地味子ちゃんと恋がしたい―そんなに可愛いなんて気付かなかった!

地味子ちゃんが僕に相談したいことがあると内線電話をかけてきた。

入社2年目の彼女の本名は米山(よねやま)由紀(ゆき)

入社後半年の研修を終えて隣の研究開発部に配属されていた。

僕は磯村(いそむら)(じん)、企画開発部の課長代理、入社12年目。

入社後5年間は研究所で新製品の研究開発に携わっていたが、7年前に本社へ異動してきた。今は新製品の企画開発のプロジェクトマネージャーをしている。

地味子ちゃんが研究開発部に配属になった時にプロジェクトの関係で挨拶に来たが、言葉のなまりから同郷で大学も同じ理系の学部の10年後輩だったことが分かった。

それからは、仕事のことや身の回りのことなどを何かと相談されるようになった。

こちらはこれでも独身男性だけど10歳以上も歳が離れていると、もうただのオッサンと認識されているようで少し寂しい気もしている。

「先輩、ちょっと大事な相談があるんですけど、聞いてくれますか?」

「いいけど、今日は仕事が早く終わりそうだから、6時にビルの出口で待ち合わせるかい?」

地味子ちゃんはビルの出口から少し離れたところで待っていた。

地味子ちゃんと言うのは僕が勝手につけたニックネームで、セクハラになりかねないから、直接、彼女を「地味子ちゃん」と呼んだことは一度もない。

彼女は配属された時からすごく地味な娘だった。外で立っていても地味で全く目立たない。

今でもリクルートスタイルをとおしているし、色気より食い気なのか、顔は真ん丸でコロコロに太っている。

それに大きめの黒縁のメガネ、太めの眉毛、化粧もほとんどしていないみたいだ。

ヘアサロンには時々は行っているみたいだけど、いつも髪を後ろに束ねているだけだ。

趣味や習い事は特にないみたいで、今は仕事に一生懸命のようだ。

いつもニコニコしていて、性格もいいし、仕事はまじめに的確にこなしているみたいで、リーダーの受けもいいと聞いている。

ただ、一見して地味で色気がなくて、デートに誘ったり一緒に歩いたりしたくなるようなタイプではない。

だからこちらも気楽に付き合えて相談にものってやれる。先輩、先輩と言ってくるので、面倒も見てやっている。

僕には妹はいないが、まあ、不細工な妹を持った兄のような心境だ。不細工な妹は可愛いというか、もう義務感で面倒を見てやっている。

「知っているスナックがあるから、そこで軽く食べて飲みながら話を聞こうか?」

地味子ちゃんは先輩の僕をすっかり信用しているので後ろから黙ってついて来る。ビルのある虎ノ門から地下鉄で表参道へ向かう。

表参道の大通りから少し入った行きつけのスナック『凛』へ入る。まだ6時半位だから客が誰もいない。

「ママ、紹介するよ、同じ職場の後輩の米山さんだ」

「初めまして、ママの寺尾(てらお) (りん)です」

名刺を差し出す。ママは地味子ちゃんを見て微笑んでいる。二人の間には疑いもなく何にもないと分かると見える。

「素敵なママですね。私はこんな女性になりたいんですけど」

「ええ? 相談って何? まあ、何か食べよう。軽食のメニューだけど何がいい? 奢るよ」

「じゃあ、オムライスをお願いします」

「じゃあ、ママ、オムライスを2つ、それから二人に水割りを作って下さい」

すぐに水割りを作ってくれた。

それから、しばらくしてオムライスが出てきた。一口、口に入れるととてもおいしい。

ここでオムライスは初めて食べたが、ママの料理はどれも味付けが良くておいしい。

地味子ちゃんもおいしいと見えて黙って食べている。これでようやくお腹が落ち着いて来た。

「ところで相談って何?」

「思い切って言います。私、先輩の隣のグループのカッコいい新庄さんが好きになってしまいました」

「仕事一筋ではなかったのか?」

「そうなんですが、このごろは仕事にも慣れてきて、週末にショッピングに出かけると、カップルの姿が目について」

「男性に目が向くようになった?」

「はい、少し寂しいこともあって、時々廊下で会うので素敵な人だなと思うようになって。こんな気持ちは初めてなので、どうしていいか分からなくて?」

「そういうことは、同性の先輩か同僚に相談するものじゃないの?」

「周りに相談できる女性の先輩も友達もいなくて」

「直接、新庄君に言えばいいじゃないか」

「それができるくらいなら先輩に相談なんかしません」

「そりゃそうだな」

「以前、誰かの合同送別会があった時に、友人がどんな感じの女性が好きか聞いてみたそうです」

「それでどうだったの?」

「女優の『綾瀬はるか』だそうです。もう無理です!」

「まあ、そうかもしれないけど」

「でもあきらめきれないんです。何とかならないかと思って」

「このままでは何ともならないし、何ともしようがないね」

地味子ちゃんは思いつめると仕事でもなんでも猪突猛進、一途で分かやすい。でもそこが良いところでもある。真剣に僕を見つめて頼んでいる。

でも近くで顔をよく見ると、結構見た目よりも可愛いのかもしれない。色白で、目は二重瞼だし、鼻も低くない、口も小さめで可愛い。

ただ、顔が真ん丸で少し大き過ぎるかな。それに顎の下に肉がついているし、首も太い。健康的と言えば健康的だけどちょっと太めだ。

身長は僕が170㎝だから150㎝位か? 小柄だからなおさらコロコロした感じで『綾瀬はるか』から遥に遠い感じがする。

「うーん、僕が協力できるとしたら、ダイエットの指導くらいかな?」

「ダイエットですか。これまであまり気にしていなかったです」

「まず、今は見た目が健康的すぎるから、少しスリムになったらどうかな。今の若い男はスリムな女の子が好きみたいだから」

「先輩はどうなんですか?」

「僕もどちらかというと丸まると太っている娘よりも普通か、少し細目の方が良いかな、でも痩せ過ぎているも好きじゃない」

「私、父親と二人暮らしだったので、あまりそういうことに関心がなくて。高校生の時は大学受験で精いっぱいで、大学でも男子学生が多かったから、あまり気にしませんでした。入社して周りの女性がスマートなので驚いていました」

「そういうことか。今は気にしないで結構好きなものをお腹いっぱい食べているんじゃないのかな」

「会社が生活の中心ですので、余り考えないで食事をしています。今はお金も自由になって食べたいものが買えるので」

「だから少し過食気味になっていると思う」

「どうすればいいんですか?」

「朝、昼、晩の食事を規則正しく摂ること、お腹いっぱいになるまで食べないで腹8分位にすること、炭水化物、脂肪、たんぱく質、ミネラルをバランスよく食事に入れること位かな。それと間食は取るにしても午前10時と午後3時に少量だけにして、夜食は原則なし。これに気を付ければ徐々にスリムになってくるし、楽に続けられると思う」

「そんなには難しくはなさそうですね」

「僕はこれを気にかけているから、入社以来、体重の増加はほんの僅かで、スーツも同じサイズだ」

「分かりました。言われたとおりに今日から早速やってみます」

「今日からと言うところがいいね。毎日の3食と間食など食べたものを書き出すといいと思う。それを見て直すべきところを教えてあげる」

「お願いします」

「それから、衣料とか、化粧とかは同期の野坂さんに教えてくれるように頼んであげる」

「あの広報の野坂さんですか?」

「ああ、同期で時々飲んだりしているので頼んでみてあげる。都合がつくときにショッピングにでも付き合ってもらうといい」

「お願いします。あの野坂さんなら指導者として申し分ないです。是非頼んでみてください」

「じゃあ、ダイエット頑張ってみて、できるだけ力になるから」

「お願いします」

「それに加えて必要なのは運動だ。朝起きたらベッドの中で、すぐに腹筋30回、腕立て伏せ30回以上はすること。出勤時は一駅手前で降りて、徒歩で出社すること。帰りも同じに。それから」

「まだあるんですか?」

「歩くときは腹式呼吸で、お腹が引き締まるから」

「先輩もこれ全てしているんですか?」

「ああ、いつも気にかけて実行している」

「先輩がスマートなのが分かりました、規則正しい食事と運動ですね、絶対にやり抜きます」

「じゃあ、ここらで引き上げるとするか?」

「ママ、お会計をお願いします」

「もう、おかえり?」

「今日は後輩の相談を聞くために場所を借りただけ、また来るから」

「お待ちしています」

まだ、時間が早いし、このまま一人ここに残るわけにもいかないので、日を改めることにして、今日はこのまま帰ることにした。

地味子ちゃんとは帰る方向が同じなのが分かっている。住まいは極近くで2駅向こうの梶ヶ谷だと聞いている。

高津で先に電車を降りたが、地味子ちゃんは意を決したかのように真剣な顔つきで帰って行った。
あれは7か月程前のことだった。週末に行われた同期会の2次会で、誰かの行きつけだと言って入ったスナック、それが『凛』だった。

表参道の細い道を少し入ったところにある古くて細長いビルの1階の入口に『凛』の照明がついた看板があった。

古い木製のドアを開けると広くない室内で、カウンターに止まり木が6つとテーブル席が2か所あるごく普通のありふれたスナックだった。

誰かが歌っている。すでに4~5人の客がいてかなりうるさそうだ。

ただ、こちらも2次会で皆少し酔っているので、気にならないし、この方がかえってしゃべりやすい。ここではもう気心の知れたものだけになっている。

皆は空いていたテーブル席に着いたが、どういう訳か僕だけがあぶれてしまって、止まり木の一番端に席を見つけて座った。

カウンターの中はママとおぼしき女性がひとりで切りまわしている。まだ若く、三十歳を少し過ぎた位かと思えた。

「ママ、皆に水割りを作って下さい!」

山内君が注文しているので、彼の行き付けだと分かった。ママはテーブル席で水割りを作ってくれている。

「もう一人、あぶれた止まり木の磯村君のも頼むよ」

「はい、分かっていますよ」

ママがカウンターの中へ戻ると、僕の方へ水割りを持ってきた。

あっ! 見覚えのある顔だった。亜里沙! 

髪がショートになっているが間違いない。

ママも同時に気が付いたみたいで、ジッと僕を見つめたまま動きを止めた。

眼差しに憂いを見たような気がした。

ママは唇に人差し指を軽くあてた。それを見て僕はもう会ってはいけなかったと思い目を伏せた。

その間にママは何かを書いていたようだった。それから、何もなかったかのように名刺を差し出した。

「磯村さんとおっしゃるの、寺尾 凛です。お名刺をいただけますか?」

ママは名刺を差し出す時に裏を読んでと合図した。

「磯村 仁です」

こちらも名刺を差し出す。山内君はなじみだからもう会社名は分かっているはずだ。

「磯村さん、本名だったのね」

少し微笑んだかに見えたが、小声でそう言うと、すぐにカウンターの反対側へ行ってしまった。もう少し話したかった。

名刺の裏には『皆さんと帰った後、戻ってきて下さい』と書かれていた。

彼女と初めて会ったのは6年前、ソープの客としてだった。源氏名は「亜里沙」と言った。

遊び人として知られている取引会社の部長がどうしても付き合えというので付いていった。ソープは初めてではなかった。その時が3度目だったと思う。

1度目は上京して興味半分で出かけた。ただ、その時は女性経験もなく、あっという間に終わってこんなものなのかと思った。

そこは高級なところではなかったので、その後、もう少し高級なところへ行ってみたが、同じようなもので感慨もなかった。

そこは部長の行きつけと言うだけあって高級ソープだった。

店が選んでくれたが、その時の相手が彼女だった。

細面でどこか憂いのある髪の長いスリムな娘で、テクニックは抜群だと思った。

美形で好みのタイプだったこともあって、一人で足を運ぶようになった。

そのうちに違う娘とも浮気してみたりしたが、やはり彼女が抜群なのが分かった。

それからは、月1回位でずっと通っていた。独り身なのでお金にゆとりもあったけど、やはり女性がほしかったのだと思う。

2年ほど通っただろうか、店を変わることになったと言われた。そして新しい店の名を教えてくれた。

行ってみると新しい店は前の店より少し格下の店だった。源氏名も変わっていた。

時間が短くなるが料金が安くなるので好都合とここも1年ばかり通った。

このころになると携帯の番号を聞いていたので、出勤に合わせて予約を取ることができた。

それから、また店が変わった。今度はもっと格下の安い店だった。

ここも1年ばかり通った。最後は突然店を辞めていて、携帯も解約されていたのでどこに行ったのか分からなくなっていた。

あれからも、月に1回ぐらいはどこかの店へ行っていた。三十歳を過ぎたとはいえ健康な男子なのだから女性が欲しくなるのは当たり前だ。

簡単に欲望というものを満たしてくれるし、生きている満足感も得られる。経験を積むことで男としての自信もついてくる。

ただ、このような怠惰なことに慣れると、素人の女性と付き合うのが段々億劫になってくる。

「亜里沙」はいろいろなことを教えてくれた。どうしたら女性が悦ぶかも。そしてそれを自身に試させたこともあった。

あのころが身も心も仕事も生活も一番充実していたようにも思う。

時々は「亜里沙」と初めて会った店へも、2番目の店、3番目の店にも行ったりした。

もちろんあの「亜里沙」にはもう巡り合わなかった。

きっと足を洗ったのだろうと思っていた。年齢的にはもう30歳に近かったと思う。

身体を壊したのだろうか? どこかで幸せに暮らしていればいいと思っていた。

今、カウンターの中にいる彼女は美しく、元気で憂いもなく楽しそうに客と話している。幸せに暮らしていてくれてよかった。

懐かしい気持ちもあるが、迷惑をかけてはいけないから、もうここへは来てはいけないと思った。ただ、もう一度だけゆっくり話をしてみたかった。

誰かがそろそろ帰ろうと言っている。もう11時を過ぎている。遠い連中は終電がなくなる時間だ。

割り勘で会計を済ませたが、そんなに高くもなく、ほどほどの値段だった。

週末だけどさすがに3次会へ行くつわものはいない。妻子のいるのがもう半数近くになっている。

皆、地下鉄の階段に吸い込まれていく。

それを後ろから見届けると、ゆっくりスナックへ戻った。
客がまだ一人残っていた。僕が戻って止まり木に座ってしばらくすると会計を済ませて帰っていった。

まだ、営業できる時間だけど、ママはすかさず、表の看板の明かりを落として、ドアをロックした。そしてすぐに水割りを2杯作った。

「お久しぶりですね」

「突然いなくなって、身体でも壊したのではないかと心配していた。でも元気そうでよかった」

「ごめんなさい。突然、仕事がいやになって止めようと思ったの、あんなこといつまでもできないし、何とかしなくてはいけないと思って」

「それで足を洗って、店を開いたの?」

「はじめは、この店の手伝いをしていたけど、店のオーナーが高齢で店をたたむと言うので引き継いだの、権利を譲ってもらって」

「儲かっている?」

「高くするとお客の足が遠のくし、安くすると儲からないし、難しいわ」

「一人でやっているの?」

「小さいお店だから一人で切り盛りしているの。昔の仲間を雇う訳にもいかないし、それに人を雇うとお給料を払わなきゃならないでしょ。でも何とか食べてはいけるようにはなった」

「僕の口から言うのもおかしいけど、やっぱり早く足を洗ってよかったね。突然いなくなったので、寂しかったけど」

「そう言っていただけると嬉しいわ」

「君とのことは誰にも話さないから安心して」

「分かっています」

「今日は久しぶりに会えてよかった。話ができて、元気でいることも分かったから。じゃあ、そろそろ帰ります」

「まだ、おひとり?」

「ああ」

「この上に居住スペースがあるんです。よかったら上がっていきませんか?」

「えっ、いいのかい。できればもう少し話がしたい」

店の奥のドアを開けると2階へ上がる階段があった。彼女に続いてゆっくりと階段を上って行く。

居住スペースは8畳くらいの洋室とキッチンとビジネスホテルのようなバス、トイレ、洗面所が一体になったバスルームがついているという。

一人暮らしならば十分な広さだと思う。

部屋の入ると奥においてあるセミダブルのベッドが目に付く。

すぐに「シャワーを浴びて下さい」と促されてバスルームに入った。

僕に続いて彼女が入ってきて服を脱いだ。そして身体を洗ってくれる。

まるで店へ行った時と変わらない。彼女のしたいようにまかせよう。彼女の好意を感じるし、悪い気はしない。

「なんと呼べばいいの?」

「さっきの名刺は本名ですから、凛で」

「凛か! 響きがいい名前だ」

「歯磨きをして下さい」

洗い終えると、二人はバスタオルをまとってベッドへ、それからは離れていた時間を取り戻すかのように、ひとしきり愛し合った。

あの時と同じ時間が過ぎていく。あの時のまま、凜も変わっていない。空いた時間が埋められたような気がした。

「今でも行っているの?」

「時々ね。君のようないい娘にはもうめぐり合わないけどね」

「ありがとう、気に入ってもらえて。うれしいものなのよ、ファンがいるって。あの仕事は相手を選べないのよ、だから好みの人をいつも待っている。それがやるせなくなって、それも止めた理由」

「君に会うと何故かほっとするんだ。今も変わりないね」

「随分変わったわ、年も取ったし」

「そんなことない。君は変わっていない」

「今日はもう遅いから泊まっていって下さい」

「そういえばあのころいつも言っていたね、このまま泊っていきたいって」

「私も二人で身体を寄せ合って眠ってみたい時はあるわ。今日は二人で眠りたいの」

「そうするよ。久しぶりに会ったのだから、もっと話もしたいし」

凛は立ち上がって、水割りを2杯作ってきてくれた。冷たくておいしい。

二人はベッドで体を起こしてもたれ合っている。

肌が触れ合っていると心も触れ合っている気がしてくる。

思えば、彼女とは怠惰な関係を随分長い間続けていた。

いつもたわいもない話しかしていないのに、何となくほっとして心が安らいだ。

なぜだろうといつも思っていた。それが突然終わった時、心にポッカリと穴が開いたようだった。

「お店に僕のような昔のお客が偶然来ない?」

「1~2回のお客は私も覚えていないから気が付かない。なじみのお客でも時間が経っているし、髪形や化粧を替えているから、まず気が付かないと思う」

「あなたのようなお客さんがもう一人いたけど、彼なら気付いてくれると思うわ」

「山内君はなぜこの店のなじみなの?」

「彼は偶然にここへ来ただけのお客さん、前の仕事とは全く関係ないわ」

「そうか、兄弟でなくてよかった」

「ふふふ…」

「君が幸せになっているようにと思っていたけど、普通に暮らしていてよかった。ここへ戻ってきたのは、君の迷惑にならにように、もう来ないと言おうと思って来たんだ」

「でもね、あの仕事を離れると、また寂しいこともあるのよ。だから時々寄って下さい」

「もし迷惑でないのなら寄らせてもらうよ」

話が途切れると、また愛し合って、疲れると抱き合って眠った。

離れ離れの恋人が久しぶりに会ったように身体と心が満たされていった。

◆ ◆ ◆
朝、目が覚めると、凛はもう起きて朝食を作っていた。

「おはよう。もう、起きたの?」

「いつもなら午前中は寝ているけど、今日は特別」

「昨日の余韻を楽しみたかったのに」

「朝食の準備ができましたから、食べていって下さい」

凜は何を思ったのが、早起きして朝食を作ってくれた。

恋人のまねごとをしたかったのかもしれない。僕に特別の好意を示してくれた。

簡単な和食の朝食だったけど、とてもおいしかった。でも別れ際に僕は聞いてしまった。

「お礼をしてもいいのかな?」

「しなくてもいいわ。でも気の済むようにしてくれていいのよ」

「じゃ、気持ちだけ」

そう言って、2番目の店の料金を手に握って手渡した。

彼女はすこし悲しそうな眼差しを見せた。それを見て好意を踏みにじってしまったと思った。

「ありがたくいただくわ、店の経営が楽ではないから」

「これまでと同じにしてしまって、気分を害したらごめん。悪気はないんだ。どうしても甘えられなくて」

「また、気が向いたら寄って下さい」

「ああ、ありがとう」

店の前まで送ってくれた。

久しぶりの逢瀬で身も心も満たされた。凛はやはりいい女だ。
凜と偶然に再会して一夜を過ごしてから3週間以上経っている。今日は週末の金曜日だ。

あの時に「気が向いたらまた寄ってください」と言われていたが、まだ本心か、確信が持てなかった。

でも別れ際にお礼を渡した時の悲しそうな表情も気になっていた。

また彼女を抱きたくなった。電話をして感触を確かめてみようという気になっていた。

6時開店と聞いていたので、少し前に電話をかけてみよう。まだ店にはお客は来ていないだろう。

「スナック、凜です」

「磯村です。今日、店へ行ってもいいですか?」

「いいですよ、是非いらしてください」

「何時ごろに行けば良い?」

「何時でもいいですが、遅いほどいいです。店を閉めるまで待ってもらわないといけないから」

「それなら、11時過ぎに寄らせてもらいます」

「待っています」

彼女に都合の良い時間を率直に聞いた。これで僕の気持ちは分かると思った。

凜はすぐに僕の気持ちを察してくれた。本当に来てほしいと確信できた。

あの答え方をしてくれたら、店へ行っても余計なことを考えなくて待っていられる。

◆ ◆ ◆
金曜日の夜はスナックのお客が多い。グループでのお客も多い。

僕たちも金曜日に飲み会をすることがほとんどだ。大概2次会は9時ごろから11時ごろまでのことが多い。

店の前で凜が4~5名のグループを送り出して挨拶をしている。

近づくと僕に気が付いてくれた。目が合ったので挨拶を交わす。

「いらっしゃい、また来ていただいてありがとうございます」

「混んでいるの?」

「今のグループが帰られたので二人ぐらいです」

「じゃあ、一杯飲ませてもらいます」

止まり木で二人連れが話している。凜はすぐに水割りを作ってくれた。

僕はそれをゆっくり飲んでいる。

初めてここへ来た時に凜はなぜ僕を受け入れてくれたのだろう。

彼女たちは個人的な付き合いは避けてきたはずだ。

客商売をしていても安易にお客さんと特別な関係にはならないはずだ。

ひとりで寂しかったのかもしれない。それに僕は彼女を追って3軒目まで通っていたし、お互いに気心は知れている。

当然、二人の関係も秘密にしておいてくれる。だから安心してHができる都合の良い相手と思ったのかもしれない。

それで凜の方から進んで一夜を共にしてくれたように思う。

それに僕が帰り際にお金を渡そうとしたときには悲しそうな表情が見えた。

本当に好意だけで一夜を過ごしてくれたのだと思った。

でも彼女はあえて拒否しないでお礼を受け取ってくれた。そのあとよく考えてみたけど、それでよかったと思うようになった。

セフレといってよいのか、いや愛人関係といった方がよいのかもしれない。

こういう関係だと、お互いに自由でいられるし、割り切ってHができる。それでお互いが癒されればこの方が良いのかもしれない。

これじゃあ昔と同じだけれど、今の僕には望むときにHをしてくれる特定の女性がいる安心感はある。彼女にも同じようなことが言えるのかもしれない。

ただ、お礼を払うことを考えると月1くらいしか来られない。できれば月2くらいは来たいところだ。

「ママ、静かになったのは良いけど、俺たちもそろそろ帰るよ」

「せっかく静かになったのにゆっくりしていってください」

「もう、終電が近いから」

二人は会計を済ませて帰って行った。

凜はすぐに看板の明かりを消して、ドアをロックする。

「お待たせしました。また来ていただいて嬉しいです。もう来てくれるころかなとは思っていました」

「長年の付き合いだから分かるんだ」

「大体分かります。部屋に上がりましょう」

部屋に上がるとすぐに凜を抱き締める。

「凜、また君に会えて嬉しい」

「私もです。シャワーを浴びて下さい」

僕がバスルームに入るとすぐに入って来て身体を洗ってくれる。僕も凜を洗ってあげる。

凜が髪を洗っている。バスタブに浸かっている僕は後ろから悪戯をする。

「止めて下さい」

「ごめん、つい手が出た」

「先に上がっていて下さい。すぐに上がりますから」

バスルームから出てベッドに座って待っている。

凜がようやく出てきた。バスタオルで髪を拭きながらベッドへ歩いてくる。

僕は待ちかねたといわんばかりに凜を抱き締めて押し倒す。それから愛し合う。

1回目は僕が積極的だが、2回目は凜が積極的になっている。

二人とも心地よい疲労の中で眠りにつく。

僕は泊っていけて嬉しい。あのころはけだるい中で必ず帰らなければならなかった。

今は違う。凜の柔らかい身体を抱いて眠れる。言いようのない満足感がある。

明け方、僕は眠っている凜を揺り起こす。凜は僕に応えてまた愛し合ってくれる。

しばらくは会えないから思いを込めて愛し合う。そしてまた二人は眠りに落ちる。

目が覚めたら10時少し前になっていた。物音で目が覚めた。

凜はもう起きていてベッドにいなかった。朝食の準備を始めた音だった。

「シャワーを浴びて下さい。朝食の準備がすぐにできます」

「ありがとう、よく眠れた?」

「お陰さまで疲れてぐっすり眠れました」

「僕もだ、ありがとう」

それから二人で朝食を食べる。僕はここへきた時の服装に戻っている。

トーストとホットミルクとチーズとサラダの朝食を平らげると、帰り支度をしてこの前のようにお礼を凜に手渡す。

「ありがとう、気持ちだけだけど」

「ありがとう、また来て下さい」

「ああ、また来るから」

僕は階段を下りていく。凜が後からついて来て店の前で見送ってくれる。大通りに出る曲がり角で振り向くと手を振ってくれた。

来てよかった。凜も喜んでくれたみたいだ。満ち足りた気持ちで駅まで歩いた。次に来るのが楽しみになる。
今日は10時から新製品の記者発表のための事前打ち合わせだ。

企画開発部からはプロジェクトマネージャーの僕と今回の新製品の開発担当の新庄主任、広報部からは同期の野坂課長代理と部下の土井主任が出席する。

会議室での打合せだが、新庄君から新製品の実物と資料を渡して、新製品の概要を説明する。

広報部ではそれらに基づいて、配布用の写真やニュースレリースを作成する。いわゆる、記者発表用の資料を作ってもらう。

あとは広報部の担当者、野坂課長代理と土井主任が発売日の一定期間前に記者クラブへ発表用の資料を持って行って、新聞各社に新製品についてレクチャーする段取りになっている。

これとは別に新製品の広告・宣伝も広告企画部と進めている。

新製品の紹介は広告戦略が重要だが、広報活動で新聞各社に記事を書いてもらうことも大切だ。

広告はお金をかければいいが、新聞記事は記者が書くのでお金では書いてもらえない。だから、新製品の記事は広告の10倍の価値があると言われている。

記事や広告で新製品の露出が増えるとお客さんに手に取ってもらう機会も多くなる。ただ、1回は試しで買ってもらえても、次にまた買ってもらえるかが重要だ。

いかにリピートして買ってもらえるか、その製品の本質が問われることになる。だから新製品開発は難しい。でもそこがプロジェクトリーダーの腕の見せ所でもある。

野坂さんは僕と同期入社で男勝りの活発な女子だった。今では広報部を課長代理として切り回している。

見た目もチャーミングで着こなしもセンスが良い。人当たりもよく、弁もたつので記者からもすこぶる評判が良いらしい。広報の仕事は女性に向いているのかもしれない。

僕が本社勤務になってから仕事上の付き合いができたが、気が合うみたいで、時々一緒に飲んで話をするようになった。

ただ、始めからそうだったが、どうも男女の関係にはなりそうもない。打合せの後で呼び止めて例の話をする。

「野坂さん、ちょっと相談にのってくれないか?」

「まだ何かあるの?」

「研究開発部に米山由紀という僕の大学の10年後輩がいるんだけど、これがまた色気がなくて地味な子なんだ」

「その地味な子がどうしたの?」

「名前は言えないが会社のある男性が好きになったみたいで、どうしたら好かれるか相談された」

「それで」

「僕はまず見た目を良くした方が良いと思って、ダイエットやら運動やらを勧めた。これなら僕でも相談にのってやれるから」

「それで私に相談って何?」

「野坂さんは服のセンスやコーディネートが抜群だから、そのあたりのことを指導してやってもらえないか? 暇な時でいいから」

「私が?」

「頼むよ、他に頼める人がいないから。地味子ちゃんいや米山さんのために頼むよ」

「じゃあ、一度昼休みに連れて来て」

「ありがとう」

席に戻ると地味子ちゃんに内線電話をかける。丁度席にいたので小声で話す。

「野坂さんに例の話を頼んできた」

「本当ですか、ありがとうございます」

「昼休みにでもちょっと連れて来てと言っているけど、今日の昼休みは空いている?」

「はい」

「じゃあ、食事を終えて早めに席に戻っていて、電話するから」

昼休みに地味子ちゃんが席に戻ったのを電話で確認してから、野坂さんに電話を入れる。今なら空いていると言うので、地味子ちゃんを誘って広報部の野坂さんの席へ行った。

「野坂さん、こちらが僕の後輩の米山さん」

「野坂です。あなたが磯村さんの後輩の地味子ちゃん、いえ米山さん?」

「はい、米山由紀です。野坂さん、よろしくお願いします」

「私で良かったら相談にのるけど、休日にショッピングに出かける時に声をかけるから、都合が付けば一緒にショッピングをしましょう」

「いいんですか。ありがとうございます。ご迷惑にならないようにします」

「じゃあ、よろしく頼みます。恩にきるよ」

地味子ちゃんはとても喜んでいた。僕も相談に応えられたのでほっとした。あとは地味子ちゃんの努力次第だ。お手並み拝見といこう。
地味子ちゃんの相談にのってから3か月が経った。

あれから毎週末に家のパソコンへ食事の内容がまとめてメールされてきている。

食事の内容に気が付いた点があれば、その都度、メールで意見を伝えている。

運動もきちんとしているようで、通勤時に一駅手前からの徒歩もこなしていると言う。

そういえば、近頃、身体が締まってきているようだ。

コロコロだった体形もスリムになってきた。まん丸顔も細面になってきた。

もともと目鼻立ちが整っていたが、それが目に見えて分かるようになってきた。

化粧も薄化粧ながら上手になってきているようだ。メガネをはずせばそれなりに見られる顔になってきたと思う。

ただ、社内では相変わらずのリクルートスタイルだし、メガネもそのままでちょっと見たところの外見は以前と変わらない印象を与えている。

でも、実質、徐々に変身しているのは間違いないようだ。昼休みに声をかけてみる。

「どうだい、少しずつ変身しているみたいだけど、ちょっと飲みにでも行くか?」

「はい、丁度相談したいことがあります」

「じゃあ、例のスナックで7時に」

スナックに着くと地味子ちゃんが凜と話していた。

「早く着いて、僕の悪口を言っていたんだろう」

「いいえ、磯村さんを褒めていたんですよ」

「そのとおりです。いつも相談にのってもらっていますから」

「ところで変身の具合は順調のようだね」

「お陰様で身体が引き締まってきました。頬も締まってきました。体調も良いです」

「野坂さんとはどうしているの?」

「野坂さんには姉妹がいなかったので、妹ができたみたいと言って親身になってもらっています」

「それはよかった」

「野坂さんがショッピングに出かける時に声をかけていただいています。ついて行って衣服の選び方やコーディネートの仕方、化粧品の選び方やメークの仕方などを教えてもらっています」

「でも会社では相変わらずのスタイルだけど」

「野坂さんはその方が仕事に集中できて良いと言ってくれますので」

「じゃあ、なかなか変身できないじゃないか」

「野坂さんはプライベートな時に大胆に変身したらインパクトがあるとおっしゃっています」

「プライベートの時だけ変身するっていうこと?」

「そうじゃないと、衣料費にお金がかかってしょうないと言っておられました。私もそう思います」

「それで、着こなしは上達したの?」

「コーディネートのコツも教えてもらっています。大分、分かってきました」

「それはよかった。そのうち見てみたいものだ」

「相談ですけど、新庄さんとお話がしたいので何とかチャンスを作ってもらえませんか?」

「そうか、アタックしてみるか?」

「そういう訳ではありませんが、いつまでもこのままの気持ちではすっきりしなくて」

「君はいつでも前向きだね、羨ましいよ」

「私はいつでも今の時間が一番大切だと思っていますから、今すぐにしないと気が済まないんです。いつやるか、今でしょうって言うじゃないですか」

「せっかちだね」

「そうかもしれませんが、思い始めると先延ばしにはできないんです。もしダメなら別を考えればいいですから」

「それもそうだね、分かった。直接、君にどうしろというのも何だから、何とか手筈を考えてみよう」

なんとかしてやりたいが、その手だてはどうしたものか? 野坂さんに相談してみるか?

話が終わったと見たママが声をかける。

「大事な相談は終わりましたか?」

「ああ、ママ、お会計をお願いします」

「もう、お帰りですか? ゆっくりしていって下さいね」

「今日は帰るよ」

凜が顔を近づけてきて小声でいう。

「あの娘に義理立てしているの?」

「そんなんじゃないけどね、また来るよ」

ここのところ、月に1回は泊っている。

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次の日の昼休み、野坂さんに電話すると丁度席にいた。

「ちょっと相談があるんだけど」

「後輩の米山さんと昨日飲んで聞いたけど、面倒を見てやってくれていてありがとう」

「気にしないで、丁度妹みたいな感じだし、素直だから面倒の見がいがあるわ。休日にシッピングに一緒に連れて行ってあげているだけだから」

「ちょっと提案なんだけど、少し時間が経ってしまったけど、新製品の広報のお礼も兼ねて、飲まないか、4人で」

「4人って、メンバーは?」

「君と僕と新庄君と米山さんだけど、新庄君は君の大学の後輩だよね」

「妙な組み合わせね。いいけど、日程調整してくれれば付き合うわ。土曜日にしてくれればなおいいけど」

「分かった、ありがとう」

確かに言われてみれば、妙な組み合わせだ。

まあ、地味子ちゃんと新庄君の顔合わせのためと言う訳にもいかないから、説明のしようがない。

それから、席に座っている新庄君のところへ行って小声で飲み会の話をする。

「今週の土曜日に飲み会をしようと思うんだけど、来てくれないか?」

「どんな趣旨ですか?」

「あえていうと世話になった野坂さんへのお礼の会と言うところかな」

「メンバーは?」

「野坂さんに、僕と新庄君だ。二人は新製品の発表でお世話になったし、それに君は野坂さんの大学の後輩だったよね」

「3年後輩です」

「それに僕の大学の後輩の米山さんも」

「ええ、あの地味な米山さんも?」

「実は米山さんも野坂さんの世話になっているんだ、プライベートなことだけどね」

「そうなんですか」

「どうかな、来てくれないかな」

「いいですよ。磯村さんの顔を立てて」

「よかった。これでメンバーが揃った」

そのあと、野坂さんと地味子ちゃんに土曜日の夕刻に飲み会が決まったことを連絡した。場所と時間は追って知らせることにした。

地味子ちゃんにはせっかく機会を作ったので、とにかく頑張るように話をした。
会場は、ネットで表参道の大通りのビルに洒落た居酒屋を見つけたので予約した。

集合は6時とした。ただ、幹事役としてはその前に到着していなければならない。

当日早めにと思って出かけたので、会場に到着したら、まだ、5時半前だった。とりあえず予約席に案内してもらう。

席で入り口の方を見ていると、着飾った可愛い女の子が入ってきた。

さすがに表参道の居酒屋だと感心して、その可愛いお客さんを遠目にながめている。

女の子はきょろきょろしている。店員さんが話しかけている。店員さんがこちらを指さすと、その女の子がこちらへ向かって歩いて来た。

僕を見つけてニコニコして話しかけてくる。

「先輩」。

どこかで聞いたような声だった。女の子が僕を見つめて可愛く微笑んで立っている。

「私です。米山です。今日は私のためにお骨折りいただきありがとうございます」

「ええ……君は米山さん?」

「努力の成果を見て下さい」

「すごく可愛くなったねえ、米山さんとは全く気が付かなかった。ごめんね」

「野坂先輩からいろいろ教えてもらいましたので、どうですか?」

「うーん、これなら新庄君も驚くと思うけどね」

可愛くなった米山さんを僕の横の席に座らせた。その前に新庄君、僕の席の前に野坂さんに座ってもらう予定だ。

そこに新庄君が入ってきた。こっちだと合図するとこちらへ向かって歩いてくる。

米山さんの前の席を促す。米山さんはうつむいて座っている。

「この人は?」

「米山さんだよ」

「ええ、あの地味な。いつもと全く違うので驚いた。本当に米山さん?」

「そうです。米山です。どうですか?」

「とっても可愛いね、見違えた」

新庄君は変身した米山さんをジッと見ている。これはうまくいくかもしれない。

少し遅れて野坂さんがやってきた。米山さんはすぐに立ち上がって挨拶をする。

「野坂さん、ありがとうございました。どうですか、今日は?」

「とても良くなったわ。もう一息ね」

「休日にショピングに一緒に連れて行ってもらって、おしゃれを教えていただいているんです」

「道理で垢抜けしていて見違えた」

「磯村さん、ところで今日の飲み会の趣旨がはっきりしないけど」

「お世話になった野坂さんへのお礼だけど、お互いに後輩を伴っての懇親会ということでもいいんじゃないか」

「まあ、後輩と飲んで話を聞くことも必要ね」

4人が揃ったところで、好みのお酒と料理をそれぞれが頼んで乾杯して飲みはじめる。

新庄君は何かを思いつめているようで話が弾まない。

米山さんは野坂さんとコーディネートの話に夢中になって、肝心の新庄君とは話をしていない。

僕は新庄君に話しかけるが、どうもうわの空だ。野坂さんが米山さんと話をしているのをじっと見ている。

これじゃあ、この場を設営した意味がない。何とかこれを打開しなくてはいけない。

小一時間ほどして野坂さんが化粧室に立ったので、トイレに行く振りをして、野坂さんが戻る途中を捕まえて話をする。

「実は今日の趣旨は米山さんと新庄君の二人に話しをさせるためだったんだ。米山さんが新庄君に惚れたというのでね」

「米山さんが惚れた相手というのは彼だったの、ようやく飲み込めたわ。それなら、しばらくして私たち二人は先に出たらどうなの? 別のところで飲み直しましょうよ」

「それなら話が早い」

席に戻ると頃合いを見計らって、野坂さんが「私たちは別のところで仕事の相談をしたいから」と言って、僕を誘って抜け出した。

残された二人はあっけにとられている。

お勘定は僕が支払って店を後にした。

「これからどうする?」

「本当に飲み直しましょうよ」

「じゃ、僕の知っているスナックへ行こうか」

◆ ◆ ◆
スナック『凛』はもう開いている。

ドアを開けるとママがお客と話している。

二人は止まり木に座った。

「いらっしゃい、随分、お早いのね」

「もうここが2次会だ。二人でお互いの後輩の仲を取りもったけど、うまくいくか心配しているところだ。とりあえず水割りを」

「それよりもお二人はどうなんですか」

「だだの気の合う友達かな、そうだろ」

「残念ながら、そのとおりだわ」

「はたから見るとお似合いのカップルに見えますけど」

「このままではずっとこのまま、何か特別なきっかけでもないとね」

「きっかけは待っているものではなくて、作るものだと思いますよ」

「そうかな、どう作るのかも分からないし」

「これじゃ望み薄ですね」

「いつもこの調子」

「野坂さんは誰か気になる人はいないの?」

「どうもあなたを含めて同年代の人は頼りなく見えて惹かれないのよ」

「悪かったね、頼りなくて」

「年上の人はどうなの?」

「大体が妻子持ちで、変に思い詰めると不倫になっちゃうわ」

「うーん、どうしようもないね」

「今は仕事を大事にしているけど、本当に10年後はどうなっているのやら、不安はあるわ」

「そうだね、お互いにそろそろ身を固める年に来ているからね」

「お二人とも深刻な話をしていらっしゃるのね。人生、思いっきりが必要な時もありますよ」

「ママはそういう時があったのですか」

「何回かはありましたけど」

「どうしました?」

「思い切ったらなんとかなりました」

「そういうものなのかね?」

「勇気をもって思い切ることですよ、周りのことや世間体なんか気にしないで」

「そうだね、いい助言だ、ママが言うと説得力がある。いい話を聞かせてもらった、じゃあ引き上げるか?」

「私は残る。ママともう少しお話がしたいから」

ママは少し困ったような顔を見せた。これじゃ、戻ってこられない。

「じゃあ、ママ、お会計をお願いします」

「また、きっと来てくださいね」

「ああ、きっと」

店を出た。あの後二人は何を話したのだろうか、気にかかる。

それに残してきた居酒屋の二人も気にかかる。
月曜日の昼休みに地味子ちゃんからメールが入る。

[新庄さんに振られました。詳しくご報告したいのですが?]

すぐに返信する。

[6時半にビルの近くのビアレストランで]

6時半に仕事を切り上げて近くのビアレストランに向かった。

店にはもう何組かの客が入っている。奥のテーブル席に地味子ちゃんを見つけた。

「すみません、お仕事が忙しいのに。すぐに報告したくて」

「いや、特に急ぐ仕事でもないので切り上げてきた。気にしないでいいよ、それよりどうだったの?」

「振られてしまいました」

「それは残念だけど、ちゃんと交際をして下さいと言ったのか?」

「お二人が出て行かれたので、あれから二人になって間が持たなくなったところで、新庄さんが僕たちも場を替えようと言って」

「それから?」

「近くの喫茶店へ行きました。新庄さんも私もお酒はそんなに強くないので。そこで私の方から思い切って新庄さんに付き合っていただけないかと言いました」

「それで」

「米山さんは見違えるように素敵で可愛くなった。こんな可愛い人から付き合ってくれと言われてとてもうれしいけど、僕にはいま気にかかっている人がいるので、その気になれないと言われました」

「気にかかっている人といったのか? 誰とは聞かなかったのか?」

「とても聞けるような感じではなかったので。ただ、そうですかとだけ言いました」

「それから」

「ところでさっき磯村さんと野坂さんが席を外したけど、二人の関係はどうなっているか知っているかと尋ねられました」

「それで何と答えた?」

「私が知っていることを答えました?」

「なんて?」

「磯村さんが私のことで野坂さんにいろいろ頼んでくれたこと、ときどきは二人で飲みに行っているみたいだとか、でもどの程度の関係なのか分からないと話しました」

「そうか、まあ正解かな」

「すみません。お二人のことを勝手に話して」

「別にそのとおりだから気にしなくていいよ。ところで新庄君はあきらめるのか?」

「あきらめます。良い勉強になりました。片思いって難しいと分かりました。でも、野坂さんにはこのままいろいろ教えてもらいたいと思っています」

「彼女にはこのことを簡単に報告しておくよ。それから今後も指導してやってくれと」

「すみません。せっかくいろいろとお力を貸していただいたのにうまくいかなくて」

「可愛い後輩のためだ、気にしないで、これに懲りないでこれからも頑張って」

ビールを飲みながら励ましていると、地味子ちゃんは段々明るくなっていった。いつまでもくよくよしない、これが地味子ちゃんの良いところなのかもしれない。

月曜なので飲むのはほどほどにして帰ることにした。支払いは地味子ちゃんがどうしても私に払わせてほしいというのでご馳走してもらうことにした。

帰る方向は同じだから、一緒に電車に乗って途中で先に下車して帰宅した。

やれやれくたびれもうけになった。でも、できるだけのことはしてやったから、まあ良しとしようか。

帰宅して一息ついていると地味子ちゃんからメールが入る。

[今日はありがとうございました。明日からもよろしくお願いします。おやすみなさい]

すぐに返信。

[元気を出して! なんでも相談してくれたらいい。おやすみ]