そのうち、学校から帰った舞子もその場に加わるようになった。
彼女らと過ごす時間は、海兵隊員であるケンの生活の中には、ほとんどあり得ない類のものだった。異国の片田舎で、出会って間もない日本人と会話を楽しむ自分の姿など、これまで想像もつかなかった。この状況が少し非現実的に感じられる程だった。
やはりこの空間だけは、フェスティバルのマジックが続いているようだ。

「いつも沖縄います。USマリーンね」
「マリーンって?」
舞子が聞いた。
「日本語でカイヘイ・・・タイ?」
「海兵隊?へぇ、ケンさん兵隊さんなんだ」
ケンが沖縄に駐留する米軍海兵隊員であることを、母娘は知った。訓練に励み、いつか精鋭部隊に志願したいと、希望に満ちた表情でケンは語った。
「怖くないの?」
そう聞く舞子に対し、ケンはこともなげに言った
「マリーン・コーはナンバーワン。一番だから。怖いものないのですよぉ」
今なら間違っても口にしない言葉である。だが実戦経験もなく、戦争の恐ろしさを知る由もないこの時のケンは、自分の言葉を信じて疑わなかった。
「この人、こんな田舎で喫茶店なんかやってるけどね。実は芸術家なの。アーティスト」母親を指さしながら舞子は言った。
「はい、ここのステンドグラス造った。それを聞きました。スゴイね」
「ステンドグラス売るだけじゃなくて、教えてもいるの」
「ゲルニカの木」の定休日である毎週日曜日、悦子は近くの市まで電車で通い、駅前のカルチャースクールでステンドグラス教室を開催しているという。
「作品集も出してるし、結構売れるんだよ。依頼を受けて大きいの作る時なんかは、臨時休業で工房に籠りっぱなし」
ケンに悦子の作品集を手渡す舞子の表情は、そんな母を心から誇りに思っているようだった。
その世界では十分に認知されているステンドグラス作家、井口悦子。
失礼ながら「ゲルニカの木」は繁盛している様には見えず、彼女はどうやって収入を得て生活しているのかと、ケンも不思議に思っていたが、これで謎が解けた。
住居兼職場のこの家は、二、三階が居住スペースとなっている。一階の奥には喫茶店と壁を隔ててステンドグラス工房があり、グラインダーやハンドソー、ガラスカッターなど大小様々な専門道具が、色とりどりのガラス板などと一緒に並んでいた。レジ横のスペースに、数千円で売られている小さなステンドグラスも悦子の作品だ。
「そう言うあなただって芸術家志望でしょ」
悦子の表情からも、その道を選んだわが子を応援する母の優しさが滲み出ていた。
「毎日デッサン、デッサンで・・・青春って何?って感じですけどね」
デッサン用の木炭で黒くなった爪の隙間をいじりながら、むくれてみせる舞子だが、放課後の美術室でデッサンに明け暮れる日々は、周りの学生が参考書片手に数式と格闘しているのに比べれば、はるかにましだと思っていた。
昔から仲間内で群れるのが嫌いな一匹狼気質の舞子は、美術部には所属しておらず部員からも距離を置いていた。そんな舞子のことを、わざと聞こえるように「居候」と呼ぶ部員もいたが、彼女は気にしなかった。来年の春には東京五美術大学のいずれか・・・できれば母の母校でもある女子美術大学に入学して、こんな所でくすぶってるあんた達とはお別れよ、と心の中で繰り返すのだった。