陸・海・空軍及び海兵隊のアメリカ四軍中、当時、唯一特殊部隊を保有しないのが海兵隊だった。だが実質的にはフォース・リーコンこそが特殊部隊の役割を果たし、公式、非公式を問わず多くの特殊作戦を実行している。
それを裏付けるように、9・11同時多発テロ以降、アフガン、イラク戦争における特殊部隊の必要性が急増する情勢の中、海兵隊内に正式に特殊部隊MARSOC(後にマリーン・レイダースと改称)が創設されるのだが、その創設に携わった隊員のほとんどがフォース・リーコンのベテラン隊員だった。
フォース・リーコンの隊員になるには七段階に分かれた訓練課程をパスしなければならない。過酷さと難易度は全米軍においても随一と言われるその訓練は、長距離走、腕立て伏せ、懸垂、腹筋、遠泳などフィジカル能力を試される第一段階から、偵察、スキューバダイビング、極地サバイバル訓練、通信、破壊工作、空挺降下、敵地潜入・脱出、医療技術、人質救出と言った具合に、専門性と難度を上げながら進み、最終段階では実戦における作戦行動に参加し、候補生の能力が試される。
リック・オルブライトは今、このエリート部隊の隊員として日々、厳しい訓練と危険な実戦に携わっていた。
さすが俺の兄貴、マイティ・リックだ。俺も負けてはいられない。そんな思いを胸にケンは、新兵としてブートキャンプで基礎訓練に汗を流した。
新兵訓練の日々の中、ケンは兄のかつての言葉を噛みしめていた。孤児院で過ごした日々から学んだ事柄や身に着けた習慣は、軍隊に於ける共同生活の様々な場面で、ことごとく役に立った。おかげで軍人としての規律を叩き込まれる日々が全く苦ではなかった。
周りを見れば、なぜ軍隊に来たのだろうと首を傾げざるを得ない連中がゴロゴロいる。共同生活が苦手で周りと歩調を合わせられない者、行動がいちいちがさつな者。だらしなく身の回りの整理整頓ができない者。基礎体力が全く足りていない者等々。
ケンは訓練の一から十までを、乾いたスポンジのように吸収しながら、兄の助言と孤児院での日々に感謝した。同時に、こう言っては悪いが、こんなレベルの連中といつまでも一緒にはいられない、やはり兄貴の後を追って自分もフォース・リーコンを目指そう。そんな意識が早くもケンの中に芽生え始めていた。
海兵隊員になって二年後、ケンは第三海兵師団歩兵連隊の一隊員として沖縄の米軍基地へ配属となった。
アメリカ中西部の北に位置し、カナダと接する極寒の地ミネソタ州の孤児院で育ったケンにとって、真冬でも温かい沖縄の気候は驚きだった。
日本とアメリカが適度に混在した沖縄特有の文化を楽しみ、気がつけばこの極東の島国のことが、そこに住む人々、歴史や文化も含めて好きになっていた。
ケンは日本人の友人を作ると積極的に日本語での会話に挑戦し、楽しみながら日本語を学んだ。その甲斐あって彼の日本語はメキメキと上達し、それに呼応するかのように日本のことがますます好きになっていった。
自衛隊との合同訓練の後、初めて「ゲルニカの木」を訪れたのもこの頃である。
沖縄の基地に駐留する米軍兵の中には、日本という国に複雑な感情を持っている者も多かった。
俺たちはこの弱小国の子守りをするために母国を離れ、こんな辺境まで来てやっていると言うのに、ここの住人ときたら基地に対する抗議ばかりじゃないか。第二次世界大戦に負け、武器を持たずに戦争を放棄することにした日本から俺たち米軍がいなくなったら、あっという間に北朝鮮や中国に侵略されるだろう。デモに参加している連中はこのことを分かっていない。そんな風に感情を露骨に出す隊員もいる。
それを裏付けるように、9・11同時多発テロ以降、アフガン、イラク戦争における特殊部隊の必要性が急増する情勢の中、海兵隊内に正式に特殊部隊MARSOC(後にマリーン・レイダースと改称)が創設されるのだが、その創設に携わった隊員のほとんどがフォース・リーコンのベテラン隊員だった。
フォース・リーコンの隊員になるには七段階に分かれた訓練課程をパスしなければならない。過酷さと難易度は全米軍においても随一と言われるその訓練は、長距離走、腕立て伏せ、懸垂、腹筋、遠泳などフィジカル能力を試される第一段階から、偵察、スキューバダイビング、極地サバイバル訓練、通信、破壊工作、空挺降下、敵地潜入・脱出、医療技術、人質救出と言った具合に、専門性と難度を上げながら進み、最終段階では実戦における作戦行動に参加し、候補生の能力が試される。
リック・オルブライトは今、このエリート部隊の隊員として日々、厳しい訓練と危険な実戦に携わっていた。
さすが俺の兄貴、マイティ・リックだ。俺も負けてはいられない。そんな思いを胸にケンは、新兵としてブートキャンプで基礎訓練に汗を流した。
新兵訓練の日々の中、ケンは兄のかつての言葉を噛みしめていた。孤児院で過ごした日々から学んだ事柄や身に着けた習慣は、軍隊に於ける共同生活の様々な場面で、ことごとく役に立った。おかげで軍人としての規律を叩き込まれる日々が全く苦ではなかった。
周りを見れば、なぜ軍隊に来たのだろうと首を傾げざるを得ない連中がゴロゴロいる。共同生活が苦手で周りと歩調を合わせられない者、行動がいちいちがさつな者。だらしなく身の回りの整理整頓ができない者。基礎体力が全く足りていない者等々。
ケンは訓練の一から十までを、乾いたスポンジのように吸収しながら、兄の助言と孤児院での日々に感謝した。同時に、こう言っては悪いが、こんなレベルの連中といつまでも一緒にはいられない、やはり兄貴の後を追って自分もフォース・リーコンを目指そう。そんな意識が早くもケンの中に芽生え始めていた。
海兵隊員になって二年後、ケンは第三海兵師団歩兵連隊の一隊員として沖縄の米軍基地へ配属となった。
アメリカ中西部の北に位置し、カナダと接する極寒の地ミネソタ州の孤児院で育ったケンにとって、真冬でも温かい沖縄の気候は驚きだった。
日本とアメリカが適度に混在した沖縄特有の文化を楽しみ、気がつけばこの極東の島国のことが、そこに住む人々、歴史や文化も含めて好きになっていた。
ケンは日本人の友人を作ると積極的に日本語での会話に挑戦し、楽しみながら日本語を学んだ。その甲斐あって彼の日本語はメキメキと上達し、それに呼応するかのように日本のことがますます好きになっていった。
自衛隊との合同訓練の後、初めて「ゲルニカの木」を訪れたのもこの頃である。
沖縄の基地に駐留する米軍兵の中には、日本という国に複雑な感情を持っている者も多かった。
俺たちはこの弱小国の子守りをするために母国を離れ、こんな辺境まで来てやっていると言うのに、ここの住人ときたら基地に対する抗議ばかりじゃないか。第二次世界大戦に負け、武器を持たずに戦争を放棄することにした日本から俺たち米軍がいなくなったら、あっという間に北朝鮮や中国に侵略されるだろう。デモに参加している連中はこのことを分かっていない。そんな風に感情を露骨に出す隊員もいる。