学校嫌いと、イヤーブック。


――私も友達も学校が心底嫌いだ。

ごく当然で当たり前のことだよと誰かに笑われるかもしれないが、私は私以外の学校嫌いの人達よりも、もっと、もっと、学校が嫌いだと思っている。


――これは、異常に学校を嫌っている佳奈(私)と少し学校嫌いな紅羽(友達)の、ほんのちょっとした小さな物語だ。

ある昼下がり、私は中庭のベンチに座ってお弁当を食べていた。今は昼休みの時間。

向かい側から友達の紅羽が走ってやってくるのが見えた。

「おはよっ!」

紅羽は手を上げて、そんなことを言う。

「どう考えても、『おはよっ!』なんて挨拶をする時間帯じゃないでしょ! もう昼だよ紅羽」

私は苦笑いをする。

「そんなの分っているよ、でもさ、『こんにちは』より、『おはよう』の方がなんだか言いやすいし、こんにちはをやくして『こんっ』だとなんだか風邪ひいた時の咳と間違えられそうじゃん!」

紅羽は肩まで伸びた黒髪をいじりながら、バツが悪そうに言う。

「……それでも挨拶は時間帯にあったものじゃないと意味ないよ」

私はそう言ってまた苦笑いする。

紅羽が私の隣に座り、ポケットからおにぎりを取り出した。

「もしかしてそのおにぎり、朝からずっとポケットに入れっぱなしだったの?」私は絵に描いたように驚く。

「うん、そうだけど?」

紅羽はなんともないように落ち着き払った様子で、認めた。

なんだか、私は驚いていいポイントで驚いたのにも関わらず、なぜか指摘を間違えたみたいになってしまうのがちょっと気に食わない。

――私達は高校一年生だ。四時間目の授業が終わり、今は昼休みの時間。
 
私達の学校は給食というシステムがない。だけど給食がないことに不平(ふへい)は全くない。

他の高校の友達から聞いた話だと、高校生の給食は小学校、中学校の時の給食と比べて、格段(かくだん)にまずいと聞いたことがあるから。

お弁当持参の学校で本当に良かったと思う。母が作ってくれるお弁当に心配はない。

「……紅羽どうだった? 一時間目から四時間目までの授業は」

私は紅羽の目をしっかり見て、聞く。

「どうだと思う?」

紅羽は見透かしたようにニヤリと笑ってじらした。

私は立ち上がる。

「私は苦痛でした! もう学校に行きたくない!」

私は口の横に手を当て、中庭全体に広がるように叫んだ。

「まさしく悲痛の叫びってやつだね、学校がそんなに嫌いなの?」

紅羽はわざとらしく首を傾げて言う。

「……そういう紅羽はどうなんだよ、学校が好きなの? 好きで学校に来ているの?」

私は紅羽を睨みつけるように見て、質問する。

「いや、まあ、好きではないかもしれ――」

「昨日は嫌いって言っていたでしょ! ……正直に言いなさい!」

私は、はっきりとした回答をしない紅羽を問い詰めた。

「……まあ、はい、学校は嫌いです、とても」

紅羽は自分の靴を見ながら、ちゃんと白状した。

私はゆっくりとベンチに座る。

「あ~あ、家に帰りたいなー、一刻も早くね!」

「私も」

私と紅羽の二人はベンチの背もたれに寄りかかって、しばらく学校に対しての不平を話した。

……学校が嫌い、誰だって大抵は思うごく普通の感情かも知れない。

だけど私は、それ以上に必要以上に学校を嫌悪(けんお)していると思う。

朝起きて、学校に行くまでの道のりで、私は必ずお腹が痛くなってしまう。なぜかは分からない。学校という空間になんらかのプレッシャーを感じているのだと思う。

無事に学校の正門をくぐって自分の教室に辿り着いた後は、心がどんよりとする憂鬱(ゆううつ)がずっと続く。

多分学校が嫌いだと口癖のように呟いている人でも、正門をくぐって校舎に入り、友達と会話をしたら大抵は気分が晴れると思うが、私はそうじゃない。

ずっと頭の上に真っ黒な雲が付いてきて、上からどしゃ降りの雨をずっと降っているような嫌な気分が続く、学校にいる時は。

上履きを履いているとなんだか窮屈(きゅうくつ)な気持ちになるし、廊下に響く足音はなぜだかみっともないような音に感じてしまう。

授業中はずっと窓の外を見ていて、早く休み時間が来ることを望んでいる。

だけど休み時間が来ると、次に始まる授業のことを深く考えてしまい、嫌な気持ちになってリラックスすることが出来ない。

学校という空間にいると、お腹が痛くなるし、胃も痛くなるし、背中に重みをのせられているような感覚になる。

頭も冴えないし、楽しいとあまり感じなくなり、ネガティブなことばかり考えてしまう。

正門前にある大きな桜の木を見ても、綺麗に掃除された教室を見ても、透き通るような青空を見ても、美しいと思えず、なんだかどんよりとしたまま。

――学校にいる限り、心が休まらない。

「だけど早退するには微熱でもいいから熱がないと、帰らせてくれないからね」

紅羽が首を横に振り、やれやれといった様子で言う。

「そこが難点(なんてん)だよね、本当に。嫌になっちゃうなぁ、もう」

私は重い溜息をひとつついて、目を瞑った。

「そうだね。……でも、まあ、後二時間だけだから、一緒に頑張ろうよ佐奈!」
無理に明るく言い始める紅羽。

頬っぺたに変な感覚がしたので目を開けると、紅羽は指で私のほっぺを突いていた。

「本当によくわからないことをたまにするよね、紅羽は」

私は呆れたように言う。

「えへへ」

紅羽は照れ笑いをした。

私は灰色のアスファルトの上を紅羽と共に歩いていた。

終礼が終わり、今は幸せに包まれた下校の時間。見るもの全てが美しいものに感じる。

学校から解放され気が楽になる私。紅羽も多分同じ気持ちだろう。

紅羽が私の目の前まで来て、両手を広げて止まった。

「いやー、学校が終わると気分爽快な気持ちになるね、佐奈!」

こぼれるような笑みを見せる紅羽。

「うん、そうだね。……だけどどうして私の目の前で止まるの? それじゃあ先に進めないよ」

立ち止まるしかない私は困った表情を見せた。

「ごめんごめん、……だけど佐奈さ、さっきから話しかけているけど、どこか上の空な感じで話が頭に入っているかどうか心配だったからさ」

そう言って紅羽は、私の隣に戻ってきて歩きだし始めた。私も渋々歩き出す。

「心配してくれたんだね。……確かに今はちょっと疲れていて話がスッと頭に入ってきていなかったかも、でも心配するほどじゃないよ」

そう言って私は胸の前で手を振る、心配しないでというジェスチャーだ。

「そう? ならいいんだけど……」

心配そうにしていた紅羽は、私の言葉に一応納得してくれた。

 
歩いていると分かれ道に辿り着いた。

この分かれ道で私と紅羽はいつも別々の方向へ別れている。そうしないと家に帰れないため仕方がない。

「じゃーねー、佐奈、また明日!」

「また明日も学校あるのかー、嫌だな……」

「当たり前でしょ! 明日は平日なんだから。また明日も頑張ろうね!」

「う、うん! じゃあね紅羽、また明日」

「おう!」

去り際に少し話をして、私達は別々の方向へ向かった。

自分で学校という言葉を口に出してしまい、心がなんだか憂鬱になってしまう。

楽しいことは殆どないし、苦しいから、学校に行きたくないなあ。

……なんて思ったところで、明日の学校を回避することは出来ないので思うだけ無駄なのに、私は台風でも起こって学校が休みになればいいなんて、そんな幼稚なことを思ってしまう。

高校生なのに、学校嫌いは小さな子供のころから全然成長してない私。

駄目だ、もっと大人にならないと。

……実は今日、私が上の空な状態で紅羽の話をぼんやりと聞いてしまったわけも、きっとまた明日行かなければいけない学校に対して、様々な苦難(くなん)な気持ちを思ってしまったからだと思う。

……もっと楽しい話が出来ればいいのに、せっかく友達と一緒に帰っているんだから。私は本当にどうしようもない、ネガティブ人間だ。

私の学校嫌いは友達にまで迷惑をかけてしまっている。そう考えると涙が出そうだった。

なんだかどんどん悲しくなり、目の端に水が少し溜まり始める私。

外で泣きだして通行人に変な目で見られたくないという意地が働き、私は手で強く目を擦って涙がこぼれるのを阻止した。

私は色々な不の気持ちを背負いながら、重たい足取りで自宅まで歩いた。


――お気に入りの白い靴は砂と土でめちゃくちゃに汚れた。今日は体育の授業があったからだ。

靴が汚れてからは、なにをやっても上手くいかないような気がした。実際小さなことでミスを起こしてしまい、失敗続きの学校生活だった。

学校にいるというだけで結構苦しい状態なのに、さらに災難が降りかかると、目を開けて現実を直視するのも厳しいと感じてしまう。

心が壊れてしまうかもしれないという瞬間が、何度かあった。

まるで、フライパンにこびりついたおこげのような一日だと思った。

学校が終わり、今は紅羽と一緒に下校をしている。だけど気分は晴れないまま。

「今日の佐奈は、なんだかとても疲れているように見えるよ」

隣で歩いている紅羽が私の顔を覗き込み、心配そうに言う。

「そう? ……でも学校帰りは私以外の人も皆疲れてるんじゃない? 紅羽だってそうでしょ?」

「確かにそうだけどさ……、佐奈の疲れは皆の疲れとはちょっと違うような気がするんだよね」

紅羽は険しい表情で意味深なことを言う。

「どういうこと?」私は首を傾げた。

「……佐奈はさ、学校が大っ嫌いでしょ?」

「勿論! 死ぬほど嫌いだよ!」

元気よく答える私。

「即答だね。嫌な場所に毎日通い、嫌な場所で日々の生活をおくらなきゃいけないから、疲れているってこと?」

「うんっ! それが一番の原因かな」

私は何度も頷く。

「……やっぱり、里歩の疲れは少し変だよ」

紅羽の顔がさらに険しい表情になる。

「ど、どこが?」

紅羽に「変」と断言され、私も段々自分がおかしいんじゃないかと心配になり始める。



「佐奈はさ、学校での出来事で疲れているというよりも、学校に行きたくないという気持ちや、学校にいるのが嫌だという気持ちで疲れてしまっているところが多いから変だと思う」

紅羽は真剣な眼差しで深刻そうに話す。

「それのどこが変なの?」

私はきょとんとした。

紅羽の言いたいことが分からない。紅羽が変だと思っている部分はどこなんだろう?

「えっとね……、私を含めて一般的な人達は『学校内での授業や人間関係』で疲れているのに対して、佐奈は『学校に行くことや、学校という空間』にいるだけでも疲れてしまうから。その違いに私はおかしさを感じるんだよね」

紅羽が人差し指を立てて、私に説明する。

私は足を止めた。不審がりながらも紅羽も足を止める。

「あまり違いが分からないんだけど、それって変なことなの?」戸惑う私。

「変だよ! そして大変だよ! だって私や多くの人達の疲れはちゃんと理由があるけど、佐奈の場合はその理由が学校全体という曖昧なものだから、変わっていて、それに解決しにくいと思う!」

紅羽は血相を変えて、いつになく必死に説明をしてくる。

「……そう言われると確かに、私は変かもしれない」

私は紅羽の言い分に多少納得し、そう呟く。

「うん。……でも佐奈、私は別に変わっている部分を責めたいわけじゃないからね!」

そういって紅羽は静かに笑った。そして歩き出す。私も歩くのを再開する。

紅羽は悪意があって私のことを変だと言ったわけではなさそうだった。だけどそれでも、人に変と言われるのは、少し複雑な気持ちになる。

それは、紅羽に変と言われたこともそうだけど、自分が人とは違う悩みを持っているということも複雑な気持ちになった理由の一つだ。

「でも私はこのままだと疲れの原因が解決しにくくて大変なんでしょ? じゃあ私はどうしたらいいのかな?」

「うーん、どうしたらいいんだろうね」

紅羽は手を組んで困り顔で言う。……おいおい。

「……無責任だなぁー、私は紅羽に変だと指摘されて自分のことを気にし始めたというのに」

「だって本当に思いつかないんだもん!」

紅羽はそう言って、腹を抱えて笑い出した。

――いやいや、笑いごとじゃないって。私はそう突っ込もうとしたが、いつの間にか私達は分かれ道までたどり着いていて、紅羽は「じゃーねー! 佐奈、また明日!」と言い、私の家の方面とは反対側の道に走って行ってしまった。

「う、うん、紅羽また明日!」

急いで私も声を出したが、走っていた紅羽には届いてない様子だった。

取り残されたような気分になる私。

アスファルトがいつにもまして、黒く見えた。

一気に寂しさが増す。

紅羽が言っていたことを思い返す。どうやら私は『学校に行くことや、学校という空間に疲れてしまう』らしい。

つまり、授業が嫌だとか、人との付き合いが苦手だとか、威圧的な先生がいるからとか、そういう直接的な原因ではなく、『学校』そのものを私は嫌いらしい。

確かにそうだ、紅羽の観察力は鋭い。

私は学校そのものが嫌いだ。

授業で苦手な科目もある。学校には苦手な人もいる。だけどそれらは、学校嫌いの上にのっかっているだけ。

だから仮に、楽しいことだけしかない楽園のような学校でも、学校は学校で、私は学校が嫌いなままだろう。

……でもだとしたら、私はどうすればいいのだろう?
 
楽しいことだけの学校でも、学校嫌いが改善出来ないのなら、私はどうやったら学校嫌いを直すことが出来るんだろう?

分からない。

汚れた靴を気にしながら、私はのっそりと家に向かって歩く。

先ほどまで晴天な天気だったのに、いつの間にか曇り空になっていた。

学校嫌いと、イヤーブック。

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