――計算高くて何が悪いの。
たった今、突き返されたばかりの本命お守りをべしっと壁に叩きつけながら、私は大声で叫びそうになるのを必死にこらえ、床に転がったそれを乱暴に拾い上げた。
『それ計算してやってんだろ。顔は可愛いんだけど、だから宮野はちょっとナイわ』
さかのぼること十数分前。
そうこっぴどく、それでいて恐ろしいほどの真顔で言い放ったのは、絶対こいつ私のこと好きだわ、とずいぶん前から目をつけていた同じクラスの篠宮晄汰郎だった。
名前も硬派なら性格も硬派な晄汰郎は、普段は物静かだけれど、いざというときに一本芯の通った部分を発揮する男だ。クラスの女子の間で密かな人気もあって、男子からも一目置かれる存在、まとめ役だったりする。
しかも、やや伝わりにくいところもあるものの、誰にでも分け隔てなく優しい男とくれば、本気で好きになる女子がいても、ちっとも不思議じゃない。
あとから気づく優しさが恋心を加速させるタイプ、とでも言ったらいいのだろうか。ぶっきらぼうな優しさが逆にいい!と心を鷲掴まれる女子は、実はけっこう多かったりするのが晄汰郎という男だ。
野球部らしく潔い坊主頭。いつも綺麗に手入れされているナチュラル眉。しゅっと通った鼻筋に、少し吊り気味の二重の目。唇は少し厚めだけれど、そこがまた可愛らしい。
いい体をしているのも、もちろんポイントが高い。
高身長で、マッチョすぎもせず細すぎもせず均整の取れた体型は、私は直接見たことはないけれど、以前「Tシャツの裾で顔の汗を拭いたときにチラ見えした腹筋がえらいヤバい!」と、あっという間に女子の間に伝達されたほどの代物らしい。
そういうわけで、私たち女子の目には、見た目も中身も同年代の男子とは一味違って映る晄汰郎なのだけれど――。
「なんなのあいつ! じゃあ、いちいちチラチラ見てこないでよっ。こっちは勘違いするじゃん。人気のある男子なら彼氏にしてみたいと思うじゃん。女子の夢じゃんか!」
私のプライドをズタズタに切り裂き、この通り我を忘れるほど怒り心頭させている。
おまけに、誰にでも分け隔てなく優しいなんて嘘なんじゃないの⁉と思わず目を剥いてしまうほどの毒舌ぶりだった。普段の様子とあまりに違う晄汰郎を前に、数瞬、何を言われているかわからなかったくらいだ。
「最悪っ。こんなの作るんじゃなかった!」
硬派に見せかけて、中身はあんな毒舌野郎だったなんて! めっちゃ騙されたしっ。
私は、野球ボールとバットを模してフェルト生地を切り抜き作ったお守りの、表の飾りつけを鋭い目つきで睨みつけ、べしっ。
もう一度、思いっきり壁に投げつけた。
計算しない女子なんていない。
それが私――宮野詩の持論だ。
どんなに天然な子でも、男子の前では多かれ少なかれ自分の天然ぶりをアピールするのが普通だし、もともと計算高い子なんかは――もちろん私もだけれど――計算していると思われないように計算して男子と接する。
みんながこぞって「格好いい」「彼女になりたい」なんて言うような男子なら、なおさらだ。そこには多分に憧れや妄想が練り込まれているけれど、接する機会があれば、やっぱりみんな思うことはひとつだ。
可愛く見られたい。それに尽きる。
だってそれが本能ってもんでしょう!
私は声高々に思う。
可愛く見られたい、惚れられたい。あわよくばイケメンに。みんなが指を咥えて羨ましがるような、そんな完璧男子に。
それって普通のことなんじゃないの?
みんな口に出しては言わないけれど、心の中ではいつも自分がヒロインで、二十四時間年中無休で王子様を待っている。そこにはもちろん〝自分だけの〟という条件が絶対だ。
それ以外は受け付けられない。いくら向こうに好かれても。どんなにイケメンでも。
そういう点を鑑みても、晄汰郎はまさに私の理想通りの男子と言ってよかった。
いざというときのリーダーシップも申し分ないし、周りからの信頼も厚い。晄汰郎に任せておけば。晄汰郎の意見をまず聞いてみよう。誰もが自然に晄汰郎を頼りにするような高校生男子なんて、リアルな世界では、そうそういるはずもないのだから。
それに、彼女一筋そう、と当然のように思わせてくれるところも、理想通りだった。
彼女がいるという噂は聞いたことがないけれど、これだけ完璧な要素が備わっているんだから、彼女になる子は間違いなく大切にしてもらえる。
晄汰郎には不思議と、そう思わせる何か特別な力がある気がする。
でも現実は先の通り。
意図的にだろうと、そうではなかろうと、女子ならきっと誰もがするだろう計算を一刀両断し、手作りのお守りも、あっさりと突き返す始末。
ただ彼氏にしたいと思っただけなのに、なんで私がフラれたみたいになってんの!?
「好きなもんか、あんなやつッ!」
べしっ。
赤のギンガムチェックの可愛らしいお守りが、掃除のときに当番が掃き残した埃にまみれて、どんどん薄汚れていく。すなわち私の怒りは収まるところを知らない。
はあはあと肩で荒く息をしながら、目元に浮かんだ涙を乱暴に拭う。
人間の体とは不思議なもので、すごく怒っていても涙が滲む。だからこれは、手に取りもせず「いらない」と言われて傷ついているとか、計算を見透かされて恥ずかしいとか、けっしてそういう涙じゃない。
絶対、そういうんじゃない。
「……ほんっと最悪」
そう毒を吐きながら、このまま放っておくわけにもいかないお守りを拾い上げ、荒れた手つきでスカートのポケットにねじ込む。
計5回はぶん投げたそれからは、怪我をしたときのための絆創膏や、男子が歩く105キロにちなんで105回書いた目的地の『碁石到着』の小さな紙の音に紛れて、晄汰郎が好きでよく舐めているハニーレモン味の飴の包装フィルムがこすれ合う音がした。
*
私が通う蓮丘高校には、『夜行遠足』という行事がある。
〝夜行〟の名は、男子が歩く距離――105キロを夜通し歩くことから由来していて、女子はその翌日の早朝から一日をかけて43キロの道のりを歩く。
ゴールはそれぞれ、碁石と南和。
道中では卒業生や近隣住民からの差し入れがほどこされ、保護者やボランティアが夜行遠足の安全を陰からサポートする。また、有志による豚汁などの炊き出しや休憩所も各所に設けられ、疲れた心と体を癒してくれる。
そして、この夜行遠足は、蓮高生にとってバレンタインより重要な行事でもある。
好きな男子にチョコを渡すのと同じ要領で、本命の男子生徒に赤のギンガムチェックのお守りを渡すのが、昔からの習わしだ。
誰がはじめたものなのか、いつからそうなのかはわからない。でも、夜行遠足には意中の相手に赤のギンガムチェックのお守りを渡すのが蓮高女子の伝統だ。しかも手作りだから、どれだけ本気かが嫌でも伝わる。
それともうひとつ。
お守りといえばりんご、というのも、よく知られている伝統だ。
男子の中で完歩できた生徒だけがもらえるそのりんごは、過酷な道のりに反して、たったのひとつ。
それを見事ゲットし、後日お守りをくれた女子にお礼として渡すのが、蓮高男子のホワイトデーのお返し、ということになる。そして女子は、そのりんごのお礼にアップルパイを焼き、一緒に食べるのだ。