かつてフランス国王ルイ・フィリップの命によって、自国の兵力損耗を避けるべく、他国の傭兵で組織された部隊が発足したのがその始まりとなる。
世界各国から集まった犯罪人や逃亡者らによるならず者集団といったイメージが付いて回った時代もあった。だが外人部隊は列記としたフランス陸軍の部隊であり、現在は入隊時に過去の犯罪歴などもしっかり調査される。
隊員の比率も、入隊時に他国籍を取得するため外国人扱いではあるが、実際フランス人が半数近くの割合を占めている。
長い歴史において世界各地の戦場を転戦する中で磨かれていった技量は、今やフランス軍随一といって過言ではない。
そんな精鋭部隊たる外人部隊に入隊し、自衛官時代にはかなわなかった本物の戦争を経験したい。実戦という、究極の修羅場を潜り抜けてこそ到達できる境地がある。そう信じて疑わなかった当時の妹尾は、入隊試験を受けるべく、マルセイユ近郊にあるオバーニュ基地の門をくぐるのに一切の躊躇もなかった。
第1空挺団での厳しい訓練を日常としてきた妹尾は、外人部隊第1連隊での三週間に及ぶ試験を、楽々と余裕を持ってパスした。その後、第4連隊で四か月に渡る新兵訓練を受けた。その厳しさはつとに有名だが、妹尾にとっては困難に感じるレベルのものではなかった。
外人部隊の志願者は、本物の兵士又は兵士候補の者と、人生の落後者とでもいうべき者に二分されていた。当然、前者である妹尾は、満足に懸垂もできないような連中が、はるばるフランスまで何をしに来たのだろう?と首を傾げた。同時に、ほとんど人生を捨てる覚悟でこの場に臨んでいる自分は、外人部隊という響きが喚起するイメージに幻想を抱き、大げさに構え過ぎていたかと拍子抜けする思いだった。
だが、妹尾同様に入隊試験を楽々とパスしてくる連中をみると、そんな考えも自ずと消えた。すでに自国の軍隊で戦闘に参加した経験のある者も大勢いた。そんな本物の連中と肩を並べて戦地に向かう将来の自分を想像しながら、妹尾は武者震いする思いだった。
大佐相手の面接は、英語又はフランス語で行われるが、妹尾はあえてフランス語で臨んだ。英語ならばまず問題なく受け答えできる。だがここは、自衛官の頃より語学学校に通って習得したフランス語を敢えて選択することで、自分の存在をアピールしたい狙いもあった。外人部隊内で使われるのはフランス語だが、日本人をはじめ特にアジア圏の兵士が入隊後に苦戦するのもその点だという。
そんな中、面接の段階から、流暢とはいえないながらもフランス語でしゃべる妹尾は、狙い通り面接官に好印象を残した。第1空挺団という職歴も大きなアドバンテージとなって、結果、妹尾は希望通り第2外人落下傘連隊(ドゥジエム・レップ)への配属を勝ち取った。全世界の軍隊レベルにおいても勇名を馳せるエリート部隊での日々が始まった。

外人部隊に入隊した者は基本的に偽名を与えられる。この日より除隊するまでの期間、妹尾は「セナ・タトゥーロ」という新しい名前で過ごすことになった。
自ら話さない限り過去を詮索しないのが、隊員間では暗黙のルールになっている。過去を問われず、新たな名前を与えられる外人部隊に、第二の人生を求めてやってくる男たちが後を絶たないのも道理である。
コルシカ島カルヴィに本部を置く第2外人落下傘連隊は、あらゆる紛争地にいち早く降下する精鋭集団で、その勇猛果敢さは世界中の軍隊からも一目置かれる存在である。
ここに配属される兵士は、妹尾がそうであるように、外人部隊内でも特に体力面に優れた者たちがほとんどである。選ばれし者、生まれながらの兵士、戦闘こそわが人生、戦って死ね等々、彼らが胸に秘めるモットーは様々だが、いずれの隊員も、俺ならやり遂げられるという自負を持っている点で共通している。