精算を済ませると店長が声を掛けてきた。
「もう遅い時間だから気をつけて。あの通り魔もまだ捕まってないし」
「最後に襲われた方も、亡くなりましたからね」
「警察もパトロールを強化してるみたいだから、あの後は起きていないけれど心配だよね」
「注意して帰ります」
 階段を下りて通りに出る。店長に言われたからではないけれど、つい周りを見回してしまう。

 無事に家へ帰っても、さっきのミキとのやり取りが何か引っ掛かっていた。
 文字から受ける印象だけど、どこか今までの彼女と違うような……。
 でも、神社のことも知っていたし。
 あの脅迫文もやはり彼女の仕業なのかな。
 どうして僕が何もしなかったことを知っていたのか。
 とにかく、明日。
 彼女に会うしかない。


 翌日の仕事は手につかなかった。ミスも多く、部長に怒鳴られること三回。
 顔色も悪かったのか、水野が心配して声を掛けてくれた。
 それでも何とか残業も終わらせ、会社を出て約束の神社へと向かう。
 ときわ台駅に着いたのは九時前だった。
 まだ一時間ある。
 喫茶店に入りカフェオレを頼んだ。夕食はまだだけど食べる気にはならない。
 
 九時四十五分になり、店を出て神社へと向かった。
 あのときとはまた違う緊張感に包まれている。
 鳥居が見えてきた。もう遅い時間だし、人通りは少ない。近づくと石段への登り口辺りにはまだ白い花が置いてあった。
 それを横目に見ながらゆっくりと階段を上っていく。踊り場でいったん立ち止まり、上を見上げたけれど暗くてよく見えない。深呼吸を一つしてから、また上り始めた。

 境内にたどり着き、スマホで時間を確かめる。
 あと五分ほどで約束の十時になる。
 相変わらず薄暗くて足元さえよく見えない。
 社殿の方へ歩いて行こうとしたとき、右側の暗がりから足音が聞こえた。
(先に来てたのか)
 こんな時間にこっそりと潜んでいるなんて、ミキしか考えられない。
 暗がりの中から近づいてくる。
 ようやく顔が見える距離まで来たとき――
「あっ! あなたは……」
 間違いない。
 あのとき一瞬見えた顔と同じ、お爺さんを突き落とした男だ。


「あなたが……ミキ?」
「あぁ、そうだよ」
 どうなってるんだ。混乱して状況が呑み込めない。
「いや、ミキって女性じゃなかったの……」
「僕は始めから三木と名乗ったじゃないか。ハンドルネームとか適当な名前を付けるのは嫌なんだ」
 神経質そうなちょっと高い声をしている。
 ミキは早口でまくし立てた。
「君の方こそカオルという男性のふりをして、実際には女性のくせに」
「いや、男性のふりをしたつもりは……」
 そう言えば、僕が女性であることをミキには伝えていなかった。
 分かっていると勝手に思い込んでいたんだ。同性同士だから共感できる、だからこそ交換殺人をしようと決めたのに。
「あ、あの手紙をボクの家へ入れたのは、あなた?」
「そうだよ! いつまで経っても君は何もしない。だから脅かしてやったのさ」
「どうやって家が分かったの?」
「あのサイトで、君のことを知ってるっていう人から教えてもらったんだよ!」
 僕の家まで知ってる人?
 いったい誰が……。

「君の言う通り、僕はあの爺さんを殺したんだ! それなのに、どうして君は殺してくれないっ。いつになったら角田を殺してくれるんだよ!」
 え、カドタって何の話?
「ちょっと待って。あのお爺さんを殺すように頼んだのはあなたでしょ」
「なに訳の分からないことを言ってるんだよ。君が殺してくれって頼んで来たんじゃないか」
「ボクは頼んでなんかいないよ。僕もミキからあのお爺さんを殺してくれるように頼まれたんだ」
「くだらない言い訳なんかするなっ!」
 興奮したのか、男は掴みかかってきた。
 彼の手を両手で押さえて抵抗する。
「お、願い、ボクの話、も聞いて」
 手に力を込めたまま、話し掛けた。
「あなた、が、お爺、さんを、突き落とし、たとき、ボクも、ここにい、たんだ」
 途切れ途切れの言葉しか出せない。
 彼のほうが背も高いし、力も強い。
 徐々に押されて後ずさりする。
「くっそー! 僕が殺すのを見届けたくせに自分は何もしなかったんだな。馬鹿にしやがってっ!」
 ものすごい形相で、彼が力任せに僕を突き飛ばした。
 その勢いで数歩後ろへ下がる。
「あっ!」
 最後の一歩は、踵が宙を踏んでいた。



 バランスを崩し、背中から倒れていく。
 石段に後頭部を打ちつけ、転がり落ちていく中で、いくつもの言葉や情景が浮かんでは消えていった。

 顔も知らぬ誰かのために人を殺そうとした。
 自分が憎む相手を殺してもらうことと引き換えに。
 こんなことを考えたことが、そもそもの間違いだったのか。

 僕が話したミキは、あの男なんかじゃない。

『この方法なら、女性にだってできるでしょ』
「会社宛てに問い合わせメールが来ていたから返信しておいたよ」
「君のことを知ってるっていう人から教えてもらったんだよ!」

 そうか、やっと分かったよ。ミキが誰なのか……。
 でも、もう、遅、かった、みた、い、だ。