奉納祭が本番を迎える日曜日は晴天に恵まれた。昨日は、昼頃まで雨天に見舞われたため祭りも賑わいを欠いたが、その分まで取り返そうとするかのように、今日の天ヶ浜は朝から活気に満ちていた。祭り特有の浮かれたムードが町全体をすっぽりと覆っており、年に一度だけ姿を変える天ヶ浜がそこにあった。

カルチャースクールがあるため、一時間後には出勤しなければならない悦子だが、舞子の頼みで浴衣の着付けを手伝っていた。数年前、高校三年生の舞子のために悦子が用意した秋浴衣は、ワインレッドの深く落ち着いた色合いだった。半襟には一見そうとは分からないが繊細な刺繍が施されている。幾何学模様の帯は程よいアクセントになっており、巾着や下駄も帯に合わせた色使いがなされている。
「蝶結びなら、あなた一人でできるんじゃない?」
姿見の前に舞子を立たせて、帯を締めながら悦子は言った。
「あー、無理むり。かわいい一人娘の晴れ舞台なんだから、しっかりお願いしますよ」
「ったく、調子いいわね。出るんだか出ないんだかハッキリしなかったくせに。今年は手伝ってあげるけど、そろそろ自分一人で出来るようになりなさい」
「はぁい」
気の抜けた返事を返しながら、舞子はふくれっ面でおどけてみせた。
「やれやれ。まるで覚える気ないな、こいつ」
「ちょっとちょっと。それよりさ、自分で言うのもなんですけど、わたしったら、かなりいけてない?」
姿見に映る舞子の美しさは、自分でもここ数年見たことのない輝きを放っていた。
「そりゃ、あなた。私の娘ですもの」
「あ、そうきたわね」
「冗談でなく。あなたほんとに美人よ。ケンさんも喜ぶんじゃない?」
「いや、そんなことは別にどうでもいいんですけどね」
照れ臭い時ほど、そっけなく言い捨てるのはいつものことだ。
「かんざしはこれにしなさい」
そう言って悦子が小箱から取り出したのは、透明なガラスの中に色彩の複雑な模様が浮かぶ、繊細で美しい逸品だった。
「へぇ、きれい」
「トンボ玉。私が昔使ってたの」
「え、かあさんが?」
「ええ。私が造ったのよ」
母の手から生まれたトンボ玉のかんざしが、時を経て受け継がれ、今夜、娘と共に天懇献呈の儀の舞台に立つ。その事実に、悦子は大きな満足感を覚えた。
「さてと、どうやら大丈夫ね。夜は冷えるから羽織、忘れちゃだめよ」
着付けを終えて、悦子はほっと一息ついた。
「ところで、ケンさんとは何時に出かけるの?」
「え?決めてないけど。あんまり早く出て、この格好で歩き回っても疲れちゃうしな」
「そう。まぁ、緊張しないで楽しんできなさいね」
「うん、これが自分でもびっくりなんだけど、全く緊張してないの。献呈の儀って見たことないからよく知らないけど、所詮は田舎の祭りだしさ。十二遣徒だって十二人もいる中の一人だからね」
舞子が緊張してないというのは本当だった。むしろその前のケンとのデートの方がちょっと心配だった。
ケンが天ヶ浜にきて三週間ほどが経つが、仕事を終えたケンをマウンテンバイクで迎えに行って一緒に帰ってくる以外で、ケンと二人の時間を過ごすのは初めてだ。しかも今回はれっきとしたデートである。何を話せば良いのやら、間が持たなくなったらどうしようと、心配事はたくさんある。