ないだろう。やはりここにきたのは正解だった。
外人部隊に入隊して一年が過ぎようとしていた1982年、妹尾は初めて実戦を経験した。
非常呼集で集められた隊員たちを前にして、中隊長が「これは訓練ではない」と言った時、隊員たちの間を、緊張感と同時に歓喜の感覚が駆け巡った。すべての隊員がこの時を待っていたのだ。一歩間違えば死亡する実戦に出ようというにも関わらず、誰一人悲壮感を漂わせる者は見当たらない。むしろ期待と興奮でそわそわするその姿は、まるで遠足を翌日に控えた小学生のようだった。
これが人生初の実戦となる妹尾とて気持ちは同じだった。必要となる武器、弾薬を輸送トラックに運び込みながら、はやる気持ちを抑えられなかった。
1975年から続くレバノン内戦。82年、イスラエル軍がレバノンの首都ベイルートに侵攻。アラファト議長率いるPLОの拠点へ攻撃をしかけた。
数日後にはイスラエルが南レバノン地域をほぼ制圧し、PLO部隊はチェニジアへの撤退を余儀なくされる。
その後、現地に取り残されたパレスチナ難民の安全保障を名目に多国籍軍が派遣され、その一部としてフランスも参加。国連監視軍第一陣に妹尾たち第2落下傘連隊も加わっていた。
任務はあくまで敵との戦闘ではなく監視であり、結果的に銃弾が飛び交うことはなかったが、妹尾は燻る紛争地域特有のひりひりするような緊張感の中に、実戦の醍醐味を味わった。
軍用トラックで、瓦礫と化したレバノン南部をパトロールしている時、反イスラエルを掲げた民衆のデモを目撃し、彼らの日常生活と死との距離感の無さに衝撃を受けた。
その光景は、戦場においてある種の非現実性を帯びて見えた。イスラエル軍によって設置された無数の地雷が埋まる立ち入り禁止区域で、ぼろぼろの身なりの民衆が、音の割れたラジカセから流れる音楽に合わせて踊っているのだ。中には片足のない難民の姿もあった。命を賭けて戦争に抗議する人々の姿は、妹尾の脳裏に焼き付いた。