翌日。奉納祭初日を明後日に控えた木曜日。祭りの準備が本格的に始まり、天ヶ浜の町は活気を帯び始めていた。
大学に進学し十八歳で上京した舞子にとって、奉納祭は数年振りだったが、このわくわくと時めくような感覚は昔と変わらない。子供の頃は、お祭りシーズンの到来が待ち遠しくて仕方がなかった。
一年に一度、天ヶ浜が奉納祭に向けて徐々に装いを変えてゆく十月の下旬。通りの至る所に真っ赤な提灯が連なり、裏山の神社へと続く長い石段の付近では、的屋衆が屋台の設営を始める。見慣れた景色や場が、非日常的な祝祭空間へと変化してゆく様子に心躍らせながら、言いようのない期待感を抱いたものだった。
そんな数日間が楽しくて仕方なかった幼い舞子は「一年中お祭りだったら楽しいのにな」と、よく言ったものだが、それを聞いた悦子は「年に一度きりだから楽しいのよ。毎日お祭りだったらきっと飽きちゃうんじゃない」と答えたのだった。
当時は母の言っている意味が全く分からなかったが、今の舞子には理解できる。田島ことみにも言われたな、大学時代だって期限付きだからこそ楽しかったって。何事も終わりがあるからこそ、愛おしく感じるのだ。
地元の祭りを愛する舞子だったが、中学から高校の六年間は奉納祭に出かけることはなかった。顔見知りの同級生に会うのが嫌だったのだ。高三の時には、そんな舞子を見かねた悦子が秋向けの大人っぽい浴衣を買ってくれた。
「あなたも来年からは東京暮らしなんだから。奉納祭にも行けなくなるのよ。今年はこれ着て行ってらっしゃい」
「えぇ?いいよ。行かなくて」
「何なら一緒に行こうか?」
「なんで母さんと行かなくちゃならないの」
「あら、連れ出してくれる彼氏さんでもいらっしゃるのかしら?」
「はぁ?・・・あのさ、マジでほっといてくれる?わざわざ人混みの中出かけて行って、疲れるのがバカらしいってだけなんで」
母の気づかいは、今となってはありがたく感じるが、当時はただ鬱陶しいだけだった。のこのこ祭りに出かけていって、クラスの連中になど会いたくない。色気づいた同級生のカップルなんかに出くわした日にはもう最悪。別にそんな連中のことが羨ましいわけじゃないし、一人でいるのが恥ずかしいわけでもない。ただ、こんな田舎の高校生と同じレベルにいたくなかった。それだけ。
そんな風に、同年代の少年少女を見下しながら突っ張っていた舞子だから、秋浴衣に袖を通すことはなかった。それでも、天ヶ浜の町全体が普段とは違った雰囲気に包まれてゆく祭りの準備期間と、土・日の二日間に渡って執り行われる奉納祭は好きだった。わざわざ出かけて行かなくても、その数日間は天ヶ浜が魔法にかかったような特別な期間なのだというのは、ひしひしと感じていた。
舞子にとって今年の奉納祭は、久しぶりの地元の祭りというだけではなかった。とうとう数年越しで、浴衣デビューを果たす予感がしていた。実際のところ、まだケンを誘ったわけではなかったが、何となく祭りの日は二人で一緒に過ごそうと考えていた。特に裏山の神社で天懇献呈の儀が執り行われ、近くの小学校の校庭で花火大会が開催される日曜日の夕方は、ケンと二人で祭りに出かけて行くつもりでいる。
その時には母が買ってくれた秋浴衣を着よう。高校を卒業して数年が経っても、まだ地元の同級生や顔見知りに会うのは気が進まない。東京での生活に耐えられずに逃げ帰ってきたという自責の念が未だに燻っているのだからなおさらだ。
それでもケンと一緒に奉納祭に行きたい気持ちの方が勝っていた。
舞子は考えた。神様に魚介類を献上すると願い事が叶うというその儀式で、自分だったら何をお願いするだろうか。
いや、その前にもっと大切なことがある。先ずはいよいよ制作も仕上げの段階を迎えたステンドグラスを完成させなければ。そして、日曜日、祭りが終わったら、その時初めてケンに作品をお披露目するのだ。
誰よりも先に、母の悦子よりも早く彼に見て欲しい。その時のケンの反応を想像しながら、それを糧に、この二週間制作に打ち込んできたのだから。今日も含めて残された時間はあと三日。悔いを残さないためにも、精いっぱい今の自分の持てる全てを込めて、ステンドグラスの中にたたずむ狼の雄姿を描き切ろう。
大学に進学し十八歳で上京した舞子にとって、奉納祭は数年振りだったが、このわくわくと時めくような感覚は昔と変わらない。子供の頃は、お祭りシーズンの到来が待ち遠しくて仕方がなかった。
一年に一度、天ヶ浜が奉納祭に向けて徐々に装いを変えてゆく十月の下旬。通りの至る所に真っ赤な提灯が連なり、裏山の神社へと続く長い石段の付近では、的屋衆が屋台の設営を始める。見慣れた景色や場が、非日常的な祝祭空間へと変化してゆく様子に心躍らせながら、言いようのない期待感を抱いたものだった。
そんな数日間が楽しくて仕方なかった幼い舞子は「一年中お祭りだったら楽しいのにな」と、よく言ったものだが、それを聞いた悦子は「年に一度きりだから楽しいのよ。毎日お祭りだったらきっと飽きちゃうんじゃない」と答えたのだった。
当時は母の言っている意味が全く分からなかったが、今の舞子には理解できる。田島ことみにも言われたな、大学時代だって期限付きだからこそ楽しかったって。何事も終わりがあるからこそ、愛おしく感じるのだ。
地元の祭りを愛する舞子だったが、中学から高校の六年間は奉納祭に出かけることはなかった。顔見知りの同級生に会うのが嫌だったのだ。高三の時には、そんな舞子を見かねた悦子が秋向けの大人っぽい浴衣を買ってくれた。
「あなたも来年からは東京暮らしなんだから。奉納祭にも行けなくなるのよ。今年はこれ着て行ってらっしゃい」
「えぇ?いいよ。行かなくて」
「何なら一緒に行こうか?」
「なんで母さんと行かなくちゃならないの」
「あら、連れ出してくれる彼氏さんでもいらっしゃるのかしら?」
「はぁ?・・・あのさ、マジでほっといてくれる?わざわざ人混みの中出かけて行って、疲れるのがバカらしいってだけなんで」
母の気づかいは、今となってはありがたく感じるが、当時はただ鬱陶しいだけだった。のこのこ祭りに出かけていって、クラスの連中になど会いたくない。色気づいた同級生のカップルなんかに出くわした日にはもう最悪。別にそんな連中のことが羨ましいわけじゃないし、一人でいるのが恥ずかしいわけでもない。ただ、こんな田舎の高校生と同じレベルにいたくなかった。それだけ。
そんな風に、同年代の少年少女を見下しながら突っ張っていた舞子だから、秋浴衣に袖を通すことはなかった。それでも、天ヶ浜の町全体が普段とは違った雰囲気に包まれてゆく祭りの準備期間と、土・日の二日間に渡って執り行われる奉納祭は好きだった。わざわざ出かけて行かなくても、その数日間は天ヶ浜が魔法にかかったような特別な期間なのだというのは、ひしひしと感じていた。
舞子にとって今年の奉納祭は、久しぶりの地元の祭りというだけではなかった。とうとう数年越しで、浴衣デビューを果たす予感がしていた。実際のところ、まだケンを誘ったわけではなかったが、何となく祭りの日は二人で一緒に過ごそうと考えていた。特に裏山の神社で天懇献呈の儀が執り行われ、近くの小学校の校庭で花火大会が開催される日曜日の夕方は、ケンと二人で祭りに出かけて行くつもりでいる。
その時には母が買ってくれた秋浴衣を着よう。高校を卒業して数年が経っても、まだ地元の同級生や顔見知りに会うのは気が進まない。東京での生活に耐えられずに逃げ帰ってきたという自責の念が未だに燻っているのだからなおさらだ。
それでもケンと一緒に奉納祭に行きたい気持ちの方が勝っていた。
舞子は考えた。神様に魚介類を献上すると願い事が叶うというその儀式で、自分だったら何をお願いするだろうか。
いや、その前にもっと大切なことがある。先ずはいよいよ制作も仕上げの段階を迎えたステンドグラスを完成させなければ。そして、日曜日、祭りが終わったら、その時初めてケンに作品をお披露目するのだ。
誰よりも先に、母の悦子よりも早く彼に見て欲しい。その時のケンの反応を想像しながら、それを糧に、この二週間制作に打ち込んできたのだから。今日も含めて残された時間はあと三日。悔いを残さないためにも、精いっぱい今の自分の持てる全てを込めて、ステンドグラスの中にたたずむ狼の雄姿を描き切ろう。