1994年秋―日本海に面した北の町、天ヶ浜。
この町の港には中・小型船を造る造船所があるため、仕事を求めて多くの労働者が集まってくる。地元の者だけでなく、近隣の町や県から、派遣業者の仲介により入れ代わり立ち代わりやって来る出稼ぎ労働者。他にも韓国や中国などのアジア系外国人、数年前にソビエト連邦が解体され、混乱の渦中にあるロシアからやって来た労働者の姿も見られる。
重機の操縦や、鋼鉄の加工などを担当する専門職の技術者は、造船会社の社員たちだが、オートメーション化が進む造船業において、今なお欠くことのできない労働力として、もっぱら肉体労働に汗を流すのは、こうした臨時雇用の名もなき人々である。
十月に入ってからというもの、ここ天ヶ浜は、夕方ともなればすっかり気温が低くなる。
造船所のゲート付近に建つプレハブの二階は、休憩室と更衣室を兼ねており、ロッカーに、テーブルとパイプ椅子、今朝設置されたばかりの電気ストーブ、あとは灰皿くらいしかない殺風景で薄汚れた空間だった。
一日の労働を終えて一服したり、帰り支度をする労働者たちで混み合い、今日も雑然とした活気にあふれている。
その中の一人、アメリカ人のケン・オルブライトもまた、ほんの一週間前からこの造船所で働き始めた臨時雇いの外国人労働者だ。
造船や、それに近い現場で働いた経験のある者がほとんどを占める中、未経験者のケン・オルブライトも、ようやく仕事に慣れ始めていた。何より三十代を目前にして、体力面ではここで働く誰にも負けない自信があった。その証拠に、寝泊りさせてもらっている居候先から造船所までのおよそ四キロの距離を、ケンはランニングしながら通っているのだ。
労働者たちは、打ち解けようと自ら進んで会話をしたり、お互いのことを詮索したりしない。必要以上に慣れ合うことはなく、それで険悪な雰囲気になるわけでもない。重労働でクタクタな人間にとっては、無駄な気遣いは不要なのだ。
ひたすら体を動かして自分の世界に没頭できる、そんな労働環境をケンは好んでいた。
この町に来てからの日は浅いが、ケンは比較的長く日本にいるので、意思疎通に困らない程度には日本語ができた。造船所では新米だが、一切日本語の分からない外国人労働者に比べて、ケンの仕事の覚えは早かった。
臨時雇いの労働者が多い職場にありがちな、各々が壁を作って勝手に感じる疎外感。そんなものともほとんど無縁だ。
窓の外を見ながら、疎外感と無縁な理由がもう一つ目に留まった。
丸みのあるショートボブの髪を包むように、ニット帽をかぶった若い女性。乗っているマウンテンバイクは、彼女の体格からすると一サイズ大きめだ。
彼女は、門の前で自転車を降りると、寒そうに息をかけて指先を温めながら、帰路につく労働者たちの方をちらちら見て誰かを探している。
その整った目鼻立ちからは、ちょっとだけ気の強そうな印象を受ける。ユニセックスな服装のせいか、女の子らしさはそれほど感じさせないが、誰が見ても文句なしの美人と言える容姿だ。
そのため、労働者からはあからさまにジロジロと見られたり、声をかけられたりもする。ここに通うようになって一週間が経ち、彼女自身、そんなこともあまり気にならなくなっていた。ケンが天ヶ浜に流れ着いたのは、かれこれ半月近く前だ。それ以来世話になっている居候先は、喫茶店を営んでいた。そこに、母と二人で暮らすマウンテンバイクの女性は、ケンにとってかわいい妹のような存在だ。
仕事が終わる頃に、こうして四キロの道のりを毎日迎えに来てくれるのは嬉しいものだ。これで疎外感など感じていたら罰が当たるだろう。
そもそも、俺の心にぽっかり空いた空洞のような喪失感の前では、生ぬるい疎外感の入り込む余地などないのかも知れない。
そして今、俺は大金を必要としている。
ケンが、その理由に思いを巡らせる時、決まって気分は暗く沈んだ。だが行き着く結論はいつも同じだ。落ち込んで陰気になっていても仕方がない。それで金が入ってくるわけではないのだから。そんなことより今日は特に冷え込む。この寒い中、彼女をあまり待たせては可哀そうだ。