「さてと、上りますか」
舞子はお面を額の上に斜め掛けにしてケンを見た。
「OK。舞、なんならピギーバックで行く?」
「なあに、ピギーバックって」
「あぁ、えーっと、こうやって後ろに・・・」
ケンは、人を背中に背負う身振りをした。
「ああ、おんぶ。どうせならお姫様抱っこがいいなぁ」
「おひめ・・それ何ですかぁ?」
「へへ、何でもない。いいから行こう」

石段は幅が四メートル近くもあるため、ゆったりとしており、中央にはステンレス製の手すりが設けられていた。
ルールで決められているわけでもないのに、一様に左側通行で石段を登ってゆく人々。ケンもそれに倣って舞子と一緒に左側を歩きながら、改めて日本人の生真面目さを感じた。これがアメリカなら、みんな好き放題に歩いただろう。
だが、日本人のこうした協調性ゆえに奉納祭は、祭りでありながらアメリカの陽気なバカ騒ぎとは別種の、おごそかで神秘的なムードが漂っているように感じられる。ケンにとって、単なる異国情緒以上のものを意味するそうしたフィーリングは、石段の両脇に吊り下げられた赤い提灯が演出する非日常性によっていや増した。
日が暮れて提灯の明かりが灯る頃になると、石段はますます幻想性を帯びる。海岸の防波堤からは、山肌を走る赤い光の二本線に見え、入り口から山頂を臨むと、まさに天に続く光の階段のように見える。
二八六段を上りきった先にあるのは、それほど広くない境内だが、それ以上の何か、異世界が開けているのではないかといった幻想を抱かせるに十分な美しさだった。
ケンはその光景に、幻の町の現出を確信した。かつて軍用トラックの荷台から眺めたあの、白昼夢のような町とは趣を異にするが、その時に感じた得体の知れない憧れのような感情が、今再び湧き起こり、そのことが嬉しくて仕方なかった。
俺は今、ありはしないと諦めていた幻の町の真っ只中にいる。あの場所に帰ってきたのだ。この瞬間が永遠に続いて欲しい。リックや仲間たちにはすまないが、この地で新たな人生を歩み始めたい。どうか許してくれ、とそう願った。
ほとんど同時に、俺はマヌケか、何を軟弱なことを考えているんだ、とそんな自己嫌悪が湧き上がり、初めの希望を塗りつぶすのだった。

石段の中腹に一ヶ所、平らに開けた広めの踊り場があった。八メートル四方のそこは、普段は参拝者が一服するための場所だったが、今日は露店が出ており、祭りの雰囲気を盛り上げるのに一役買っていた。神社の境内における出店は禁止されているため、何かを買うならここが最後の場所となる。
「ケンさん、お腹空かない?」
「そう、空いたねぇ」
「そしたら、たこ焼き食べようか。知らないでしょ、たこ焼き」
「そう、知らないね」
「これを食べなくちゃ、日本のお祭りを経験したことにはならないよ」
そんな舞子の言葉も聞こえないかのようにケンは、的屋のおやじが器用な手つきでたこ焼きをひっくり返すのを興味深そうに眺めていた。
「いい匂い。おいしそう。面白いね」
ケンの言葉に、おやじは思わず顔をほころばせて言った。
「お、兄さん外人さん?うまいよ、これ。美人の彼女と食べたらなおさらだ」
「そうねぇ・・・」
そう言いながら、ケンは申し訳なさそうに舞子の方を見た。
「二つ、下さいな」
舞子は、笑いながら支払いをすませた。
「お、彼女のおごりか、だったらおまけしなくちゃね」
「え、いいんですか?いぇ~い、やったー」
「美人だから特別だよ。二つで六百円」