昼下がりの「ゲルニカの木」に、ほとんど客の姿がないことは珍しくない。田舎の喫茶店ではありふれた光景である。
そんな、店を手伝う必要のない時の舞子は、自分の部屋にこもって本を読んだり、音楽を聴いたり、たまに電車に乗って町に買い物に行ったりして、のんびりと過ごしていた。
傍から見れば、結構なご身分だと嫌みの一つも言いたくなるかもしれない。店の手伝いをしつつ、こうしてマイペースで不自由なく暮らせるのがどれほど恵まれているかということは、言われなくとも舞子自身が誰よりも分かっていた。
一方で、ゆったりとした時間を過ごしている時ほど、舞子の心の中では焦燥感が渦巻いているのもまた事実だった。
東京での仕事に幻滅して地元に帰ってきてから、もう半年が過ぎてしまった。こんな気の抜けた生活をいつまでも続けるわけにはいかない。人生を変える何かのきっかけが欲しい。きっかけさえあれば・・・。
そう思いつつも、変わらぬ日常の心地よさについ安住してしまい、次なる一歩が踏み出せずにいる。心のリハビリはもう十分のはずなのに。
女子美時代の友人である田島ことみに、電話で一度相談したこともあった。
「人生変えるきっかけ?あんたねぇ、何ぬるいこと言ってんの。そんなの自分で作るしかないに決まってんじゃん」
手厳しいい言葉が返ってくるだけだった。
「そう・・・だよねぇ」
歳が一つ上だからだろうか。学生の頃からことみの言葉だけは、なぜか素直に聞ける舞子だったが、それでも止まったままの自分にエンジンをかけるまでには至らなかった。
悦子は、そんなわが子の気持ちを理解しているからこそ、心配しつつも舞子に何を言うでもなく、こうしたモラトリアム期間の延長を許している。
天ヶ浜に戻ってしばらく経った頃、舞子は地元スーパーのレジ打ちのパートに応募しようと履歴書を書いたことがあった。
それをみて悦子は「だったらうちの店手伝いなさいよ」と声をかけた。人手が欲しいほど「ゲルニカの木」が忙しいわけではない。だが、職業に貴賎なしとはいえ、舞子が田舎のスーパー勤めで満足するタイプでないことを悦子は承知していた。
それならば、始める前から不本意な労働で、無駄に疲弊して夢まですり潰すよりは、じっくり腰をすえて将来を考えた方が有益と思ったからである。
「人生は長距離走よ。四、五年程度のブランクなんて、後から振り返れば何でもないわ」
そう言ってくれる母には感謝してもしきれない。常々そう思っている舞子だが、その気持ちを伝えたことはない。それが簡単にできるほど素直な自分だったら、これまでの人生だってどれだけ楽だったことだろうか。赤の他人には簡単に感謝を伝えることができるくせに、近しい人ほどそれが難しい。本当は一番伝えるべき相手なのに。舞子はいつもそう思っていた。

ケン・オルブライトが井口家に居候するようになって以来、舞子の昼下がりの時間割は如実に変化をみせた。工房に籠ってステンドグラスの制作を始めたのだ。
舞子が照れ臭そうにしながら、作品を作りたいのでステンドグラスの材料を分けて欲しいとお願いしてきた時、悦子は心の底から嬉しかった。
自分の中に燻っているものを作品に投影することで、精神が浄化されて救われた気持ちになる。そうした経験は、芸術家の先輩としてとてもよく分かる。
作品作りにともなう生みの苦しみならば、若いうちからたっぷり味わうべきだと考えている悦子は「いいわよ。材料も工具も好きなだけ使いなさい」と制作のバックアップを請け負った。
「で、テーマは何よ?もう決まってるんでしょ」
「それは機密扱いになってまして」