妹尾は、日本海沿いを走る特急で北に向かっていた。
乗車する前に上野駅から、唐島興行の社長に電話を入れた。
「ターゲットの居場所を確定いたしましたので、これから向かいます」
「おお、あんたか。連絡待ってたよ。時間かかったじゃない」
いや、これでも十分早い方だが。
「はい、すみません。あと一週間ほどで万事、片をつけますので」
「そんなにかかるの?」
「ええ・・・御社に迷惑がかからないよう慎重を期そうと思いまして。潜伏先にこれから特急で向かうところです」
「あ、そおなの。遠くに隠れてやがんのか」
「ええ、日本海側の名もない小さな町に」
「へぇ、まぁ分かったわ。じゃぁ、片付き次第、連絡くれやな。よろしく」
「そんなにかかるの」とはずいぶん勝手をいってくれる。だがほとんどの依頼人はこんなものだ。あらかじめ玉砕を覚悟したヤクザの鉄砲玉ならいざ知らず、こちらはプロなのだ。己の安全はもちろん、直接、依頼人につながるような痕跡を残さずに仕事を完遂するのは、素人が想像するよりもはるかに難しく、準備にも時間がかかる。
さらに、例え入念に計画を練って臨んだとしても、滞りなく事が運ぶことなどめったにない。不確定要素によって計画変更を余儀なくされるのが普通だ。そんな時に臨機応変に行動できるかどうか。そこがプロとしての腕の見せ所でもある。
今回に関していえば、ターゲットが一人で隠れて身を潜めているわけではなく、他者と生活を共にし、働いてさえいるというのが気にかかる。殺害後に遺体をカメラで撮影しなければならないことを考えると、ケン・オルブライトが一人きりでいる時間帯の確定と状況の確保、その二つが鍵になりそうだ。

週末とはいえ、妹尾の乗る下り方面の特急に乗客の姿はまばらだった。
膝の上に乗せた二重底のバッグの中にはカメラ一式と、さらに小さなバッグが入っていた。昨夜、瞬時にして三人の人間が死体となった殺戮現場からとっさに持ち帰ったそのバッグの中には、現金四千五百万が詰まっている。その存在が妹尾に、あらためて栗岩の死を思い出させた。
栗岩の唐突な死は、妹尾の中に芽生えつつあった中途半端な希望を軽々と打ち砕いた。今回の掃除が終わったら、ナマズ料理でもつつきながら、その時こそ栗岩に洗いざらい全てを聞いてもらおうと思っていた。そこから新たなスタートが切れるのではないかと期待した。だがその相手はもういない。
そんな無慈悲な現実に直面したおかげで、妹尾はむしろ吹っ切れた気分だった。昨夜までは、これを最後に堅気の道を歩もうなどと考えていたが、やはり無理なようだ。自分には、どうしたって死の匂いが付いて回る、そんな宿命にあるらしい。
ならば気持ちを切り替えて、請け負った仕事を遂行するだけだ。いつもの掃除と何ら変わることなく、標的のアメリカ人に確実なる死をお見舞いするのみ。
掃除屋稼業を始める以前、自衛隊を辞めて入隊したフランス外人部隊での日々において、妹尾はすでに強烈な死というものを経験していた。その死は、紙一重の差でたまたま妹尾の身には起こらなかったが、飽くなき強さの追求と自己肯定の塊だった生き方を一変させたといえる。
仮にあの経験がなければ、目標を失って社会の裏側を歩むほどには落ちぶれてはいなかったはずだ。

1981年の春。自衛隊を除隊した妹尾は、外人部隊に入隊すべくほとんど間を置かずにフランスに飛んだ。
十九世紀の創設から百五十年以上の歴史を誇るフランス外人部隊は国籍、人種、言語、宗教を問わず十八歳以上の健常な男性なら誰でも入隊試験に挑戦することができる。