妹尾は今回の仕事にドイツのオートマチック拳銃を使うことにした。お気に入りのヘッケラー&コッホ社製P7M8である。
この拳銃は小型で携帯性に優れていることもさることながら、スクイーズコッカーと呼ばれる独自の安全装置を備えており、妹尾はその機構を好んでいた。
通常のオートマチックとは異なり、P7シリーズの安全装置はグリップ前面にある。安全装置は常時オンの状態にあり、グリップを握り込むことで自動的に解除される。そのままシングルアクションの軽いトリガープルで初弾を発射することが可能となる。
暴発を防ぐ安全面からも、初弾の命中精度向上の点からも優れた機構だが、同時に他の銃にはないオリジナルな装置であるため、習熟にはかなりの訓練を必要とする。
妹尾はこの拳銃を、かつてフランスで同じ部隊に所属したドイツ人兵士ユーリ・クラウゼから薦められて使い始めた。妹尾がこれまで出会ったどの兵士よりも射撃の腕前が達者なユーリは、P7M8をはじめ自国ドイツが誇るH&K社製の銃器がいかに優れているかを、よく力説していたものだ。
実際ユーリの言う通り、その安定した性能は軍、警察からの信頼を勝ち取り、八十年代後半から九十年代を通じて、特に特殊部隊が対テロ作戦に使用するサブマシンガンは、ほぼ例外なくH&KのMP5シリーズだった。
妹尾は、左右のダイヤルを回して小さい方の金庫を開けた。上段に置かれた紙箱と、下段に几帳面に並んだ三つの油紙の包みから一つを取り上げると、作業台と呼ぶに相応しい無骨な机の上にそっと置いて、椅子に腰を下ろした。
次にテレビの電源を入れたが、今はまだ消音にしておく。仕事に向けての準備開始である。
油紙の中身は、しっかり油の差された拳銃P7M8だ。仕事道具にメンテナンスを施し、常に完璧な状態を保つのはプロの基本である。こと兵士にとっては、その道具に自分の命を預けることになるため、軍隊でも銃器の分解、組み立て、保守は徹底して指導する。
前回、このP7M8を使用したのは一年以上前になるだろうか?
念のため、分解し必要な部分に油を差し、余分な油分を拭き取ると再度組み立てスライドを動かしてみた。金属製の拳銃ならではの、完璧な部品同士の遊びのない噛み合わせ。その感触に妹尾は、これが見事な工業製品であることを感じて満足を覚える。
次に妹尾は紙箱を開けた。中には使用する9ミリ弾が入っている。五十発入り箱の中に弾丸が三分の二ほど残っていた。
妹尾はそこから五発取り出してテーブルに並べると、一発を弾倉に込め薬室に装填した。
消音にしていたテレビのボリュームを目いっぱい上げると、夜のニュース番組が、ロシアの軍事衛星が近く日本海沖数キロに墜落する見込みであることを告げていた。
ニュースキャスターの声が大音量で響く中、壁に立てかけられた二枚重ねのマットレスに銃口を向け、グリップを握り込むと静かに引き金を引いた。
発射音はテレビの音にかき消されて周囲に漏れることはなかった。仮に漏れたところで、ほとんどいつも無人のこのロフト周辺で、その銃声を気に留める存在がいる可能性はほとんどない。
火薬の匂いが妹尾の鼻腔をかすめた。
今から二十年近くも前、妹尾が自衛官だった頃に初めて体験した射撃直後の火薬の匂い。それは、その後今に至るまで、妹尾の人生について回る亡霊のような存在だったが、妹尾自身がそれを求めてもいた。