【1-4 崩壊の足音】
ユストはスーツケースの中からヒモで縛った羊皮紙を取り出すとヒモをほどいてテーブルの上に開く。それは離れた場所にいる相手と情報をやりとりすることのできる魔法が施された『メッセージスクロール』だ。
時刻はすでに夜。ゆらゆらと揺れる魔法の明かりがテーブルに広げたメッセージスクロールとスウェンの顔を照らしている。レリナはその部屋の奥の方で横になっている。だいぶ疲れていたようで、なにも敷いていない硬い床の上だというのに構わず寝息を立てている。
ユストはメッセージスクロールに視線を落とす。テーブルの上にそれを開いたとき、そこにはなにも書かれていなかった。しかし、開いてからしばらくすると文字が浮かび上がってくる。
「交渉は決裂。次の会談の予定は無し。まあ、予想通り、予定通りですね」
浮かび上がった文字の列は聖都から派遣された使節団と王国との交渉がどうなったのかが記されている。
交渉は失敗。意見は終始平行線。互いの意見をぶつけ合うだけでなんの成果も得られず、ということらしい。
と言うことは、いつも通りと言うことだ。今回のような聖都と王国の交渉は何度か行われてきた。そして、毎回今回と同じ結果が繰り返されてきた。
だが、今回は違う。
「予定通り。ええ、予定通りです」
これまで何度も聖都と王国は交渉を重ねて来た。だが、王国は何度言っても聞き入れなかった。亜人たちを解放しようとはしなかった。
そして、それも今回で終わりだ。これ以上の交渉は無意味だ。
「さて、明日に備えて寝ましょうか」
ルエズス教は亜人の人権を認めている。彼らも神の恩寵を請ける権利を有していると説いている。その主張をポルス王国は受け入れようとしない。
なぜか。理由は簡単だ。
得がないからだ。少なくもポルス王国は亜人を人と認め彼らを奴隷階級から解放するメリットがないと考えているのだ。
それとは逆にルエズス教は亜人たちの人としての権利を認め、彼らを守ることを自分たちにとって得になることだと考えている。
そう、得なのだ。亜人を人と認めて受け入れることの方がルエズス教にとっては得なのである。
亜人がこの世界に現れて約二百年。その間に彼らは当初とは比べ物にならないくらいに数を増やした。無視できないほどにまでその数は増している。
数は力である。信仰の力というのは数の力でもある。ルエズス教、特にその本拠地である聖都はそのことをよく理解している。人と亜人、両方を引き入れ、ルエズス教の教えに従わせ、彼らを信者にした方が得であるからルエズス教は亜人を人として認め、彼らを守る動きを見せている。
ルエズス教は巨大である。ユセリア大陸西側のほとんどの国がルエズス教を信仰しており、その国を治める王や皇帝さえ、ルエズス教の教皇を恐れている。
信じる者が多ければ多いほど力は増す。その数の力を権力者たちは恐れている。
と同時にもう一つ恐れている物がある。
それは『神器《じんき》』と呼ばれる物である。
神器はその名の通り神の力を宿した器だ。ただ、本当に神の力が宿っているかは定かではないが、神の力が宿っていると人々に思わせるほどの強い力を宿しているのは確かである。神器をひとつ手にした者は三つの国を束ね、神器をふたつ手にした者は十の国を支配できる。とさえ言われるほどだ。
そう、ひとつ、ふたつ、というように神器は複数存在する。そして、その神器をルエズス教の本拠地である聖都は三つ所持している。
神器の総数は十三器。実際に確認されている物もあれば、今のところ伝承でしか確認されていない物もある。大陸の国々を治める権力者たちは数の力と、この神器という『圧倒的暴力』も恐れていた。それを恐れるからこそ彼らはルエズス教を受け入れ、聖都に従っているのである。
では、ポルス王国はどうしてそんな強大なルエズス教とその本拠地である聖都や教皇に逆らうことができるのか。
それは簡単である。
持っているのだ。ポルス王国も神器のひとつを。
「……お客様ですか」
椅子に座ったまま目を閉じ眠りにつこうとしていたユストは、ゆっくりと目を開け立ち上がる。
隙間だらけの廃屋の窓は壊れて常に開け放たれている。ユストはその窓から外に目を向け、その向こうの闇の中にいる者たちを確かめる。
見えない。しかし、気配はある。
立ち上がったユストはまず部屋の隅で寝ているレリナのところへ行った。そして、彼女に身を守るための防御魔法を施し、それから家の外へ出た。
「さあ! 出てきてください! ゆっくりお話ししましょう!!」
家を出たユストは声を張り上げた。
「ああ! いえ! ゆっくりはしていられませんね!」
身を晒し、声を上げ、自分の位置を相手に知らせる。相手がどこにいるのかわからない中で、そんなことをすれば自殺行為だ。
だが、これでいい。相手が動きを見せたならばそれで十分である。
周りには隠れられる場所がいくらでもある。瓦礫やゴミ、同じような空き家などなど、相手がどこに潜んでいるかわからない。
だが、相手が動けば違ってくる。
ユストは魔法で暗闇の奥にあるモノを見ていた。
それは温度である。
普通、人間の目には温度は見えない。しかし、魔法により視覚を変化させることでそれを可能にしている。物陰に隠れていたとしても、暗闇の中であっても、相手が動けば温度の変化で位置がわかるのだ。
こちらが動けばあちらも反応を示す。こちらの動きが予想外の物であれば相手も動かざるを得ないだろう。
場所さえわかれば問題はない。
「があっ!?」
どこかで声が上がり、何かが倒れる音がした。それに続いて何者かが走る足音が聞こえ、そしてまた声が上がり、何かが倒れた。
何かが倒れる音が三回聞こえた。
ユストは暗闇の中、音のした方へと歩いていく。
音のしたあたりには一人の黒い服を着た男が倒れていた。もちろん、相手は知り合いではない。
「王国の暗殺者か何かでしょうね。まあ、想定内ですが」
敵がこちらの動きを察知している。というのをユストは最初からわかっていた。だからここに来た。
ここには自分たち以外に誰もいない。ここならば何をしても誰にも見られない。
見ているのは自分だけ。
「しかし、もう手遅れですよ。私をどうこうしようとすべてはもう終わりです」
男が闇の中へ沈んでいく。男が倒れている場所だけが、まるで底なし沼にでもなったかのように沈んでいく。
「それに、もう始まる頃ですしねぇ」
そう言うとユストはあくびをしてレリナの寝ている廃屋へと戻っていく。
廃屋の中に戻るとそこにはレリナがいる。ぐっすりと眠っている。そして、おそらくすべてが終わるまで彼女は眠ったままだろう。
そんな彼女を見てユストは首を傾げる。
「なぜ私はこの人を助けたんでしょうねぇ」
なぜ。自分で助けておいて自分でその理由がわからない。
彼女の境遇に同情したからというわけではないだろう。レリナのような境遇のエルフはこの国に大勢いるし、この国だけではなく大陸のどこかで苦しんでいる亜人はいくらでもいる。
別に彼女の容姿が好みであるというわけでもない。特にルナエルフに思い入れ
があるわけでもない。
ただ、あるとすれば、あれだろう。
目が合った。ただそれだけだ。
「運がいい方だ、あなたは。これも神の意思でしょうかねぇ」
そうつぶやくとユストは先ほどまで座っていた椅子に座って目を閉じる。
「あなたは何も知らず、何もわからないままでいいのかもしれません」
すべては今日終わる。いや、終わりが今日始まる。
もう、すでに始まっている。
翌朝、ユストは遠くから聞こえる人々の声で目覚めた。
それは怒声、叫び声、悲鳴、雄叫びと様々なものが混ざったものだった。と、同時に何かが壊れる音も聞こえて来た。
この国の終わりが始まった。
【1-5 王都炎上】
ポルス王国の貴族の嗜みは奴隷を飼うことである。ポルス王国紳士の楽しみは良い奴隷を自慢することである。見目麗しいエルフの奴隷、逞しいオーガの奴隷。ポルス王国の上流階級の者たちは、亜人の奴隷たちを着飾り、闘わせ、いじめ抜き、犯し、そして殺すことが数ある娯楽のひとつだった。
奴隷たちを着飾り、彫像のように並べて楽しむ者たちもいた。彼らは奴隷たちが身じろぎひとつでもしようものなら容赦なく彼らを鞭打った。
奴隷にまたがりレースに興じる者たちもいた。彼らはレースに勝つと奴隷たちにエサを与え、負けると気を失うまで棒で叩き柔らかい腹を蹴り上げ、使い物にならなくなれば他の奴隷や犬のエサにした。
奴隷たちを死ぬまで闘わせる闘技場はいつも盛況だった。貴族や紳士たちは自分たちが闘う代わりに気軽に奴隷たちに決闘をさせ物事を決めた。
若くて美しい処女のエルフ奴隷を一晩で何人犯したかを自慢し合う者たちもいた。腹立ちまきれに奴隷を殴り殺すことは日常のことだった。
ポルス王国の国民たちは、人間の欲望を満たすために亜人たちは存在していると本気で思っていた。それは彼らにとって当たり前のことであり、当たり前のこと過ぎて深く考えていなかった。
そう、深く考えていなかったのだ。当たり前の当たり前に、いつまでも続くと思っていたのかもしれない。
それは突然訪れた。
「やめろ、やめろやめろやめろぉぉぉぉぉ!!!」
とある貴族が飼っていた奴隷に刺殺された。
「い、やぁぁ、が……」
とあるご婦人が飼っていた奴隷に絞殺された。
「お前ら! こんなことをしてただですむごっ!?」
とある紳士が飼っていた奴隷に撲殺された。
それは突然始まった。日が昇ると同時に始まった。
奴隷たちの暴走。亜人たちの暴徒化。それは何の前触れもなく始まった。
かに見えた。
「試練。ああ、試練ですねぇ。皆さん、がんばってください」
ユストは一人きりで街を歩く。昨日までは平和だった、人間にとっては平和で、亜人にとっては地獄であった街を歩く。
昨日とはまるで違う。そこかしこで人間が亜人にリンチされ、吊るされ、引きずられている。建物は破壊されそこかしこで火の手が上がっている。女子供関係なく追い回され、皆等しく殺される。
昨日まではこの国のこの街は、ポルス王国の首都は人間にとって平和な暮らしやすい街だった。だが、今は地獄だ。人間にとっても亜人にとっても等しく地獄となり果てた。
昨日立ち寄ったエルフの革製品を扱っている店の前を通った。店は荒らされ店の前では店主がボロ布のような状態で動かなくなっていた。昨日見た建設中の建物は完成を見ずに瓦礫となっていた。昨日、荷車をひいていた亜人たちが泣き叫ぶ人間の髪の毛を掴み引きずり回している。
そして、昨日までレリナがいた店の前を通った。店の入り口は破壊され、窓は破られ、中を覗いてみるとテーブルも椅子も食器もすべてぐちゃぐちゃに荒らされていた。
しかし、そこに店主の、昨日レリナを棒で殴っていた男の姿はなかった。
「大丈夫ですかぁ? 私は人間ですよぉ?」
ユストは店の中に入っていく。そして、店の奥で小さくなって震えている男を見つける。
「どうもぉ」
「ひぃっ!?」
ユストに見つかり声をかけられた男は小さく悲鳴を上げてユストを見上げる。そんな男にユストはニッコリと笑いかける。
「大丈夫、人間ですよ」
「お、お前は」
どうやら男はユストの姿を見て、昨日自分からルナエルフの奴隷を買っていった奴だと気付いたようだ。
「た、助けてくれ。たすけ」
「ええ、構いませんよ」
ユストは男に手を差し伸べる。
「た、助かった……」
男はユストの手を握る。
しかし、助かったわけではない。
「神はあなたを試される」
「……へぇ?」
ユストはにこにこ笑っている。
「あなたが今までどんな行いをしてきたのかは知りません。ですが、あなたがレリナさん、あなたがあのルナエルフにしてきたことは、私の目には正しい行いには見えなかった」
ユストは笑顔を崩さない。
「ですが、あなたは生きている。ということは、神があなたを生かそうとしている。のかもしれない」
音もなく何かが動く。
「何を……」
男はユストの手を放そうとする。だが、ユストは離さない。
「は、離せ! 離せ!」
男は逃げ出そうとする。だが、動けない。
「な、なんだ!? なにを」
影が男の体を這い上がる。
「あなたが正しいのか間違っているのか。証明してください」
男が自分の影の中に沈んでいく。体も、声も、魂も。
そして、消える。影を残して男は消えた。
「あなたが『神の正義』にかなうのならば、生きて出られますよ」
ユストは姿を消した男にそう語り掛けると何事もなかったかのように外へ出た。店の外は相変わらず騒然としていた。
火が放たれた建物から逃げ出してきた人々を亜人たちは容赦なく殴り倒し、動かなくなるまで殴り続けている。積み上げられた人間の死体が燃え上がり、火柱が上がっている。その火柱の中にまだ生きている人間が放りこまれていく。
衛兵らしき武装した集団と亜人の集団が殺し合っている。鎧兜に身を包み、剣や槍や銃を手にした者たちを相手にしているのに、形勢は亜人たちの方が勝っているようだった。
人間は亜人たちに劣る。美しさや弓の腕はエルフたちに敵わず、単純な腕力ではオーガたちに勝てるわけもなく、ビーストの身体能力にもドワーフたちの金属加工の技術にも勝つことができない。
逃げ惑う人間。追い立てる亜人たち。追い立てる亜人たちの首には首輪がはめられている。
魔法の首輪だ。人間に逆らおうとすればその首を絞め、亜人たちを絞め殺す物だ。
だが、誰も苦しんでいない。亜人たちは人間に逆らい、暴行し、殺害しているのに誰も絞殺されてなどいない。
なぜか。理由はある。
この魔法の首輪には欠陥があるのだ。
奴隷を縛る首輪は装着者の感情に反応する。それは主に対しての怒りや憎しみなど、主人に対して害になる感情である。
感情に、である。
では、もし装着者に感情が無かったら。
悲鳴を上げている。襲い掛かってくる亜人に恐怖し悲鳴を上げる。
怒声を上げている。襲い掛かってくる亜人に声を張り上げ罵っている。
雄叫びを上げている。襲い掛かってくる亜人に立ち向かおうと自らを奮い立