素直になったら、恋が降って。

 そんなに私が嫌い? そんなにウザい? みんなが見ている前で教室を連れ出したりして、晄汰郎は一体、何がしたかったの。

 私は先週から、ずっとずっと考えていた。

 なんであんなことを言ったんだろう、どうして今さら晄汰郎を意識するようになってしまったんだと、くるくる、くるくる、と。

 そして私自身、晄汰郎を彼氏にしたいではなく、彼女になりたい、と思いはじめていることにも、すごく衝撃を受けている。

 先輩たちがギンガムチェックとりんごパイに一喜一憂する姿が眩しくて、私も青春っぽいものがしたいと思ったこと自体は間違っていないはずなのに。なんでこんなに虚しいんだろう。胸が痛いんだろう。

 ……現実は、ちっとも私に優しくない。

 ひとつため息をつき、黒板を見るふりをして晄汰郎の絶妙な坊主頭を見つめた。

 晄汰郎の席は教卓の真ん前という、絶好なんだか最悪なんだか、今ひとつわからない席だ。

 ……あんたのせいで、こっちは混乱してるんだよ。どうしてくれるの、ゴリラ坊主。
 まるで睨みつけるようにして見つめていると、寝不足なのか、先生のお経のような声に眠気を誘われたのか、しばらくして晄汰郎の首がカクン、と折れた。

 それを見逃さなかった先生が、すかさず教科書の角で坊主頭をゴンと小突く。その痛みで目が覚めたらしい晄汰郎は、バツが悪そうに頭の後ろに手をやってしきりに先生にヘコヘコ頭を下げる。

「……なんで私はあんなのがいいんだろ」

 たまらずこぼした自問は、けれど幸い、先生にも隣の席の男子にも聞こえていないようだった。

 それまで朗々と教科書を読み上げていた先生は、晄汰郎に向けてわざとらしい咳払いをすると、また戦国武士の階級制度について朗々と教科書を読み上げる。

 それを右から左へ聞き流しながら、ああ、友達になんて報告しよう、と憂鬱極まりない気持ちで思う。

 先延ばしにしていたけれど、あともうひとつ授業を受ければ、もう昼休みだ。さすがに放課後までは引き伸ばせないだろうし、そうしたところで金曜日の出来事をいい感じに捻じ曲げられるとも思えない。

 それに、さっきの連行も。

 先生と同時に教室に戻ったから尋問されなかったけれど、今頃友達は根掘り葉掘り聞きたい衝動に駆られているに違いない。
「どうしたらいいの、はこっちの台詞だっつーの。……どうしたらいいの、本当に」

 だから嫌なんだ。

 蓮高の伝統行事だかなんだか知らないけれど、とんだ迷惑行事の夜行遠足も、ギンガムチェックとりんごパイも、月曜日も、恋とかいう目には見えない不確かなものに振り回される自分も、晄汰郎も、全部、全部。


 授業後、案の定、十秒としないうちに友達に机の周りを囲まれた私は、つい一時間前のことについて詳細な説明を求められた。金曜日の報告もしきりにせがまれて、私はとうとすべてを包み隠さず話すしかなくなった。

 とはいっても、たった十分の休憩の間では話し終えられるわけもなく、結局は昼休みの時間を丸々、尋問されることになる。

 けれど話し終わっても、私の心はすっきりするどころか、ますます混乱してしまった。

 私はいったい、どうしたいんだろう?

 その答えはいまだ出ないまま、午後の授業でもまた晄汰郎の首がカクンと折れる様を眺めては、ため息をこぼすだけだった。
 
 まずい、非常にまずい。何がまずいかって、私から計算を取ったらあとには一体何が残るんだ? って話だ。

 まるで睨めつけるかのように眼光鋭く見下ろしてくる視線に耐えきれなくなった私は、首を引っ込め、とうとう俯いた。

 まだギリギリ夏服のセーラー服の襟首を、ちょうど吹いた秋風がさーっと撫で、少しだけ肌寒い。

「で、くれないの? それ」
「いや……その……」
「お前さ、なんなのマジで。散々期待を持たせておいて今さらそれ? お守りなんてただの願掛けじゃん。くれる気があるんだったら早くちょうだいよ。部活も行かなきゃなんないし、もう明後日が本番なんだけど」
「……う」

 手には今週中、ずっとスカートのポケットに入れて持ち歩いていた、本命お守りの感触。どうにも気まずくなって思わずスカートの上からそれを触ってしまうと、目の前の男子はひどく焦れた様子でそう言った。

 受け取ってもらえるまで何度でも渡すつもりが、渡すまで何度でも「くれ」とせがまれるようになって、早三日。相手はもちろん、憎きゴリラ坊主の晄汰郎だ。

 月曜日のどこか切羽詰まった様子からは一変、今私の目の前にいる晄汰郎の態度は、ふてぶてしいこと、この上なかった。
 ……あれ? どうしてこうなった?

 思いのほか冷たかった、うなじのあたりを撫でていった秋風と、晄汰郎から注がれ続ける圧に軽く身震いしながら、私は思う。

 こうなったらもう、晄汰郎が好きだと認めざるを得ないところまで来ているのだろう。

 これまで特に意識したことはなかったけれど、きっと自分でも気づかないうちに晄太郎の姿がよく視界に入っていたはずだ。だから目が合うなと気づいたし、夜行遠足を機に彼氏にしたいと思ったんだと思う。

 それに友達に一部始終を話したときの感想も『もう付き合っちゃえよ』だったし。

 そんな彼女たちは、晄汰郎のほうも私のことが好きだから、みんなの前で教室を連れ出したり、一転、お守りをくれとせがんでいるんだと言って聞かない。

 でも私は、そんな虫のいい話なんてあるわけないでしょと思う。『くれる気があるんだったら早くちょうだいよ』とふてぶてしく催促してくるところなんか、どこが⁉だ。

 ああもう、自分のことじゃないからって、みんなして超楽しんじゃってさー……。

 私の気分は、今週中、ずっと浮かない。それに、月曜日の「計算、なの?」「なにが」から端を発してしまった気まずい空気の対処法もさっぱりなのだから、もうお手上げだ。
 でも反面、この空気のおかげで、金曜日からの一連のこともいい感じにうやむやにできるかもしれないと、ほのかに期待した。

 晄汰郎のことは好きだけれど、あまり関わりたくないのが本音だから。

 だって〝これまでの私〟を内側から作り変えられていくようで。そうなったら、私には何も残らない気がして、すごく怖い。

 でも、そんな期待は見事に裏切られ、こうして毎日、くれくれとせがまれるようになった。

 この通り別段欲しくもなさそうなのに、なんでこう、毎日毎日くれくれ言われなきゃいけないの? もうわけがわからない。

 わざと気まずい空気を作ろうとして、あんなことを言ったわけでは、もちろんない。でも、十分気まずくなる出来事のはずだ。

なのに、どうして……? 想像を超えて行動してくる晄汰郎が理解できない。

 男子って案外こういうものなのかもしれないなと思う反面、いやいやいや、晄汰郎だからなんじゃないの、と感情の振り幅が大きくて、そんな自分に振り回される四日間だ。

 そして今も、どうしてこんなに責められているのか、わかるようでいて、実はわからないのが正直なところだったりする。

 だって自分で言ったんじゃないか、お守りなんてただの願掛けだって。じゃあなんで、くれくれ言う? 意味がわからない。
「なあ、宮野。俺はどうすればいいの?」
「……ど、どうって。別にどうもしなくていいよ。野球部って時間にうるさそうだし、遅くなる前に行ったほうがいいと思うよ」

「あのな」
「だって、計算され尽くした感じで渡されるのが嫌なんでしょ? でも私には無理だもん。気に障るような渡し方しかできない私のことなんて放って行っちゃっていいって」
「……」

 あからさまに眉をしかめた晄汰郎の顔をちらりと見て、私はぎゅっと唇を噛みしめる。

 ゴリラ坊主なところが腹が立つ。いつも冷静沈着なところが腹が立つ。動揺なんてしないで常に真顔で毒を吐くところが腹が立つ。私にばっかりきつい言い方をするところが腹が立つ。どうすればいいのって、いちいち聞いてくるところが腹が立つ。

 そんなの自分で考えてよ、私だってさっぱりなんだから。

「……ごめん。今のは嫌な言い方すぎた。でも、ほんと行っていいって。私のことは気にしないで、さくっと行っちゃってってば」

 さすがに可愛げがなさすぎたと自覚した私は、ひとまず謝罪の言葉を口にする。でも心の中では様々な感情が縦横無尽に飛び交っていて、しはらく一人にならないと収拾がつきそうにないくらいだ。
 ちょくちょく目が合っていたことだって、冷静に考えれば、何見てんだよ的に不快だったからと考えられなくもない。

 私のことが嫌いだから、あえてちょっかいを出しているのだと思えば、一度は「いらない」と突き返したものを、わざわざ欲しいとは、なかなか考えが改まらないのではないかと思う。

 実際、私も、自分の計算高さが嫌われる原因なのだとわかっている。わかる人にはわかってしまうその計算高さは、晄汰郎にとって今までどれだけ不快だったことだろうか。

 余計な探り合いや駆け引きなんてせず、ストレートに伝える。そういう子が晄汰郎は好みなのだろう。私とは正反対の、作られた可愛さではなく本来の可愛さで勝負をしてくるような子が、きっと晄汰郎は好きなのだ。

「なんだよ、その言い方。受け取ってもらえるまで何度でも渡すって言ったのはそっちだろ。もう明後日だけど、それでいいわけ?」
「……い、いいもなにも、急に渡す気になれなくなったんだもん、仕方ないじゃんか」
「は? なんなの。マジわかんねーわ」
「わかんなくていいし……」

 はぁーと大きなため息が聞こえて、続いて坊主頭をじょりじょり撫でる音も聞こえる。

 どうやら晄汰郎は、相当イライラしているらしい。でも、晄汰郎の言うことも二転三転しているけれど、私の言動だってそれ以上に二転三転しているのだから、仕方がない。
 いまだ顔を上げられない中、途端に晄汰郎が纏う空気がピリリと張り詰めていく。だから私は、余計に俯くしかなかった。

「もういい。行くわ」
「……っ」

 ややして、痺れを切らしたのだろう。晄太郎はその場を離れていった。俯いた視線の先――晄汰郎の足が視界から消えていく様子を見つめながら、私はきつく唇を噛みしめる。

 正確には、渡す気になれなくなったんじゃなく、渡せなくなっただけだ。

 晄汰郎に計算は効かない。でも私は計算しかできない。

 だから、なんの計算もなく真っ直ぐに想いをぶつけるには、本命お守りは重すぎると今さらになって気づいたのだ。それにもう、この鎧の脱ぎ方もわからない。

 あの子たちも〝付き合っちゃえよ〟なんてよく簡単に言えたものだよ。こっちはそれ以前に、告白すらしてないのにフラれるわ、嫌われるわなんだから、最初から挽回のチャンスなんてあるわけもないじゃんか……。

「……どうせ私のことなんて好きじゃないじゃん。むしろ一番嫌いなタイプじゃん。だったら無理して〝くれ〟なんて言わなくていいのに。わかんねーのはそっちだっつーの」

 ザッ、ザッと音を立てて遠ざかっていく晄汰郎の足音を聞きながら、ますます首を引っ込めて俯いた私は、ぼそぼそと毒を吐く。