客がまだ一人残っていた。僕が戻って止まり木に座ってしばらくすると会計を済ませて帰っていった。
まだ、営業できる時間だけど、ママはすかさず、表の看板の明かりを落として、ドアをロックした。そしてすぐに水割りを2杯作った。
「お久しぶりですね」
「突然いなくなって、身体でも壊したのではないかと心配していた。でも元気そうでよかった」
「ごめんなさい。突然、仕事がいやになって止めようと思ったの、あんなこといつまでもできないし、何とかしなくてはいけないと思って」
「それで足を洗って、店を開いたの?」
「はじめは、この店の手伝いをしていたけど、店のオーナーが高齢で店をたたむと言うので引き継いだの、権利を譲ってもらって」
「儲かっている?」
「高くするとお客の足が遠のくし、安くすると儲からないし、難しいわ」
「一人でやっているの?」
「小さいお店だから一人で切り盛りしているの。昔の仲間を雇う訳にもいかないし、それに人を雇うとお給料を払わなきゃならないでしょ。でも何とか食べてはいけるようにはなった」
「僕の口から言うのもおかしいけど、やっぱり早く足を洗ってよかったね。突然いなくなったので、寂しかったけど」
「そう言っていただけると嬉しいわ」
「君とのことは誰にも話さないから安心して」
「分かっています」
「今日は久しぶりに会えてよかった。話ができて、元気でいることも分かったから。じゃあ、そろそろ帰ります」
「まだ、おひとり?」
「ああ」
「この上に居住スペースがあるんです。よかったら上がっていきませんか?」
「えっ、いいのかい。できればもう少し話がしたい」
店の奥のドアを開けると2階へ上がる階段があった。彼女に続いてゆっくりと階段を上って行く。
居住スペースは8畳くらいの洋室とキッチンとビジネスホテルのようなバス、トイレ、洗面所が一体になったバスルームがついているという。
一人暮らしならば十分な広さだと思う。
部屋の入ると奥においてあるセミダブルのベッドが目に付く。
すぐに「シャワーを浴びて下さい」と促されてバスルームに入った。
僕に続いて彼女が入ってきて服を脱いだ。そして身体を洗ってくれる。
まるで店へ行った時と変わらない。彼女のしたいようにまかせよう。彼女の好意を感じるし、悪い気はしない。
「なんと呼べばいいの?」
「さっきの名刺は本名ですから、凛で」
「凛か! 響きがいい名前だ」
「歯磨きをして下さい」
洗い終えると、二人はバスタオルをまとってベッドへ、それからは離れていた時間を取り戻すかのように、ひとしきり愛し合った。
あの時と同じ時間が過ぎていく。あの時のまま、凜も変わっていない。空いた時間が埋められたような気がした。
「今でも行っているの?」
「時々ね。君のようないい娘にはもうめぐり合わないけどね」
「ありがとう、気に入ってもらえて。うれしいものなのよ、ファンがいるって。あの仕事は相手を選べないのよ、だから好みの人をいつも待っている。それがやるせなくなって、それも止めた理由」
「君に会うと何故かほっとするんだ。今も変わりないね」
「随分変わったわ、年も取ったし」
「そんなことない。君は変わっていない」
「今日はもう遅いから泊まっていって下さい」
「そういえばあのころいつも言っていたね、このまま泊っていきたいって」
「私も二人で身体を寄せ合って眠ってみたい時はあるわ。今日は二人で眠りたいの」
「そうするよ。久しぶりに会ったのだから、もっと話もしたいし」
凛は立ち上がって、水割りを2杯作ってきてくれた。冷たくておいしい。
二人はベッドで体を起こしてもたれ合っている。
肌が触れ合っていると心も触れ合っている気がしてくる。
思えば、彼女とは怠惰な関係を随分長い間続けていた。
いつもたわいもない話しかしていないのに、何となくほっとして心が安らいだ。
なぜだろうといつも思っていた。それが突然終わった時、心にポッカリと穴が開いたようだった。
「お店に僕のような昔のお客が偶然来ない?」
「1~2回のお客は私も覚えていないから気が付かない。なじみのお客でも時間が経っているし、髪形や化粧を替えているから、まず気が付かないと思う」
「あなたのようなお客さんがもう一人いたけど、彼なら気付いてくれると思うわ」
「山内君はなぜこの店のなじみなの?」
「彼は偶然にここへ来ただけのお客さん、前の仕事とは全く関係ないわ」
「そうか、兄弟でなくてよかった」
「ふふふ…」
「君が幸せになっているようにと思っていたけど、普通に暮らしていてよかった。ここへ戻ってきたのは、君の迷惑にならにように、もう来ないと言おうと思って来たんだ」
「でもね、あの仕事を離れると、また寂しいこともあるのよ。だから時々寄って下さい」
「もし迷惑でないのなら寄らせてもらうよ」
話が途切れると、また愛し合って、疲れると抱き合って眠った。
離れ離れの恋人が久しぶりに会ったように身体と心が満たされていった。
◆ ◆ ◆
朝、目が覚めると、凛はもう起きて朝食を作っていた。
「おはよう。もう、起きたの?」
「いつもなら午前中は寝ているけど、今日は特別」
「昨日の余韻を楽しみたかったのに」
「朝食の準備ができましたから、食べていって下さい」
凜は何を思ったのが、早起きして朝食を作ってくれた。
恋人のまねごとをしたかったのかもしれない。僕に特別の好意を示してくれた。
簡単な和食の朝食だったけど、とてもおいしかった。でも別れ際に僕は聞いてしまった。
「お礼をしてもいいのかな?」
「しなくてもいいわ。でも気の済むようにしてくれていいのよ」
「じゃ、気持ちだけ」
そう言って、2番目の店の料金を手に握って手渡した。
彼女はすこし悲しそうな眼差しを見せた。それを見て好意を踏みにじってしまったと思った。
「ありがたくいただくわ、店の経営が楽ではないから」
「これまでと同じにしてしまって、気分を害したらごめん。悪気はないんだ。どうしても甘えられなくて」
「また、気が向いたら寄って下さい」
「ああ、ありがとう」
店の前まで送ってくれた。
久しぶりの逢瀬で身も心も満たされた。凛はやはりいい女だ。
まだ、営業できる時間だけど、ママはすかさず、表の看板の明かりを落として、ドアをロックした。そしてすぐに水割りを2杯作った。
「お久しぶりですね」
「突然いなくなって、身体でも壊したのではないかと心配していた。でも元気そうでよかった」
「ごめんなさい。突然、仕事がいやになって止めようと思ったの、あんなこといつまでもできないし、何とかしなくてはいけないと思って」
「それで足を洗って、店を開いたの?」
「はじめは、この店の手伝いをしていたけど、店のオーナーが高齢で店をたたむと言うので引き継いだの、権利を譲ってもらって」
「儲かっている?」
「高くするとお客の足が遠のくし、安くすると儲からないし、難しいわ」
「一人でやっているの?」
「小さいお店だから一人で切り盛りしているの。昔の仲間を雇う訳にもいかないし、それに人を雇うとお給料を払わなきゃならないでしょ。でも何とか食べてはいけるようにはなった」
「僕の口から言うのもおかしいけど、やっぱり早く足を洗ってよかったね。突然いなくなったので、寂しかったけど」
「そう言っていただけると嬉しいわ」
「君とのことは誰にも話さないから安心して」
「分かっています」
「今日は久しぶりに会えてよかった。話ができて、元気でいることも分かったから。じゃあ、そろそろ帰ります」
「まだ、おひとり?」
「ああ」
「この上に居住スペースがあるんです。よかったら上がっていきませんか?」
「えっ、いいのかい。できればもう少し話がしたい」
店の奥のドアを開けると2階へ上がる階段があった。彼女に続いてゆっくりと階段を上って行く。
居住スペースは8畳くらいの洋室とキッチンとビジネスホテルのようなバス、トイレ、洗面所が一体になったバスルームがついているという。
一人暮らしならば十分な広さだと思う。
部屋の入ると奥においてあるセミダブルのベッドが目に付く。
すぐに「シャワーを浴びて下さい」と促されてバスルームに入った。
僕に続いて彼女が入ってきて服を脱いだ。そして身体を洗ってくれる。
まるで店へ行った時と変わらない。彼女のしたいようにまかせよう。彼女の好意を感じるし、悪い気はしない。
「なんと呼べばいいの?」
「さっきの名刺は本名ですから、凛で」
「凛か! 響きがいい名前だ」
「歯磨きをして下さい」
洗い終えると、二人はバスタオルをまとってベッドへ、それからは離れていた時間を取り戻すかのように、ひとしきり愛し合った。
あの時と同じ時間が過ぎていく。あの時のまま、凜も変わっていない。空いた時間が埋められたような気がした。
「今でも行っているの?」
「時々ね。君のようないい娘にはもうめぐり合わないけどね」
「ありがとう、気に入ってもらえて。うれしいものなのよ、ファンがいるって。あの仕事は相手を選べないのよ、だから好みの人をいつも待っている。それがやるせなくなって、それも止めた理由」
「君に会うと何故かほっとするんだ。今も変わりないね」
「随分変わったわ、年も取ったし」
「そんなことない。君は変わっていない」
「今日はもう遅いから泊まっていって下さい」
「そういえばあのころいつも言っていたね、このまま泊っていきたいって」
「私も二人で身体を寄せ合って眠ってみたい時はあるわ。今日は二人で眠りたいの」
「そうするよ。久しぶりに会ったのだから、もっと話もしたいし」
凛は立ち上がって、水割りを2杯作ってきてくれた。冷たくておいしい。
二人はベッドで体を起こしてもたれ合っている。
肌が触れ合っていると心も触れ合っている気がしてくる。
思えば、彼女とは怠惰な関係を随分長い間続けていた。
いつもたわいもない話しかしていないのに、何となくほっとして心が安らいだ。
なぜだろうといつも思っていた。それが突然終わった時、心にポッカリと穴が開いたようだった。
「お店に僕のような昔のお客が偶然来ない?」
「1~2回のお客は私も覚えていないから気が付かない。なじみのお客でも時間が経っているし、髪形や化粧を替えているから、まず気が付かないと思う」
「あなたのようなお客さんがもう一人いたけど、彼なら気付いてくれると思うわ」
「山内君はなぜこの店のなじみなの?」
「彼は偶然にここへ来ただけのお客さん、前の仕事とは全く関係ないわ」
「そうか、兄弟でなくてよかった」
「ふふふ…」
「君が幸せになっているようにと思っていたけど、普通に暮らしていてよかった。ここへ戻ってきたのは、君の迷惑にならにように、もう来ないと言おうと思って来たんだ」
「でもね、あの仕事を離れると、また寂しいこともあるのよ。だから時々寄って下さい」
「もし迷惑でないのなら寄らせてもらうよ」
話が途切れると、また愛し合って、疲れると抱き合って眠った。
離れ離れの恋人が久しぶりに会ったように身体と心が満たされていった。
◆ ◆ ◆
朝、目が覚めると、凛はもう起きて朝食を作っていた。
「おはよう。もう、起きたの?」
「いつもなら午前中は寝ているけど、今日は特別」
「昨日の余韻を楽しみたかったのに」
「朝食の準備ができましたから、食べていって下さい」
凜は何を思ったのが、早起きして朝食を作ってくれた。
恋人のまねごとをしたかったのかもしれない。僕に特別の好意を示してくれた。
簡単な和食の朝食だったけど、とてもおいしかった。でも別れ際に僕は聞いてしまった。
「お礼をしてもいいのかな?」
「しなくてもいいわ。でも気の済むようにしてくれていいのよ」
「じゃ、気持ちだけ」
そう言って、2番目の店の料金を手に握って手渡した。
彼女はすこし悲しそうな眼差しを見せた。それを見て好意を踏みにじってしまったと思った。
「ありがたくいただくわ、店の経営が楽ではないから」
「これまでと同じにしてしまって、気分を害したらごめん。悪気はないんだ。どうしても甘えられなくて」
「また、気が向いたら寄って下さい」
「ああ、ありがとう」
店の前まで送ってくれた。
久しぶりの逢瀬で身も心も満たされた。凛はやはりいい女だ。